読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第7章 人間至上主義革命)

〇 この本を読んで一番印象深かったのが、この「人間至上主義革命」という項目です。ここは、あまり省略せずに、メモしておきたいと思います。

「現代の取り決めは私たちに力を提供してくれるが、それには私たちが人生に意味を与えてくれる宇宙の構想の存在を信じるのをやめることが条件となる。ところがこの取り決めを詳しく調べてみると、狡猾な免責条項が見つかる。人間が何らかの宇宙の構想を基盤とせずに、どうにか意味を見つけてのけられれば、それは契約違反とは見なされないのだ。

 

 

 

この免責条項がこれまで、現代社会の救済手段となってきた。なぜなら、意味がなければ秩序は維持できないからだ。近代以降の政治や芸術や宗教の大事業は、何らかの宇宙の構想に根差していない人生の意味を見つけることだった。私たちは神の手になるドラマを演じる役者ではなく、私たちや私たちの行ないを気にする者などいないから、誰も私たちの力を制限することはない。だが、それでも私たちは自分の人生には意味があると確信している。

 

 

 

二〇一六年現在まで、人類はまんまと良いとこ取りをしてきた。私たちは前代未聞の力を手にしているばかりか、あらゆる予想に反して、神の死は社会の崩壊に繋がらなかった。もし人間が宇宙の構想を信じなくなったら、法も秩序もすべて消えて無くなると、預言者や哲学者は歴史を通して主張してきた。

 

 

ところが今日、全世界の法と秩序にとって最大の脅威は、神の存在を信じ、すべてを網羅する神の構想を信じ続けている人々にほかならない。神を畏れるシリアのほうが、非宗教的なオランダよりもはるかに暴力的な場所だ。

もし宇宙の構想などなく、私たちが神の法にも自然の摂理にも縛られていないのなら、何が社会の崩壊を防いでいるのか?どうして奴隷商人に誘拐されたり、無法者の待ち伏せに遭ったり、部族間の争いに巻き込まれて殺されたりすることもなく、アムステルダムからブカレストへ、あるいはニューオーリンズからモントリオールへと、二〇〇〇キロメートルもの道のりを旅できるのか?

 

 

 

内面を見よ

 

意味も神や自然の法もない生活への対応策は、人間至上主義が提供してくれた。人間至上主義は、過去数世紀の間に世界を征服した新しい革命的な教義だ。人間至上主義という宗教は、人間性を崇拝し、キリスト教イスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考える。

 

 

伝統的には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたのが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味を引き出さなくてはならないという。

 

 

意味のない世界の為に意味を生み出せ ― これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。

したがって、この近代以降の中心的宗教革命は、神への信心を失うことではなく、人間性への信心を獲得することだった。それには、何世紀にもわたって懸命に努力を重ねなければならなかった。夢想家は論説を書き、芸術家は詩をを作ったり交響曲を作曲したりし、政治家は取り決めをおめ、彼らがそうがかりで人類に、森羅万象に意味を持たせることができると確信させた。

 

 

 

この人間至上主義の革命の深淵さと異議を理解するには、現代ヨーロッパの文化が中世ヨーロッパの文化とどう違うかを考えるといい。一三〇〇年には、ロンドンやパリやトレドの人々は、何が善で何が悪か、何が悪しく何が間違っているか、何が美しく何が醜いかを、人間が自ら決められるとは思っていなかった。善や正義や美を創造し、定義しうるのは、神だけだった。」

 

 

〇 私たちの国にも八百万の神々がいます。その神様は、人間の為に働いてご利益を与えてくれる神様です。「ふしぎなキリスト教」で見たように、ユダヤ教キリスト教の神とは違う。

 

 

それでも、人間は同じ人間。同じように不公正を憎み、公正を求める……と、私は思っていました。でも、「黒を白という」「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」等々、私たちの国では、強いもの=権力者が「白だ」と言えば、検察もマスコミも沈黙し、受け容れ認めてしまうのです。

 

「善悪、正邪、美醜などを人間が決めるのは出来ない」ということを

実証しているような今の安倍政権です。

しかも、証拠があり、明らかに犯罪だとされることも、嘘を言い、隠し、逃げ隠れしてほとぼりをさまし、自分は悪くないと言うような人間を総理大臣として居続けることを許す、その人間が、美しい日本などということを黙って聞く。

 

信じられないほどの醜さの中で、よくもまあ「美しい」などという日本語を使えるものだ、と思うのですが、平然とそういうのです。

 

何を美しいとするのか、何を醜いとするのか、その定義も人間にはできない、と結論するしかありません。

 

私たちの国には、神がなく、人間しかいなかった。

だから、公正さも、善悪もない、美醜の感覚さえ狂っている国になった、そういうしかないのだと感じています。

 

「人間が比類のない能力と機会を享受していることは広く受け容れられていたものの、人間はまた、無知で堕落しやすい生き物だとも見なされていた。外部からの監督と指導者がなければ、人間は永遠の真理をけっして理解できず、はかない官能的な快楽と現世の妄想に惹きつけられてしまう。

 

 

そのうえ、中世の思想家は、人間は死を免れず、人間の考えや感情は嵐のように変わりやすいことを指摘している。今日、何かが心底好きなのに、明日にはそれに嫌気がさし、来週には死んで埋葬される。という具合だ。

 

 

だから、人間の考えを拠り所とする意味はみな、必然的に脆く儚い。したがって、絶対的な真理と、人生と森羅万象の意味は、超人間的な源から生じる永遠の法に基づいていなければならない。

 

 

この身方のおかげで、神は意味だけではなく権威の至高の源泉にもなった。意味と権威はつねに切っても切れない関係にある。善悪、正邪、美醜など、私たちの行動の意味を決める者は誰であれ、何を考え、どうふるまうべきかを私たちに命じる権威を手に入れる。

 

 

意味と権威の源泉としての神の役割は、ただの哲学的理論ではなかった。それは日常生活のあらゆる面に影響を与えた。一三〇〇年にイングランドのどこかの小さな町で、夫のいる女性が隣人に思いを寄せて、彼と関係を持ったとしよう。(略)

 

 

「…(略)あれは善いこと、それとも悪い事?自分はどういう人間だということなのかしら?またやるべきなの?」そうした疑問に答えるためには、その女性は地元の司祭のもとに行って告白し、指導を乞うことになっていた。司祭は聖書に精通しており、聖書は姦淫についての神の考えを正確に明かしてくれる。(略)

 

 

今日では事情は大違いだ。私たちが意味の究極の源泉であり、したがって、人間の自由意志こそが最高の権威であると、人間至上主義は何世紀もかけて私たちに納得させてきた。私たちは何かしら外的なものが、何がどうだと教えてくれるのを待つ代わりに、自分自身の欲求や感情に頼ることができる。私たちは幼いころから、人間至上主義のスローガンをこれでもかとばかりに浴びせかけられる。

 

 

 

おうしたスローガンは、「自分に耳を傾けよ、自分に忠実であれ、自分を信頼せよ、自分の心に従え、心地よいことをせよ」と勧める。(略)

 

 

したがって、現代の女性が、自分がしている浮気の意味を理解したければ、司祭や古い書物の判断を鵜呑みにする可能性ははるかに低く、むしろ自分の気持ちを注意深く調べるだろう。もし気持ちがはっきりしなかったら、親しい友人に電話して会い、コーヒーを飲みながら、胸の内を洗いざらい打ち明ける。(略)

 

 

理論上は、現代のセラピストは中世の司祭と同じ位置を占めており、これら二つの職業を同列に扱うのは陳腐なまでにありふれている。ところが現実には、両者の間には大きな隔たりがある。セラピストは善悪を定める聖典を持っていない。

 

 

例の女性が話終えた時に、「なんと邪悪な女だ!あなたは恐ろしい罪をしたんですよ!」とセラピストががなり立てるとはとうてい思えない。「素晴らしい!さすがだ!」ということも考えられない。むしろ、女性が何をして何と言ったにしても、セラピストはまず間違いなく、「それで、その件についてあなたはどう感じているのですか?」と気遣いに満ちた声で尋ねることだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(下)(第6章 現代の契約)

「方舟シンドローム

 

とはいえ、経済は本当に永遠に成長し続けられるのだろうか?いずれ資源を使い果たし、勢いが衰えて停止するのではないか?永続的な成長を確保するためには、資源の無尽蔵な宝庫をなんとかして発見しなければならない。(略)

 

 

ウサギの経済が停滞しているのは、草をもっと速く育たせることがウサギにはできないからだ。それに引き換え、人間の経済が成長できるのは、新しい材料やエネルギー源を人間が発見できるからだ。

 

 

世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという二種類の資源しかないことを前提としている。だがじつは、資源には三種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。

 

原材料とエネルギーは量に限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。実際、手持ちの知識が増えると、より多くの原材料とエネルギーも手に入る。(略)

 

 

 

したがって私たちには、資源の欠乏という問題を克服する可能性が十分ある。現代の経済にとって真の強敵は、生態環境の破壊だ。科学の進歩と経済の成長はともに、脆弱な生物圏の中で起こる。そして、進歩と成長の勢いが増すにつれて、その衝撃波が生態環境を不安定にする。

 

 

 

裕福なアメリカ人と同じ生活水準を世界中の人々全員に提供するためには、地球があといくつか必要になるが、私たちにはこの一個しかない。(略)

私たちは、進歩と成長のペースを落せば、この危険を軽減することができるだろう。投資家たちが今年、自分の金融資産で六パーセントの収益を見込んでいるとしたら、10年後には三パーセントの収益で、20年後にはわずか一パーセントの収益で満足する術を学ぶこともできるだろう。

 

 

 

そうすれば、30年後には経済が成長をやめても、私たちはすでに手に入れたもので満足していられる。とはいえ、成長の教義はそのような異端の考え方には断固として異議を唱える。(略)

 

 

私たちは生態環境の破綻が人間の社会階級(カースト)ごとに違う結果をもたらしかねないことも憂慮するべきだ。歴史に正義はない。災難が人々を襲うと、貧しい人の方が豊かな人よりもほぼ必ずはるかに苦しい目に遭う。そもそも、豊かな人々がその悲劇を引き起こした時にさえ、そうだ。(略)

 

 

未来の科学者たちが今はまだ知られていない地球の救出法を発見するだろうという前提に基づいて人類の将来を危険に曝すのは、どれほど道理に適っているのだろう?

 

 

世界を動かしている大統領や大臣やCEOは道理をしっかりわきまえた人々だ。それなのに、なぜ進んでそんな賭けをするのか?それは彼らが、自分個人の将来を賭けているわけではないと思っているからかもしれない。もし状況がいよいよ悪化し、科学者が大洪水を防げなくても、以前として技術者が、高いカーストにはハイテクのノアの方舟を作れるだろう。ただし、他の何十億もの人は取り残されて溺れる羽目になる。

 

 

このハイテクの方舟信仰は今、人類と生態系掩体の将来にとって大きな脅威の一つになっている。ハイテクの方舟で助かると信じている人々には、グローバルな生態環境を任せるべきではない。死んだ後で天国に行けると信じている人々に核兵器を与えるべきではないのと同じ理屈だ。

 

 

では、貧しい人はどうなのか?彼らはなぜ抗議していないのか?大洪水がもし本当に襲ってきたら、その損害は彼らがまともに被ることになる。とはいえ、経済が停滞したら真っ先に犠牲になるのも彼らだ。資本主義の世界では、貧しい人々の暮らしは経済が成長している時にしか改善しない。

 

 

したがって彼らは、今日の経済成長を減速させることによって将来の生態環境への脅威を減らす措置は、どんなものも支持しそうにない。環境を保護するというのは実に素晴らしい考えだが、家賃が払えない人々は、氷床が解けることよりも借金の方をよほど心配するものだ。

 

 

激しい生存競争

 

たとえ私たちが猛然と走り続け、経済の破綻と生態環境のメルトダウンの両方をんとかかわせたとしても、このレースそのものがさまざまな大問題を引き起こす。個人にとっては、このレースはひどいストレスと緊張の原因となる。(略)

私たちがどんな道具をいつでも意のままに使えるかを祖先が知ったら、私たちは何の不安も心配もなく、この世のものとも思えない平穏を楽しんでいるに違いないと推測したことだろう。

 

 

ところが、真相はそんな平穏には程遠い。(略)

近代以前の世界では、人々は社会主義の官僚制における下級官吏のようなものだった。彼らはタイムカードを押し、あとは誰か他の人が何かしてくれるのを待つだけだった。現代の世界では、私たち人間が事業を運営している。だから私たちは昼も夜も絶えずプレッシャーにさらされている。(略)

 

 

 

もっと欲しがるように人を説得するのは、そう難しくはなかった。強欲を抱くのは人間にとっては簡単なことなのだ。厄介なのは、国家や教会のような集団的組織を説得して、この新しい理想に同調させることだった。様々な社会は何千年にもわたって、個人の欲望をほどほどに抑えて安定させるように骨を折ってきた。(略)

 

 

 

今日、知識人は自由市場資本主義をしきりに叩きたがる。資本主義は世界を支配えいるので、実際私たちは、悲劇的な大惨事に至る前に、その欠点を理解するよう、ありとあらゆる努力をするべきだ。とはいえ、資本主義を批判するあまりに、資本主義の利点や功績を見失ってはならない。

 

 

これまでのところ。資本主義は驚異的な成功を収めて来た ― 少なくとも、将来の生態環境のメルトダウンの危険性を無視すれば、そして、生産と成長という物差しで成功を測るのなら。(略)

 

 

というわけで、現代の取り決めは前代未聞の力を与えることを私たちに約束し、その約束は守られた。さて、それではその代償はどうなのか?現代の取り決めは、力と引き換えに、意味を捨てることを私たちに求める。人間たちはこの背筋の凍るような要求に、どう対処したのか?それに従えば、倫理観も美学も思いやりもない、暗い世界がいともたやすく生じ得ただろう。

 

 

 

ところが実際には、人類は今日、かつてないほど強力であるだけでなく、以前よりもはるかに平和で協力的だ。人間はどのようにそれをやってのけたのか?神も天国も地獄もない世界で、道徳性と美、さらには思いやりさえもがどうやって生き延びて、盛んになったのか?

 

 

資本主義者たちはまたしても、市場の見えざる手にいっさいの手柄をさっさと帰する。ところが、市場の手は見えないだけではなく盲目でもあり、単独では人間社会に資することはありえなかっただろう。事実、田舎の市場でさえ、神や王や教会か何かの手助けがなければ維持できないだろう。

 

 

裁判所や警察まであらゆるものが売りに出されたら、信頼は消え失せ、信用は跡形もなくなり、商業は立ちいかなくなる。それでは、現代社会を崩壊から救ったのは何か?人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。」

 

 

〇 「現代の取り決めは、力と引き換えに、意味を捨てることを私たちに求める… 神も天国も地獄もない世界…」これは、まさに日本的な世界ではないか…と思いながら読みました。人間至上主義、これは既に私たちの国では普通になっていることではないのか…と。

 

 

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(下)(第6章 現代の契約)

「銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?

 

(略)今日では誰もが成長で頭が一杯なのに対して、近代以前の人々は、成鳥など眼中になかった。君主も聖職者も農民も、人間による生産は概ね一定しており、他人から何かくすねない限り豊かになれず、子孫が自分たちよりも高い水準の生活を送れるとは思っていなかった。

このような停滞状態に陥っていたのは、主に、新しい事業のために資金調達が難しかったからだ。(略)

 

 

二〇一四年夏に西アフリカでエボラ出血熱が拡がった時、この病気の薬やワクチンをせっせと開発していた製薬会社の株式に何が起こったと思うだろうか?

テクミラ社の株価は五割、バイオクリスト社の株価は九割値上がりした。中世に疫病が発生したときに上向くのは人々の顔で、それは彼らが点を仰いで神に自らの罪の許しを求めて祈ったからだ。

 

 

 

近頃の人々は、新しい致死的な感染症のニュースを耳にすると、スマートフォンに手を伸ばしてブローカーに電話する。証券取引所にとっては、感染症の流行さえもビジネスチャンスなのだ。(略)

 

 

これは理論上は単純に聞こえる。それならば、なぜ人類は近代になるまで、経済成長に弾みがつくのを待たなければならなかったのか?人々が何千年にもわたって将来の成長をほとんど信じなかったのは、愚かだったからではなく、成鳥が私たちの直感や、人間が進化の過程で受け継いで来たものや、この世界の仕組みに反しているからだ。自然界の系の大半は平衡状態を保ちながら存在していて、ほとんどの生存競争はゼロサムゲームであり、他者を犠牲にしなければ繁栄はない。(略)

 

 

 

自然界の貸し手として最も有名な例がチスイコウモリだ。チスイコウモリは洞窟の中に何千匹も集まり、夜な夜な外を飛びまわって餌食を探す。寝ている鳥や無防備な哺乳動物を見つけると、その肌に小さな切込みを入れ、血を吸う。だが、すべてのチスイコウモリが毎晩餌食を見つけられるわけではない。

 

 

 

この暮らしの不確かさに対処するために、彼らは血を貸し借りする。餌食を見つけられなかったコウモリは、ねぐらに戻ってくると、運の良かった仲間に頼んで、盗んだ血液を吐き戻してもらう。彼らは自分が誰に血を貸したかをしっかり覚えているので、後日、自分が空腹のままねぐらに戻った時には、前に貸した相手に近づくと、相手は仮を返してくれる。(略)

 

 

血液市場にも変動はあるとはいえ、チスイコウモリは、血液の量が二〇一七年には二〇一六年よりも三パーセント増えるとか、二〇一八年には血液市場が再び三パーセント成長するとか、見込むことはできない。そのため、彼らは成鳥を信じていない。人類は何百年もかけて進化する間、チスイコウモリやキツネやウサギのおと同じような状況にあった。だから、人間も成長を信じるのが苦手なのだ。

 

 

 

ラクルパイ

 

人間は進化圧のせいで、この世界を不変のパイと見るのが習い性となった。もし誰かがパイから大きく一切れ切り取ったら、他のだれかの分が確実に小さくなる。一つの家族あるいは都市は栄えるかもしれないが、人類全体としては今より多くを生産することはない。したがって、キリスト教イスラム教のような伝統的な宗教は、既存のパイを再分配するか、あるいは、天国と言うパイを約束するかし、現在の資源の助けを借りて人類の問題を解決しようとした。(略9

 

 

 

このように経済成長は、現代のあらゆる宗教とイデオロギーと運動を結び付けるきわめて重要な接点となっている。誇大妄想気味の五か年計画を推進したソ連は、アメリカの最も無慈悲な悪徳資本家と同じぐらい、成長に取り憑かれていた。キリスト教徒とイスラム教徒はみな天国の存在を信じており、天国への行き方についてだけ意見が合わないのとちょうど同じで、冷戦のさなかには、資本主義者も共産主義者も経済成長を通してこの世に天国を生み出すのだと信じており、その具体的な手法についてだけ言い争っていたにすぎない。

 

 

 

今日、ヒンドゥー教の信仰復興推進者や信心深いイスラム教徒、日本の国家主義者、中国の共産主義者は、まったく異なる価値観や目標を固守することを宣言しているかもしれないが、その誰もが、経済成長こそ、本質的に違うおのおのの目標を実現するカギであると信じるに至っている。(略)

 

 

 

日本の首相で国家主義者の安倍晋三は、日本経済を二〇年に及ぶ不況から抜け出させることを約束して二〇一二年に就任した。その約束を果たすために彼が採用した積極的でやや異例の措置は、「アベノミクス」と呼ばれてきた。(略)

 

 

 

このように成長にこだわるのはわかりきったことに思えるかもしれないが、それは私たちが現代世界に暮らしているからにすぎない。過去にはそうではなかった。インドのマハーラージャやオスマン帝国のスルタン、鎌倉幕府の将軍、漢王朝の行程は、自らの政治的命運を賭けて経済成長を保障することは、まずなかった。(略)

 

 

 

自由市場資本主義には断固とした答えがある。経済成長のためには家族の絆を緩めたり、親元から離れて暮らすことを奨励したり、地球の裏側から弁護士を輸入ありせざるをえないのなら、そうするしかない。ただし、この答えには事実に関する言明ではなく倫理的な判断がかかわっている。

 

 

 

ソフトウェアエンジニアリングを専門とする人と高齢者の介護に時間を捧げる人の両方がいるときには、より多くのソフトウェアを作り、より多くの専門的介護を高齢者に提供できることは間違いない。とはいえ、経済成長は家族の絆よりも重要だろうか?自由市場資本主義は大胆にもそのような倫理的判断を下すことによって、科学の領域から境界線を越えて宗教の領域へと足を踏み入れたのだ。

おそらくほとんどの資本主義者は宗教というレッテルを嫌うだろうが、資本主義は宗教と呼ばれても決して恥ずかしくはない。(略)

 

 

 

資本主義は、成長という至高の価値観の信奉から、自らの第一の戒律を導き出す。その戒律とはすなわち、汝の利益は成長を増大させるために投資せよ、だ。(略)

 

 

 

資本主義はけっして歩みを止めないという教訓は、至る所で見られる資本主義の無によって子どもやティーンエイジャーの頭にまで叩き込まれている。近代以前に誕生したチェスのようなゲームは、停滞した経済を前提としている。チェスでは双方が一六個の駒で対戦を始め、終わったときに駒の数が増えていることは絶対ない。稀にポーン[訳註 将棋で言えば「歩」に相当する駒]がクィーンになることもあるが、新しいポーンを生み出したり、ナイト(騎士)を戦車にアップグレードしたりは出来ない。だからチェスのプレイヤーはけっして投資を考える必要がない。それに対して現代の盤上ゲームコンピューターゲームの多くは、投資と成長に焦点を当てている。(略)

 

 

新たに村を作れば、次回には収入が増え、(必要なら)より多くの兵士を雇えるだけでなく、生産への投資も同時に増やすことができる。ほどなく、村を町にアップグレードしたり、大学や港や工場を設けたり、あちこちの海を探検したり、文明を打ち立てたりして、ゲームに勝つことが可能になる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホモ・デウス(下) ― テクノロジーとサピエンスの未来

 

〇 ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス(下)」を読み始めました。

「サピエンス全史」を読んだ時と同様、図書館に予約し、自分の順番が来て、借りられたのが、下巻からなのです。

本当は、上巻から読みたいのですが、かなりの期間待って、やっと借りられたので、今回も、このまま下巻から読みたいと思います。

 

先ず、上巻の目次をメモしておきます。

「【上巻目次】

   

  第1章  人類が新たに取り組むべきこと

 

第1部  ホモ・サピエンスが世界を征服する

  第2章  人新世

  第3章  人間の輝き

 

第2部  ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

  第4章  物語の語り手

  第5章  科学と宗教というおかしな夫婦

 

                 以上    」

 

〇ここからが、下巻です。

「第6章  現代の契約

 

現代というものは取り決めだ。私たちはみな、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統制される。この取り決めを撤回したり、その法(のり)を越えたりできる人はほとんどいない。この取り決めが私たちの食べ物や仕事や夢を定め、住む場所や愛する相手や死に方を決める。(略)

 

 

近代に入るまで、ほとんどの文化では、人間は何らかの宇宙の構想の中で役割を担っていると信じられていた。その構想は全能の神あるいは自然の永遠の摂理の手になるもので、人類には変えられなかった。この宇宙の構想は人間の命に意味を与えてくれたが、同時に、人間の力を制限した。人間はちょうど、舞台上の訳者のようなものだった。(略)

 

 

現代の文化は、宇宙の構想をこのように信じることを拒む。私たちは、どんな壮大なドラマの役者でもない。人生には脚本もなければ、脚本家も監督も演出家もしないし、意味もない。私たちの科学的な理解の及ぶかぎりにおいて、宇宙は盲目で目的のないプロセスであり、響きと怒りに満ちているが、何一つ意味はない[訳註 「響きと怒りに…」はシェイクスピアの「マクベス」の有名な台詞の転用]。(略)

 

 

 

このように、現代の取り決めは、人間に途方もない誘惑を、桁外れの脅威と抱き合わせで提供する。私たちは全能を目前にしていて、もう少しでそれに手が届くのだが、足下には完全なる無という深淵がぽっかり口を開けている。(略)

 

 

本章では、現代における力の追及を取り上げる。次章では、人類がしだいに大きくなる力をどのように使って、宇宙の無限の空虚さの中になんんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察する。たしかに私たち現代人は力と引き換えに意味を捨てることを約束したが、その約束を守らせるものはこの世に存在しない。私たちは、代償を払わずに現代の取り決めの恩恵をそっくり享受できるほど自分が賢いとばかり思っている。」

 

 

〇 上巻を読んでいないので、はっきりとは言えないのですが、ここまで読んで、この本は、あの「サピエンス全史」のあとがきにあった、「自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」という問題について、より詳しく考察しているのだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武士道

「第十四章  婦人の教育および地位

 

人類の一半を成す女性は往々矛盾の典型と呼ばれる。けだし女性の心の直感的な働きは男性の「算数的な悟性」の理解を超ゆるが故である。「神秘的」もしくは「不可知的」を意味する感じの「妙」は、「若い」という意味の「少」という字と「女」という字とから成っている。けだし女性の身体の美と繊細なる思想とは男性の粗雑なる心理能力の説明しえざるところだからである。

 

 

 

しかるに武士道における女性の理想には神秘的なるところなく、その矛盾もただ外見的のみである。私はそれを勇婦的であると言ったが、それは真理の半面たるに過ぎない。

 

 

妻を意味する感じ「婦」は、箒を持てる女を意味する ― もっともそれは確かに彼女の配偶者に対し攻撃的もしくは防禦的に揮うためではなく、また魔法のためでもなく、箒が最初発明せられたところの無害な用途においてである ― かくてその含意する思想は、英語の妻(wife)が語源的に織る人(wea-ver)よりいで、娘(daughter)が乳搾り(duhitar)よりいでしと同様に家庭的である。

 

 

 

ドイツ皇帝は婦人活動の範囲は(Kirche)、ならびに子供(Kinder)にありと言われたというが、武士道の女性の理想はこれら三者に限定することなく、著しく家庭的であった。この一見矛盾と思われる家庭的ならびに勇婦的特性は、武士道においては両立せざるものではない。以下その事を論じよう。(略)

 

 

 

同様に武士道は、「女性の脆弱さより自己を解放して、最も強くかつ最も勇敢なる男子に値する剛毅不撓を発揮したる」婦人をば最も賞揚した。この故に少女はその感情を抑制し、その神経を剛くし、武器 ― ことに薙刀という長柄の刀を使い、もって不慮の事変に際して己が身を守ることを訓練せられた。

 

 

 

しかしながらこの武芸練習の主たる動機は戦場において用うるためではなく、むしろ一身のためならびに家庭のためなる二つの動機にいでた。女子はおのれの主君を有せざるにより、己れ自身の身を守った。女子がその武器をもって己が身の神聖を護りしことは、夫が主君の身を護りしがごとき熱心をもってした。彼女の武芸の家庭的用途は、後に述ぶるがごとく子供の教育においてであった。(略)

 

 

 

女児が成年に達すれば短刀(懐剣)を与えられ、もっておのれを襲う者の胸を刺すべく、或いは場合によりてはおのれの胸を刺すをえた。後者の場合はしばしば実際に起こった。しかし私は彼らを酷に審こうと思わない。自殺を嫌悪するキリスト者の良心といえども、自殺せし二人の婦人ペラギアおよびドミニナをばその純潔と敬虔の故をもって聖徒に列しているのを見れば、彼らに対し苛酷ではないだろう。

 

 

日本のヴァジニアはその貞操が危険に瀕するを見る時、彼女の父の剣を待つまでもなく、彼女自身の武器が常に懐中にあった。自害の作法を知らざることは彼女の恥辱であった。例えば、彼女は解剖学を学ばなかったけれども、咽喉のいずれの点を正確に刺すべきかを知らねばならなかった。

 

 

死の苦痛いかに激しくとも死屍が肢体の姿勢を崩さず、最大の謹慎を示さんがために、帯紐をもって己が膝を縛ることを知らねばならなかった。かくのごとき身だしなみはキリスト者ペチュアもしくは聖童貞(ヴェスタル)コルネリアに比すべきでないか。私がかかるだしぬけな質問を発したには理由がある。それは入浴の習慣その他の些事に基づきて、貞操は武士の婦人の主要の徳であって、生命以上にこれを重んじたのである。

 

 

一人の妙齢な婦人が敵に捕らえられ、荒武者の手により暴行の危険に陥りし時、戰によって散り散りになりし姉妹にまず一筆認むることを許されるならば、彼らの意に従おうと申し出た。手紙を書き終わった彼女は手近の井戸に走り、身を投じて彼女の名誉を救った。

 

遺された文の端に一首の歌があった。

 

世にへなばよし雲もおほひなん

いざ入りてまし山の端の月

 

男性的なることのみが我が国女性の最高理想であったとの観念を読者に与えることは公平でない。大いにしからず!芸事および優雅の生活が彼らに必要であった。音楽、舞踊、および文学が軽んぜられなかった。我が国文学上最も優れたる詩歌の若干は女性の感情表現であった。(略)

 

 

 

音楽は彼らの父もしくは夫の物憂き時を慰めるためであった。(略)その究極の目的は心を清めることにあり、心平かならずんば音おのずから諧わずと言われた。吾人は前に青年の教育について、芸道は常に道徳的位に対し従たる地位に置かれたことを見たのであるが、同一の観念が女子の場合にもまた現れている。(略)

 

 

 

彼らの教育の指導精神は家事であった。旧日本婦人の芸事の目的は、その武芸たると文事たるとを問わず、主として家庭のためであったと言い得る。彼らはいかに遠く離れさまようても、決して炉辺を忘れることはなかった。彼らは家の名誉と対面とを維持せんがために、新苦労益し、生命を棄てた。日夜、強くまたやさしく、勇ましくまた哀しき調べをもって、彼らはおのが小さき巣に歌いかけた。

 

 

娘としては父のために、妻としては夫のために、母としては子のために、女子は己を犠牲にした。かくして幼少の時から彼女は自己否定を教えられた。彼女の一生は独立の生涯ではなく、従属的奉仕の生涯であった。男子の助者として、彼女の存在が役立てば夫と共に舞台の上に立ち、もし夫の働きの邪魔になれば彼女は幕の後ろに退く。(略)」

 

〇 聖書の中に「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を棄て、自分の十字架を負うて、わたしに従って来なさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(マルコ 8-34)という言葉がありますが、父のため夫のため子のために自分を捨てる精神には、それにも似た心理を感じます。

 

そして、武士が自分の主君の為に身を捨てて働くのにも、同じように感じす。

 

封建時代には、そう洗脳されていたから、と言ってしまえばそれまでですが、何かのために身を捨てて自分を賭ける…賭けられるものを求める…というのは、案外人間の本性の中に組み込まれているものなのかな…などと思いながら読みました。

 

でも、賭ける相手を間違えると、救われるどころか泥沼にはまり込む…。

 

もう少し続くのですが、つづきはまた後日にします。

 

〇 つづきです。

 

「女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、男子が主君と国のために身を棄つると同様に、喜んでかつ立派になわれた。自己否定 ― これなくしては何ら人生の謎は解決せられない ― は男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。

 

 

 

女子が男子の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。女子の果たしうる役割は、内助すなわち「内助の助け」であった。奉仕の上昇階段に立ちて女子は男子のために己を棄て、これにより男子をして主君のために己を棄つるをえしめ、主君はまたこれによって天に従わんがためであった。

 

 

 

私はこの教訓の欠陥を知っている。またキリスト教の優越は、生きとし生ける人間各自に向かって創造者に対する直接の責任を要求する点に、最も善く現れていることを知る。しかるにもかかわらず奉仕の教義に関する限り ― 自己の個性をさえ犠牲にして己よりも高き目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中最大であり彼の使命の神聖なる基調をなしたる奉仕の教義 ― これに関する限りにおいて、武士道は永遠の真理に基づいたのである。

 

 

 

読者は私をもって、医師の奴隷的服従を賞揚する不当の僻見を抱く者と咎めないであろう。私は、学識博く思慮深きヘーゲルが主張し弁護したる、歴史は自由の展開および実現であるとの見解をば、大体において受け入れる。私の明らかにせんと欲する点は、武士道の全教訓は自己犠牲の精神によって完全に浸潤せられており、それは女子についてのみでなく男子についても要求せられた、ということである。

 

 

 

したがって武士道の感化がまったく消失するに至るまでは、あるアメリカ人の女権主張者が「すべての日本の女子が旧来の習慣に反逆して蹶起せんことを!」と叫んだ軽率なる見解を、我が国の社会は納得しないであろう。

 

 

かかる反逆は成功しうるか。それは女性の地位を改良するであろうか。かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうか。ローマの主婦が家庭性を失ってより起こりし道徳的腐敗は、言語に絶したではないか。

 

 

 

彼のアメリカ人の改良家は、我が国女子の反逆は歴史的発展のとるべき真の経路であることを確言しうるか。これは重大問題である。変化は反逆を持たずしてきたらねばならず、またきたるであろう。今しばらく、武士道の制度下における女性の地位は果たして反逆を是認するほとに実際悪しくあったか否かを見ようではないか。

 

 

 

吾人はヨーロッパの騎士が「神と淑女」にささげたる外形的尊敬について多くを聞いている、— この二語の不一致はギボンをして赤面せしめしところである。またハラムは騎士道(シヴァリー)の女性に及ぼしたる影響は哲学者に対して思索の糧を供した。ギゾー氏は封建制度ならびに騎士道は健全なる影響を与えたと論ずるに反し、スペンサー氏は軍事社会においては(しかして封建社会は軍事的にあらずして何ぞ)婦人の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴いてのみ改良せられると述べた。

 

 

 

さて日本についてはギゾー氏の説とスペンサー氏の説といずれが正しいか。答えて両者ともに正しいと、私は確言しうるであろう。日本における軍事階級は約二百万人を教える武士(さむらい)に限られた。その上に軍事貴族たる大名と、宮廷貴族たる公卿とがあった ― これらの身分高く安逸なる貴族たちは、ただ名称においてのみ武人たるに過ぎなかった。

 

 

 

武士の下には平民大衆 ― 農、工、商 ―があり、これらの者の生活は専ら平和の業務に携わった。かくしてハーバート・スペンサーが軍事的形態の社会の特色として挙ぐるところは専ら武士階級に限られたので、これに反し産業的形態社会の特色はその上と下との階級に適用せられうるものであった。

 

 

このことは婦人の地位によりて善く説明せられる。すなわち婦人が最も少なく自由を享有したのは武士の間においてであった。奇態なことには社会階級が下になるほど ― 例えば職人の間においては ― 夫婦の地位は平等であった。身分高き貴族の間においてもまた、両性間の差異は著しくなかった。これは主として、有閑貴族は文字通りに女性化したるため、性(セックス)の差異を目立たしめる機会が少なかりし故である。(略)

 

 

 

男子でさえ相互の間に平等なるは法廷もしくは選挙投票等きわめて少数の場合に過ぎざることを思えば、男女間の平等についての論議をもって吾人自らを煩わすごときは無駄と思われる。アメリカの独立宣言において、すべての人は平等に創造せられたと言われているのは、何ら精神的いくは肉体的能力に関するものではない。それは往昔アルビアンが、法の前には万人平等であると述べしことを繰り返したに過ぎない。(略)

 

 

 

― 男女間の相対的なる社会的地位を比較すべき正確なる標準は何か。女子の地位を男子のそれと比較するに当たり、銀の価値を金の価値と比較すべき正確なる標準は何か。女子の地位を男子のそれと比較するに当たり、銀の価値を金の価値と比較するがごとくにしてその比率を数字的に出すことが正しいか、それで足りるか。

 

 

 

かかる計算の方法は人間のもつ最も重要なる種類の価値、すなわち内在的価値を考察の外に置くものである。男女おのおのその地上における使命を果たすため必要とせらるる資格の種々多様なることを考えれば、両者の相対的地位を計るために用いらるべき尺度は複合的性質のものでなければならない。すなわち経済学の用語を借りれば、複本位でなければならない。

 

 

 

武士道はそれ自身の本位を有した。それは両本位であった。すなわち女子の価値をば戦場ならびに炉辺によって計ったのである。前者においては女子は甚だ軽く評価せられたが、後者においては完全であった。女子に与えられたる待遇は、この二重の評価に応じた。(略)

 

 

 

父や夫が戦場に出て不在なる時、家事を治むるはまったく母や妻の手に委ねられた。幼者の教育、その防衛すらも、彼らに託された。私が前に述べたる婦人の武芸のごときも、主として子女の教育をば賢しく指導するをえんがためであった。(略)

 

 

我々は自分の妻を賞めるのは自分自身の一部を賞めるのだと考える、しかして我が国民の間では自己賞賛は少なくとも悪趣味だと看做されている ― しかして私は希望する、キリスト教国民の間にありても同様ならんことを!(略)

 

 

しかしながら武士道の武的倫理においては、善悪を分つ主要の分水嶺は他の点に求められた。それは人をばおのれの神聖なる霊魂に結び、しかる後私が本書の初めの部分にて述べし五輪の中、私は忠義、すなわち臣下たる者と主君たる者との関係について説くところがあった。その他の点についてはただ織りに触れて付言したに過ぎない。けだしそれらは武士道に特異なものではなかったからである。(略)

 

 

しかしながら、武士道特有の徳と教えとが、武士階級のみに限定せられなかったことは怪しむに足りない。このことは吾人をして武士道の国民全般に及ぼしたる感化の考察に急がしめる。」

 

〇 この後、第十五章 武士道の感化 

  第十六章 武士道はなお生くるか

  第十七章 武士道の将来

 が続くのですが、ここで、一旦中断します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武士道

「第十三章  刀・武士の魂

 

武士道は刀をその力と勇気の表徴となした。マホメットが「剣は天国と地獄との鍵である」と宣言した時、彼は日本人の感情を反響したに過ぎない。武士の少年は幼年の時からこれを弄んでいた玩具の小刀の代りに真物の刀を腰に挿すことにより始めて武士の資格を認められるのは、彼にとりて重要なる機会であった。

 

 

 

この部門に入る最初の儀式終わりて後、彼はもはや彼の身分を示すこの徴を帯びずしては父の門をいでなかった。(略)

 

 

史学の祖[ヘロドトス]はスキュタイ人が鉄の偃月刀に犠牲を献げたことを一の奇聞として録しているが、日本では多くの神社ならびに多くの家庭において、刀をば礼拝の対象として蔵している。もっともありふれた担当に対しても、適当の尊敬を払うを要した。刀に対する侮辱は持ち主に対する侮辱と同視せられた。床に置ける刀を不注意に跨ぎし者は禍いなるかな!(略)

 

 

刀鍛冶は単なる工人ではなくして霊感を受けたる芸術家であり、彼の職場は至聖所であった。毎日彼は斎戒沐浴をもって工を始めた。もしくはいわゆる「彼はその心魂気魄を打って錬鉄鍛冶した」のである。(略)

 

 

しかしながら我々のもっとも関心する問題はこれである、 ― 武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて曰く、断じてしからず!武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。場合を心得ずして刀を揮った者は、卑怯者であり法螺吹きであった。重厚なる人は剣を用うべき正しき時を知り、しかしてかかる時はただ稀にのみ来る。

 

 

勝海舟伯は我が国歴史上最も物上騒然たりし時期の一つをくぐってきた人であり、当時は暗殺、自殺その他血腥き事が毎日のように行われていた。彼は一時ほとんど独裁的なる権力を委ねられていたため、たびたび暗殺の目的とせられたが、決して自己の刀に血ぬることをしなかった。

 

 

彼はその特癖はる平民的口調をもって追憶の若干を一人の友人に物語っているが、その中にこう言っている。「私は人を殺すのが大嫌いで、一人でも殺したことはないよ。みんな逃がして、殺すべきものでも、マアマアと言って放って置いた。

 

 

それは河上玄哉が教えてくれた、「あなたは、そういう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取ってお上んなさるだろう。あいつらはそんなものです」と言った。それはヒドイ奴だったよ。

 

 

 

しかし河上は殺されたよ。私が殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。

 

 

ナニ呑みや虱だと思えばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ」[海舟座談]。(略)

 

 

 

この高き理想が専ら僧侶および道徳家の講釈に委ねられ、武士は武芸の練習および賞賛を旨としたのは、大いに惜しむべきことであった。これにより彼らは女性の理想をさえ勇婦的性格をもって色づくるに至った。この好機会において、吾人は婦人の教育および地位の問題につき数節を割くであろう。」

 

 

〇 と、次の「第十四章」に続くのですが、刀については、山本七平氏が、何度も取り上げているので、もう一度その個所を振り返りたいと思います。

 

山本七平著「私の中の日本軍 日本刀神話の実態」

 

「これでみると、日本刀の欠陥は、私のもっていた軍刀が例外だったのでなく、全日本刀に共通する限界もしくは欠陥であったと思われる。そこで、この三人の方のお手紙の一部をまず台湾人S氏(文芸春秋編集部あて)のから掲載させて頂こう。氏は次のように記されている。


<例の「百人斬り」の話についてですが、私は議論の当初から、あれは物理的に不可能だと思っていました。(略)


戦前の出版で「戦ふ日本刀」という本をかつて読んだことがあります。これは一人の刀鍛冶の従軍気で、前線で日本刀を修理して歩いた記録です。この中で、日本刀というものがいかに脆いものであるか、という強い印象を得たことを覚えております。


一人斬るとすぐに刃がこぼれ、折れ曲がったり、柄が外れたりするものらしいです。同封の切り抜きは去年の九月二十八日付朝日新聞のものですが、この中にも「日本刀で本当に斬れるのはいいとこ三人」という殺陣師の談話があります。」

 

 

 

武士道

「第十二章  自殺および復仇の制度

 

この二つの制度(前者は腹切、後者は敵討として知られている)については、多くの外国著者が多少詳細に論じている。

まず自殺について述べるが、私は私の考察をば切腹もしくは割腹、俗にはらきりとして知られているものに限定することを断わって置く。これは腹部を切ることによる自殺の意である。

 

 

「腹を切る?何と馬鹿げた!」 ― 初めてこの語に接した者はそう叫ぶであろう。それは外国人の耳には最初は馬鹿げて奇怪に聞こえるかも知れないが、シェイクスピアを学びし者にはそんなに奇異なはずはない。何となれば彼はブルトゥスの口をして、「汝(カエサル)の魂魄現れ、我が剣を逆さまにして我が腹を刺しむ」と言わしめている。(略)

 

 

切腹が我が国民の心に一点の不合理性をも感ぜしめないのは、他の事柄との連想の故のみでない。特に身体のこの部分を選んで切るは、これを以て霊魂と愛情との宿るところとなす古き解剖学的信念に基づくのである。

 

 

モーセは「ヨセフその弟のために腸(心)焚くるがことく」と記し[創世記四三の三〇]、ダビデは神がその腸(あわれみ)を忘れざらんことを祈り[詩篇二五の六]、イザヤ、エレミヤ、その他古の霊感を受けし人々も腸が「鳴る」[イザヤ書一六の一一]、もしくは腸が「いたむ」[エレミヤ記三一の二〇]と言った。(略)

 

 

近世の神経学者は腹部脳髄、腰部脳髄ということを言い、これらの部分における交感神経中枢は精神作用によりて強き刺激を受けるとの説を唱える。この精神生理学節がひとたび容認せらるるならば、切腹の論理は容易に構成せられる。「我はわが霊魂の座を開いて君にその状態を見せよう。汚れているか清いか、君自らこれを見よ」。

 

 

私は自殺の宗教的もしくは道徳的是認を主張するものと解せられたくない。しかしながら名誉を高く重んずる念は、多くの者に対し自己の生命を絶つに十分なる理由を供した。

 

 

 

名誉の失われし時は死こそ救いなれ、

死は恥辱よりの確実なる避け所

 

 

と、ガースの歌いし感情に同感して、いかに多くの者が莞爾としてその霊魂を幽冥に付したか!武士道は名誉の問題を含む死をもって、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受けいれた。これがため功名心ある武士は、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心に希求すべき最後ではない、と考えた。

 

 

私はあえて言う、多くの善きキリスト者は、もし彼らが十分正直でさえあれば、カトーや、ブルトゥスや、ペトロニウスや、その他多くの古の地上の生命を自ら終わらしめたる崇高なる態度に対して、積極的賞賛とまでは行かなくても、魅力を感ずることを告白するであろう。

 

 

哲学者の始祖[ソクラテスの死は半ば自殺であったと言えば、言い過ぎであろうか。彼が逃走の可能性あるにかかわらず、いかに進んで国家の命令 ― しかも彼はそれが道徳的に誤謬であることを知っていた ―に服従したか、しかしていかに彼が自己の手に毒杯を取り、その数滴を灌いで神を祭ることをさえなしたかを彼の弟子たちの筆によって詳細に読む時、吾人は彼の全体の行動および態度の中に自殺行為を認めないであろうか。(略)

 

 

すでに読者は、切腹が単なる自殺の方法でなかったことを領解せられたであろう。それは法律上ならびに礼法上の制度であった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。それが法律上の刑罰として命ぜられる時には、荘重なる儀式をもって執り行われた。それは洗煉せられたる自殺であって、感情の極度の冷静と態度の沈着となくしては何人もこれを実行するをえなかった。これらの理由により、それは特に武士に適わしくあった。

 

 

 

好古的なる好奇心からだけでも、私はすでに廃絶せるこの儀式の描写をここになしたいと思う。しかるにその一つの描写が遥かに能力ある著者によりてすでになされており、その書物は今日は多く読まれていないから、私はやや長き引用をそれからなそうと思う。

 

 

ミットフォードはその著「旧日本の物語」において、切腹についての説を或る日本の稀覯文書から訳載した後、彼自身の目撃したる実例を描写している。(略)」

 

 

〇 この後にその描写が続くのですが、ここで一旦中断します。

また、後日続けます。

 

〇つづきです。

 

 

「我々(七人の外国代表者)は日本検使に案内せられて、儀式の執行さるべき寺院の本堂に進み入った。それは森厳なる光景であった。本堂は屋根高く、黒くなった木の柱で支えられていた。

 

 

天井からは仏教寺院に特有なる巨大なる金色の燈籠その他の装飾が燦然と垂れていた。高い仏壇の前には床の上三、四寸の高さに座を設け、美しき新畳を敷き、赤の毛氈が拡げてあった。ほどよき間隔に置かれた高き燭台は薄暗き神秘的なる光を出し、ようやくすべての仕置を見るに足りた。七人の日本検使は高座の左方に、七人の外国検使は右方に着席した。それ以外には何人もいなかった。

 

 

不安の緊張裡に待つこと数分間、滝善三郎は麻裃の礼服を着けしずしずと本堂に歩みいでた。年齢三十二歳、気品高き威丈夫であった。一人の介錯と、金の刺繍せる陣羽織を着用した三人の役人とがこれに伴った。

 

 

介錯という語は、英語のエクシキューショナー executioner(処刑人)がこれに当たる語でないことを、知っておく必要がある。この役目は紳士の役であり、多くの場合咎人の一族もしくは友人によって果たされ、両者の間は咎人と処刑人というよりはむしろ主役と介添えの関係である。この場合、介錯は滝善三郎の門弟であって、剣道の達人たる故をもって、彼の数ある友人中より選ばれたものであった。

 

 

滝善三郎は介錯を左に従え、徐かに日本検使の方に進み、両人共に辞儀をなし、次に外国人に近づいて同様に、おそらく一層の鄭重さをもって敬礼した。いずれの場合にも恭しく答礼がなされた。静々と威儀あたりを払いつつ善三郎は高座に上り、仏壇の前に平伏すること二度、仏壇を背にして毛氈の上に端座し、介錯は彼の左側に蹲った。

 

 

三人の付添役中の一人はやがて白紙に包みたる脇差をば三宝 ― 神仏に供え物をする時に用いられる一種の台 ― に載せて進み出た。脇差とは日本人の短刀もしくは匕首であって長さ九寸五分、その切尖と刃とは剃刀のごとくに鋭利なるものである。付添は一礼したる後咎人に渡せば、彼は恭しくこれを受け、両手をもって頭の高さにまで押し戴きたる上、自分の前に置いた。

 

 

再び鄭重なる辞儀をなしたる後、滝錬三郎、その声には痛ましき告白をなす人から期待せらるべき程度の感情と躊躇とが現れたが、顔色態度は毫も変ずることなく、語りいずるよう、

 

 

「拙者唯だ一人、無分別にも過って神戸なる外国人に対して発砲の命令を下し、その逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。拙者今その罪を負いて切腹致す。各方には検視の御役目御苦労に存じ候」。

 

 

またもや一礼終わって善三郎は上衣を帯元まで脱ぎ下げ、腰の辺まで露わし、仰向に倒れることなきよう、型のごとくに注意深く両袖を膝の下に敷き入れた。そは高貴なる日本人は前に伏して死ぬべきものとせられたからである。彼は思い入あって前なる短刀を確かと採り上げ、嬉し気にさも愛着するばかりにこれを眺め、暫時最期の観念を集中するよと見えたが、やがて左の腹を深く差して徐かに右に引き廻し、また元に返して少しく切り上げた。

 

 

 

この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ動かさなかった。彼は短刀を引き抜き、前にかがみて差し伸べた。苦痛の表情が始めて彼の顔を過ったが、少しも音声に現れない。この時まで側に蹲りて彼の一挙一動を身じろぎもせずうち守っていた介錯は、やおら立ち上がり、一瞬太刀を空に揮り上げた。秋水一閃、物凄き音、鞺と仆るる響き、一撃の下に首体たちまちその所を異にした。

 

 

場内寂として死せるがごとく、ただ僅かに我らの前なる死首より迸りいずる血の凄まじき音のみ聞こえた。この首の主こそ今の今まで勇邁剛毅の丈夫たりしに!懼しい事であった。

介錯は平伏して礼をなし、予て用意せる白紙を取り出して刀を拭い、高座より下りた。血染めの短刀は仕置の証拠として厳かに運び去られた。

 

 

かくて御門の二人の役人はその座を離れて外国検使の前に来たり、滝善三郎の処刑滞りなく相済みたり、検視せられよと言った。儀式はこれにて終わり、我らは寺院を去った」。(略)

 

 

切腹をもって名誉となしたることは、おのずからその濫用に対し少なからざる誘惑を与えた。全然道理に適わざる事柄のため、もしくは全然死に値せざる理由のえに、躁急なる青年は飛んで火にいる夏の虫のごとく死についた。

 

 

混乱かつ曖昧なる動機が武士を切腹に駆りしことは、尼僧を駆りて修道院の門をくぐらしめしよりも多くあった。生命は廉くあった ― 世間の名誉の標準をもって計るに廉いものであった。最も悲しむべきことは、名誉に常に打歩が付いていた、いわば常に正金ではなく、劣等の金属を混じていたのである。

 

 

ダンテの「地獄」の1圏中自殺者を置きし第七圏に勝りて日本人の人口稠密なるを誇るものはないであろう。

しかしながら真の武士は一戦また一戦に敗れ、野より山、森より祠へと追われ、単身饑えて薄暗き木のうつろの中にひそみ、刀欠け、弓折れ、矢尽きし時にも ― 最も高邁なるローマ人[ブルトゥス]もかかる場合ピリピにて己が刃に伏したではないか ― 死をもって卑怯と考え、キリスト教殉教者に近き忍耐をもって、

 

 

憂き事のなほこの上に積れかし

限りある身の力ためさん

 

 

と吟じて己を励ました。かくして武士道の教うるところはこれであった ― 忍耐と正しき良心とをもってすべての災禍困難に抗し、かつこれに耐えよ。そは孟子の説くがごとく。「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を饑えしめ、その身を空乏し、行いそのなすところを払乱せしむ。心を動かし性を忍びその能わざるところを曾益する所以なり」である。

 

 

真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり、これがために死を招くも決して不名誉ではない。これに反し天の与えんとするものを回避するための死は全く卑怯である!サー・トマス・ブラウンの奇書「医道宗教」の中に、我が武士道が繰り返し教えたるところとまったく軌を一にせる語がある。それを引用すれば、

 

「死を軽んずるは勇気の行為である、しかしながら生が死よりもなお怖しき場合には、あえて生くることこそ真の勇気である」と。(略)

 

 

かくして吾人は、武士道における自殺の制度は、その濫用が一見吾人を驚かすごとくには不合理でもなく野蛮でもなきことを見た。吾人はこれからその姉妹たる報復 ― もしくは 復仇と言ってもよい ― の制度の中にも、果たして何らかの美点を有するや否やを見よう。(略)」

 

〇 このつづきもまた後日にします。

 

〇 つづきです。

 

「私はこの問題をば数語をもって片付けることができると思う。けだし同様の制度 ― もしくは習慣と言った方がよければそれでもよい ―

はすべての民族の間に行われたのであり、かつ今日でも全く廃れてないことは、決闘や私刑(リンチ)の存続によりて証明せられる。(略)

 

 

復仇には人の正義感を満足せしむるものがある。復仇者の推理はこうである、「我が善き父もし存命ならば、かかる行為を寛仮しないであろう。天もまた悪行を憎む。悪を行なう者をしてその業を止めしむるは、我が父の意志であり、天の意志である。彼は我が手によりて死なざるべからず。

 

 

何となれば彼は我が父の血を流したのであるから、父の血肉たる我がこの殺人者の血を流さねばならない。彼は倶に天を頂かざる仇である」と。この推理は簡単であり幼稚である(しかし我々の知るごとく、ハムレットもこれより大して深く推理したわけではない)。

 

 

それにもかかわらずこの中に人間生まれながらの正確なる衡平感および平等なる正義感が現れている。「目には目を、歯には歯を」。(略)

 

 

妬む神を信じたるユダヤ教、もしくはネメシスをもつギリシヤ神話においては、復仇はこれを超人間的の力に委ねることをえたであろう。しかしながら常識は武士道に対し倫理的衡平裁判所の一種として敵討の制度を与え、普通法に従っては裁判せられざるごとき事件をここに出訴するをえしめた。

 

 

四十七士の主君は死罪に定められた。彼は控訴すべき上級裁判所をもたなかった。彼の忠義なる家来たちは、当時存在したる唯一の最高裁判所たる敵討に訴えた。しかして彼らは普通法によって罪に定められた、—

 しかし民衆の本能は別個の判決を下した。これがため彼らの名は泉岳寺なる彼らの墓と共に今日にいたるまで色みどりにまた香ばしく保存されている。

 

 

 

老子は怨みに報いるに徳をもってすと教えた。しかし正義[直]をもって怨みに報ずべきことを教えたる孔子の声の方が遥かに大であった。しかしながら復讐はただ目上の者もしくは恩人のために企てられる場合においてのみ正当であるとなされた。

 

 

己自身もしくは妻子に加えられたる損害は、これを忍びかつ赦すべきであった。この故に我が武士道は祖国の仇を報ぜんと言えるハンニバルの誓いに対し完き同感を寄せることをえたが、ジェイムズ・ハミルトンが妻の墓より一握りの土を取りて帯の中に携え、摂政マレーに対し彼女の仇を報ぜんとする不断の刺激となしたことをば軽蔑する。

 

 

 

切腹および敵討の両制度は、刑法法典の発布と共にいずれも存在理由を失った。(略)規律正しき警察が被害者のために犯人を捜索し、法律が義の要求を満たす。全国家社会が非違を匡正する。正義感が満足せられたが故に、敵討の必要なきに至ったのである。(略)

 

 

これらの血腥き制度より見るも、また武士道の一般的傾向より見ても、刀剣が社会の規律および生活上重要なる役割を占めたことを推知するは容易である。刀を武士の魂と呼ぶは一の格言となった。」