読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「神聖ニシテ侵スヘカラス

竹田 では、そういう構想を考えていく手掛かりとして、天皇をどうイメージするか、天皇に戦争責任があるか、という問題に戻ってみたいと思うのですが。

 

橋爪 そこに戻って言えば、私が天皇を評価する最大の理由は、いくつきあの局面で天皇が法律による軍隊のコントロール憲法による国のコントロールを最大限に追及したからです。

 

彼が守ろうとしていた憲法体制とは、役割と権限と地位と義務と権利からできている憲法体制であって、少なくともそういうやり方で日本国を運営しなければ、この国は同時代の国際的な水準に立てなくて、どうしようもない国になってしまうと考え、そういう義務感のようなもので動いていたと思う。

だから彼は、憲法とか条約とかいうものを最高の格率にして、それから逸脱する要素を自分の内部から排除し、できるかぎり自分の周辺からも排除しようと思ったんですね。

 

竹田 それは戦前ということ?

 

橋爪 そうです。戦後においても、退位しないということでそれに貢献した。

 

加藤 どういう意味、退位しないことによって、というのは?

 

橋爪 簡単に言えば、退位の規定がないのに退位をしたら、それは憲法的な行動ではないからです。そして、戦後的価値観に反対する人々を元気づけることになる。

 

竹田 そういう面で天皇を評価する?

 

橋爪 ええ。戦前の日本の非合理的な国家体制のなかで、もっとも合理的に行動しようとした。天皇は、そういう個人である、と評価する。

 

 

加藤 そういう評価もあるとは思うけど、僕の昭和天皇についての評価は、やはり橋爪さんとだいぶ違うな。僕からみると橋爪さんの評価は、かなり昭和天皇に甘い。(略)

 

(略)

 

 

橋爪 いま、個人として自分だったらどうできたか、と言ったのは道義的な問題についてですよ、政治じゃなく。天皇を一種の政治的存在と考え、政治家と同列にその政治的行為の責任を追及するというのは、間違いだと思う。天皇は、天皇という国家機関上の職責を果たした個人、と考えるべきだ。

 

 

通常の人間が出来ることには限界があって、完全を求めることはできないでしょう。平均的な人間ならなかなかあそこまで出来ないだろうというレヴェルでその職責を果たしている場合、それ以上どうやって非難できるだろう。

 

加藤 だから僕は、いわゆる統治権者としての天皇の政治的責任と、天皇の一個人としての道義的責任というのを切り離したつもりなんですよ。道義的な意味において彼を責めうる立場の人はどこにいるか、と橋爪さんは言ったけど、それが戦争の死者なんです。(略)

 

竹田 ハイデガーの場合と似ているかもね。彼はナチ加担の咎で戦後いったん謹慎処分をうけてその後教職に戻るのだけど、その後一貫して、ユダヤ人の虐殺を含めてナチの犯したことについて一切コメントしなかった。

 

 

たしかヤスパースだったか、ナチスへの加担という面については、当時の知識人の多くが結局は加担せざるを得なかったということがあって責められない面もあるが、その後自分のやったことについての認定という点では、ハイデガーのこの沈黙は異様であり、むしろその点に知識人として重大な責任があると思う、というような意見があったと思う。

 

 

(略)

 

 

竹田 ただ、まず素朴なことを言うと、日本は侵略戦争を起こした、ということを認めるとすると、天皇はその最高責任者ですね。その法的な責任というのは問われないわけかな?

 

 

橋爪 そのことですが、こんなふうになっているのではないでしょうか。

まず明治天皇は、途中で憲法が出来たから、前半は専制君主、後半は立憲君主なわけです。そこで、後半の立憲君主制下での天皇ということに限定して考えると、大日本帝国憲法の第一条に「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」と書いてあって、第二条をとばして、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いてある。

 

 

 

それから、天皇の統治行為は憲法の定めるところによって行う、となっているわけです。では実際に、天皇が国家の主権者として、どのような行為を行うかということですけれど、大部分の行為は行政府、すなわち内閣が行う。内閣は天皇を輔弼する、つまり助ける義務があって、その政治責任国務大臣がとることが憲法で決まっています。

 

 

具体的にはどういうことかというと、天皇に「こういうことをしましょう」と提案する場合、内閣が閣議を開いて国家の意思決定を行ない、そして書類を天皇のところにもっていく。天皇が署名することによってそれは効力をもちますが、天皇の署名の横に国務大臣が署名(副署)をしないかぎり効力をもたない。

 

 

副署があるかぎりで効力をもつ。天皇は、内閣の所管する事柄に関して、形式的には署名というかたちで意思決定を行なうが、実質的にはなにもしない。そして意思決定の責任はすべて内閣が負う。これが旧憲法のシステムです。

 

 

軍についてはどうか。軍も政府機関の一部ですから、予算や人事などで政府のコントロールを受け、通常の行政手続きに従う。しかし、これは統帥権の独立に関係するのですが、陸軍と海軍は大日本帝国憲法よりも古くから存在する組織だということもあり、内閣ではなくて天皇に直属すると憲法で定められた。

 

 

 

軍は一面、行政府と独立の存在なのです。ですから国家機関は二股になっている。戦争時、軍隊は作戦命令に従って動くのですが、その作戦命令を起草立案するのは陸軍の参謀本部と海軍の軍令部で、その命令を全軍にくだす最高指揮官が、大元帥であるところの天皇です。

 

ただし、大日本帝国憲法は曖昧で、天皇が陸海軍を指揮する場合に、誰が輔弼の責任をとるかを明示していないんです。

そこで、慣例上、陸軍の参謀総長と海軍の軍令部長(昭和八年以降は軍令部早朝)が輔弼責任を取り、陸軍の作戦命令は参謀総長が気お寿司、天皇が署名をして、それをそのまま下達する。(略)

 

 

 

御前会議といっても、本来は形式的なもので、天皇の臨席のもと、すでに決まったことを天皇の前でもう一度述べるだけの儀式です。天皇はオブザーバーで、この会議の構成員ではないと考えられます。(略)

 

 

 

天皇大元帥ですから、軍の最高指揮官であり、なんでも命令できるようなイメージが一般にありますが、御前会議に臨席しても、会議のメンバーではないから、黙って座っているだけで、原則として発言しないんですね。統帥部の判断に裁可を与えるという立場であり、権威を与えるという立場であったと思う。

 

 

 

天皇は公的人間(国家機関)ではあるけれど、政治的意思決定を下す立場にない。政治的な決定をしないから、政治的責任もないのです。ここが、結果責任を問われる政治家とは違う。政治家は政治的意思決定を下したい人が、なりたくてなるものでしょう。

 

 

けれども天皇は、そういう選択の余地なく、生まれてみたtら天皇になる宿命を負っていた。そういう個人をつかまえて、政治的責任を問うのはフェアでない。自分個人だって天皇として生まれたかもしれない、とあえて考えて、彼の行動を検証(追体験)してみるというのが、せいぜいできることなのです。

 

 

(略)」

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

憲法第九条 ― 戦争放棄

 

加藤 憲法について議論が進んでいるので、このあたりでちょっと第九条の問題についても語っておきます。戦争放棄条項と天皇の関係は、憲法で言うと第九条と第一条の関係になります。昭和天皇東京裁判で免責となり、現憲法に第一条の天皇の存置条項を入れるためには、第九条の戦争放棄条項がバランサーとして必要だったというのが、両者の基本的な関係といってよいでしょう。(略)

 

 

つまり、憲法の平和条項を自分たちの力で作ったんじゃなくて、戦争の勝者から、敗戦国としての国家に押し付けられたものを、当時の国民が熱狂的に賛同して受け入れたというあり方は、この第九条の規定でいうと、自衛権の否定、というところに痕跡をとどめているんじゃないかと思われるのです。(略)

 

 

 

でも、僕たちは、この平和条項の議論を一歩先に進めるために、自衛権は当然あるんだよ、そのうえで、国際紛争の解決の手段としての戦争を否定し、非軍事的に国際平和の実現をめざすんだよ、というかたちに、議論の土俵をつくりかえたほうがいいんじゃないだろうか。これが僕の提案です。

そのメリットは次のようなものです。(略)

 

 

でも、これだと、平和条項は、たんに大日本帝国の侵略行為の罪責感の打ち消しのために反動形成されたエクスキューズ(excuse 言いわけ・弁明)としての理念でしかないことになる。しかし第九条の理念を現実化し、その主意を前に進めるために、そこからむしろ崇高な理念という性格をとりさり、平和条項を現実に着地させるのがいい。

 

 

第九条の理念は、自衛権は当然ある、しかしわれわれは国際社会の紛争解決の手段としては、戦争を放棄し、平和を追求するという形で再構築するのがいいと思うんです。浅田彰湾岸戦争のとき「女々しいと言われようがなんと言われようが、ラジカルな平和主義をとるしかない」、「われわれは戦うくらいなら全員無抵抗で殺される用意だってある」、これは「すべての戦争が核戦争になり得る時代」にその「重要性を訴えること」で「特別な立場に立てる」世界史的先進性をもった憲法なんだと言ったけれども、

僕に言わせると、これは戦後民主主義における憲法第九条の反動形成としての性格を、典型的に表現した言葉です。

 

 

第九条という理念が戦後に隠し持ってきた、戦前的な玉砕思想的な傾斜、罪責感打消しの心情的な傾斜が、湾岸戦争の危機感のなかで噴出した例と言えると思う。だけど僕は、この第九条は、そういう罪責感打消しの意味ではないところで、ほんとうは戦後の日本人の願いを体現しているんだと考えたい。それを、罪責感打消しの理念型から、開かれた理念として受け取りなおすことが、この議論では大事なんだというのが、この新解釈の僕の提案です。(略)」

 

〇この後も、加藤氏の話がしばらく続くのですが、戦争について最近感じていることを、少し書きます。少し前に橋爪氏が、

「端的に言えば(当時の)日本は国家を運営する能力がなかった」と書いていました。

 

では、今は?今の日本は国家を運営する能力があるのでしょうか。

総理大臣が違法なことを平然とする。犯罪者なのに、総理大臣である自分の「仲間」だという理由で、その犯罪を不問に付す。つまり、国のトップが、法と秩序をズタズタに破壊したのです。

 

 

そして、それを支えた自民党は未だに高い支持率を持っています。犯罪を犯す総理大臣がその職を続けられるのは、その犯罪を見て見ぬふりをする国民がいるからです。

これが法治国家でしょうか。これが近代国家でしょうか。これで、日本に国家を運営する能力があると言えるでしょうか。

 

こんなモラルや道理を理解する力もない人々が「管理者」になっているこの国が、戦争をした時、一般庶民は、あの太平洋戦争の時と同じように、どれほど酷い目にあうかと思うと、「国家を運営する能力の無い国」には、戦争をする能力もない、と私たちはしっかりとわかっていなければならないと思います。

 

 

「加藤 (略)この場合、いくつか課題がありますが、主要問題のひとつは、現在の自衛隊をどうするかだと思う。もちろん、国際平和部隊の中核に移行していくとしても、いまの自衛隊のかたちのままではダメです。なぜかというと、いくつか理由があるけれど、そのいちばん大きなものは自衛隊がシヴィライズ(civilize 市民化)されていないということです。

 

 

シヴィリアン・コントロールというのは、 文民が軍隊を統括するということですが、その前提は、軍隊の本体がいわば市民に統括されうる身体になっていること、それ自体がいわば市民化され、市民的原則が貫徹された近代軍隊になっているということです。でも、いまの自衛隊は市民原則をもつ近代軍隊になっていない。戦前の天皇の軍隊としての性格をいまだにひきずっている。

 

 

 

戦前の軍隊は大元帥天皇をいただいた神の軍隊で、そこでの最高の価値は、天皇天皇に体現された国体を守ることだったのですが、これに対して近代軍隊というのは、市民のための軍隊で、市民を守るということが一番の存在理由です。いまの自衛隊に、その国家を守ることの中身が国家指導者をではなく市民を守ることだという第一原則がタタキこまれているとは、どうしても思えないのです。(略)

 

 

 

ナチスというのはどうしようもないものだったけれども、ただひとつ、ドイツの東部戦線でロシア軍が攻めて来た時、ドイツ国軍は市民を守って潰滅した。ヒルグルーバーは、こう述べて、この東部戦線の自己犠牲的な戦いに肯定的な価値をおき、そこからドイツの歴史を描きなおすことが一定の意味をもつという視点を提示した。(略)

 

 

 

では日本の場合はどうだったか。同じように軍隊が市民を守るべき状況というのが、二度、あるいは三度だけあった。それが、ソ連参戦直後の満州と米軍上陸時の沖縄の場合、また住民が海に身投げして死んだサイパンなどの事例です。(略)で、そのとき日本軍がなにをしたか。少なくとも大きな事例、満州、沖縄の二度とも、きれいに、臣民つまり市民を守るのではなく、市民を盾にして自分たちは逃げるという、ドイツの軍隊とまるで逆のことをやっている。(略)

 

 

 

でも、いまにいたるまで、その自衛隊が、戦前の軍隊の問題点を戦後の観点から自己批判し、責任を明確化し、それとは違う組織として自分を提示するということをしていない。服部卓四郎という人などが中心になって太平洋戦争の歴史というのをまとめていますが、ここに問題があったという指摘、自己批判、あるいは戦前の軍部に対しての批判、戦前の軍部に代わっての謝罪、というようなことがなされたという話はついぞ聞かない。

 

 

 

この服部卓四郎という人物自身が、辻政信とともに最悪の作戦と言われるノモンハン事件(本書212頁参照)を強引に主導した一人で、そのことの責任をうやむやにして生き延び、その後、GHQに勤務した軍人なのですから、他は推して知るべしで、戦前の軍隊のあり方をどのくらい批判出来ているのか、内部の市民化はどの程度すすんでいるのか、僕はその点に関して、いまの自衛隊に根深い不信感をもっています。(略)

 

 

 

橋爪 (略)自衛隊と軍隊は、どういうところが一番違うかというと、法律的に違っていて、軍隊には国内法が適用されず、国際法上、戦時法規で保護される。自衛隊の場合は、国内法の適用をまぬがれないうえ、そもそも外国では行動できない。ここが違うわけですね。(略)

 

 

 

しかし、自衛隊は実質的には軍隊で、専守防衛ということになっているけれど、日米安保条約というものがあり、アメリカ軍の対等の相手です。そして、国際法上も奇妙なことに軍隊のあつかいを受けている。戦闘行為じゃなくて外国に行った時、駐在武官というのがあちこちにいるけれども、そういう軍人同士の集まりに呼ばれる。国外では軍人として処遇されているわけです。(略)

 

 

橋爪 民兵でも義勇軍でも、その条件というのはですね、訓練を受けて、国際法の知識があって、指揮官がいて、そして整然と行動する能力がないかぎり、そういうものとは認められない。自分で義勇軍になりたいと言っただけでは義勇軍にはなれない。

 

 

加藤 わかってるわかってる。(略)

 

 

 

竹田 いまの加藤さんの発言だけど、数年前、われわれは「思想の科学」で吉本隆明と同じ問題で議論したことがあった。あのとき吉本さんは、自衛隊や軍隊をまったく拒否して、もし外国から攻められたら自分は市民として銃をもって戦う、と答えた。われわれには異議があって、橋爪さんがやはり反論した。ただ、加藤さんの立場はそれとは少し違うと思う。

 

 

橋爪 どこが違う?

 

 

加藤 だって吉本さんは、国家が廃絶されることを先取りした理念として、第九条をみてる。吉本さんは自衛権を認めない。僕は、第九条を崇高なる理念としてはみていない。だから自衛権は認める。

 

 

(略)

 

 

 

橋爪 まず第一に、なぜいまの日本に軍隊がないかというと、それは戦争に負けたからです。日本は軍隊を運営する能力がない民族であり、非文明国であるというふうに理解されて、陸軍省海軍省が解体されたからです。そしてその後、アメリカの政策に変化があって、自衛隊ならよかろうということになり、日米安保条約が結ばれた。

 

 

 

自衛隊というのは、戦略をもてない軍隊で、どのように戦うかは相手次第。敵がどこからどのように攻めてくるかに依存しているわけです。(略)

なぜそういう中途半端な自衛隊なるもので防衛が果たされるかというと、それはアメリカと合体しているからです。いざという場合には、アメリカ軍の参謀本部の指揮下に入るでしょう。そして、米軍の援軍が到着するまでの間もちこたえて、米軍がやってきたら共同行動するわけでしょう。

 

 

アメリカが仮想敵国について研究し、情報を提供してくれるからでしょう。つまり、アメリカが軍隊を日本に駐留させ、日本の防衛を約束してくれているからこそ、この態勢は成立しているわけです。もし、自衛隊という名前であれ、軍隊という名前であれ、日米安保のような同盟関係を一切結ばないで、しかも戦争を紛争解決の手段にしないという覚悟を固めると、それはスイスのようなやり方になるでしょう。(略)

 

 

橋爪 私の考えでは、シヴィリアン・コントロールがうまくいかない理由は、自衛隊が軍隊ではないからです。軍隊であるという実態を明確に日本国民が認識しないかぎり、それをコントロールすることは不可能なんです。

 

 

 

加藤 それだったら、シヴィリアン・コントロールができるようなかたちで、自衛隊を軍隊として認知すればいいじゃないですか。(略)

ようするにどうしたら自衛隊という組織の中身が変わるか、ということが一番大きな問題なんです。シヴィリアン・コントロールというのは、ある組織があって、その組織の上を市民がおさえるということでしょう。

 

 

だけどそういうことが成り立つには、その組織がすでにシヴィライズされていること、軍隊としていえば市民原理をもつ近代軍隊になっていることが必要です。体質として天皇の軍隊とい戦前の軍隊のしっぽをひきずっている自衛隊が近代軍隊化するには、その組織自身がかわらないといけない。(略)

 

 

 

もしそれが内側からでは変わらないというのであれば、これまでと違う働きかけをくわえ、これを外から変えていくしかない。(略)

 

 

橋爪 シヴィリアン・コントロールがなぜ必要かと言うと、加藤さんは誤解しているのかもしれないが、軍隊内が市民社会ではありえないからです。軍では、指揮系統を通した命令が絶対で、討論している暇はない。軍隊が、本質として反市民社会的な団体だからこそ、それを市民の代表である文民政治家(シヴィリアン)が指揮する必要がある。これがシヴィリアン・コントロールの原則です。(略)

 

 

 

橋爪 日本で軍隊のことを考えると、どうしても日本軍のイメージに引き寄せられてしまうけれど、近代国家の軍隊は、市民を守ることと、シヴィリアン・コントロールとこの二点が基本にならなければならない。

シヴィリアン・コントロールのためには、国会に防衛委員会をもうけて常時討論し、有事法制を整備し、国防の専門家を育て、国民に軍事常識を普及し、国民の信頼をかちえなければならない。

 

 

 

なぜ日本にそういうシヴィリアン・コントロールの軍隊ができなかったのかということをちょっと述べると、それは臣民ということと関係がある。

「臣民」という言葉は、日本人の発明で、儒教にもない言葉だと思います。

 

 

 

儒教の考え方では、「君」というものがあり、それから「臣」というものがあり、それから「民」というものがある。民というのは自作農であって自由な主体です。いっぽう臣というのは君主の奴隷です。もともとは民は臣よりも身分が高かった。自由だったからですね。

 

 

 

ところが、臣は君の代理人となることによって税金を取り、官僚組織をつくることによって民衆を支配し、やがて民よりも上に立つみたいになった。民のなかから臣になりたいという人まで出てくるようになった。

 

 

 

つまり、伝統中国では、君と臣、このふたつが支配階級であり、この下側に民があり、搾取されている。臣と民とは対立するものである。これが古典的な儒教の発想です。臣は君に対して忠誠をつくす義務がありますが、民には必ずしもそんな義務はないのです。

 

 

 

ところが、この臣と民とを日本は一緒にし、「臣民」という新しいカテゴリーをつくって、これを「国民」という名前の代わりにした。(略)

臣民がどう集まって、どう自発的に組織をつくろうとも、それはかならず天皇に対する忠誠義務を課せられてしまう。そういう論理構造になります。大日本帝国憲法はこの論理でできている。だから、大日本帝国憲法のなかで軍隊をつくると、シヴィリアン・コントロールにはなりえない。なぜならば君がコントロールする構造だからです。

 

 

 

竹田 だからね、それをどうするかというときに、第九条をもういっぺん選び直すという道もあるぞ、というのが加藤さんの提案ですね。第九条を選び直すという感覚がでてきてはじめて、軍というものは自分たちがつくっているものだ、という感覚が出てくる。それを通過しないと、いつまでもいわば古い臣民軍のような感度のままで軍や自衛隊を認めていかざるをえない。それが加藤さんの言い分だと思うけど。

 

 

加藤 そう。

 

 

橋爪 九条と、シヴィリアン・コントロールの問題は直接関係がないと思うな。われわれには戦前の経験しかないわけだから、かつて日本軍がどのような理由でシヴィリアン・コントロールを免れていたかを具体的によく研究しないと、いくら自衛隊を作り変えようとか、あるいは民兵をつくろうとかしても、同じことが起こる。

 

 

竹田 うーむ、どうも論点の違いの核心がわかりにくいな。(略)

 

 

竹田 加藤さんの主張としては、そういう事実の問題はともあれ、「戦争放棄」ということが国民の選択肢としてありうる、ということですね。

 

 

橋爪 それは、現実的な選択肢として、ありえません。いまそれを説明しようとしているのです。そもそも、日本国憲法をもちながら国連に加盟するということは、論理的に矛盾している。国連に加盟したなら、国連軍が組織されたとき、加盟国は最大限の努力を払って、国連の戦略目的を達成するために行動しなければならない。

 

 

それが、国連憲章の課す義務なのです。国際社会の常識がそのようにできているとき、日本だけが憲法上そこに加われないようになっているから、「懲罰規定」だと言ったのです。

 

 

加藤 でも、国連というのも、そういう意味ではこれまでの戦争による国際紛争の解決に代わる国際平和の実現と確保を目標に謳い、第二次世界大戦後につくられた組織なわけだから、その目標達成にいたる方法での違いはあるにせよ、日本がもし本気でこれに取り組み、働きかければ、その「集団安全保障機構」への特別な仕方での参加という例外を認めさせることは不可能ではない。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 国際社会の現実を無視した暴論ですね。完全無抵抗主義というのは、大日本帝国とまったく同じ精神構造だと思う。なぜかというと、大日本帝国は「望むべき世界秩序を実現するために軍事力を使ってやりましょう」という話で、完全無抵抗主義というのは「それが悪かった。自分たちがそういう征服意思をもったから戦争が起こった。だから、征服意思さえ持たなければ、平和的な世界秩序が実現できるに違いない」と、こういう裏返しになっている。

 

 

 

これもまた、国際社会では通用しない論理です。国際社会は、たくさんの国々があって相互に意思しているのだから、その複雑な関係のなかでどうやって戦争をミニマム(minimum 最小限・極小値)にしていくかというのが大事なのに、そういった現実の平和を維持していく論理とはまったく無関係なわけです。

 

 

つけくわえるならば、日本が無謀な軍事的行動を起こしたときにそれをストップできたのは、外国が国際紛争を軍事的に解決しようと決意してくれたからでしょう。

 

 

 

加藤 ですからそれを除去するという考え方です。ただ橋爪さんの議論を聞いていると、そこから日本は「軍隊をもってもいい」という論理がでてきそうな気もするんだけど、それはどうなんですか?

 

 

橋爪 考え方の筋としては軍隊をもってもいい。なぜなら主観国家だから。ただし、それにはたいへんに強い社会能力が必要です。シヴィリアン・コントロールと、言うのは簡単だけれど、伝統のない国にはとてもむずかしい。少なくとも戦後日本は、戦前の影から完全に脱却できていないし、たんなるそれの裏返しに安住しているだけなんだから、まだその能力が足りないのではないか。

 

 

 

(略)

 

 

 

橋爪 戦争放棄条項と自衛隊は、それだけで組になっているわけではなく、日米安保条約と三つで組になっているわけです。その全体でセットになっている。つまり、第九条と自衛隊をもっている限り、日米軍事同盟から逃れられないということですね。これは、それ以外の国際秩序を他の国と共同で構想していくことができない、ということを意味している。

 

 

 

加藤 それだったら、もういまの枠組みは絶対に変わらない、ということになっちゃうじゃない。(略)

僕に言わせれば、第九条というのはなにより第一条の象徴天皇条項と組になっている。戦後、天皇制をなくさないために、象徴天皇というかたちでもいいからと天皇制の命脈をつないだ。そのためにいわば保証として戦争放棄の第九条をおくことが必要になった。(略)

 

 

だから、たとえば日米安保条約というのは、米軍が日本に駐留していてけしからんと言われるけれども、それをやめて、それとは別のあり方を模索しようとすれば、そこから第九条をどう考えるか、自衛隊をどうするか、またさらに天皇の地位をどう国民主権の戦後日本の体制に位置づけるか、というようなことが必然的に問題になってくる。

 

 

 

そこで、これらの枠組みの総体をどうするか、というように僕たちは自分で考えなくちゃいけない。それがいま、なぜそのように議論が進まないかというと、それが、軍隊というのは絶対よくないとか、自衛隊を持つなんて言ったら軍国主義に逆戻りするとか、すぐにそういう、「二度と誤りを繰り返さない」ことを価値化する罪責感打消しタイプ議論になるからでしょう。

 

 

 

それを打開する共通了解がないということが問題なんです。(略)

 

 

僕は、集団自衛権をも認めない戦争放棄のまま国連参加を国連に認めさせる、という方向で、この問題を解決する倫理的な筋道はつくれると思っていますが、とにかく、いまのところは、第九条の解釈で自衛権を認めるか認めないかということが、この一連の問題群を考えるうえで、ひとつの入りh口を構成していると思う。そこで共通の了解ができれば、いまのところは満足です。

 

 

橋爪 加藤さんはどうも、安全保障という国際社会の問題を、日本の側だけからしか見ないようですね。そもそも戦争放棄条項を残す=日米安保条約がないと困る、ということなのだから、最初にそこを選択してしまったら、現じょぷ維持の結論しかでてこない。

 

 

 

日米安保だって、日本がいまのままなら、そのうちアメリカに廃棄を通告されてもおかしくない。そうしたら日本は大混乱ですよ。

単なる自衛権ではなくて、やはり集団自衛権を認めるかどうかというところまで話を進めないと、この問題は解けないと私は思う。ここで集団自衛権とは、国連憲章の認めている軍事同盟であって、日本以外の国が侵略された場合にそれを助けるかどうかということです。たとえば、クウェートや韓国を助けに行くかどうか。

 

 

 

竹田 それでは戦争放棄という条項はありえないことになるね。

 

 

 

橋爪 集団自衛権の考え方は、国際紛争を解決する手段として軍事行動を認めるわけです。それは、世界の現実だと思うし、国連憲章の考え方です。それで世界の秩序は、現に維持されていて、日本はそこから大きな利益を得ている。しかし日本は、過去の経緯から第九条のことがあるので、応分の責任を果たさないで、フリーライダー(free rider ただ乗りする人)としてぶらさがっているという実態があるわけです。

 

 

 

(略)

 

 

加藤 戦争行動とは別の努力をすることにした、というのが「押し付け」られたものであれ、とにかく戦後、日本人が憲法に定めた理念として実質的に選択してきたものだと認めるからですよ。戦後日本の半世紀の実績をもつ選択だからです。戦争という手段をとらないで国際紛争の解決をやっていくノウハウを積んでいく国があったっていい。国際紛争の解決の手段として軍事力と非軍事力がある。(略)

 

 

 

橋爪 別の努力をすることにした、というけれど、アメリカに示唆されてそれもいいと思っただけで、日本国民が自分たちだけで議論してそう決めたのとは違う。そんなものは、理念ではなくて、やはり懲罰ではないのか。

 

 

(略)

 

 

竹田 かなり細かい議論になっているけれど、こういうことじゃないだろうか。国家とか権力、あるいは戦争とか軍隊ということに関して、いままでは、現にある権力や戦争という事態を完全に否定して理想的な崇高な理念でやっていくか、それはアメリカから押し付けられたニセの理念でしかないから、日本が主権国家として本来もっていたものを取り戻すべきだ、という考え方の、ふたつの道筋しかなかった。

 

 

けれど、現在の時点人あってみると、国民が公共的な感度をもつということにおいても、近代社会とか市民社会という観点から軍隊や戦争という問題をしっかり位置付けることが、非常に重要であり、そのことがまた戦争責任を考えるうえでも欠かせない道筋である。

 

 

ところがいままでの議論、天皇の戦争責任とか、日本の戦争責任とか、あるいは慰安婦の問題などについての議論にも、そういう観点が完全に抜け落ちている。まずそういう点では二人の意見は一致していると思う。

対立しているのは、戦争放棄という考えが国債関係のなかで現実感覚として可能かどうか、というところで、それはそれで一つの門dファイではあるけれど、いわば前提になる問題を通り過ぎて先まで行き過ぎている気がする。

 

 

考え方だけで言うと、僕としてはどちらかといえば橋爪大三郎の考え方に近いと思う。つまり、国際紛争を少しずつ押さえてゆくためには国際ルールがどうしても必要であり、そのためには、やはりそれなりの実力、つまり武力が前提とならざるを得ない。実力のないルールというのは絵そらごとですね。(略)

 

 

加藤 しかし、そういう体制に参加する用意がいまの日本にあるだろうか。たとえば小沢一郎が「国連軍に日本も参加できるように第九条に付加条項をつけるか新たに平和安全保障基本法を作るべきだ」という主張をしているけど、それはウサン臭い感じがして僕は賛成できない。(略)

 

 

橋爪 小沢一郎の主張にはそんな詳しくないから、同じかどうか知りませんけれど、彼の主張は、従来の自民党の主張よりまともだと思いますよ。それに、いったい何を根拠に、いまの自衛隊を旧軍と同一視するのかわからない。自衛隊に失礼ではないか。(略)

 

 

 

加藤 僕が自衛隊と旧軍に連続性を見るのは自衛隊自身のイニシアティヴによる旧軍への自己批判的断然の動きが弱いからですよ。なぜいまも海上自衛隊艦は旭日旗を掲げるのか。日の丸ではないのか。

 

 

 

(略)

 

 

竹田 でも、それは順序が逆ではないかな。橋爪さんは「整合性をとるために第九条を改正せよ」と言う。だけど、その言い方には、なにかが欠けていると感じる。つまり大事なのは、国際関係上の現実性として、こういう対応ではやっていけない、というだけでなく、「こういう社会をみんなでつくっていくんだ」という新しいイメージ、いままでの戦前的な国家ではなく、単に理想主義的なそれでもない将来の国家像の展望が提示されないといけないと思う。(略)

 

 

橋爪 シヴィリアン・コントロールの意識を欠いたまま、自衛隊の軍事力だけが突出している。そこで、まずとにかくシヴィリアン・コントロールの構図をきちんとだし、それを通じて、国内に議論の場をつくる。そして、世界に対する構想をだす、という順序になると思います。」

 

 

〇 「ただし、それには大変に強い社会能力が必要です」と橋爪氏は書いています。「主権国家なら軍隊を持ってもよい」これは、当たり前の考え方だと思います。

ただ、法治国家を語っていながら、無法者のように何でもありのやり方で、社会をズタズタにした安倍政権を見た今となっては、私たちの国には「大変に強い社会能力」はない!!と断言したいと思います。

 

 

安倍政権の人々だけがひどかったのではない。それを黙って見ていた一般国民や、忖度によって、そのやり方を許していた周りの人々も同罪だと思います。

「私たち」にその能力がないのだと思います。

情けないことだけど、そのことをまず認めなければならないと思います。

 

ですから、軍隊を持つのは、絶対反対です。

 

今日、安倍首相が辞任を表明しました。

本当に本当に良かった。この人のおかげで、どれほど酷い腐敗政治が蔓延ったか。

本来なら、数々の犯罪的なやり方が明るみに出た段階で、その責任を取って、辞任に追い込まれた…となるのが、当然なのに、そうならなかったのは、この国に「社会能力」がなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「正統性の根拠

 

加藤 僕の観点をはっきりさせるために、なぜ天皇について考えることが大事か、もう少し言ってみます。

僕は戦前の日本人は、自分が日本という国の中でどういう存在なのか、あるいは日本の国民とはどういう存在なのかということについての認識を、非常に明確なかたちで持っていたと思う。(略)

 

 

でも戦後になると、憲法によって国民主権が明示されますが、自分たちでつくった憲法ではないので、その結果、たとえば日本国民とはなんなのかとか、戦後の日本人はどういう存在なのか、ということがわからなくなった。でも、戦前が天皇との関係で自分を決めた、というなら、戦後求められているのは、主権者である自分と他社の関係を自分で決めることなんですね。誰も決めてくれないんだから、自分のほうから、自分と憲法の関係は、こう、自分と政治の関係は、こう、と決めていくことが、自分が誰かということを確定していくことに繋がる。

 

 

そう考えると、日本の「象徴天皇という存在」と「国民としての自分」との関係を確定する作業も、国民が自分が何者かを決める上で、大きなモメントになることがわかる。(略)自分と天皇の関係を国民が自分から定義することが、本当は主権者となるため、避けられないことなのではないかと思うわけです。

 

 

 

橋爪 戦前に比べれば、戦後の日本は近代化という点で一歩すすんだ、と言えると思います。(略)

しかし現在の人類は、国家をつくって国際社会のなかで生きていくという段階なので、国家の作り方に関して言えば、どうしても非合理の要素、あるいは特殊事情がからんでしまう。民族とか歴史とか、それ自身は選択できないのに人類をいくつかのグループに分割してしまうものを所与にするのでないと、国家を構成できないのです。

 

 

 

日本の場合は、その非合理な要素や特殊事情が、天皇の存在というところに集約されていて、それが今の憲法では象徴天皇というかたちになっている。自分たちの社会を合理的に運営して、同時代の国際社会に対して開いていくためには、この非合理な要素をどう認識して、それと付き合っていくかということに関して、自覚的、かつ戦略的でないといけないと思う。(略)

 

 

そのことをみていくために、さきほど言った正統性ということをとりあげて考えてみることにします。

日本国憲法が正当な憲法なのは、大日本帝国憲法の正統な改正手続きを経て合法的に発布され、効力を持ったからです。では、その大日本帝国憲法がなぜ正当化というと、それは明治の半ばに、日本の統治権者である天皇によって制定されたからです。

 

 

 

では、明治維新のあとから大日本帝国憲法が発布されるまでの間は、どのように天皇の正統性があったか。明治政府は、王政復古、すなわち律令制への復帰を掲げた。(略)

律令制に復帰した最初のごく短い期間と、それを手直しした太政官制度の十数年間、内閣制度をとった最後の数年間このように、時期によってちょっと制度が違うんですけど、ようするにそれは伝統的な日本の統治権者である天皇を支持する勢力が武力革命を起こして徳川幕府を打倒し、合法的な政権として宣言したものでした。(略)

 

 

 

明治政府は江戸幕府を敵として打倒したわけで、外交権のないはずの江戸幕府が結んだ条約など、ほんとうなら否定してもよいわけですけれども、明治政府の人々は当時の列強に承認されるにはどうしたらいいかという国際常識があったので、日米修好通商条約などの不平等条約を全部甘受し、条約改正にこぎつけるまでのあいだ、その条約上の義務を守り抜いた。こういうことが国家の正統性のために大切なわけです。

 

 

さらに戦後の社会について言うと、憲法学ではしばしば、憲法が国の根本規範であるということを強調するけれども、条約もそれに負けず劣らず、というかそれと等しい地位を占めることを忘れてはいけない。ポツダム宣言を、日本は受諾したわけです。(略)

 

 

天皇に関する部分は、憲法が改正され、サンフランシスコ講和条約を結んで独立を認められたときに実行的な規定ではなくなったのですけれど、とにかくこうした、日本国の正統性の由来をきちんと理解することには意味がある。

 

 

 

加藤 僕には、なぜそのことがそんなに重要なこととして言われるのか、ということがわからないな。橋爪さんの言い方が詭弁めいて聞こえるいちばんはっきりしている例を言うと、橋爪さんは、日本国憲法が正統性を持つ理由は、大日本帝国憲法の改正だからだと言うけれど、これは法的にはそういう外見を持っているにせよ、なにしろ改正内容が「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という憲法の骨格におよぶような改正でしょう。窓のサッシをとりかえる規定を利用して、家の大黒柱から間取りから、全部変えちゃったようなものです。(略)

 

 

橋爪 どこがどうウサン臭いのかはっきりわからないうちは、それを引き受けるもないものだと思う。憲法が公布されたのは一九四六(昭和二十一)年十一月三日、発効したのは翌年の五月三日。この手続きは帝国議会を経ているし、天皇が公布しているわけです。(略)

 

 

 

かたちのうえから言えば、日本国民に主権があったほうがいいと思うので、主権者である私が皆さんに主権をあげます、という構成になっている。でも、アメリカに占領されて押し付けられたものは、主権者であることの証明にならない。かりに押し付けられたものでなかったとしてしても、主権者である天皇から与えてもらうなんていうのは主権者である国民にとって迷惑な話だ。もし本当に日本国民が主権者でありたいのであれば、主権者を僭称している天皇を打ち倒して、共和制の革命を起こすのが本筋だから、そうやってもいい。いずれにしても、こういった表面的な話は受け入れられないわけです。(略)

 

 

 

橋爪 まず第一に、帝国議会を再招集すべきだという正統感覚をもった議論があっていい。日本の右翼はだらしがないから、そこがポイントだということに気づかなかった。その分、日本の言論はバランスを欠いたものになり、国民は右翼を甘くみるようになった。(略)

 

 

 

次に、この憲法は押し付けられた憲法だし、形式上の正統性をとりつくろっているだけだから、自主憲法を制定すべきだ、という議論がある。(略)そこで、自主憲法とはどういうことか聞いてみると、内容はともかく、押し付けられたことがよくないので憲法を「改正」するということらしい。そして、どの憲法を改正するのかと聞いてみると、戦後の日本国憲法だという。改正すると言う以上、改正する以前の押し付けられた新憲法も、正統な憲法だと認めていることになる。腰折れもはなはだしい。

 

 

 

こんな腰折れの議論でも、左翼をおどかす効果はあったとみえて、三番目に、憲法を改正させない「護憲」勢力というものができあがった。天皇条項が入っている憲法をそのまま「護る」など、左翼の風下にもおけない反動です。第九条はそのままでいいから天皇制を廃止し共和制に移行すべきだ、という議論ならまだわかるのですが、そうではない。(略)

 

 

以上、三つの可能性について私が思うのは、なんと意気地がない、ということです。弱くて戦争に敗れ、無条件降伏した国が、あたかも敗れなかったかのように無傷の正統性を再生させることなどできない。敗れても、日本国民は存在しているのだから、その主体性を信じればよい。

 

 

つまるところ、押し付けだとか、経緯がごちゃごちゃしているとかいうことは、この際、どうでもいいことです。この憲法のもとで、五十年間、日本国を営んできたという実質がある。この実質そのものが憲法の正統性を日々に更新しているのだから、ここから出発する以外にない。

 

 

 

竹田 とすれば、そこで結局論拠は同じになるんじゃないかなあ。つまり僕が言いたいのは、日本の憲法の来歴をさかのぼって「これは正統である/ 正統でない」とか、「もういっぺん自主的に憲法をつくりなおさなくてはいけない」というような議論に、いちいち従わなくていいという感覚が、われわれのなかで広がりを持っているということです。

 

 

加藤 うん、それはかなり重要なポイントだよ。

(略)

 

 

 

加藤 (略)

正統性というものを、なにも過去にさかのぼて担保する必要はない。過去とのつながりから手渡されるものと考える必要はない。過去との断絶からも正統性はつくれる。これをいまの時点から新しく担保する視点をつくれればよいんです。憲法の場合、過去の出自は非常にねじくれている。でも、それをかたちだけまっすぐになおすというのは姑息な対処であって、そのねじくれの事実をそのままにまっすぐに受け止める強度があれば、そのことから正統性をつくり、始めることができる。(略)」

 

〇 加藤氏の言葉には説得力があり、確かにそうだ、と頷きたくなるのですが、でも、「正統性」というのは、誰でもが納得できる道筋でここに至っているという時間的な経過や手続きのようなものが絡んでくるのではないのかな、と思います。過去との断絶からも正統性はつくれる、と大勢が思えば、それはそれでいいのかも知れないけれど、なかなかそうは行かないので、天皇が持ち出されるのだろうな、と思います。

 

私には、橋爪氏の話の方が、しっくり受け入れられるような気がします。

 

「橋爪 私の議論を、いろいろあるけど五十年これでやってきたんだからいいじゃないかという、なあなあの議論とまちがえないでほしい。民主主義は、法的な正統性をもっとも重視し、それをとことん追求する態度としてしか可能でないのです。戦後日本という歪んだ空間でそれをやって、やり抜いて、やっと着地するところが、五十年間の実効的な統治なのです。

 

 

ところで、憲法は変わったけど、法律体系の全体としては戦前と戦後は連続しているということも、もうちょっとよく認識していく必要があります。

 

加藤 それは同感です。

 

橋爪 まず刑法は、基本的に変わっていない。そして、民法家族法などが改正された以外に骨格は変わっていないし、商法も変わっていない。主要な法規は変わっていないわけです。それから陸海軍省は解体され陸海軍はなくなったけれども、内務省は編成を変えさせられただけで官僚の身分も変わっていないし、司法官も組織は変わったけれど身分は変わっていない。(略)

 

 

戦前からの所有権なども全部含め、法空間として連続している。そういうことが、やはり正統性を保証しているということを見通すべきなんですよ。

 

 

加藤 背骨は折れているけれども、肋骨は残っているから、全体としてはつながっている(笑)。

 

加藤 僕の言う正統性と橋爪さんの言う正統性は、僕のが、自分たちにとっての内的な正統性だとすると、橋爪さんのが、対外的な正統性ということだと思う。(略)

 

 

橋爪 そうすっきり二つに分かれるか私は知りませんが、それはおくとして、さらに付け加えると、正統性とは、国家にとっての正統性であると同時に、個々の人間にとっての価値基準、行動の基準、思考の基準に結び付いている。自分の属している国とはなにかとか、自分が個人であることや家族を営んでいること、地域社会の一員であること、それからたまたまここにあるこの国家の関係とはなにかということに関して、ある程度考えていて、そしてそれをいつもどこかで意識しつつ行動するということは、人間の、とくに近代人の人格の一部だと思うわけ。

 

 

そうであってはじめて、たとえば組織のなかで行動するときにはどうしたらいいかとか、家庭人として行動するときにはどうしたらいいかとか、芸術的表現をするにはどうしたらいいかとか、そういうことのバランスというか、感覚が計れるようなところがある。よかれ悪しかれ、それが近代というものである。近代はこの先、超えられるかもしれないけれども、それをふまえたうえで主体的に超えるのでなければ、とても近代を超えることは出来ないと思う。

 

 

たとえば若い人が天皇について「私は全然、関心がない」とか「知識がない」とか「考えたこともない」とかいうふうに言った場合、いま述べた人格的な成熟を期待すべくもないように思うので、彼(女)がなにか話をしたとしても、なんというか、聞くに耐えず(全員笑)、それからなにか新しい情報を発信するということをほとんど期待できず、それが日本社会のなかでなにか間違った事情で関心を呼ぶとしても、それ以外の社会のなかで何事か反響を呼ぶということはないんじゃないかなと思う。」

 

 

〇 「民主主義は、法的な正統性をもっとも重視し、それをとことん追求する態度としてしか可能でないのです。戦後日本という歪んだ空間でそれをやって、やり抜いて、やっと着地するところが、五十年間の実効的な統治…」という文章を読みながら、歪んだ空間の中ででも、それをやり抜くことで、やっと民主主義が定着するはずなのに、今の私たちの社会は全くそうなっていないことを実感します。

 

安倍政権が確信犯的に民主主義を破壊し、実質的に旧体制、国民・市民の国ではなく、天皇の臣民の国にしようとしています。ここで、それを黙って受け入れていくのか、あくまでも、民主主義を貫くために闘っていくのかで、未来は変わってしまいます。

 

自分たちで勝ち取った民主主義ではないけれど、せめて今、民主主義のために闘えないかと思うのですが。

 

 

           

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

天皇言説の歪み

 

竹田 話を聞いていると、二人の考えがちょうど交差するところがみえてきた、という感じがします。橋爪さんの考え方はこうだと思う。戦争責任を問う場合、原則として当時の状況に立って考えるべきであり、いまの時点から結果論的に判定するのは無効である。

 

 

当時の状況に立って戦争責任を考えてみると、そこに法的な責任があるとはいえない。だから、問題を違うかたちに変えなければならない。そういうことですね。僕の記憶では、橋爪さんはだいぶ前に、こう言っていた。戦争責任というのは、ふたたびああいう戦争を起こさないようにするために、現在われわれがどう考えればいいのか、国と自分との関係をどういう原理、原則でつくりなおせばいいのか、また自分の国と外国との関係をどういう方向にすすめていくべきか、そういうことが考えるべき基本であって、誰があるいは何が悪かったのかというような犯人捜しにはそれほど大きな意味がない。

 

 

もちろん、きちんと責任の範囲を明確にすることには意味があるけれども、と。その考え方は、僕のルール社会舷側からする市民主義的な考え方からいっても、非常にフィットすると思った。

 

 

いま言ったような基本線としては、加藤さんの考えも違っていないと思う。厳密に当時の時点にたつならば、戦争責任は構成されない。ただ加藤さんの場合、そういう犯人捜しではなくて、われわれがいま、ここの時点から、あの戦争をよくなかったものと感じ、もう一度その責任のあり方の意味をはっきりさせることには重要性がある、という力点だと思う。

 

 

加藤 (略)

天皇の道義的責任を問う、という場合には、どういう場所からそれが問えるのか、ということが問題になります。僕は、戦後、天皇の道義を相対化できるのは、象徴的にいうと、天皇の道義よりも深い、戦争の死者の道義なんじゃないか、と考えています。(略)

 

 

井上清とか家永三郎とか、そういう人たちの言っている天皇糾弾論には、この自国の戦争の死者との向き合い、というのが欠けている。この自国の死者を否定しなくちゃいけない、アジアの死者に謝罪するというのはそういうことなんだ、と考えられていて、この二つの死者の対立の構造がある。

 

でも、僕たちがもし天皇には責任があると感じるとしたら、それはまず第一に、僕たちが戦争の死者とのつながりを引き受けるからなんじゃないだろうか。また僕達がアジアの被侵略国の死者ならびに住民に対し責任があると感じるとしたら、それもまず僕達が戦争の死者とのつながりを認めるからなんじゃないだろうか。

 

 

 

そしてそれは、僕達がもし自分にもアジアの被侵略国の住民に対する引け目のようなものを感じるとしたら、それは自分と戦争の死者の間のつながりを確認するからだというのと、同じことなんじゃないだろうか。(略)

 

 

それは、日本の戦争の死者を敵視するものではありえないはずなんです。彼らの天皇批判には、戦争の死者とはなにより当時の民衆だったという認識と、自分たち国民こそがこの国の責任の当事者だという意識とがきわめて弱い。天皇批判を貫徹することが自分の戦後日本国民としての責任を全うすることだという構えになっていて、いまだに意識としては父を批判する子供のようです。それは橋爪さんの言う通り、無効だと思う。

 

 

では、いま必要なのは、どういうことか。僕は、天皇の現時点での戦後日本国に対する責任の核心を過不足ないかたちで明らかにすることだと思う。できる公正に昭和天皇に対し、その責任の核心を明らかにしたうえで、それを現在の関係世界のなかで再構築する。僕の考えでは、そういう意味でこれまでのもっとも核心にふれた昭和天皇への責任の名指しは、井上清からやられたものでも家永三郎からやられたものでもなく、三島由紀夫にやられたものだったと思う。

 

 

三島は、天皇は戦後、断りなく人間宣言を行うことで、戦争の死者たちとのコミットメントを一方的に破棄したのではなかったか、そしてそれは、「人間として」無責任なことだったのではないか、と言っているからです。(略)」

 

 

 

〇 ここでも、また「天皇が断りなく人間宣言を行った…」と言われています。

こんなふうに様々な人がそういうと、まるで、そのようなことが事実であるかのようになってしまうのが、社会なので、もう一個人には、どうにも出来なくなり、ただただ沈黙してその情況に耐えるしかなくなるだろうなぁ、と思います。

 

考えてみると、天皇という立場は、基本的人権を認められていない、大変な立場だなぁ、と感じます。

 

街場の天皇論」から引用します。

 

「ソ連や中国のような国家は、たしかにいかなるシャーマニズム的な要素も排して、すっきりと合理的な原理に基づいて統治されているという話になっている。でも、実際には、現世的な政治指導者がなぜか「国父」とか「革命英雄」とか祭り上げられて、神格化され、宗教的な崇拝の対象になっている。

 

 

どうやら、そういう「合理的に統治されている国」でも、霊的権威というものの支えがないと国民的な統合ができないらしい。そういうことがわかってきました。そして、現世的権威者が霊的権威者をも兼務するそういった国では、権力者は自動的に独裁者になり、独裁者の周辺には強者におもねる奸臣・佞臣の類が群がり、不可避的に政治がどこまでも腐敗してゆく。」

 

つまり、どんな国にも「宗教的に崇める対象が必要」なのが、人間社会なら、

そのことを、しっかり認識して社会を作る必要があるのでは?と感じます。

 

「橋爪 加藤さんの話を聞いていると、天皇の戦争責任を、死者に対する道義的責任というかたちにまず集約しようということのようだけれど、もうひとつ私にはぴんとこない。もう少し加藤さんの話を聞いてみてから、これは議論するとしましょう。

そこで、私の関心から言うなら、なぜ天皇が問題になり続けるかというと、天皇は、日本の近代化のキーだからです。

 

 

なぜ明治維新江戸幕府を打ち倒すことが出来たかといえば、天皇というシンボル、天皇という特別な存在があって、それが使えたからです。それが幕府を打倒する運動に正統性を与えるという大きな役割を果たし、日本人の行動様式を変え、国家というものを建設するための拠点となった。(略)

 

 

しかし、大日本帝国という名前のついたこの国家は、みかけこそ近代国家のかたちをとっていたけれども、その実、組織的な欠陥があった。これは、個々人がどんなにそれをカヴァーしようとしてもしきれないような構造上の欠陥だったんです。

 

 

その欠陥がどのようなものだったかは、あとで述べたいと思いますが、この欠陥のために、不合理な戦争を起こすことになり、その戦争に国民が邁進することになり、そして敗戦によって国家が解体し、占領されるという事態を招くことになった。

 

 

 

では、戦後はどういうふうに出来上がっているかというと、この大日本帝国という国家の欠陥を自分たちが認識して、内在的な努力で構造をつくりかえたというわけではなくて、占領軍の手でその構造的欠陥の手術をしてもらい、それを日本国憲法と名付け、それを追認するというかたちで出来上がっているものなんです。

 

 

 

その戦後という社会に属する日本人が、自分たちの同時代の日本国を緊張感をもって維持しているかと言うと、それはたいへん疑わしい。ここで緊張感とは、自分たちの国家の主人であり主体であるという自覚をもって、憲法や国家機関の構造と機能に熟知し、それを注意して運用する感覚の鋭さ、確かさのことをいいます。

 

 

 

自動車に例えると、整備工のようにエンジンの音を聞き分けて運転し、だめな部品を取り換える態度が緊張感で、ただ漫然と乗客然として乗っているのではだめなのです。私は、その緊張感と主体性のなさは大日本帝国と同じだと思っているわけです。

 

 

 

そして、この戦後の日本国に立って、大日本帝国憲法の欠陥をあげつらい、とくに昭和天皇の戦争責任なんていうことを言うのは、まさに大日本帝国の欠陥を戦後日本において再生産する主体性のなさの表れだというふうに思っています。

 

 

 

だから、日本国民のディグニティ(dignity 尊厳・品位)にかけて、そういう主体性のない言説は終わりにしたいと思うんです。(略)

 

 

 

加藤 なるほど、政治と自分たちの関係をつくりなおすことが戦後の日本にとっては本質的な問題だというのには賛成です。

僕も橋本さんと同じで、大日本帝国の構造と同じ構造が戦後にもある、と思っています。これまで何年も同じ間違いをやってきたんだから、このあたりで次のステージに進もうよ、というkとおなんです。

 

 

 

ではその同じ構造とはなにか。山本七平が「現人神の創作者たち」で次のように言ってますね。

皇国史観と言われるものの核心として、自分が軍隊体験から受け取ったものは、軍隊の内務班的論理、

「どんなことであろう自分の信念を貫徹すればいいんだ」、「自分の正しいと思うことを徹頭徹尾突き進めばいいんだ」という考え方のことである。それは、これが軍国主義の時代にワーッと日本社会にでてきたときに、誰もそれに抗せなかった論理でもある。

 

 

われわれは、普通、それを精神主義などと言っているけれども、日本の場合、いつでも極限状況になるとこの頑冥で不思議な信念貫徹の姿勢がでてくる。自分は長い間、これは日本の伝統のなかのどこからでてくるものなのか、と思っていた。その原虫は、江戸の初期に現れる朱子学、とくに山崎闇斎の学派の極端なリゴリズムである。(略)

 

 

 

この山本氏の話が面白いのは、天皇制の問題の核心は、この「信念のためには死んでもためにはいい」というありかただ、と言っていることです。つまり、天皇制の問題というのは、大日本帝国から戦後日本に一貫しているものを象徴しているところがあって、天皇の戦争責任問題というのも、これを解決すると天皇制の問題が解決の緒につくと漠然と信じられているわけだけれど、まず、天皇制の問題がなんなのか、それを別の言葉に翻訳して、開くことが大切です。山本氏はそれを、僕の言葉でいうなら、「内在」的な在り方だ、と言っている。

 

 

竹田 ここまで言われてきたことを僕のなかでできるだけシンプルに受け取ると、「天皇の問題というのは、ようするに君と社会の関係を象徴するものだから、君も、一度だけはしっかり考えておくといいよ」という言い方になるのではないかと思う。(略)

 

 

アレントの「全体主義の起源」でフランス政府のパナマ運河疑獄のことがくわしく描かれているが、フランスでは政体は共和制に変わったが、社会の支配層は旧勢力がほとんど乗り替わっただけで、そのために利権の癒着構造が想像もつかないほどひどい状態で残っている。市民の主体性をたてまえとする市民革命を行った国ですら、そういう状態だった。

 

 

 

近代には近代特有のある普遍的な「うまくいかなさ」があるわけです。つまり、理念としての市民性と現実の社会や国家とのあいだには、理想的な緊張感があるのは稀で、むしろいつも矛盾や亀裂がある。大きなスパンでシステム全体として少しずつ合理的なものに進んでいくほかない。それをあまりに日本の特殊事情に還元すると、むしろ、近代社会のすすみ行きの全体像が見えなくなる。(略)

 

 

 

橋爪 じゃあ、私が緊張感という言葉をどういう意味で使っているのか、もう少し説明します。(略)

この構想のポイントは、欧米と正面から戦ってそれを乗り越えたいというところにはなくて、欧米と無関係になりたい、ということなんです。つまり、同時代の中に自分と異質なものがいて、多様な社会があって、共通の国際ルールがあって、そのなかで日本という独自な共同社会を運営していく、という緊張感に耐えることができなかったわけです。

 

 

自分がなにか意味のある中心になり、西欧はともかく、とにかくアジアである勢力圏(テリトリー)をつくりあげる。そこは他からの干渉を排除したエリアとして、天皇を中心とする空想的な共同体として、日本人だけが存在できる。そういう幻想の甘さに負けてしまったと思う。

 

 

では、戦後の日本はどうなっているかというと、独立国の形式をとりながら完全に独立していないという面があり、日本の外交関係や軍事的関係は、まずアメリカに包摂され、アメリカを通して国際関係のなかに位置づいている。

 

 

そして、世界の多様性にある意味で目をつぶり、パリやミラノやニューヨークという先進国の文明に対して一方的なあこがれを抱き、「日本の現状は、それよりも劣るけれども、まあ、いいや」というなぁなぁの安逸した共同社会であって、いっぽう、アジアや第三世界にはあんまり関心がないという、そういう段階になっていると思うんです。

 

 

 

けれど、これは水平な多様性をそのまま認識して、日本がどういうふうに行動していけばいいかと考えるやりかたとは全然違って、緊張感がないと思う。緊張感がないという意味は、同時代の多様性を引き受けて、そのなかのひとつとして日本の共同社会というものを維持する、そういう構想力がないということです。それは大日本帝国の場合と同じです。

 

 

加藤 じゃあ、どうすればいいのかな?

 

橋爪 それは、大日本帝国の失敗を、わがこととしてよくみつけることじゃないですか。

 

加藤 いま言ったことはよくわかった。だけど、僕のなかからは「緊張感がたりない」という言葉はでてこない。「緊張感のなさ」と言うと、なんか「緊張感がある」というような「あり方」をすいよせるような気がする。どうも精神主義に聞こえる。緊張感のなさに耐えていくほうが、いいんじゃないかな。

 

 

橋爪 天皇は、緊張感だけで存在しているようなものなんですよ。(略)

 

加藤 それは戦前の?

 

橋爪 戦後もそうかもしれない。(略)そういう意味では、日本人のなかではいちばん緊張感のあるポジションにいる。そうするとどういうことが起こるかと言うと、他の人たちは彼がそう言うポジションにいるおかげで、そこからいくぶん解放されて、それだけの緊張感をもたないですんでいる。それはいまもそうかもしれない。そうすると、彼に戦争責任がある、とかいう物言いというのは……

 

 

加藤 甘えてる?

 

橋爪 ええ。

 

(略)

 

 

 

加藤 すごく整理して答えると、こうなると思う。(略)

さて、いまの問いですが、僕はいまの戦後の日本社会には、ほぼ十二歳くらいの子供たちから九十歳くらいの老人までを貫く基本感情が浸透していて、それは、自分たちはいい加減だ、ウサン臭い存在だ、出発点からして汚れている、というような感情だろうと思っています。

 

 

 

それは、いまの学生も共有している。どうせ言葉なんてきれいごと、日本っておかしいよなー、といったニヒリズムの淵源でもあります。では、どうすればこの基本感情を解体できるのか。僕は、この感情の淵源は、戦後、戦争に敗れることで日本が抱えることになった難しい問題を日本の社会が自力で解くことができなかったことにあると思う。

 

 

 

そして、そのいちばんはっきりした現われのひとつが、戦後半世紀をすぎてなお、この国が近隣諸国、関係諸国、つまりどのような国とも、まともな信頼関係をつくりあげられないでいること、また、この国で政治が力を失って久しいことだと思う。

 

 

 

学生に聞かれたら、僕は、天皇の戦争責任の問題をはっきりさせることは、キミが社会と関係をもてないでいることの淵源に光を当てることでもあるんだ、と言うだろう。いまの日本の若者が自分と社会の関係をうまくとれないようになってしまっていることには情報社会化とか高度資本主義の問題とかいろいろ要員があるだろうけれど、やはり、この政治、言葉が、信頼をかちえていない、という戦後固有のニヒリズムが大きく作用している。その象徴が、結局、自分の戦争をめぐる考えを一言もいわずに死んだ昭和天皇の戦後のふるまいだった。(略)

 

 

 

僕達には、理念ってなんだろう、どういうふうにして人はそんなものをもつようになるんだろう、そういうことが――これは日本だけのことじゃないんだろうけど――よくわかってない。

 

 

 

だから、日本は理念をもつべきだ、なんて言うと、外務省をはじめとしていわゆる識者が、環境問題がいいかな、平和かな、自由にするか、などとこれを探し始めるわけです。でも、理念というのは、そういうもんじゃないだろう。じゃあどういうものか。

 

 

 

僕が考えるのは憲法天皇の関係です。いま憲法は有名無実になっている。皆が憲法を国の最高法規だといいながら誰もその最高法規の意味を信じていない。僕は憲法が国の理念として掲げている平和の追求というものを、もし徹底した吟味の末、はやり国家理念として「選び直そう」とくことになったら、そういうとき、それが自分たちの理念だと言えるんだと思う。(略)

 

 

―— 僕は第九条に自衛権を認めるという立場ですが、これについては後で言います――、などということが問題になる。つまりそこから実現困難な課題への向き合いというものが生じてくる。

 

 

そもそも憲法が有名無実なものであることの淵源に、憲法第一条の象徴としての天皇国民主権の規定と憲法の連合軍による下付、第九条の戦争放棄日米安保条約という二つのセットというかたちで敗戦の遺産があることを考えるなら、これは当然のことです。この遺産としての歪みを正そうとすれば、明治政府が前政体の幕末の遺産である不平等条約の撤廃のため、四十四年をかけたことが前例となる。

 

 

 

明治政府は治外法権の撤廃と関税自主権の回復を国家目標に掲げたわけでしょう。(略)明治政府が幕末の遺産をこれは不如意だと思い、是正しようとしたのに対し、なぜ戦後の政府と国民は、この敗戦の遺産を「是正すべきもの」とみなかったのか。僕はそこに、天皇憲法の問題、天皇と理念の問題が顔を出していると思うんです。(略)

 

 

竹田 (略)

僕は、以前、「文藝」に天皇論を書いたけれど、いちばんのポイントはそこで、天皇言説が日本の思想のあり方のひとつの象徴になっていて、悪者捜しになっているということです。「日本という国がこんなに悪いのは実は天皇(制)のせいだ」という言い方をいつまでも再生産することによってわれわれにとって必要な議論が飛んでしまっている。

 

 

 

後発近代国としての日本が特にどういう弱点をもっており、したがって、今後二度と戦争を繰り返さないということも含めて、そのために戦後の日本社会の基本像をどう構想するか、そういう議論がどこにもない。(略)

 

 

竹田 そこで忘れないうちに、橋爪さんだったら、若い人に「なぜ天皇の問題を考えなければならないのか」と聞かれたら、どういう言い方になるんだろう?

 

 

橋爪 天皇という存在は、日本という国に正統性を与えているわけです。日本という国が、この東経一三五度、北緯三六度にある島の上にあっていいというのはなぜかというと、そういう正統性を弁証してきた歴史と事実があるからです。だから、たとえばパスポートをもって外国に行く時に、「私は日本人です」と言うとすると、そういう歴史的経緯が全部ひっかかってくる。

 

 

 

他の国の人間と出会うときには、やはりそれを背負うわけです。「天皇のことは知りません」ではすまないわけです。なぜかというと、たとえばアメリカ人なら、アメリカという国の正統性や正統的な価値観、それにどう対処するかということを、教育でもそうだし、日常生活でもそうだし、つねに意識して生きている。

 

 

多くの国がそうですよね。けれども日本だけは、それをやらないようになっている。というか、それを議論すると、日本という国の正統性に複雑な亀裂を生じてしまうために、公的言論のなかでそれを徹底的に議論できない構図がある。そのくせ、天皇ってなんですかと聞く若者も含めて、ほとんどの日本人は、自分が日本人だということを疑いもしない。

 

 

 

日本人だということを疑いもしない自分のあり方が、国際的に見てまことに異様で例外的だということを、知りもしない。それが可能なのは、天皇がいるおかげなのです。

みんなが自分の足で立っているときに、日本人はひとに寄りかかっている。天皇の重心をあずけている。自分の足で立っていないのに、そのことに気づかない。それを私は、緊張感がない、と言ったのです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「戦争を裁くルール

 

(略)

加藤 (略)

罪の概念についてはヤスパースが次のように分類しています。まず刑法的な罪というものがある。これは法を破った罪で、裁判所が裁く。次が政治的な罪で、これは政治的共同体のリーダーに課せられる。ただし、近代国家の場合は、国民がリーダーを選んでいるわけだから、そのかぎりで国民も政治的責任を負う。(略)

 

 

三番目が道徳的な罪で、これは個人の良心が裁く。たとえば、親しくしていた人間から、「なんだ、君はそんな人間だったのか。僕はもういやだ。つきあいたくない」と言われ、離反される。道徳的な罪は、そういうように友人との交流、そして個人の良心が裁き手になる。

 

 

その他にもうひとつ、形而上の罪と呼ばれるものがある。これは人間相互間の連帯から生じる罪です。たとえば、見知らぬ人がガス室へ連れて行かれるところに、たまたま居合わせたとする。それに抵抗すれば自分の命も危ないかもしれない。そういうような場合でも、それを黙って見送ったら、彼は自分に罪があると感じるだろう。でも、その見知らぬ人をガス室に連れて行くのは自分ではないのだから、それは刑法的な罪でも政治的な罪でも道徳的な罪でもない。それ以外に罪があることをその事例は語っているというのです。

 

 

 

その罪は友人によって裁かれるのではない。

彼は、自分が自分をかえりみて、罪を感じる。その場合、その罪の審判者は神だ、とヤスパースは言っているけれど、それはアウシュヴィッツや広島の生存者について言われる生き残った者のうしろめたさに通じる罪の概念です。(略)

 

 

すると、こうなる。国内的には、天皇は法的には罪がありません。天皇は不可侵だという大日本帝国憲法を臣民は認めていますから。あと政治的な責任、これはあるけれども、それを言うなら同じように、こういう政治体制を選んで支持して来た国民も大なり小なり同罪だと言わざるをえない。

 

 

ですからこの次元で国民が天皇を糾弾するなら、外からの目に、それは五十歩百歩と映るでしょう。だから、これも前に言った国民の責任と天皇の責任の分担、分別の問題になる。これもそのような問題として考えることにします。すると最後になにが残るか。

 

 

人間宣言」によってこの天皇が「人間」になったことによって戦後、新しく生まれることになった責任が残る。たしかにここまでの天皇なら、天皇個人としても責任を問えることは少ない。でも、「この人は、こういうことをやって、いったいどう思っているんだろう」、「天皇をやめるならまだしも、こんなことをやって、そのあともずっと天皇を続けている。

 

 

この人はどう思っているんだろうな」、そういう問いを、戦後の国民は、人間宣言をしていまや人間になった天皇に感じることになる。つまり、国内的な道徳的な責任が残る。というか新しく生み出される。(略)」

 

 

〇ここを読み、

人間宣言」によってこの天皇が「人間」になったことによって戦後、新しく生まれることになった責任が残る。」

という文章にひっかかりました。

 

山本七平著「昭和天皇の研究」から引用します。

「天皇の戦争責任を論ずる人の言説に耳を傾けていると、時々、妙な気持ちになる。その人は「機関説否定・天皇絶対」を今でも裏返しに信じているような気がしてくるからである。」

 

つまり、加藤氏は、戦前、天皇は「現人神」だったという前提に立って天皇の責任を論じています。

でも、「昭和天皇の研究」の中で何度も書かれているように、天皇自身は、「天皇機関説」論者だった。「現人神」に祭り上げたのは、周りの人間と、それに乗せられた国民だった。

 

「竹田 橋爪さんの「日本国家には責任があるが、天皇にはない」という考えをもう少し端的に話してくれますか。

 

橋爪 いま加藤さんが提示されたかたちにそって完結に言ってみますと、戦前の憲法のもとで、何回も言っているように、天皇に法的責任はない。

政治的な責任については、天皇は本来政治的な存在でなく、政治的に行動すべき立場になかったのだから、政治的責任は生じようがない。

 

 

たまたま政治的に行動せざるをえない局面のなかでは、昭和天皇はベストの選択をしている。そういうふうにまず考える。かりに彼に政治的な責任があるとすれば、それは国家機関を構成する他の人々(本来政治的に行動すべき人々)にくらべてもっとも少ない。それは私に言わせれば、責任がない、というのと同じだと思う。

 

 

それから、道義的な責任ということに関しては、個人が個人に問うことだから、私にはなんとも言えない。天皇の道義的責任をどうしても追及するんだという個人がいた場合、私がそれをやめろと口をはさむつもりはない。けれど私は、天皇に道義的な責任があるという世論形成を、団体としての日本国民がやることには反対です。これは当事者とsちえの責任でやっていることにはなりませんから。

 

 

形而上学的責任については、私にはよく判らないが、昭和天皇は生涯を通じて、そうした実存的な問いと向き合っていた人物だという気がする。彼の寡黙は、私にはそう映る。

 

 

加藤 僕が言うのも道義的責任への世論形成ということではありません。国民の天皇に対するこの道義的な疑問を自分からは解かずに昭和天皇は死去した。残された戦後の国民には、この問題にどのような決着をつけるか、という課題が残された。(略)

 

 

橋爪 さっき軍隊の話をしましたが、それは古代や中世の歴史的な軍隊の話で、これはたいへんに具合が悪いものである。そこで、たぶんフランス革命がきっかけになっていると思いますが、市民社会というものができ、市民が税金を払うと同時に兵役の義務を負い、国民軍というものをつくって、国民国家を守るために軍隊を運用するというスタイルができてきます。

 

 

それまで軍隊は、絶対君主であり主権者である国王のもので、国王の傭兵であった時期が長かったわけですが、国民の利益を守るための軍隊になった。軍隊が市民を守る義務は、この時点で生じてきたと思う。(略)

 

 

橋爪 (略)

これは戦争のやりかたに関するルールであって、これに違反した場合、戦争犯罪というふうに考えられて処罰される。具体的には、軍は独自の法律と検察、裁判所をもち、軍法にそむく犯罪行為は、師団ごとの軍事法廷で処理される、という法体系をとったわけです。ですから憲兵もいる。これはもっぱら軍人を取り締まる警察官のようなものですね。(略)これが二十世紀の初頭の段階だと思う。

 

 

 

日清戦争日露戦争のときには、条約改正が済んでいなかったし、戦時国際法を守りつつ戦争をする能力があるということを証明する必要が大日本帝国にはあった。それで日本は、この戦時法規の遵守に関して非常に神経質になり、捕虜の虐待もなく、理想的に近い形で運営されたという実績がある。

 

 

これをみると、大日本帝国というのは、もともと戦時法規や国際法を守る能力のなかった国ではなくて、それが国益にかなうと思ったときにはそれを守ったわけです。

ところがその後、国際法規に関する教育がおざなりになり、日華事変以後はめちゃめちゃになった。一九四一年一月に定められた「戦陣訓」のなかの「生きて虜囚の辱めを受けず(=捕虜にならない)」という規定が強調されたりした結果、玉砕や捕虜虐待が続発した。こういう事実関係があったのです。

 

 

 

竹田 そうすると、日本国の戦争責任というのは、一言でいえばなんですか。

 

橋爪 一九四五年まで、にほんが理解していた戦争責任とは、戦時国際法を守るという責任だった。東京裁判のカテゴリーで言えば、戦時国際法に違反する戦争行為を命令すればB級、その命令を受けて実行すればC級、こういうことだと思う。(略)

 

 

竹田 確認したいのだけれど、日本が第二次大戦において、そういう国際法規を守らなかった、その点で戦争責任があるということ?

 

 

橋爪 明確な国際法上の責任としては、そこまでだと思う。日本が戦争を起こした事自体は、当時の国際法にてらして合法であったか非合法であったかは灰色だけど、日本は合法であると思って戦争をしている。その戦争をすべきでなかった、というふうに考えるならば、それは法的責任というよりも、政治責任ではないだろうか。

 

 

 

竹田 橋爪さんの結論としては?

 

橋爪 すべきでなかった戦争。

 

 

竹田 では、法的責任はないが政治責任はある、ということですね。(略)やっぱり戦争を起こした当事者が責任をとるべきでしょう?

 

 

橋爪 それはそうですけれど、端的に答えれば、それは日本が国家を運営する能力がなかったということなんです。戦争は、自国にも相手国にもコストの大きい、大変な出来事です。戦争を起こすからには明確な戦争目的と、どのように戦争を終結させるかという目算がなければならない。

 

 

 

そのどちらもはっきりしないまま、日本は戦争を引き起こした。ですから、日本が国家を統治する能力を強化する、これが責任に応える道であるわけです。

 

 

竹田 その責任は誰に対する責任ですか?

 

 

橋爪 国際社会に対する責任でしょう。

 

 

加藤 たとえば満州事変での中国などに対する責任は考える必要はないということですか?

 

 

橋爪 いや、それを含むでしょう。(略)

そこで、日本が植民地本国とのあいだで戦争を始めれば、植民地に侵攻し占領することは、合法的な戦争行為の一部となる。占領したら日本は、植民地本国の施政権を代行する。日本が避難されているのは、その際、日本軍が施政権をきちんと運用せず、現地住民を保護せず、虐待したからでしょう。

 

 

これに対して、満州事変、日華事変は、独立国である中国(中華民国)の一部を切り離して日本の勢力圏下におくことを目的とした陸軍の陰謀にもとづくもの(日本が中国に仕掛けた戦争)で、対米英開戦以降の南方作戦とは段違いに、侵略の名にふさわしいものだと言えると思います。(略)」

 

 

〇 「日本が国家を運営する能力がなかった」という文章に衝撃を受けながらも、やっぱりそうか…と納得もしました。あの原発事故の時にも、国家として対処する能力があぶなかしいと、まざまざと見せつけられました。

情報を隠蔽する。真っ当に対処しようとしている政権の足を引っ張る政治家がいる。

 

そして、今もこのコロナ禍で、国は先ず大企業を守ろうとしていますが、国はもともと多くの国民(人間)によって成り立っていることを忘れているようです。

今も「国家を運営する能力がない」ように見えます。

 

 

「加藤 (略)

つまり、ここにあるのは、日本のかつての行為を日本国民である自分がどう考えるかという問題です。そしてこれは、学術論文や法解釈の問題ではなくて、日本国民と近隣諸国の国民の関係を基礎として考えるべき問題なんです。それは、いま僕が彼らと対等で協調的な関係をつくりたいと意欲するから問題になってくる。

 

 

僕が日本という国の人間と、被侵略国の人間とのつきあいということを日本という国にとって非常に大事だと思う判断に立ち、以前相手に悪いことをしておいて、そのあとの謝罪、責任の明確化というあたりでやるべきことをやっていないということを、自分の審美眼からいって、嫌だと感じる。また、規範の意識としてもこれはよくないと思う。

 

 

そしてこれをどうにかしたいと考える。そんなふうに、現在の生きる経験のなかから、戦争にまつわる責任の問題は、その意味を汲みだしてくる。少なくとも、一般の、なんでもない人間が、この問題に関心をもつ順序は、こういうことだ。

 

 

 

隣人にはなんの関心もない、世界がどうなったっていい、と思っていたら、戦争責任なんて考える理由は出てこない。そのことをじっくり考えるべきだと思う。僕は戦争時の日本のアジアにおける行為は、侵略行為だと思っている。けれど、幸か不幸かそのときのレヴェルにてらしあわせて法的な網をかけてみると、これは犯罪行為を構成しない。

 

 

だから、問題は、そのことを理由に、「これには責任がない」と言うか、逆に、これが責任を構成するような論理を東京裁判の論理とは別に新しくつくり、「これは侵略行為であり、悪なんだ」と言うか、ということなんです。そのどっちかということが問われている。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「責任とは何か

(略)

橋爪 まず、個々人がお互いに責任を追及し合うのはなぜかというと、行為に先立って「自分はこう行動すべきである。相手はこう行動すべきである」という予測があるからです。そして、それが裏切られたときに、現状を追認しないで、「ああなるはずだったのに、なぜあなたはこう行動するのですか」と相手を問い詰めることになる。

 

 

 

これが責任の原型でしょう。つまり、そこには、実際に生じたのとは違った「あるべき状態」、「規範」というものがなければいけないし、それが共有されていないと、責任という問題は生じてこないわけです。ここに実にむずかしい問題がある。どういう範囲の人たちが、どういう状況下で規範をわけもつのか、この共同性がないところでは責任は追及できないわけです。

 

 

 

みんな勝手に利己的に自分の都合で行動していればそれでいいという状態を認めてしまえば、責任なんて問うても意味がなくなるわけですね。

そこで、そういう規範をわけもつ状態、ルールが生まれるためには、どういう条件が必要かというふうに考えてみると、いまルソーがひきあいに出ましたけど、たしかに合意からルールは生まれる。合意というのは、あらかじめ「こういう場合にはこうしようね」といろいろな場合について思考実験をし、ある範囲の人びとが意思を確認し合う。つまり約束する。そうやって「あるべき状態」を共有することにして、共同社会をつくりあげる。

 

 

 

これはひとつの合理的な考え方だと思う。しかし、ルソーの示したのはひとつの可能性にすぎない。社会のなかのルールは、そういう合意によって生まれるケースもあるだろうけれど、むしろ多くの社会のあり方は、そうではない。なぜそういうルールがあるのか、なぜある範囲の人たちがそのルールに属していて、別の人たちが属していないのかということが、全然、説明のないままずっとそこにあり続けるという状態のほうがむしろ普通ではないでしょうか。(略)

 

 

 

これも私にはなんの相談もないけれど、私の生きている社会を成り立たせるルールの来歴をたどるときにどうしてもたどらなければならない過去だから、不合理であっても自分の一部分として引き受ける。それは他のどんな社会に生まれた人々もみなそうだと思います。すべてが合意で形成されるというのは、それはルールを正当化するためのフィクションとしてはありうるけれども、社会の実態とは違うわけです。(略)

 

 

 

橋爪 次に起こってくるのは、ある範囲の人びとが(おそらくは慣習によって)ある具体的なルールに従っていたのだけれど、これが内側や外側から脅かされるということです。つまり、ルールがなくなってしまう危険ですね。内側からというのは、rule違反が累積するということで、殺人のような不法行為が増えてしまうことです。(略)

 

 

 

個々人は台頭なので、責任を追及すると言っても、相手に無理強いする方法がない。そこで、暴力をもちいても犯罪の責任を追及するという、刑法が必要になります。ルール違反を本人の意思にかかわらず処罰する、という責任追及の仕方が起こってくる。

この刑法は、処刑という、一方的に暴力を独占するかたちを必要とし、つまるところ権力になっていき、最終的には国家というものになっていくわけです。(略)

 

 

 

現実問題として、こういう原型的な国家がどこの社会でも、程度の差こそあれつくられていったと思います。これを認めないと、そのルールに従い、あるべき社会を実現するというスタンスでもって人間は生きていくことが出来なかったんだと思う。(略)

 

 

 

橋爪 ええ。

そうするとその次には、実際に権力を担う個人がいなければならないという問題が起こります。それも、はじめは仲間として生きていたはずの彼が、一方的に正邪を判断し、判決をくだし、あるいは戦争を始める、そういう権限をもった特別の個人になるわけです。そういう個人の出現はやむをえない。でも、その権力をもった彼が、実は、ルールに従うとはかぎりません。

 

 

そこで一般のひとびとにとっての最大の問題は、権力をもっている彼が、自分たちがルールであると思っていたものに従わなかった場合はどうしたらいいのか、ということになる。言い方を変えれば、権力をもっている彼が自分に命令をくだして、それが自分がルールだと思っているものと違った場合、従ったほうがいいのか従わないほうがいいのかという問題が起こる。これがたぶん、国家というシステムにつきまとういちばん苦しい問題で、ここから道徳と法律が分離するわけですね。(略)

 

 

橋爪 なぜこの話をしているかというと、それは大日本帝国の成り立ちというものを理解したいし、昭和天皇というものを理解したいからなんです。そしてこの話題は、日本が明治以後、また戦後に、どのような近代を営んできたのかという問題に直結する。

 

 

 

結論の先取りになるかも知れないけれど、私の観点をあらかじめ述べると、昭和天皇近代主義者であり、合理主義者であり、徹底して近代人であろうとした人物です。だから、大日本帝国立憲君主制の枠内で理解しようとし、その原理原則にのっとって行動した。近代のルールにのっとって行動することが、国家に対する自分のつとめだと考えた。

 

 

しかし、他の人々はかならずしもそういうふうに理解していなかった。昭和天皇がそこまで近代的だとは、想像できなかったんですね。じゃあどういう文脈で他の人々が理解していたかというと、大日本帝国憲法の背後に必ずしも文字に書かれていない部分、日本というルールを共有する共同体が伝統的に存在していたという非合理性を背後にしていたわけなんだけれども、それでもって昭和天皇をながめようとした。

 

 

 

それは大日本帝国憲法のいくつかの条文に表われているし、その背後にある思想にも表れています。明治維新や、その前にさかのぼるいろいろ歴史的な経緯の累積として、大日本帝国憲法があるのです。

一方で、大日本帝国憲法の範型となった西欧型の立憲君主国の主権や権力や責任のあり方についておさえるのと同様、もう一方でそれを受け取ったの本社会の特殊な文脈を理解しておかないと、そのはざまに立たされた昭和天皇がおかれた状況はわからないと思うわけです。(略)

 

 

 

加藤 僕はね、それは賛成だけれども、そのことの確認という要素を、この問題の考察の一番基本的な条件の中には入れない。いまの戦後の憲法は、戦前の大日本帝国憲法にくらべれば、国民主権の近代原理の基本はおさえている。僕はなにもこの戦後の近代的な観点で、戦前の事例をそのまま裁断するのがいいなんて言いません。その当時の了解の推移を確定することは大事だと思う。でも、それが当時の状況におかれた人間の行為として妥当だったかどうか、ということを判断する最終的な基準は、その戦後の近代的な観点にある。

 

 

 

橋爪 私の言い方だと、「戦後の近代的な観点」によって大日本帝国の妥当性や問題性を判断する、というふうにはならなくて、そもそも近代という観点によって大日本帝国ならびに戦後日本の妥当性や問題性を検証する、となるなあ。もちろん私も、戦後的な価値観を擁護したいし、もっと強固に推し進めたいと思っているわけです。

 

 

 

しかし、現状は大変不徹底である。不徹底である理由はいろいろあるけれど、たとえば天皇に戦争責任があるといういい方の中に、戦後的価値の不徹底をみることができる。そこで、戦後的な価値観には立つけれど、だからなおのこと、大日本帝国憲法が戦後的な価値観によるものとは別な構築物であるという側面をよくみておかないと、たとえば「近代化がたりなかった」とかいう形の糾弾になってしまい、天皇が個人として極限状況で個々の場面にどのように行動していたのかというぎりぎりの像が、正確に見えなくなると思うのです。

 

 

 

私に言わせれば、戦前、その制約の中でもっとも近代的に行動し、戦後日本を準備したのは昭和天皇なのです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「なぜ天皇の戦争責任について考えるのか

 

竹田 まず、この対談の発端について、簡単に述べておこうと思います。事の起こりはロンドンです。僕は、一九九八年から九九年にかけてイギリスにいましたが、橋爪さんが仕事でオーストリアに行かれて、その途中ロンドンに立ち寄って会いに来てくれました。

 

 

そのとき、この対談の話がでました。橋爪さんが言うには、加藤さんがある場所で「天皇に戦争責任はある」と発言していたのを聞いて、ぜひ話をしてみたいと思った。自分としては「天皇に戦争責任はない」と思う。他の人ならともかく、その仕事に一目おいている加藤さんとのあいだに考え方の違いがあるならば、その違いをはっきりさせておきたい。ロンドンで橋爪さんがそんなふうに言われて、では僕が司会役を引き受けましょうということで、この対談が実現したわけです。(略)

 

 

 

橋爪 では、まず私の基本認識から述べますと、いまの日本は端的に「停滞」していると思うわけです。これをなんとか先に進めたい、と私は思っているわけですね。

なぜ停滞しているかというと、次のような理由によります。私たちは、「戦後」という社会のなかにいながら、その戦後という社会の構造が掴めないでいる。

 

 

そしてそれを乗り越えるきっかけを自分の中にみつけられないでいる。それを先にすすめるためのひとつの大事な論点になるのが「天皇」だと思います。(略)

つまり、戦前と戦後を明確に区分したうえで、戦後社会の正統性をこれまで以上に主張し、しかも天皇の戦争責任は問わないという議論が可能だと思った。それをこれから証明しようと思うんですが、この直感がまず核になっているわけです。

 

 

 

天皇の戦争責任」というような問い方を終わらせることが、戦後を内側から乗り越えるためには必要な作業であるように思うのです。そしてそれが、戦後という時代にピリオドを打ち、日本の市民社会をさらに成熟させ、まともなものにするための、重要な第一歩となると思うのです。(略)

 

 

加藤 (略)僕は、新しく今回考えてみて、天皇の責任として最後に残る確信の問題は、戦争の死者、とくに兵士に対して、昭和天皇がいわば統帥権者たる一個人として道義的な責任を放棄したことなんじゃないか、と考えるようになった。僕個人としてというより、日本の戦後社会の問題として、そういうことがあるという考えにいたった。

 

 

僕はいま、いわゆるこれまでどおりの天皇の戦争責任なるものを、われわれが糾弾するというやり方は、もうやめたい、やめるべきだとすら思っています。これでは国民の責任がはっきりしないままだから。それと同時に、ほんとうのことを言うと、この問題の核心は、別の所にある。昭和天皇の戦争の死者に対する道義的責任、これをどう考えるか、という問題を僕たちが自分で解くこと、これが大事だというのが、僕が「天皇の責任はある」と言う時、いま頭にあるいちばん大きな内容だといえます。(略)

 

 

橋爪 いま、いろいろな話がでました。

最初に賛成する点を言っておけば、日本国民の責任というかたちで、天皇の戦争責任を考えていくことが重要であるいという点です。(略)そこで、その正統的な後継団体である日本国の、その実質的な主権者である日本国民がその責任を継承し、そのありかたを追及していくというのは、はずすことのできない基本的な考え方の筋道だと思う。だから日本国民は、戦争を行った当事者として、この問題を考えていくべきなんですね。(略)

 

 

私が「戦争責任がない」という場合は、これから証明すべき、論証すべき事柄として言いたい。日本国民が主体的に、正確に大日本帝国の行動の論理と内部構造を検討し、その結果、「天皇の戦争責任」というかたちに結論をもっていくのは正しくないと判断したというふうに議論を進めたい。そこで私は、いわゆる天皇擁護論や、天皇を政治的に利用したアメリカの占領政策から、「天皇に戦争責任はない」と言うのではなく、それとはまったく別の視点から、これを言いたいと思っているわけです。これが一点です。

 

 

つぎに、では「天皇に戦争責任がある」という立場に、いったいどれだけのリアリティがあると言えるのか、について。、いろいろな言い方がありますが、ひとつは「建前上、戦前は天皇が主権者となっていたのだから、戦争を起こしたり負けたりしたことについては、まずまっさきに主権者の天皇に責任があるのではないか」という言い方。

 

 

もうひとつは左翼の言い方で、「自分は天皇制に反対している。戦前であろうと戦後であろうと天皇は存在しないほうがいいわけだがら、戦争責任があるというかたちで天皇を糾弾し否定したい」という言い方。このどちらも、私がいま言った、天皇の戦争責任があるのかないのかをきちんと論証していくという態度からは遠いと思う。むろん、私は賛成できなかった。戦争責任を擁護する側にせよ、追及する側にせよ、私が納得できる考え方の筋道で議論を進めているものはなかったんですね。(略)

 

 

 

加藤 僕からの竹田さんの問いへの答えは、こうなると思う。まずなぜ戦争責任というものが問題になるのか、ということで、問題はふたつにわかれる。ひとつは竹田さんの言う、「戦争を始めた責任」が国際的なルール上、問題になるケース。もうひとつは、戦後の日本が近隣諸国と新たな関係をつくっていくに際して、共通了解の基盤をつくるうえで必要になる、いわばそのための侵略責任とそれへの謝罪の意思の明確化という戦争責任の問題のケースです。(略)

 

 

だから、問題は第二のケースにあると考えた方がよい。「まずはじめに、戦争責任というものをどう考えればいいか」。それにはむろん、東京裁判の時点での、大日本帝国の開戦責任、「平和に対する罪」など国際法上の問題というものあるけれど、いまの時点での対外的な責任の中心は、そこにはなくて、むしろ近隣諸国との関係をつくるうえでいま障害になっている、侵略責任のあいまいなままでの放置、ということにある。つまり、この戦争問題の厚生の出発点は、この戦争が総体として、近隣諸国への侵略の責任を問われなくてはならない戦争だと一方の日本人は感じ、いや、そうではない、ともう一方の戦後日本人が思っている、という評価に関するコンセンサスの不在にあると思う。(略)

 

 

橋爪 そうした認識や感覚はわかるし、私も共有しています。(略)

ただ、これをうまく言うのはとてもむずかしいことだと思います。

そこで、ちょっと別な言い方で言ってみますが、たとえば天皇の戦争責任を言い立てているものの代表として、井上清昭和天皇の戦争責任」、家永三郎「戦争責任」、吉田裕「昭和天皇終戦史」をあげてみましょう。

 

 

 

ここで述べられていることを、簡単にかみくだいて言うと、戦争をめぐる考え方の筋道に関してはだいたい同じなんです。(略)

そして、その責任を追及している著者、およびその背後にいる日本国民は、そのぶんだけ無責任というか、無当責になっている。

 

 

いわば戦後日本という安全な場所から、自分たちとは無関係な人々のこととして、戦争をした(あるいは、せざるをえなかった)大日本帝国を糾弾している。私に言わせれば、こんなことはなんの意味もない。

もし「天皇に戦争責任がある」と言うのであれば、一九四五年八月十五日、それ以前に言うべきです。それだったら緊張感もあり、現実的な態度であり、なにごとかであったと思う。

 

 

 

戦後の日本で何かを言うんだったら、戦後の日本国という国家がどのように動いているか、という現場の感覚をもって言うべきです。その感覚を抜きにして、終わってしまった戦争の責任を言うことに、私はとても不健全なものを感じる。なぜかというと、日本国と大日本帝国とのあいだには連続と不連続があるけれど、その不連続性だけを確認するために言っているわけで、連続しているという現実を見ないことになるからです。

 

 

そのことによって、戦後の日本国民が担うべき責任はなにかを考えていく、というプラスの方向を切り捨ててしまった。それは、現在の問題、たとえば自衛隊原発のような問題を考えるときの無責任な態度に直接つながっていると感じます。」