読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

ベートーヴェンチャック・ベリーよりも上か?

 

人間至上主義の三つの分派の違いを確実に理解するために、人間の経験をいくつか比較しよう。

経験その1 —  音楽学の教授がウィーン国立歌劇の客席でベートーヴェン交響曲第五番の出だしに耳を傾けている。(略)

 

 

経験その2 ―  一九六五年。一台のマスタングコンバーチブルがサンフランシスコからロサンジェルスに向かってパシフィック・コースト・ハイウェイを全速力で疾走している。マッチョな若いドライバーがチャック・ベリーの曲をボリュームいっぱいにかける。(略)

 

 

経験その3 —  コンゴ熱帯雨林の奥深くでピグミーの狩人がじっと立っている。娘たちが儀礼の歌を声を揃えて歌うのが近くの村から聞こえてくる。(略)

 

 

経験その4 —  ある満月の晩、カナディアン・ロッキーのどこかの小山の頂上で、一頭のオオカミが盛りのついたメスの遠吠えに聴き入っている。(略)

 

 

この四つの経験のうち、どれが最も価値があるのか?

自由主義者なら、音楽学の教授と若いドライバーとコンゴの狩人の経験はみな等しく価値があり、したがって、等しく大切にされなければならないと言う傾向をみせるだろう。(略)

 

 

社会主義者は、狼の経験にはほとんど価値がないという点ではおそらく自由主義者に同意するだろう。だが、三つの人間の経験に対する態度は完全に違うはずだ。社会主義者の熱狂的な支持者なら、音楽の真の価値は個々の聴き手の経験ではなく、他の人々の経験や社会全体の経験に対する影響で決まると説明するだろう。毛沢東が言ったとおり、「芸術のための芸術、階級を超越した芸術、政治から切り離されたり独立したりした芸術などというものはない」のだ。(略)

 

 

 

というわけで、どの音楽がいちばん優れているのか?(略)

自由主義者はうっかり差別的な言動をするのを恐れて、文化比較の地雷原を用心深く避けて通り、社会主義者はこの地雷原を通り抜ける正しい道を見つけるのは党に任せておくのに対して、進化論的な人間至上主義者は大喜びで思い切り良くそこに飛び込み、地雷をすべて爆発させ、大混乱を楽しむ。(略)

 

 

進化論的な人間至上主義者によると、あらゆる人間の経験は等しく価値があると主張する人はみな、間抜けか腰抜けということになる。そのような無教養と臆病は人類の退化と絶滅につながるばかりだ。文化的相対主義あるいは社会的平等の名の下に、人間の進歩が妨げられてしまうからだ。もし自由主義者社会主義者石器時代に生きていたら、ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟の壁画にはおそらくほとんど価値を認めなかっただろうし、それらの壁画はネアンデルタール人の落書きよりも少しも優れていないと言い張っただろう。

 

 

人間至上主義の宗教戦争

 

当初、自由主義的な人間至上主義と社会主義的な人間至上主義と進化論的な人間至上主義の違いはつまらないものに思えた。人間至上主義の全宗派をキリスト教イスラム教やヒンドゥー教と隔てる溝と比べたら、人間至上主義の異なるバージョンの間の言い争いなど、些細なものだった。(略)

 

 

ところが、人間至上主義が世界を征服すると、このような内部の不和が拡大し、ついにはそれが高じて史上最も血なまぐさい宗教戦争が勃発した。(略)自由主義者たちは、もし個人が自分を表現する最大限の自由を持っていて、心の命じるままに従えば、この世界は空前の平和と繁栄を享受するだろうと確信していた。(略)

 

 

第一次世界大戦直前の一九一四年六月ののどかな日々に、自由主義者たちは歴史は自分たちの見方だと考えていた。

ところがその年のクリスマスには、自由主義者は戦争神経症になり、その後の数十年間に、彼らの考えは左右両方から攻撃された。実は自由主義は冷酷で搾取的で人種差別的な制度の隠れ蓑だと社会主義者は主張した。(略)

 

 

 

気もちが良いことをする個人の権利の擁護は、大抵の場合、中産階級と龍階級の資産と特権を保護することに等しい。好きな場所に住める自由があっても、家賃を払えないなら何の役に立つというのか?(略)

 

 

自由主義の下では誰もが飢え死にする自由があるという、有名な当てこすりがある。自由主義は人々に自分を孤立した個人と見るように促し、同じ階級の成員から彼らを切り離し、彼らを迫害する体制に対して団結して反抗するのを妨げるのだからなお悪い。こうして自由主義は不平等を永続させ、一般大衆を貧困へ、エリート層を疎外へと追いやる。

 

 

 

自由主義が左からこのパンチを食らってよろめいているときに、進化論的な人間至上主義が右から襲いかかった。人種差別主義者とファシストおもに、自然選択を台無しにして人類の退化を引き起こしたとして自由主義社会主義の両方を責めた。もしあらゆる人間が等しい価値と、子孫を残す等しい機会を与えられたら、自然選択が機能しなくなってしまうと警告した。環境に最も適した人間が凡人の海に呑まれてしまい、人類は超人に進化する代わりに絶滅してしまう。(略)

 

 

第二次世界大戦は、後から振り返れば自由主義の大勝利として思い出されるのだが、当時はとてもそうは見えなかった。(略)

ドイツ軍がようやく打ち負かされたのは、自由主義陣営がソ連と手を結んで空だった。ソ連はこの戦争の矢面に立ち、自由主義陣営に比べてはるかに多くの代償を払った。戦時中、イギリスは五〇万、アメリカも五〇万の犠牲者を出したのに対して、ソ連の死者は二五〇〇万人にのぼった。(略)

 

 

一九五六年にソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフ自由主義の西側諸国に向かってこう豪語した。「諸君が好むと好まざるとにかかわらず、歴史は我々の味方だ。我々は諸君を葬り去るだろう!」

フルシチョフは本気でそう信じていたし、第三世界の指導者や第一世界の知識人たちの間でもそう信じる人がしだいに増えていった。(略)

 

 

一九七〇年には世界には一三〇の独立国があったが、そのうち自由民主主義国はわずか三〇で、ほとんどがヨーロッパの北西部に押し込まれていた。(略)

一九七五年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が、ゴリアテのようなアメリカに対する、ダビデのような北ヴェトナムの勝利で終わったのだ。共産主義は、南ヴェトナム、ラオスカンボジアを相次いで掌握した。(略)

 

 

自由民主主義はしだいに、高齢化する白人帝国主義者たちの排他的なクラブのように見えて来た。彼らには、世界の他の国々にも、自国の若者いにさえも、提供できるものがほとんどないようだった。アメリカ政府は自由世界のリーダーをもって任じていたが、その盟友のほとんどは、独裁的な王(たとえば、サウジアラビアのハーリド国王やモロッコのハッサン国王、イランのシャー)か、軍事独裁者(たとえばギリシアの大佐たち、チリのピノチェト将軍、スペインのフランコ将軍、韓国の朴将軍、ブラジルのガイゼル将軍、中華民国蒋介石総統)のどちらかだった。(略)

 

 

 

核兵器がなかったら、ビートルズウッドストックも、品物があふれ返るスーパーマーケットもありえなかっただろう。だが、核兵器があったとはいえ、一九七〇年代半ばには未来は社会主義のもののように見えた。

 

 

ところがその後、状況は一変した。自由民主主義は歴史のゴミ箱から這い出し、汚れを落として身なりを整え、世界を征服した。スーパーマーケットはけっきょく、強制労働収容所よりもはるかに強力だった。

 

 

大反撃が始まったのは南ヨーロッパで、そこではギリシアとスペインとポルトガル独裁政権が倒れ、民主的な政府に道を譲った。インディラ・ガンディーは非常事態宣言を解除し、インドの民主主義を復活させた。一九八〇年代には東アジアとラテンアメリカで、ブラジルやアルゼンチン、中華民国、韓国などの軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられた。

 

 

 

八〇年代後期から九〇年代初期には、自由主義の波は紛れもない津波に変わり、強大なソヴィエト帝国を一呑みにし、いわゆる「歴史の終焉」の到来を期待させた。自由主義は何十年にも及ぶ敗北と挫折の後、冷戦で決定的な勝利を収め、いささかやつれはしたものの、人間至上主義の宗教戦争から意気揚々と凱旋した。

 

 

 

ソヴィエト帝国が内部崩壊すると、東ヨーロッパだけではなく、自由主義政権が共産主義政権に取って代わった。近頃はロシアさえもが民主主義国家のふりをしている。(略)

 

 

個人により多くの自由を与えさえすれば、世界は平和と繁栄を享受すると、再び人々は信じている。二〇世紀全体が、とんだ間違いのように見える。(略)」

 

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「もちろん、自由主義国家主義と結びついたからと言って、難問をすべて解決することはとうていできなかった。それどころか、新たな難問が数多く生まれた。共有経験の価値と個人経験の価値をどう比較すればいいのか?ポルカやブラートブルスト(訳註 ドイツの国民的なソーセージ)やドイツ語を維持するためなら何百万もの難民を貧困や、ことによると死の危険にさえもさらしたままにするのが許されるのか?

 

 

そして、一九三三年にドイツで、一八六一年にアメリカで、一九三六年にスペインで、二〇一一年にエジプトで起こったように、国家の内部でほかならぬ自国のアイデンティティの定義をめぐって根本的な対立が勃発したらどうなるのか?そんな場合には、民主的な選挙が万能の解決策になることはまずない。対立する陣営の双方が、結果を尊重する理由を持たないからだ。(略)

 

 

 

社会主義的な人間至上主義は、それとはまるで違う道を歩んできた。自由主義者は私たちの注意を他者が経験していることではなく自分自身の感情に集中させる、と社会主義者は非難する。たしかに、人間の経験はあらゆる意味の源泉だが、世界には何十億もの人がおり、その全員が自分とまさに同じだけ価値があるのだ。

 

 

 

自由主義は一人一人の独自性と、その人の国の独自性を強調して、人の視線を自分の中へと向けるが、社会主義は、自分と自分の感情にばかり夢中になるのをやめ、他者がどう感じているかや自分の行動が他者の経験にどう影響するかに注意を向けることを要求する。世界平和は各国の独自性を賛美するのではなく、世界中の労働者を団結させることで達成される。社会の調和は、各自がナルシシズムに浸りながら自分の内なる深みを探求することではなく、他者の欲求や経験を自分の欲望よりも優先させることで成し遂げられるというのだ。

 

 

自由主義者はこう反論するかもしれない。人は自分の内なる世界を探求することによって思いやりを育み、他者への理解を深めるのだ、と。だがそのような理屈は、レーニン毛沢東には通用しなかっただろう。(略)

 

 

豊かな人も貧しい人も、生まれた時から洗脳される。豊かな人は貧しい人を無視するように教えられ、一方、貧しい人は自分の本当の関心を無視するように教えられる。どれだけ自分を見つめても、どれだけサイコセラピーを受けても、役に立たない。なぜなら、サイコセラピストたちもまた、資本主義体制の為に働いているからだ。

 

 

実際、内省すれば、自分についての真実を理解することからなおさら遠ざかるばかりである可能性が高い。個人の決定ばかり考慮に入れ、社会的な状況はあまり顧みないためだ。もし私が豊かなら、それは自分が賢い選択をしたからだと結論する。

 

 

もし貧困の泥沼にはまっていたら、何かミスを犯したに違いない。気分が落ち込んでいたら、自由主義のセラピストはおそらく親のせいにし、人生の新しい目標を設定するように促すだろう。資本主義者に搾取されているから、そして、現在広く浸透している社会制度の下では自分の目標を実現することは望むべくもないから、気分が落ち込んでいるのかもしれないと言ったら、セラピストは多分、自分の内に抱えている困難を「社会制度」に投影している。母親との未解決の問題を「資本主義者」に投影していると応じるだろう。

 

 

 

社会主義によれば、自分の母親や情動やコンプレックスについて何年もくだくだと語り続けるのではなく、次のように自問するべきだという。自国の生産手段を所有しているのは誰か?自国の主要な輸出品と輸入品は何か?政権を担う政治家たちと国際的な銀行業界との間にはどんなつながりがあるか?支配的な社会経済度を理解し、他のすべての人の経験を考慮に入れた時に初めて、自分が何を感じているかを本当に理解できるのであり、団結した行動によってのみ、制度を変えられるのだ。とはいえ、すべての人間の経験を考慮に入れ、公平なやり方で比較できる人などいるだろうか?

 

 

だから社会主義者は自己探求を思いとどまらせ、私たちのために世界を読み解くことを目指す、社会主義政党や職種別組合といった強固な集団的組織の設立を提唱する。自由主義の政治では有権者が一番よく知っており、自由主義の経済では顧客がつねに正しいのに対して、社会主義の政治では党が一番よく知っており、社会主義の経済では職種別組合がつねに正しい。権威と意味は依然として人間の経験に由来する(政党も職種別組合も人々から成り、人間の悲惨さを軽減しようと努めている)が、それでも個人は自分の個人的な感情よりも党と職種別組合が言うことに耳を傾けなくてはならない。

 

 

 

進化論的な人間至上主義は、人間の経験の対立という問題に、別の解決策を持っている。ダーウィンの進化論という揺るぎない基盤に根差しているこの人間至上主義は、争いは嘆くべきではなく賞賛するべきものだと主張する。(略)

 

 

 

ヨーロッパ人がアフリカ人を征服し、抜け目ない実業家が愚か者を破産に追いやるのは善いことだ。もしこの進化論的な論理に従えば、人類はしだに強くなり、適性を増し、やがて超人が誕生するだろう。(略)

 

 

ところが、もし人権や人間の平等の名のもとに、環境に最も適した人間を去勢したら、超人の誕生が妨げられ、ホモ・サピエンスの退化や絶滅まで招きかねない。

では、超人の到来の先駆けとなる、その優秀な人間たちとは誰なのか?それはいくつかの民族全体かもしれないし、特定の部族かも知れないし、個々の並外れた天才たちかも知れない。それが誰であれ、彼らが優秀なのは、新しい知識やより進んだテクノロジー、より繁栄した社会、あるいはより美しい芸術の創出という形で表れる。優れた能力を持っているからだ。

 

 

アインシュタインベートーヴェンのような人の経験は、酔っ払いのろくでなしの経験よりもはるかに価値があり、両者を同じ価値があるかのように扱うのは馬鹿げている。同様に、もしある国が一貫して人間の進歩を先導してきたのなら、人類の臣下にほとんど、あるいはまったく貢献しなかった他の国よりも優秀だと考えてしかるべきだ。

 

 

したがって、オットー・ディックスのような自由主義の芸術家とは対照的に進化論的な人間至上主義は、人間が戦争を経験するのは有益で、不可欠でさえあると主張する。映画「第三の男」の舞台は第二次世界大戦終結直後のウィーンだ。先日までの戦争について、登場人物のハリー・ライムは言う。「結局、それほど悪くはない。 ……イタリアでは、ボルジア家の支配下の三〇年間に、戦争やテロ、殺人、流血があったが、ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチが登場し、ルネサンスが起こった。

 

 

スイスには兄弟愛があって、五〇〇年も民主主義と平和が続いてきたが、やつらはなにを生み出したか?鳩時計さ」。(略)

その考え方とは、戦争の経験は人類を新しい業績へと押しやるというものだ。戦争は自然選択が思う存分威力を発揮することをついに可能にする。

 

 

 

戦争は弱い者を根絶し、獰猛な者や野心的な者に報いる。戦争は生命にまつわる信実を暴き出し、力と栄光と征服を求める意志を目覚めさせる。ニーチェはそれを次のように要約している。戦争とは「生命の学校」であり、「私の命を奪わないものは私をより強くする」。

 

 

 

同じような考え方を述べたのがイギリス陸軍のヘンリー・ジョーンズ中尉だ。第一次世界大戦西部戦線で命を落とす四日前、二一歳のジョーンズは戦争での自分の体験を熱烈な言葉で書き綴った手紙を兄弟に送っている。

 

 

あなたはこんな事実を一度でも考えたことがあるだろうか?(略)

平時に世界の人の一〇人に九人が送る、おぞましい営利本意の生活の愚かさや利己主義、贅沢、全般的な下劣さは、戦時には残忍さに取って代わられるのだが、その残忍さの方が、少なくとももっと正直で率直だ。(略)

 

 

平時には、人はただ自分自身のちっぽけな生活を送る。取るに足りないことにかまけ、自分の安楽やお金の問題といった類のさまざまな事柄を心配しながら、たんに自分のために生きている。なんとあさましい暮らしだ!

 

 

 

それに引き換え戦時には、たとえ本当に命を落とすことになっても、どのみち数年のうちにその避けがたい運命に見舞われることを予期しているのであり、私の見る限り、ありきたりの生活ではそういうことはごく稀にしかできない。なぜなら、ありきたりの生活は営利本意で利己的な基準で営まれているからだ。よく言うように、成功したければ、手を汚さずには済まされないのだ。

 

 

私としては、この戦争が自分のもとにやって来てくれたことをしばしば喜んでいる。人生とはどれほどつまらないものか、気づかせてくれたからだ。(略)

 

 

 

ジャーナリストのマーク・ボウデンは、ベストセラーになった著書「ブラックホークf・ダウン」の中で、ソマリアモガディシュにおけるアメリカ兵ショーン・ネルソンの一九九三年の戦闘経験を同じような言葉で描いている。(略)

 

 

 

アドルフ・ヒトラーも、自分の戦争体験で変わり、目を開かれた。「わが闘争」の中で語っている様に、彼の部隊が前線に到着して間もなく、兵士たちの当初の熱狂が恐れに変わり、めいめいがあらゆる神経を張り詰めさせ、圧倒されまいとして、その恐れに対して激しい内なる戦争をしなければならなかった。(略)

 

 

ドイツの有権者に訴えて信頼を求める時、ヒトラーには頼みの綱はたった一つしかなかった。大学や総司令部や省庁ではけっして学べないことを塹壕での経験で学んだという主張だ。人々が彼を支持し、票を入れたのは、その姿に自分自身を重ねたからであり、彼らもまた、この世界はジャングルだ、私の命を奪わないものは私をより強くする、と信じていたからだ。

 

 

 

ナチズムは、進化論的な人間至上主義と特定の人種理論や超国家主義的感情が組み合わさって生まれた。進化論的な人間至上主義者がみな人種悦をするわけではないし、人類にはさらに進化する可能性があると信じている人がみな、必ずしも警察国家強制収容所の設立を求めるわけでもない。

 

アウシュヴィッツは、人間性の一部をそっくり隠すための黒いカーテンの役割ではなく、血のように赤い警告標識の役割を果たすべきだろう。進化論的な人間至上主義は近代以降の文化の形成で重要な役割を演じたし、二一世紀を形作る上で、なおさら大きな役割を果たす可能性が高い。」

 

 

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(第7章 人間至上主義革命)

「ディックスは第一次世界大戦のとき、ドイツ軍の軍曹として軍務に就いた。リーは「ライフ」誌のために、一九四四年のペリリュー島の戦いを取材した。ヴァルターとネイエルスが戦争を軍事的・政治的現象として捉え、特定の戦いで起こったことを私たちに知ってほしかったのに対して、ディックスとリーは戦争を情動的現象として捉え、それがどう感じられるかを知ってほしかった。ディックスとリーは、将軍たちの天賦の才や個々の戦いの戦術的詳細には関心がなかった。ディックスが描いた兵士は、ヴェルダン、イープル、ソンム(訳註 いずれも第一次世界大戦の激戦地)のどこにいてもおかしくなかった。

 

 

それがどこかは関係ない。戦争はどこでも地獄だからだ。リーの兵士はたまたまペリリュー島アメリカ軍兵士だったわけだが、その兵士とまったく同じ二〇〇〇ヤードの凝視の表情を、硫黄島の日本軍兵士や、スターリングラードのドイツ軍兵士や、ダンケルクのイギリス軍兵士の顔にも見て取ることが出来ただろう。(略)

 

 

 

リーの絵では、トラウマを受けた兵士の大きく見開かれた目が、戦争の恐ろしい真実を直視する窓を開いてくれる。ディックスの絵では、信実はあまりに耐え難いために、兵士はガスマスクで目を覆わざるをえなかった。戦場の上空を舞う天使はいない。腐りかけた死骸だけが、折れた梁にぶら下がって、非難するように指さしている。

 

 

ディックスとリーのような画家たちは、こうして従来の戦争のヒエラルキーを覆すのに加担した。以前にも、二〇世紀の戦争とどう比べても同じぐらいぞっとする戦争は数限りなくあった。とはいえそれまでは、身の毛もよだつような経験でさえもみな、もっと広い文脈の中に収められ、好ましい意味を与えられた。戦争は地獄かもしれないが、天国への入口でもあった。(略)

 

 

ところがオットー・ディックスはそれとは正反対の種類の論理を使った。彼は個人の経験をあらゆる意味の源泉と見ていた。だから、彼の考え方を言葉にすると、こうなる。「私は苦しんでいる。そして、これは悪いことだ。したがって、戦争全体が悪い。それでも皇帝や聖職者がこの戦争を支持するのなら、彼らは間違っているに違いない」

 

 

 

人間至上主義の分裂

これまでは、人間至上主義が単一の首尾一貫した世界観であるかのように論じて来た。だがじつは人間至上主義も、キリスト教や仏教など、栄えている宗教のすべてに共通する運命をたどってきた。広まり、発展するうちに、いくつかの対立する宗派に分裂したのだ。(略)

 

 

人間至上主義は三つの主要な宗派に分かれた。正統派の人間至上主義では、どの人間も、独自の内なる声と二度と繰り返されることのない一連の経験を持つ唯一無二の個人であるとされる。(略)

政治でも経済でも芸術でも、個人の自由意志は国益や宗教の教義よりもはるかに大きな重みをもつべきだ。個人が享受する自由が大きいほど、世界は美しく、豊かで、有意義になる。この正統派の人間至上主義は、自由を重視するため、「自由主義てきな人間至上主義」、あるいはたんに「自由主義」として知られている。(略)

自由主義の教育は、自分で考えることを教える。答えはすべて、自分の中に見つかるからだ。

 

 

 

一九世紀と二〇世紀には、自由主義は社会的な信用と政治的な力をしだいに獲得するうちに、二つのまったく異なる分派を生み出した。じつに多くの社会主義運動と共産主義運動を網羅する社会主義的な人間主義と、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義だ。(略)

私たちが搾取や圧制をや不平等を避けるべきなのは、神がそう言ったからではなく、それらが人が惨めにするからだ。

 

 

とはいえ、社会主義的な人間至上主義と進化論的な人間至上主義はともに、人間の経験を自由主義の立場から解釈するのは間違っていると指摘する。自由主義者は、人間の経験は個人の現象だと考える。だが、世界には多くの個人がおり、しばしば違うことを感じ、相反する欲求を抱く。

 

 

もしあらゆる権威と意味が個人の経験から流れ出てくるのなら、そのように異なる経験どうしの矛盾をどう解決すればいいのか?

二〇一五年七月一五日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相に、レバノンから逃れて来た一〇代のパレスティナ難民の少女が詰め寄った。家族がドイツに亡命を求めているのに受け容れてもらえず、国外追放を目前にしているという。(略)

 

 

するとメルケルは、「政治は、ときに厳しいものです」と答え、レバノンには何十万ものパレスティア難民が居るので、ドイツは全員を受け容れることができないと説明した。この冷徹な答えにあっけにとられたリームは、涙を流し始めた。メルケルは絶望に打ちひしがれた少女の背中を撫でてやったが、自分の意見は曲げなかった。

 

 

 

その結果、世間が大騒ぎになり、メルケルは薄情で無神経だという非難の声が多数上った。それを静めるためにメルケルは方針を変え、リームは家族とともに亡命を許された。その数か月のうちに、メルケルは門戸をさらに開き、何十万もの難民をドイツに迎え入れた。だが、すべての人を満足させることはできない。

 

 

 

ほどなく彼女は、感傷に流され、断固たる態度を取り切れていないと、激しく攻撃された。(略)

絶望的な難民の気持ちと不安なドイツ人の気持ちという、相容れないものの折り合いを、どうつければいいのか?

 

 

 

自由主義はそのような矛盾について永遠に苦悩する。ロックやジェファーソンやミルと彼らの同輩がどれだけ頑張っても、この手の難問に対する迅速で手軽な解決策は提供できなかった。(略)

 

 

人が民主的な選挙の結果を受け容れる義務があると感じるのは、他のほとんどの投票者と基本的な絆がある場合に限られる。他の投票者の経験が私にとって異質のもので、彼らがこちらの気持ちを理解しておらず、こちらの死活にかかわる利害の問題に関心がないと私が思っていたら、たとえ一〇〇対一という票数で負かされても、その結果を受け容れる理由はまったくない。

 

 

民主的な選挙は普通、共通の宗教的信念や国家の神話のような共通の神話のような共通の絆をあらかじめ持っている集団内でしか機能しない。選挙は、基本的な事柄ですでに合意している人々の間での意見の相違を処理するための方法なのだ。

 

 

したがって、自習主義は多くの場合、昔ながらの集団的アイデンティティや部族感情と融合して近代以降の国家主義を形作ってきた。(略)

自由主義者は、個々の人間の唯一無二の経験を賛美する。一人一人の人間には、独自の気持ちや好みや癖があり、他人を傷つけないかぎり、それを自由に表現したり探求したりできてしかるべきだ。

 

 

同様に、ジュゼッペ・マッツィーニのような一九世紀の国家主義者は、個々の国の独自性を賛美した。彼らは、人間の経験の多くが共有されるものであることを強調した。ポルカは一人では踊れないし、ドイツ語を一人で発明して維持することもできない。それぞれの国は、単語、踊り、食べ物、飲み物を使い、国民が同じ経験をするように促し、その国特有の感性を発達させる。

 

 

 

マッツィーニのような自由主義国家主義者は、そうした特有の国家的経験が不寛容な帝国に抑圧されたり消し去られたりしないように守ろうとし、それぞれが隣国を傷つけることなしに自国民が共有する感情を自由に表現したり探求したりできるような、平和の諸国家を思い描いた。これは欧州連合の公式のイデオロギーであり続けている。(略)」

 

〇 この太字の部分は、私が太字にしました。これは、とても重要なことではないかと、感じています。私たちの国、日本でも、どこまで同じアイデンティティーを共有しているのか…

 

あの「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」の中でも「管理者」という言葉で説明されていました。

 

引用します。

 

「我々はもう少し詳しく日本の官僚独裁主義について検証する必要がある。社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。」

 

〇 「権力者=管理者」と私たち非力な一般庶民は、平等な法律の下にいません。彼らは見せかけの法の陰で、自分たちだけが何をやっても許される状態を作り出しています。そしてそれを誰にもどうにもできない体制になっているのです。こんな社会で、民主的な選挙など出来るのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「戦争についての真実

 

知識=経験×感性 という公式は、大衆文化だけではなく、戦争のような重大な問題についての私たちの認識さえも変えた。歴史の大半を通じて、ある戦争が公正かどうかを知りたい時には、人々は神にたずね、聖典に尋ね、王や貴族や聖職者に尋ねた。

 

 

一兵卒や一般市民の意見や経験を気にする人などほとんどいなかった。

ホメロスウェルギリウスシェイクスピアのもののような戦争の物語は、皇帝や将軍や傑出した英雄の行動に的を絞り、戦争の悲惨さを隠しはしないものの、それを埋め合わせて余りあるほど栄光や武勇をたっぷり描いていている。(略)

 

 

王は軍神さながら、戦場の上に威容を見せる。まるで、チェスのプレイヤーがポーンを動かすように、戦いを支配しているかのようではないか。ポーンたちは個性などほとんど感じさせず、背景の中の小さな点にすぎない者たちもいる。

 

 

ヴァルターは彼らが突撃したり、逃げたり、殺したり、死んだりするときにどう感じていたかには興味がない。彼らは顔を持たない集団だ。(略)

 

 

 

とはいえ、こうした光景は、それが全体像の中に占める位置から意味を与えられている。砲弾が兵士の身体を木っ端微塵にしているのを目にした私たちは、それをカトリック側の大勝利の一部として解釈する。もしその兵士がプロテスタント側で戦っているのなら、彼の死は反逆と異端に対する報いに過ぎない。

 

 

 

もし彼がカトリック側の軍で戦っているのなら、その死は尊い大儀のための気高い自己犠牲の行為となる。視線を上げると戦場のはるか上空に天使たちが浮かんでいる姿が目に入る。天使たちが手にした白い横断幕には、この戦いで何が起こったか、そしてそれがなぜ重要なのかがラテン語で説明されている。

 

 

 

それは、神の助けで皇帝フェルディナント二世が一六二〇年一一月八日に手k辞を打ち負かしたという内容だ。

何千年にもわたって、人々は戦争を眺める時には、神や皇帝、将軍、偉大な英雄を目にした。だが過去二世紀の間に、王や将軍はしだいに脇へ押しやられ、スポットライトは一兵卒やその経験に向けられるようになった。(略)

 

 

戦争は輝かしく、その大義は公正で、将軍は天才だと彼は信じている。

ところが、本物の戦争 ― 泥と、血と、死臭 ― を数週間経験するうちで、そうした幻想は次々に打ち砕かれる。

 

 

かつてのうぶな新兵は、もし生き延びればずっと賢くなって戦場を後にするだろう。教師や映画製作者や雄弁な政治家が謳う決まり文句や理想を、もう鵜呑みにしない人間になって。

っこのような物語はあまりに大きな影響力を持つようになったために、今日では教師や映画製作者や雄弁な政治家までもが繰り返し語るのだから、皮肉なものだ。(略)

 

 

 

画家たちも、馬にまたがった将軍や戦場への関心を失った。そしてその代わりに、一兵卒の心情を描こうと懸命に努力する。画家たちも、馬にあがった小b軍や戦術への関心を失った。そしてその代わりに一兵卒の心情を描こうと懸命に努力する。」

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「これこそ、神は死んだと言った時にニーチェの頭にあったことだ。少なくとも西洋では、神は抽象概念になり、それを受け容れる人もいれば退ける非tもいるが、どちらにしてもあまり変わりはない。

 

 

中世には、神がいなければ、人は政治的権威の源泉も道徳的権威の源泉も美的権威の源泉ももちえなかった。だから、何が正しいか、善いか、美しいか判断できなかった。誰にそんな生活が送れるだろう?

 

 

 

それに対して今日は、神の存在を信じないことはたやすい。信じなくても、何の代償も払わなくて済むからだ。人は完全な無神論者であっても、政治的価値観と道徳的価値観tと美的価値観のじつに豊かな取り合わせを自分の内なる経験から依然として引き出せる。

 

 

仮に私が神を信じていたら、そうするのは私の選択だ。私の内なる自己が神を信じるように命じるのなら、私はそうする。私が信じるのは、神の存在を感じるからで、神はそこに存在すると私の心が言うからだ。だが、もし神の存在をもう感じなければ、そして、神は存在しないと突然自分の心が言い始めたら、私は信じるのをやめる。どちらにしても、権威の本当の源泉は私自身の感情だ。だから、神の存在を信じていると言っているときにさえも、実は私は、自分自身の内なる声のほうを、はるかに強く信じているのだ。

 

 

 

黄色いレンガの道をたどる

 

感情にも、他のあらゆる権威の源泉と同じで短所がある。人間至上主義は、どの人間にも単一の本物の内なる自己があると決めてかかっているが、私がその内なる自己に耳を傾けようとすると、沈黙がかえってくるか、相争う声の不協和音が聞こえて来るかのどちらかだ。

 

 

 

人間至上主義はこの問題を乗り越えるために、権威の新しい源泉だけではなく、その権威に到達して真の知識を獲得する新しい方法もはっきりと示した。

 

 

中世のヨーロッパでは、代表的な知識の公式は、知識=聖書×論理※だった。もし人々が重要な疑問の答えをしりたかったら、彼らは聖書を読み、文章の厳密な意味を理解するために論理を使った。(略)そんなわけで、学者たちは学校や図書館で何年も凄し、できるかぎり多くの文書を読み、文書を正しく理解できるように論理的思考力を磨くことで知識を探し求めた。

 

 

科学革命は完全に異なる知識の公式を提示した。知識=観察に基づくデータ×数学だ。もし何かの疑問の答えを知りたければ、その疑問に関連した、観察に基づくデータを集め、それから数学的ツールを使って分析する必要がある。

 

 

たとえば、地球の本当の形状を知るためには、次のような方法がある。まず世界のさまざまな場所から太陽と月と惑星を観察する。十分な観察結果が集まったら、三角法を使って地球の形だけでなく太陽系全体の構造も推定できる。そんなわけで、科学者たちは観測所や研究所や遠征調査で何年も凄し、できるかぎり多くの観察に基づくデータを集め、そのデータを正しく解釈できるように数学的ツールの制度を上げることで、知識を求める。

 

 

(※この公式が掛け算の形を取っているのは、聖書と論理が互いに影響を及ぼすからだ。少なくとも中世のスコラ哲学によれば、論理がなければ聖書は理解できないという。もしあなたの論理力がゼロなら、たとえ聖書を一ページ漏らさず読んだとしても、知識の総計は依然としてゼロのままとなる。

 

 

逆に、もし聖書を読んだ量がゼロなら、どれほど論理の力があっても役に立たない。この公式がもし足算だったなら、論理の力がたっぷりある人は、聖書を読んでいなくても、多くの知識を持っていることになる。あなたは私は、それは理に適っていると思うかも知れないが、中世のスコラ哲学はそうはならなかった。)

 

 

化学的な知識の公式のおかげで、天文学や物理学や医学をはじめ多くの学問領域が驚嘆するべき大躍進を遂げた。だがこの公式には一つ大きな難点があった。価値や意味に関する疑問には対処できないのだ。

 

 

中世の有識者は盗んだり殺したりするのは悪いことだとか、人生の目的は神の命に従うことだとか、絶対の核心を持って断定することができた。聖書にそう書いてあるからだ。

 

 

化学者には、そうした倫理的判断を下すことはできない。どれだけデータを集めようと、どれだけ巧みに数学を使おうと。殺すのが悪いと証明うことはできない。

 

 

ところが、人間社会はそのような価値判断なしでは生き延びられない。

 

 

 

この難点を克服する一つの方法は、古い中世の公式を新しい科学の手法と併用するというものだった。地球の形を判断したり、橋を架けたり、病気を治したりするといった実際的な問題に直面したときには、観察に基づくデータを集めて数学的に分析する。離婚や妊娠中絶や同性愛を赦すかどうかを判断するといった倫理的な問題に直面したときには、聖典を読む。

 

 

この解決法はヴィクトリア朝のイギリスから二一世紀のイランまで、近代以降のじつに多くの社会である程度まで採用されてきた。

 

 

ところが、それに代わるものを人間至上主義が提供した。人間たちが自分に自信を持つようになると、倫理にまつわる知識を得るための新しい公式が登場した。知識=経験×感性だ。倫理にまつわるどんな疑問に対しても答えを知りたければ、自分の内なる経験と接触し、この上ないほどの感性をもってそれを観察する必要がある。

 

 

 

そんなわけで、私たちは経験を積み重ねるために何年も過ごし、その経験を正しく理解できるように自分の感性を磨くことで、知識を探し求める。

「経験」とはいったい何なのか?観察に基づくデータではない。経験は原子や電磁波、たんぱく質、数からできてはいない。経験と主観的な現象で、感覚と情動と思考という三つの構成要素から成る。

 

 

 

私の経験はどの瞬間にも、私が感じるいっさいのこと(熱、快感、緊張など)や、感じるいっさいの情動(愛、怖れ、怒りなど)、何であれ頭に浮かぶ思考から成る。

 

 

 

では、「感性」とは何か?それは二つのことを意味する。第一に、自分の感覚と情動と思考に注意を払うこと。第二に、それらの感覚と情動と思考が自分に影響を与えるのを許すこと。たしかに私は、そよ風が束の間吹くたびに、それに吹き飛ばされてしまうわけにはいかない。それでも、新しい経験を拒まず、それが自分の見方は行動を、さらには人格さえ変えるのを許すべきだ。

 

 

 

経験と感性は果てしないサイクルをたどりながら互いに高め合う。感性がなければ何も経験できないし、さまざまな経験をしなければ感性を伸ばすことは出来ない。感性は、本を読んだり講義を聴いたりして育めるような抽象的能力ではない。(略)

 

 

こうして私は一杯飲むごとに、感性を磨き、お茶通になった。緑茶を呑み始めた頃には、明朝の磁器でパンダ茶を振舞われても、紙コップに入った安い紅茶ほどのありがたみしか感じなかっただろう。必要な感性なしでは、物事を経験することはできない。そして、経験を積んで行かないかぎり、感性を育むことは出来ない。

 

 

 

お茶に当てはまることは、他のあらゆる美的知識や倫理的知識にも当てはまる。私たちは出来合いの良心を持って生まれてはこない。人生を送りながら、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、情け深い行動を取り、他者からの思いやりを受ける。

 

 

 

注意を払えば、道徳的な感性が研ぎ澄まされ、こうした経験が価値ある倫理的知識の源泉となって、何が善く、何が正しく、自分が本当は何者かわかってくる。

人間至上主義はこのように、経験を通して無知から啓蒙へと続く、内なる変化の漸進的な仮定として人生を捉える。

 

 

 

人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識をめいっぱい深めることだ。近代的な教育制度構築の立役者の一人であるヴィルヘルム・フォン・フンボルト

一九世紀初頭に、人間が存在すr目的は「できるかぎり幅広い経験を叡智いて結晶させることである」と述べた。彼はまた、「人生に頂上は一つしかない ― 人間的なものをすべて味わい尽したときだ」とも述べている。これは人間至上主義のモットーとしても十分通用するだろう。

 

 

 

中国の哲学によれば、世界は陰と陽という、相反しつつも互いに補い合う二つの力の相互作用によって維持されているという。これは物理的な世界には当てはまらないかもしれないが、科学と人間至上主義との契約によって生み出された現代世界には、たしかに当てはまる。

 

 

どの科学の陽にも人間至上主義の陰が含まれており、どの人間至上主義の陰にも科学の陽が含まれている。(略)

だが現代世界は贅沢なスーパーマーケットでもある。人間の感情や欲望や経験にこれほどの重要性を与えた文化はこれまでなかった。人生は経験の連続であるという人間至上主義の見方は、観光から芸術まで、現代のじつに多くの産業の基盤を成す神話となった。(略)

 

彼らは斬新な経験を売っているのだ。

同様に、近代以前の物語の大半が外面的な出来事や行動に的を絞っていたのに対して、現代の小説や映画や詩は感情を強調することが多い。

ギリシア・ローマ時代の叙事詩や中世の騎士物語は、感情ではなく英雄的行為の目録さながらだ。

 

 

 

決定的なのは、主人公が内面の変化と呼べるような過程をまったく経ない点だ。アキレスもアーサー王もローランもランスロットも、冒険に出かける前から、騎士道の世界観を持った怖れを知らぬ戦死で、最後まで騎士道の世界観を持った恐れを知らぬ戦士のままだ。

 

 

人食い鬼を殺したり姫を救い出したりする活躍はみな、彼らの勇気と忍耐を裏付けているが、彼らはけっきょく、そこからほとんど学ぶことがなかった。

 

 

行為ではなく感情や経験に的を絞る人間至上主義は、芸術を一変させた。ワーズワースドストエフスキーディケンズ、ゾラは、有閑な騎士や豪胆な行為にはほとんど関心がなく、普通の労働者や主婦がどう感じているかを描写した。(略)

 

 

今日私たちは、中世の騎士たちは鈍感な人でなしだと思うかも知れない。もし彼らが私たちの間で暮らしていたら、私たちはセラピストのもとに送り込むだろう。そうすれば、自分の感情を知るのを助けてもらえるかもしれない。これこそ、「オズの魔法使い」でブリキの木こりの身に起こることだ。

 

 

彼はオズに着いたら偉い魔法使いが心を与えてくれることを期待しながら、ドロシーや彼女の友人たちといっしょに黄色いレンガの道を歩いて行く。(略)旅の終わりに、魔法使いは詐欺師であることがわかる。魔法使いは、彼らが望んでいたものをどれ一つ与えられない。

 

 

だが彼らは、それよりもはるかに重要なことに気づく。望んでいたものはすべて、すでに彼らの中にあったのだ。敏感になったり、賢くなったり、勇敢になったりするためには、神のような魔法使いなど、まったく必要ではなかった。黄色いレンガの道をたどり、途中で出くわすどんな経験にも心を開きさえすればよかったのだ。(略)」

 

 

 

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「倫理と政治に言えることは、美学にも当てはまる。中世には、芸術は客観的な基準に支配されていた。美の基準は、人間の間の一時的流行を反映することはなかった。むしろ、人間の美的感覚は、超人間的な指図に従うものとされていた。それは、芸術は人間の感情ではなく超人間的な力の働きがきっかけで生まれるものと人々が信じていた時代には、完璧に理に適っていた。

 

 

画家や詩人、作曲家、建築家の手は、学問と芸術を司る女神や、天使、聖霊によって動かされていると思われていたのだ。作曲家が美しい讃美歌を書いたときには、作曲家の功績とはされないことが多かった。ペンの手柄にはならないのと同じ理屈だ。ペンは作曲家の指に握られて導かれた。そして作曲家の指は神の手に握られて導かれるのだった。

 

 

 

中世の学者たちは、ある古代ギリシアの理論に固執していた。その理論によると、空の星々の動きが天上の音楽を奏で、それが全宇宙に響き渡っているという。人間は、肉体と魂の内なる動きが、星々が生み出す天上の音楽と調和している時に、心身の健康を享受する。

 

 

したがって、人間の音楽は宇宙の聖なるメロディを忠実になぞるべきであり、生身の作曲家の考えや気紛れを反映するべきではないのだ。最も美しい賛美歌や歌や調べはたいてい、人間の芸術家の天分ではなく、神聖な霊感に帰せられた。

 

 

そのような見方はもう、はやらない。今日、人間至上主義者たちは、芸術的創造と美的価値の唯一の源泉は人間の感情だと信じている。(略)

 

 

その結果、芸術の定義さえもが、やりたい放題になっている。一九一七年にマルセル・デュシャンがありきたりの大量生産の男性用小便器を買い、それが芸術作品であると宣言し、「泉」と名づけ、サインし、あるニューヨークの展覧会に出品しようとした。

 

 

 

中世の人なら、わざわざそれについて議論することさえなかっただろう。そんなナンセンスの極みについては、口を利くのも馬鹿らしい。ところが、現代の人間至上主義の世界では、デュシャンの作品の登場は、芸術至上の画期的出来事と考えられている。世界中の無数の教室では、芸術を学ぶ大学一年生がデュシャンの「泉」の写真を見せられ、どう思うかという教師の問いとともに大騒ぎになる。

 

 

 

これは芸術だ! いや、違う! いや、芸術だとも!とんでもない!教師はしばらく学生たちに言いたいことを好きなように言わせてから、「芸術とはいったい何でしょう?そして、何かが芸術作品かどうかを、どうやって決めればいいのでしょう?」と問いかけ、議論の的を絞る。(略)

 

 

 

今日、デュシャンの傑作の複製は、サンフランシスコ近代美術館やカナダ国立美術館、ロンドンのテート・モダン、パリのポンピドゥー・センターなど、世界の主要な美術館のいくつかで展示されている(トイレではなく、陳列室に)。

 

 

そのような人間至上主義のアプローチは、経済の分野にも重大な影響を与えて来た。中世にはギルドが生産過程を管理しており、個々の職人や消費者の独創性や好みが入り込む余地はほとんどなかった。家具職人のギルドは適切な椅子とはどういうものかを決めた。パン職人のギルドは良いパンを規定した。(略)

 

 

 

現代の自由市場では、そうしたギルドや君主や議会はすべて、新しい至高の権威る。消費者の自由意志に取って代わられてしまった。

たとえばトヨタが完璧な自動車を生産することに決めたとしよう。様々な分野の専門家から成る委員会を設置し、一流の技術者やデザイナーを雇い、傑出した物理学者や経済学者を集め、社会学者や心理学者たちにさえ相談する。(略)

 

 

 

大学教授や聖職者やイスラム法学者が全員揃って、これは素晴らしい自動車だと、ありとあらゆる教壇や説教壇から声高に言ったとしても、もし消費者が拒絶すれば、それは悪い自動車だ。消費者に向かって、あなたは間違っていると言う権限を持っている人は一人もいないし、政府が国民に特定の自動車を買うよう無理強いするなどもってのほかだ。

 

 

 

自動車に言えることは他のあらゆる製品にも言える。(略)「ハアレツ」紙のインタビューで、記者のナオミ・ダロムは、そうした遺伝子操作は動物たちに大きな苦しみを引き起こしかねないという事実をアンダーソンに突きつけた。すでに今日でさえ、「能力を強化」された牛たちは、あまりに乳房が重いので、ろくに歩くことができず、「アップグレード」されたニワトリは、立ち上がることさえできない。

 

 

だが、アンダーソン教授には、確固たる答えがあった。「もとをたどれば、全ては個々の消費者にたどり着きます。消費者が肉にいくら払う気があるかという疑問に……現在の世界的な肉の消費レベルは、「能力を強化された」現代のニワトリ抜きではとうてい維持できないだろうことを、思い出さなければなりません…

 

 

消費者が私たちにできるかぎり安い肉だけを求めていたら……消費者はそれを手にすることになるのです……消費者は自分にとって何がいちばん重要かを決める必要があります。—価格か、何かそれ以外のものなのかを」

 

 

 

アンダーソン教授は夜、心安らかに眠りに就くことができる。自分が能力を強化した動物の製品を消費者がかっているのだから、自分は彼らの欲望や欲求を満たしているのであり、したがって良いことをしているわけだからだ。

これと同じ理屈で、もしどこかの多国籍企業が「悪をなすなかれ」[訳註 グーグルがかつて掲げていた行動規範]というモットーを侍者が遵守しているかどうか知りたければ、損益を眺めるだけで済む。もしたっぷり収益があがっていれば、厖大な数の人が自社の製品を気に入っている証拠で、それは自社が善に資する力を揮っていることを意味する。(略)

 

 

 

最後に、人間至上主義の考え方が台頭したせいで、教育制度にも大変革が起こった。中世には、あらゆる意味と権威の源泉は外部にあり、したがって教育は、服従を教え込み、聖典を暗記し、古くからの慣習を学ぶことに的を絞っていた。(略)

 

 

それに対して現代の人間至上主義の教育では、生徒に自分で考えることをp教えるべきだとされている。アリストテレスやソロモン王やアクィナスが政治や芸重津谷経済についてどう考えていたかを知るのもいいが、意味と権威の至高の源泉は私たち自身の中にあるので、こうした事柄について自分がどうかんがえているかを知ることのほうが、はるかに重要なのだ。(略)

 

 

 

意味と権威の源泉が点から人間の感情へと移るのにともなって、世界全体の性質も変化した、それまで神々や妖精や悪魔で満ちていた外側の世界は、何もない空間となった。それまではむき出しの感情の、撮るに足りない領域だった内側の世界は、計り知れぬほど深淵で豊かになった。(略)

 

 

 

天国と地獄も雲の上と火山の下にある現実の場所ではなくなり、内部の精神的な状態と解釈されるようになった。人は心の中で怒りや憎しみの日を燃え立たせるいに地獄を経験し、敵を赦したり、自分の悪行を悔いたり、貧しい人に富を分け与えたりするたびに、天国の至福を楽しむのだ。」

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

「たしかにセラピストの本棚はフロイトユングの著作、一〇〇〇ページ近い「精神疾患の診断・統計マニュアル」(GSM)の重みでたわんでいるだろう。とはいえそれらは聖典ではない。(略)したがって、セラピストが患者の情事についてどう思っていようと、また、不倫の関係全般についてフロイトユングDSMがどう考えていようと、セラピストは自分の見方を患者に押し付けてはならない。そうする代わりに、患者が心の一番奥底を詳しく調べるのを手助けするべきだ。ほかならぬそこでのみ、患者は答えを見つけられる。

 

 

 

中世の司祭が神に通じるヒットラインを持っており、私たちのために善悪の区別をつけられたのに対して、現代のセラピストは、私たちが自分自身の内なる感情を知るのを手伝うだけにすぎない。

結婚制度の変化も、これで部分的に説明がつく。中世には、結婚は神が定めた秘蹟と考えられていた。(略)

 

 

したがって浮気は神の権威と親の権威の両方に対するあからさまな反抗だった。それは大罪であり、本人がそれについてどう感じ、どう考えていようと関係なかった。今日、人は愛のために結婚するのであり、本人の個人感情がこの絆に価値を与える。

 

 

したがって、かつてある人の腕の中へ自分を飛び込ませたまさにその感情が、今度は別の人の腕の中へと自分を駆り立てたなら、そのどこが間違っているというのか?(略)

 

 

人間至上主義の倫理におけるもっとも興味深い論議は、浮気のように、人間の感情同士が衝突する状況に関わるものだ。ある行動のせいで、1人が楽しい思いをし、別の人が嫌な思いをした場合にはどうなるのか?そうした感情の重みをどう比べればいいのだろう?浮気をしている二人が味わう楽しい気持ちのほうが、その配偶者や子供たちが味わう嫌な気持ちよりも大切なのだろうか?

 

 

 

この具体的な疑問にうちて、あなたがどう考えるかはどうでもいい。それよりはるかに重要なのは、双方がどんな論拠に頼っているかを理解することだ。浮気について現代人の意見はさまざまだが、彼らはたとえどんな立場を取ろと、聖典や神の戒律ではなく人間の感情の名に置いて、その立場を正当化する傾向にある。

 

 

物事は、そのせいで誰かが嫌な思いをする時にだけ悪いものとなりうることを、人間至上主義は私たちに教えた。人殺しが悪いのは、どこかの神が「殺してはならない」と言ったからではない。そうではなく、人殺しが悪いのは、犠牲者やその家族、友人、知人にひどい苦しみを与えるからだ。

 

 

盗みが悪いのは、どこかの古い文書に、「盗んではならない」と書いてあるからではない。そうではなく、盗みが悪いのは、所有物を失った人が嫌な思いをするからだ。(略)

 

 

それと同じ論理が同性愛に関する昨今の論議を支配している。もし二人の成人男性がセックスを楽しみ、その間に誰も害さないのなら、そのいったいどこが間違っているのか?そして、それをどうして不法とするべきなのか?

 

 

 

それはこれら二人の男性の間の私的な事情であり、二人は自分の個人的な感情に即して自由に決めることができる。中世に、二人の男性が愛し合っていることや、これほど幸せに感じたためしがないことを司祭に告白したら、二人が良い気分であっても、司祭の批判的な判断が変わることはあっただろう。(略)

 

 

 

それに対して今日では、二人の男性が愛し合っていたら、「もしそれで気持ちが良いのなら、そうすればいい!司祭などに心を乱させるな。ただ自分の心に従え。自分にとって何が良いかは自分がいちばんよく知っているのだから」と言われるだろう。

 

 

 

面白いことに、今日では宗教の狂信者さえもが、世論に影響を与えたいいには、この人間至上主義の主張を採用する。一例を挙げよう。

イスラエルLGBTレズビアン=女性同性愛者、ゲイ=男性同性愛者、バイセクシュアル=両性愛者、トランスジェンダー=心と身体の性が一致しない人の総称)コミュニティは過去十年間、毎年エルサレムの通りでゲイ・プライドパレードを行って来た。

 

 

これは、争いで引き裂かれたこの町では珍しく調和が見られる日だ。なにしろ、信心深いユダヤ教徒イスラム教徒とキリスト教徒が、突如共通の大義を見出し、一丸となって同性愛者たちのパレードにいきり立つのだから。だが、なんとも振っているのは、彼らが使う論法だ。

 

 

彼らは、「神が同性愛を禁じているのだから、これらの罪人たちは同性愛者のパレードなど催すべきではない」とは言わない。その代わりに、マイクやテレビカメラを向けられるたびに、すかさずこう説明する。

 

 

 

「聖なる町エルサレムを同性愛者のパレードが過ぎていくのを見ると、感情を傷つけられる。同性愛者たちは私たちに、自分の感情を尊重してもらいたがっているのだから、私たちの感情も尊重するべきだ」

 

 

 

二〇一五年一月七日、イスラム教の狂信者たちが、フランスの週刊新聞「ジャルリー・エブド」紙の編集長らを虐殺した。(略)

その後の数日間、多くのイスラム教組織がこの襲撃を糾弾したものの、そのうちのいくつかは、同紙への批判も付け加えずにはいられなかった。たとえば、エジプトのジャーナリスト・シンジケートは暴力に訴えたテロリストたちを公然と非難したが、同時に、「世界中の何億というラム教徒の感情を傷つけた」として同紙も責めた。同シンジケートが、同紙が神の思し召しに背いたと咎めていないことに注意してほしい。これこそ私たちが進歩と呼ぶものだ。

 

 

 

私たちの感情は、私生活にだけではなく、社会や政治のプロセスにも意味を与える。誰が国を統治するべきかや、どんな外交政策を採用するべきかや、どういった経済的措置を取るべきかを知りたいとき、私たちは聖典に答えを探し求めない。

 

 

ローマ教皇の命令に従うことも、ノーベル賞受賞者を集めてその意見に従うこともない。ほとんどの国では民主的な選挙を行ない、人々の当該の問題についての考えを問う。

有権者がいちばんよく知っており、個々の人間の自由な選択が究極の政治的権威であると、私たちは信じている。

 

 

 

とはいえ、有権者はどうすれば何を選ぶべきかを知ることが出来るのか?少なくとも理論上は、有権者は自分の心の奥底の気持ちに耳を傾け、それに従えばいい。だがそれは、いつも簡単とはかぎらない。

 

 

 

自分の感情を知るためには、空虚なプロパガンダのスローガンや、無慈悲な政治家の果てしない噓、狡猾な情報操作の専門家による、人の気を散らす雑音、雇われた専門家の学識に満ちた意見を篩にかけて取り除く必要がある。そうした騒音をすべて無視し、自分の正真正銘の内なる声にだけ注意を向けなくてはならない。

 

 

 

するとようやく、自分の正真正銘の内なる声が、「キャメロンに投票しなさい」「モディに投票しなさい」「クリントンに投票しなさい」などとささやくので、投票所でその人を選ぶ。誰が国を治めるべきかを、私たちはこうして知る。

 

 

中世にそんなことをしたら、愚の骨頂と思われただろう。無知な庶民の儚い感情は、重要な政治的判断の健全な拠り所とはおよそ言い難かった。イングランドがバラ戦争で引き裂かれていたとき、すべての田舎者がランカスター家かヨーク家に一票を投じる国民投票で争いに終止符を打と考える者は誰もいなかった。

 

 

同様に、ローマ教皇ウルバヌス二世が第一回十字軍を送り出した時、彼はそれが人々の意思だとは主張しなかった。それは神の思し召しだった。政治的権威は天から下されるのであって、死を免れない人間の胸や心から湧き上がってはこないのだ。」