読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第四章 民主主義にひそむ官僚独裁主義

(略)

工業を絶えず発展させるという政策は、社会全体に大きく影響するのだから、政治の話題として議論するのが当然である。ところが、そのような議論は起きなかった。戦後の経済復興という非常に理にかなった政策が、推進されているうちにいつのまにかこうなっていたのである。

 

 

国民の代表者たる政治家がなぜこれほど無力なのかといえば、それは彼らがほとんど支持されていないからだ。それだけ十分に信頼されていないのだ。彼らを抑えつけておくひとつの方法は、たびたび生じるスキャンダルである。

 

 

政治かはもともと腐敗し、金銭に動かされやすく、利己的だという、事実に反する現実を強調する役目を果たすものこそがスキャンダルなのである。

こうしたすべての相互作用によって、日本のような大規模で高度な経済システムなら当然期待できるようなメリットが、なんら国民に与えられることのないまま、現在にいたっているのだ。

 

 

しかも中産階級政治勢力になり得ないので、それを獲得しようと闘うこともできない。そのためにほんの民主主義は中身のともなわないうわべだけのものになってしまった。そして偽りの現実を維持しながら、日本の市民たちを欺くような多くの「民主的」な儀礼が行われている。だがその権力システムの内実は「官僚独裁主義」である。

 

 

慈悲深さを装う管理者たち

 

日本の独裁主義が特異なのは、私も知っている普通の独裁主義的な政治システムとは違って、ひとりの人間か特定のグループに権力が集中しているわけではないからだ。逆に、日本の政治権力は、官僚や、ビジネス、そして政治エリートの上層部というかなり厚く、幅広い層をなす人々の間に分散されている。

 

 

この分散された権力が政治の世界を形成しているわけなのだが、日本社会が政治家されているために、国民はどこで権力が行使されているのかが実感できない。実のところ、権力はいたるところで行使されているように見えるのである。

 

 

我々はもう少し詳しく日本の官僚独裁主義について検証する必要がある。社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。

 

 

日本の管理者たちは、みずからを慈悲深い存在と見なしたがる。彼らは国民のために最善の成果を上げようと、国家運営という困難な任務に私心を捨てて尽力していると、人々に印象付けたがっている。彼ら自身、また日本の大抵の人々も、官僚は欲得ずくで、身勝手な政治家とは正反対の目的をめざしていると考えている。そしてそれは「安定」にほかならない。(略)

 

 

 

日本の管理者たちからすれば、国民がみずからを市民と見なしては困るのである。なぜなら市民にとって慈悲深いかどうかはさして意味がないからだ。市民は政治システムの上層部の人間が必ずしも利他的だとは思わないものだ。そして市民は国の管理者たちがなにをもくろんでいるかを疑う。(略)

 

 

厚生労働省の不健全なやり方

 

最後に述べた厚生労働省に関しては、情け深いはずの官僚が、実際には日本の人々に大変な害を及ぼしている事実を伝える格好の事例がある。同省は病状を和らげ、あるいは病気を治療することが、みずからの最優先課題だとは考えず、ほかの省庁と同じように日本の産業を守っている。(略)

 

そのため同省はなにをおいても日本の医薬品業界を護ろうとする。(略)

ところが同省はなにか決定をする際には、日本の患者たちの利益を考えようとしない。医療機器の輸入に関しても、日本メーカーに歓迎されない競争を最小限に抑えるという方針にしたがってその大半が規制されている。(略)

 

 

そんな彼らが嫌うものはふたつある。すなわち日本の出生率の低下と、女性解放である。(略)

彼らは日本女性にヨーロッパやアメリカ女性のまねをしてほしくなかったのだ。というのも女性が解放されれば、いっそう統制しにくくなるからだ。そのため副作用の弊害など、ナンセンスとしか言いようのないたわごとをまくしたてては、同省の役人たちは長いこと、避妊用の低用量ピルの販売を禁止してきた。(略)

 

 

この発表によって、日本の民主主義をさまたべるふたつのおもな事柄がいまち明らかになった。ひとつは審議会が危険な組織だということである。有識者や利益団体のメンバーたちが構成するこうした機関は、民主的なメカニズムを通じて、官僚の政策決定に影響をおよぼすことができるはずである。

 

 

ところが現実には日本の審議会は所属する省庁の出先機関に成り下がっている。そして官僚たちはそれを狡猾なやり方で支配している。

つまり審議会がどんな結論を出すかは、省庁によってあらかじめ決定されているのである。そして審議会はあたかもコンセンサスにもとづいて方針が決定されたかのように、見せかけの現実作りに手を貸している、ということだ。(略)

 

 

この審議会は、避妊用ピルの販売を九つの製薬会社が申請したことに関連して、その安全性を調査するよう委任されたのであって、エイズや、コンドームの使用が減る可能性について議論する立場にはなかった。

 

 

「答申」を出すまでに七カ月を要した同会の一二人のメンバーのうち、三人は厚生省の役人であり、それ以外はみなそれぞれ大学の教授だった。私にはこの事実が、日本の学界がいかに堕落し、反民主的な傾向にあるかを示しているとしか思えなかった。

 

 

日本の民主主義の実情に関して気づいた二番目の問題は、抗議の声がまったく上がらなかったことである。同省は日本の女性の便宜をはかるため、市場を開放すると数年前から約束していたにもかかわらず、約束を撤回すると勝手に発表するだけで済んだ。それに対してだれも抗議しなかった。(略)

 

 

当局は血液製剤が危険であると、アメリカの保健機関から警告され、その事実をすでに知っていたにもかかわらず、多くの血友病患者がそれで治療を受けるのを黙認した。すでに海外では識別検査法が開発されていたが、日本の官僚たちは、それを採用しなかった。採用しなかった理由のひとつは、日本企業にみずから検査法と機器を開発させたかったから、というものだった。

ふたつの被害者グループが国を相手取って訴訟を起こし、しばらく争っていたが、ほとんど世間の注目を集めることはなかった。」