読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

「第三章  義

 

義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振る舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかも知れない―狭隘であるかも知れない。ある著名の武士[林子平]はこれを定義して決断力となした、曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。

 

 

死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」と。また或る者[真木和泉]は次のごとく述べている、「節義は例えていわば人の身体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と。

 

 

 

孟子は「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言い、かつ嘆じて曰く「その路を舎てて由らず、その心を放って求むるを知らず」と。

 

 

彼に後るること三百年、国を異にしていでたる一人の大教師[キリスト]が、我は失せし者の見出さるべき義の道なりと言いし比喩の面影を、「鏡をもて見るごとく朧」ながらここに認め得るではないか。

 

 

 

私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直くかつ狭き路である。(略)

 

 

しかし勇について述ぶるに先だち、私はしばらく「義理」について述べよう。これは義からの分岐と見るべき語であって、始めはその原型(オリジナル)から僅かだけ離れたに過ぎなかったが、次第に距離を生じ、ついに世俗の用語としてはその本来の意味を離れてしまった。

 

 

義理という文字は「正義の道理」の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。その本来の純粋なる意味においては、義理は単純明瞭なる義務を意味した―したがって我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということを言うのである。(略)

 

 

 

すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、その欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。

 

 

彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。何となればもし愛が徳行を刺激するほど強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、義しく行為する必要を知らしめねばならない。同じことは他の道徳的義務についても言える。

 

 

義務が重荷と感ぜらるるや否や、ただちに義理が介入して、吾人のそれを避けることを妨げる。義理をかく解する時、それは厳しき監督者であり、鞭を手にして怠惰なる者を打ちてその仕事を遂行せしめる。

 

 

義理は道徳における第二義的の力であり、動機としてはキリスト教の愛の教えに甚だしく劣る。愛は「律法」である。私の見るところによれば、義理は偶然的なる生れや実力に値せざる依怙ひいきが階級的差別を作り出し、その社会的単位は家族であり、年長は才能の優越以上に貴ばれ、自然の情愛はしばしば恣意的人工的なる習慣に屈服しなければならなかったような、人為的社会の諸条件から生まれ出たものである。

 

 

まさにこの人為性の故に義理は時をへるうちに堕落して、この事かの事—例えば母は長子を助けるために必要とあらば他の子どもをみな犠牲にせねばならぬのは何故であるか、もしくは娘は父の放蕩の費用を得るために貞操を売らねばならぬのは何故であるか等々を、説明したり是認したりする時によび出される漠然たる妥当感となったのである。

 

 

 

私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、しばしば決疑論に屈服したのである。それは避難を恐れる臆病にまで堕落した。スコットが愛国心について、「それは最も美しきものであると同時に、しばしば最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いてあることを、私は義理について言い得るであろう。

 

 

「義しき道理」より以上もしくはいかに持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。」

 

 

〇 「ある著名の武士[林子平]はこれを定義して決断力となした、曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。」の中の、

 「道理に任せて決心し猶予せざる心」もしそれが日本の為政者にあれば、様々なことがまるで違っていたと思います。あの戦争をもっと早く終わらせられた。そもそも戦争などしなかった。そして、今も速やかに原発をやめ、再生可能エネルギーに転換していたはず。

 

……ど思いながら読みました。