読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ アジアにおける一番目の子分という地位の喪失

他方、政治においては、九〇年代に盛んに喧伝された「アジアへの着地」は頓挫し、対米従属の必然性が消え去った時代において対米従属が昂進するという逆説的事態が進行して来た。

 

 

その間、アジア諸国の国力の増大にともない、アジア地域で突出していた日本の国力の相対的低下が露わになり、それがもたらす焦燥感は大衆の間での排外主義的心情の広がりのかたちをとって現れている。

 

 

対米従属とアジアにおける日本の孤立は別の事柄ではない。それは、冷戦時代からコインの両面として機能してきたのであり、永続敗戦レジームの根幹的な構造をなすものである。

 

 

第二次世界大戦後のアジアにおいて、「アメリカの一番目の子分」の地位を占めることによって、侵略と植民地支配という負の歴史に対して向き合うことを最小限に済ませることが可能となったからである。(略)

 

 

 

▼ 永続敗戦レジームの純化

しかし、われわれがいま、現実に目撃しているのは、清算どころか永続敗戦レジームの原理主義的な純化である。

自民党を筆頭に、政官財学メディアに根を張った永続敗戦レジームの管理者たち(=親米保守派の支配層)は、アメリカからの収奪攻勢に対して抵抗する代わりに、その先導役としてふるまうことによって自己利益を図るようになり、対米従属は国益追及の手段ではなく自己目的化した。その一方、日韓や日中間の信頼醸成があらためて始まる気配は見えない。(略)

 

 

▼ 「平和と繁栄」の「戦後」に執着した「平成」

(略)

そこには、「アジアの先進国は日本だけでなければならない」という、戦後の「平和と繁栄」という明るいヴィジョンに隠された暗い願望がある。それは、明治維新以来の日本人の欧米に対するコンプレックスとほかのアジア諸国民に対するレイシズム(人種差別)の表出にほかならない。われわれは、「敗戦の否認」を行なうことによって、それらの願望と心情を戦後に持ち越したのである。(略)

 

 

▼ 漂流する「戦後」

「戦前」の歴史はしばしば、近代化革命から急速な発展を経て、大きな失敗へと至った、というかたちで物語られてきた。

この物語に相当する語りを「戦後」は未だに持っていない。だが、時間の長さという観点からすれば、われわれがその起源、展開から帰結へと至ったものとして「戦後」の歴史を物語るに十分な月日がすでに流れたのである。(略)

 

 

「戦後」が何であるのかわかっていないのに、そこから「脱却」して、一体どこへ行こうというのだろうか。(略)

 

 

2 史劇は二度、繰り返される

 

▼ 「国体」は死んだのか

そこで本書は、日本近代史についての一個の仮説に基づいて歴史を語ることによって、そのトータルな構造を俯瞰し、「戦後」がいかなる時代であったかという問いに対する答えを模索する。(略)

 

 

▼ 国体護持が生んだ実質的占領の継続

筆者にとって、この問いが鋭く、また今日最重要のものとして突き付けられたのは、「永続敗戦論」を準備する中で政治学者・豊下楢彦の「安保条約の成立—吉田外交と天皇外交」(一九九六年)を読んだ時であった。(略)

 

 

その時アメリカが欲したのは、「我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」(米大統領特使ジョン・フォスター・ダレス)であった。(略)

 

 

豊下の議論は、戦後憲法体制において象徴天皇は実質的な政治介入をしてはならないはずだ、という法律論上の問題の指摘にとどまるものではなかった。

彼があぶり出したのは、昭和天皇の示した方向性が、戦後日本の一般的な次元での体制の在り方を決めていったことの問題性である。(略)

 

 

 

▼ 共産主義への恐怖

昭和天皇が積極的にアメリカを「迎え入れた」最大の動機は、共産主義への恐怖と嫌悪であったと豊下は見る。東西対立が激化するなかで、内外からの共産主義の浸透を防ぐ守護神として、昭和天皇アメリカの軍事的プレゼンスを求めたのである。(略)

 

そこにおいて、天皇の政治介入がどれほどの直接的実効性を持ったかということは、さしたる問題ではない。問われるべきは、戦前から引き継がれたシステムとしての「国体」が、対米関係を媒介としてその存続に成功したこと、そしてそれによって、どのような歪みが日米関係にもたらされたのか(不平等条約の恒久化、対米従属体制の永久化)という問題である。

 

 

豊下いわく、「天皇にとって安保体制こそが戦後の「国体」として位置づけられたはずなのである」。(略)

 

 

▼ 「国体」概念がなぜ有効なのか

そして、戦後史はさらに奇妙なひねりを帯びることになる。

(略)

その後、明白になってきたのは、戦後日本の対米従属の在り方の異様な歪み、その特殊性である。右に見た歴史的経緯のためだけでなく、世界に類を見ない(万邦無比!)特殊性を捉えるために、「国体」の概念が適用されるべきなのである。(略)」