読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任 (まえがき―― 思想の敗北に抗する力)

竹田青嗣

 

この対談は、加藤典洋橋爪大三郎による、「天皇に戦争責任はあるのか」についての対決バトル討論である。わたしはこの対決討論の行司役を買ってでた。彼らの討論なら、これまで延々くりひろげられてきた「天皇」と「戦争責任」に関する議論とはまったく違った、新しい本質的な議論になるはずだと考えたからである。

 

 

私はこのバトル討論を、とくに若い人々に読んでほしい。「社会」、「国際問題」、「戦争」、「天皇制」といった問題がいろいろ気になるが、どうもすでにある議論がすんなりと胸に腹におさまらない、といった人々に読んでもらいたい。これは、なぜこれまでの「社会」、「戦争」、「天皇」の議論がどこか大上段で、自分の日常の存在の感度にまで繋がらないか、どう考えればそこに辿っていくべき道をみいだせるかを、かならず示唆してくれるような対談なのである。(略)

 

 

 

結局は、大山鳴動してネズミ一匹で、各論者のいわば政治的帰属を確定するだけの問いとなるからだ。つまりそれは、与えられた問題を追い詰めて、はじめに存在した問題のかたちを変容させながら、これをより本質的な問題へ鍛えていく、ということがむしろ不可能になるような「レトリカル・クエスチョン」であることが多いのである。

 

 

 

天皇制」と「戦争責任」の問題は、つまり、これまでずっとそのような二項対立的、二者択一的問題として機能してきた。ざっくばらんんい言ってそれは、論者にとっては、彼が「革新派」に属するか「保守派」に属するかによって、その答えがほぼ自動的に決定されるような問題として存在してきた。

 

 

また読者にとっては(とくに現在の若者にとって)、君は「戦争」という悪を犯した「天皇」や「日本」を擁護するのか、それともそれらに反対の立場をとるのか、といった、じつはかなりナイーヴな倫理決定を二者択一的に迫るような問題として機能してきた。

 

 

 

ようするに、はじめに「左より」か「右より」かという規定の態度や立場があり、さまざまな議論はその立場をただ支えるだけの「信念補強型」、「直観補強型」の議論でありつづけてきたし、現在もそうなのである。(略)

 

 

 

この核とはつまり、「戦争」や戦前の天皇制をもはや歴史記述としてしか知らない現代の若者が、自国の過去の歴史、日本という国家の国際的な位置などを、どのように自分の生の場所につなげるかたちで構想できるか、という問題なのである。(略)

 

 

私としては、同時代の事件や問題が、例の「二項対立」的議論の色彩を強めたらさっさとそこから撤退するのが賢明であると若い人たちに言いたい。この古くからの議論には、もはや「君はどちらの立場に属しますか」という態度決定を促す機能しか残っていない。そして「どちらか」に属したら、思想は敗北する。そこにもはや問題の核心は存在しえず、ただ心情的”倫理性”だけが生き延びているのである。

 

 

さて、「天皇」と「戦争責任」をテーマとする加藤典洋橋爪大三郎のこの対決討論は、一見、「天皇に戦争責任はあるか、否か」という二項対立的問いを形成している。しかし、すぐにわかるのは、ここではどちらの「立場」に立つかなどということが問題の中心をなしていない。

 

 

二人はいわば作業仮説的に対極の立場に立ち、この問題を、いまわれわれが「白紙」の状態から考え直すとして、どのような問題設定をおこなうべきか、という思考実験を競っているのである。(略)

 

 

 

われわれもまた、戦後思想が長く論じてきた一切の問題について、新しい問題設定を”作り出さ”なくてはならない。加藤、橋爪のここでの「天皇」と「戦争責任」の問いはその端緒に立っている。」

 

 

 

天皇の戦争責任

加藤典洋 橋爪大三郎 竹田青嗣 著 「天皇の戦争責任」を読みました。

とても、厚い本です。内田樹氏の「街場の天皇論」を探している時に、たまたま見つけて、橋爪大三郎さんの本だったので、読んでみたいと思いました。

 

また、加藤典洋氏のお名前は、あの原発事故当時、ネット上で何度か見かけて、いいことを言うなぁ、と思っていました。でも、著書は一冊も読んだことがありません。

 

天皇の戦争責任」などというテーマは、私のようなものが取り組めるような生易しいものではないと、最初からわかっていたので、多分途中で投げ出すに決まっている、と思いましたが、それでも、ほんの少しでも、興味を惹かれる部分があれば、いいじゃないか… とダメもとで読み始めました。

 

確かにとても難しく、三分の二位は、飛ばしながら読んだのですが、「昭和天皇の研究」「街場の天皇論」で、多少「天皇制への関心」が芽生えていたせいか、興味深く読めた所も多くあって、難しくわからないなりに、とても良い本だなぁ、と思いました。

 

というのも、この加藤氏、橋爪氏、竹田氏の議論が、良いのです。著名人の議論と言えば、あの田原氏の朝まで生テレビなどを思い出すのですが、私は最近はあの番組はもう見たくありません。頭がついて行けない、ということなのでしょうけど、心が苦しくなってしまい、嫌な気持ちだけが残ります。

 

でも、この三人の議論は、きちんと主張し、違いは違いとして曖昧にしようとしないのに、そのベースにとても真摯な誠実なものがあって、心打たれました。

ほんの一部だけでも、メモしておきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

少し観想

〇「日本的情況を見くびらない」ということ、ってどういうことなのかな、とずっと頭の片隅にあります。

 

そこで、少し思ったことを書いてみたいと思います。

私が以前、考えたことがある「日本的情況」は、「お見合い結婚」でした。

うちの親は「お見合い」で結婚しました。

特に難しい家柄ではなかったので、嫌々とか、渋々しょうがなく、

などということもなく、どちらも前向きに喜んで結婚したようです。

 

私が中学の時、母に対して、「なぜお見合いなんてことで、一生を共にする相手を決められるのか」と「お見合い結婚」を批判したことがあります。

その時、母がなんて言ったのか、正確には覚えていないのですが、「お見合い」という方法でしか結婚できない人がいる、というようなことを言われたような気がします。

 

私はそれに対して、反抗的に、「結婚は結婚したい(ずっと一緒にいたい)という気持ちが生じるからするもので、結婚という制度に従うためにするものじゃないと思う」というようなことを言いました。そして、実際に心の中では、「結婚したいと思う人に出会わなかったら、結婚などしない」と思っていました。

 

 

でも、その後、時が経ち、私の友人は、何故か二人とも、お見合いで結婚しました。

その頃から、少し考えが変わったような気もします。

そして、今、私は、この日本という国では、案外、「お見合い」というやり方は、

私たちの気質に合っているのかもしれない、と思うようになりました。

 

 

私自身、あまり社交的ではありません。人を信じることも頼りにすることも苦手で、

人懐っこさというようなものがありません。そんな私が結婚できたのは、多分、夫との出会いが、中学の時だったからだと思います。たまたまその時に出会い、縁があって、結婚することになりました。

 

でも、その時に出会いがなく、20代、30代、40代となってしまっていたら…

その後の生活を思い出すと、結婚しなかったかも知れない、と思います。

中学の頃、「結婚はずっと一緒に居たいと願うからするもの」と私は思ったのですが、それは、確かにそういう部分はあると思うのですが、でも、一緒に暮らすことで、一緒に居たいと願うようになる、ということもある、と今は思います。

 

 

一人で生きるよりも、二人で生きることで、苦労や煩わしさのようなものは増えるように見えて、ちょうど登山のように、その苦労が心の筋力を鍛え、達成感や成長に繋がることもあるのでは…。

 

内気で誰とでも簡単に打ち解けられない気質の人でも、(実際、私はそうなのですが…)、一緒に暮らすことで、なんとか親しくなり、家族になれる…。私はそうでした。そうならば、その可能性を拡げる「お見合い」というのは、日本人に合ってるシステムだったのかもしれない、と思います。

 

 

しかも、昔のお見合いは、「おせっかいなおばさん」が、どちらの家族や人柄もよく知っていて、あの娘さんとあの息子さんなら、きっといい夫婦になる、と見立てて、お世話してくれる…ということらしく、安心できたのでは、と思います。

 

日本的な社会がどんどん変わり、大事なシステムを失ってしまったんだなぁ、と感じます。

 

日本的情況を私は見くびっていた、そういうことなのかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街場の天皇論 (「日本的情況を見くびらない」ということ ―― あとがきにかえて)

〇 最後に「あとがきにかえて」のメモをして「街場の天皇論」のメモを終わります。

 

「1969年、私が予備校生だった頃、東大全共闘三島由紀夫を招いて討論を催したことがあった。(略)

三島由紀夫は「天皇」という一言があれば、自分は東大全共闘と共闘できただろうというその後長く入口に膾炙することになった言葉を吐いた。

 

 

 

だが、その言葉の含意するところが理解できるようになるということが日本における「政治的成熟」の一つの指標なのだということは理解できた。

記憶があいまいだったので、古書を漁って、討論の記録を手に入れた。改めて読み返してみて、私が胸を衝かれたのは、三島の次の発言である。いささか長いけど、引用してみる。

 

 

「これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂全学連の諸君が立てこもった時に、天皇という言葉を一言彼らが言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。常々言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。

 

 

これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。その共通要素は何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。この夢見ていることは一度もかなえられなかったから、戦前のクーデターはみな失敗した。

 

 

しかしながら、これには天皇という二字がついていた。それがいまはつかないのは、つけてもしょうがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。

 

 

これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなければならぬと私は信じている。それがくっついた時には、成功しないものも成功するかもしれないのだ。」(三島由紀夫・東大全額共闘会議駒場共闘焚祭委員会、「討論 三島由紀夫 VS. 東大全共闘」、新潮社、1969年、64-65頁)

 

 

この発言から私たちが知れるのは、三島が日本の政治過程において本質的なことは、綱領の整合性でも、政治組織の堅牢さでもなく、民衆の政治的エネルギーを爆発的に解発する「レバレッジ」を見出すことだと考えていたことである。そして、その「レバレッジ」は三島たちの世代においては、しばしば「天皇」という「二字」に集約されたのである。

 

 

あえて「世代」を強調したのは、三島と同世代の思想家たちはほとんど同じことを別の文脈で(しばしば「天皇」という語を伏せたまま)語っていたからである。」

 

 

〇「天皇」を持ち出すことで民衆のエネルギーを爆発的に解発できる、と考えたのは、戦前の陸軍のやり方に通じるものを感じます。以前、中学生の男子(今の私の夫)が、御巡幸で天皇を見た時に、涙が止まらなくなった、というエピソードを書きましたが、言葉にならない天皇への想いということでは、私の中にも、あるのかも知れません。

 

つまり、天皇を持ち出すことで、「なんだかわからないけれど」「訳が分からないうちに」爆発的なエネルギーで、どこかに持っていかれる感じは、今もあるような気がします。だからこそ、巧妙に「天皇」を持ち出し、「日の丸・君が代」を教育の中に根付かせようとするやり方に、漠然とした不安を感じてしまいます。

 

「「民衆の爆発的なエネルギーと触れ合うことのない政治は無力だ」という実感は、三島由紀夫吉本隆明も、あるいは江藤淳大江健三郎鶴見俊輔も持っていたと思う。

 

 

それも当然だと思う。この世代の人々は、おのれ自身の少年時代において、その「爆発的なエネルギー」のうちに巻き込まれて死ぬことを特に理不尽なことだと思っていなかったからである。「国家意思と直結した仕方で死ぬ私」という先取りされた死の実感をこの世代の人たちはその少年時代に原体験として有していた。

 

 

人によってはそれがエロティックな法悦をもたらしたかも知れないし、人によっては見を引き裂かれるような痛みをもたらしたかも知れないが、いずれにせよ、政治的幻想がおのれの固有の身体においてありありと受肉した経験というものを彼らは持っていた。そして、リアリティの絶対値においてそれに匹敵する経験を、彼らは敗戦後の日本ではついに見出すことが出来なかったのである。

 

 

 

三島由紀夫が東大全共闘の思想と運動のうちに、「勤皇の志士」と同質の政治的資質を見出したのは炯眼という他はない。というのは、戦後日本の政治運動のうち、ある程度の民衆的高揚を達成したものは、いずれも「反米愛国」の尊王ナショナリズムから大きなエネルギーを補給されていたからである。

 

 

60年安保闘争は表層的には日米安保条約という一条の適否をめぐるもののように見えるけれど、本質は「反米愛国」のナショナリズムの運動である。そうでなければ、あれほど多くの市民が仕事を休んでまで国会デモに駆け付けたことの意味は理解できない。

 

 

政治はもともと「常民」にとっては無縁のものである。外交条約の適否より「明日の米びつ」を心配するのが「常民」の真骨頂であり、そう言ってよければ、彼らの批評性の核心である。この批評性の前に一歩も退かない政治思想しか本当に社会を変えることはできない。

 

 

 

60年安保のときには少なからず非政治的な市民が政治化した。それを岸内閣の政権運営の粗雑さだけで説明することはできない。市民たちが立ち上がったのは、学生たちの「反米愛国」のうねりの彼方に「戦わずに終わった本土決戦」の残影を幻視したからである。

なぜ私がそんな危ういことを断言できるかと言えば、1968年の1月の佐世保での空母エンタープライズ号寄港阻止闘争のニュース映像をテレビで見た時に、17歳の私もそれに似たものを感じたことがあるからである。

 

 

テレビカメラが映し出していたのは、ヘルメットにゲバ棒で「武装」し、自治会旗を掲げた数千の三派系全学連学生たちの姿だった。私はその映像に足が震えるほどの興奮を覚えた。佐世保の現場と私のいる東京の家のリビングルームが「地続き」だということが私には直感された。

 

 

それはヘルメットが「兜」で、そこに書かれた党派名が「前立て」で、ゲバ棒が「槍」で、自治会旗が「旗指物」だったからである。(略)

 

 

カール・マルクスは「ルイ・ボナパルトブリュメール一八日」にこう書いている。

「人間は自分自身の歴史を作るが、自分が選んだ状況下で思うように歴史をつくるのではなく、手近にある、与えられ、過去から伝えられた状況下でそうするのである。死滅したすべての世代の伝統が、生きている者たちの脳髄に夢魔のようにのしかかっているのだ。

 

 

そして、生きている者たちは、ちょうど自分自身と事態を変革し、いまだになかったものを創り出すことに専念しているように見える時に、まさにそのような革命的な危機の時期に、不安げに過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣装を借用し、そうした由緒ある扮装、そうした借物の言葉で新しい世界史の場面を演じるのである。」(カール・マルクス、「ルイ・ボナパルトブリュメール一八日」、横張誠訳、筑摩書房、2005年、4ページ)(略)

 

 

 

そのような政治的意匠の働きを勘定に入れれば、三島由紀夫佐世保闘争の一年後に、全共闘の学生たちに向かって、「天皇という言葉を一言彼らが言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」と言ったのは決して突飛なことではなかったのである。

 

 

東大全共闘の学生の一人はこのとき、三島が「英霊の聲」などの作品を通じて天皇を美的表象として完結させようとしながら、その一方では、自衛隊体験入隊したり、楯の会を結成したりして、世俗的な天皇主義者的なふるまいをすることの首尾一貫性のなさを難じた。あなたは美的な天皇主義者なのか、それとも世俗的な天皇主義者なのかどちらなのかという鋭い指摘に三島は笑顔でこう応じた。

 

 

「いまのは、非常に勤皇の士の御言葉を伺って、私は非常にうれしい。(笑)あなたはあくまで天皇の美しいイメージをとっておきたいがために、私を書斎にとじこめておきたい。(笑)あなたの気持ちの奥底にあるものはそれだ。この尽忠愛国の志に尽きると思う。(笑)」(三島、全掲書、63頁)

 

 

 

三島のこの発言を学生たちはジョークだと受け取り、会場は笑いに包まれた。すると、一人の学生が苛立って「まじめに話せよ、まじめに!」と三島に食ってかかった。三島はやや色をなして、こう一喝した。

「君、まじめというのはこの中に入っているんだよ!言葉というのはそういうものだ。この中にまじめが入っているんだ。わかるか!」(同書、63頁)

 

 

 

三島と全共闘との「対話」は事実上ここで終わる。あとの天皇をめぐる思弁的な議論はつまびらかにするに足りない。それでも集会の最後に三島が語った言葉はやはり傾聴に値する。

「いま天皇ということを口にしただけで共闘するといった。これは言霊というものの働きだと思うのですね。それでなければ、天皇ということを口にすることも穢らわしかったような人が、この二時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、天皇なんて口から言ったはずがない。

 

 

 

言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言葉がどっかにどんな風に残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」(同署、120頁)

 

 

 

三島が信じようとしたのは学生たちの「憂国の熱情」である。古めかしい言葉だけれど、三島はたしかにそれを学生たちのうちに感知したのである。そして、日本社会においては、それしか地殻変動的な政治的エネルギーを備給する情念は存在しないのである。」

 

 

〇 「言霊」「憂国の熱情」「情念」という言葉しか「信じない」という表現に、やっぱり危うさを感じてしまいます。これを「凡人」が聞くと、熱情や情念をどう表現するか…というところに焦点が移ってしまい、大声で「情熱的に」訴えたり、「徹底的に」「とことんまで」…という芝居がかった演技の世界に入っていくのではないかと。

山本七平が批判したあの帝国陸軍の将校のように。

 

私などは、何故この「優秀な人々が」もっと「建設的に議論を重ね」「よりよい社会を積み上げて行こう」としないのかが、疑問ですし、悲しいのですが。

 

 

アメリカの属国として、大義なきベトナム戦争の後方支援をつとめ、ベトナム特需で金儲けし、平和と繁栄のうちに惰眠をむさぼっている日本人であることを学生たちは深く恥じていた。その恥辱と自己嫌悪が学生たちの学園破壊運動の感情的な動機だった。私はこの討論のちょうど一年後に同じキャンパスの空気を吸った。だから、全共闘の学生たちの屈託がどういうものか実感として知っている。

 

 

 

彼らが「自己否定」というスローガンを掲げたのは、国に大義がないとき、その国においてキャリアパスを約束されている人間にも同じく義がないと感じたからである。「邦に道あるに、貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦に道なきに、冨て且つ貴きは恥なり」(「論語」泰伯篇)という孔子の言葉を東大全共闘の学生たちはそのままほとんど愚直に受け止めたのである。

 

 

 

60年代末の学生運動がそれなりの政治的エネルギーを喚起できたのは「常民」たちを眠りから目覚めさせずにはおかない「尊王攘夷」の政治幻想に駆動されていたからである。それがついに学園から外に出て、市民社会に浸透することが出来なかったのは、学生たちの自己否定論につきまとう「君子固より窮す(君子は小人に先んじて受難する)という旧姓高校的なエリート意識の臭みのゆえである。絵解きしてみると、素材はずいぶん古めかしいのである。

 

 

 

養老孟司全共闘の運動がある種の「先祖返り」であることをその時点で察知した例外的な人である。養老先生は御殿下グランウンドに林立する全共闘戦闘部隊の鉄パイプを見たときに戦争末期の竹槍教練を思い出したと私に話してくれたことがある。それを聞いたときに、吉本隆明が転向について言ったのと同じことが全共闘運動についても言えるのかも知れないと私は思った。

 

 

学生たちがそれと知らずに、「過去の亡霊たち」に取り憑かれたのは、まさに「侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」

吉本は戦前の共産主義者たちの組織的な転向についてこう書いた。

 

 

 

「この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼の前につきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として、一度も対決されなかったことに気づくのである。」(「転向論」、「吉本隆明全著作集13」1969年、勁草書房、17頁)」」

 

〇 ここに並んでいる言葉のほとんどを、私は理解出来ません。全共闘的な活動とは別の所で生きていたから…、理解する能力がないということなのでしょう。

それよりも、この難しい話を読みながら、私が思うのは、あの「日本はなぜ敗れるのか」の中で、小松氏や山本氏が書いていた

 

そして将校すなわち高等教育を受けた者ほどメッキがひどく、従ってそれがはげれば惨憺たる状態であった。」と言う文章や

「理由は、一言で言えば「文化の確立」なく、「思想的徹底」のないためであったが、もっと恐ろしいことは、人々がそれを意識しないだけでなく、学歴と社会的階層だけで、いわれなきプライドをもっていたことであった。」

という文章です。

 

 

現在の社会で、首相がつく嘘を平気で許し、見逃すのを支えている人々が、「高等教育を受けた者」=「エリート」であることを思う時、どうしていつまでも、私たちの社会はこんなにも酷いままなのか、とがっかりしてしまいます。

 

「この言葉はそのまま全共闘の学生たちについても適用できるだろうと私は思う。彼らは戦前の共産主義者たちの「転向」を別の形で、皮肉なことに一場の成功体験として経験したのである。もしそうなら、その運動と思想が「日本的情況」内部的な事件として「思考の対象として対決される」ことが決してないのも当然である。

 

 

話を戻す。三島由紀夫が東大全共闘に向けて「私たちは同じ現実のうちにいる。同じ幻想のうちにいる。それを解き明かすキーワードは「天皇」だ」と告げた時には、18歳の私はその真意をはかりかねた。けれども、この言葉のうちには真率なものがあると感じた。

 

 

この言葉の意味がわかるようになりたいと思った。そして、「侮りつくし、離脱したと信じた日本的な小状況から、ふたたび足をすくわれ」る目にだけは遭いたくないと強く思った。」

 

〇 これは、具体的にどういうことなのか、いまいちわからないのですが…。先日、ニュース番組を見ていたら、保坂正康氏が、今の政府のコロナ対応は、太平洋戦争の時の日本軍のやり方に似ている、というようなことを述べておられました。

敵を知ろうとしない。状況を客観的に見ようとせず、主観的希望的観測を客観的事実だと思い込む。思い付きで行き当たりばったりの対応をする、と。

 

つまり、これほど時間が経ち、様々なことを経ても、私たちは、少しも「進化」していかない。何故なのか…。どうすれば、「進化」「成長」するようになれるのか…。

 

「予備校生だった私はそのまま立ち上がって、自宅近くの「神武館」という空手道場に入門した。数か月後に入学した大学でも空手部に入った。天皇制のエートスを理解するためには武道修業が捷径ではないかと直感したあたりは子供ながら筋は悪くない。けれども、大学一年の冬に三島由紀夫は割腹自殺し、私は暴力事件を起こして空手部を退部になり、武道修業を通じて天皇制的「情況」に迫るという少年の計画は水泡に帰した。

 

 

それから50年の歳月を閲した。その間、私は他のことはともかく、「日本的情況を見くびらない」ということについては一度も気を緩めたことがない。合気道能楽を稽古し、聖地を巡歴し、禊行を修し、道場を建て、祭礼に参加した。

 

 

それが家族制度であれ、地縁集団であれ、宗教儀礼であれ、私は一度たりともそれを侮ったことも、そこから離脱し得たと思ったこともない。それは私が「日本的情況にふたたび足をすくわれること」を極度に恐れていたからである。近代日本の知識人を二度にわたって陥れた「ピットフォール」にもうはまり込みたくなかった。(略)

 

 

これらを一読して私を「還暦を過ぎたあたりで急に復古的になる、よくあるタイプの伝統主義者」だと見なして、本を投げ捨てる人もいるかもしれない。たぶん、いると思う。こういう本を編めば、そういうリスクを伴うことはよく承知している。

 

 

 

けれども、長く生きてきてわかったのは、天皇制は(三島が言うように)体制転覆の政治的エネルギーを蔵していると同時に、(戦後日本社会が実証してみせたように)社会的安定性を担保してもいるということである。

 

 

 

天皇制は革命的エネルギーの備給源でありかつステイタス・クオの盤石の保証人であるという両義的な政治装置だ。私たち日本人はこの複雑な政治装置の操作を委ねられている。この「難問」を私たちは国民的な課題として背負わされている。その課題を日本国民はまっすぐに受け入れるべきだというのが私の考えである。

 

 

 

「はじめに」にも記した通り、ある種の難問を抱え込むことで人間は知性的・感性的・霊性的に成熟する。天皇制は日本人にとってそのようなタイプの難問である。

ここに採録したのは、その難問をめぐる思索の一端である。それが有用な汎通的知見を含んでいるかどうか、私には自信がない。せめて1950年生まれの一人の日本人が「天皇制的情況」とどう向き合ってきたのか、その民族誌的資料の一つとして読んでいただければ私としては十分である。(略)

 

 

         2017年7月        内田樹      」

 

 

〇私としては、「改憲草案の「新しさ」を読み解く ――国民国家解体のシナリオ」が、一番強く心に残りました。

これで、「街場の天皇論」のメモを終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街場の天皇論(改憲草案の「新しさ」を読み解く ―― 国民国家解体のシナリオ )

改憲が政治日程に上ってきている。2016年7月の参院選自民党が大勝すれば、今秋以降には国内での合意形成をめざした議論が始まるだろう。自民党改憲勢力がいったいこの改憲を通じて「何を」実現しようとしているのか、それをこの機会に確認しておきたいと思う。

 

 

自民党改憲草案については、さまざまな批判がすでになされている。個別的な条文ひとつひとつについての適否は専門家による議論に委ねて、私としてはこの改憲案に伏流している「新しいものの見方」についてだけ考えてみたいと思う。護憲派の論客の多くは、改憲案の「復古調」に違和感や嫌悪を覚えているようだが、私はむしろこの改憲案は「新しい」という印象を受けた。その「新しさ」とは何かについて書きたい。

 

 

 

まず、今日本のみならずグローバルなスケールで起きている地殻変動的な「潮目の変化」について押さえておきたい。大づかみに言えば、私たちが立ち会っている変動は、グローバル資本主義という「新しい」経済システムと国民国家という「古い」政治システムが利益相反をきたし、国民国家の統治システムそのものがグローバル資本主義の補完装置に頽落しつつあるプロセスのことである。その流れの中で、「よりグローバル資本主義に親和的な政治勢力」が財界、官僚、マスメディアに好感され、政治的実力を増大させている。

 

 

 

自民党改憲草案はこの時流に適応すべく起草されたものである。それは言い換えると、この改憲案には国民国家解体のシナリオが(おそらく起草した人間にも気づかれぬまま)書き込まれているということである。

 

 

国民国家という当知システムは政治史的には1648年のウェストファリア条約を起点とする近代の装置である。国境があり、官僚制があり、常備軍があり、そこに国籍と帰属意識を持つ「国民」というものがいる。生誕の日付を持つ制度である以上、いずれ賞味期限が切れる。だが、国民国家擬制的には「無窮」である。現に、あらゆる国民国家は自国の「年齢」を多めに詐称する傾向がある。

 

 

 

日本では戦前まで神武天皇の即位を西暦紀元前660年に遡らせていた。朝鮮の檀君王倹が王朝を開いたのは紀元前2333年とされる。自国の発祥を出来る限り遠い過去に求めるのは国民国家に共通する傾向である。

 

 

その構えは未来についても変わらない。国民国家はできれば不死のものでありたいと願っている。中央銀行の発行する紙幣はその国がなくなった日にはゴミになる。翌日ゴミになることがわかっているものを商品と交換する人はいない。だから、国がなくなる前日において貨幣は無価値である。残り日数を十日、二十日と伸ばしてみても事情は変わらない。

 

 

だから、国民国家の財政は「いずれ寿命が来る」という事実を隠蔽することによって成立している。

これに対して企業は自己の寿命についてそれほど幻想的ではない。

統計が数えるところでは、株式会社の平均寿命は日本で7年、アメリカで5年である。(この数字は今後さらに短縮されるだろう)。

 

 

グーグルにしても、アップルにしても、マイクロソフトにしても、それらの企業が今から10年後にまだ存在しているかどうか、確かな見透しを語れる人はいない。けれども、そんなことは企業経営者や株主にとっては「どうでもいいこと」である。企業が永続的な組織であるかどうかということは投資家にとっては副次的なことに過ぎない。

 

 

 

「短期的な利益を追い求めたことで長期的には国益を損なうリスクのあること」に私たちはふつう手を出さないが、この場合の「長期的・短期的」という判定を実は私たちは自分の生物としての寿命を基準に下している。私たちは「国益」を考えるときには、せめて孫の代まで、三世代百年は視野に収めてそれを衡量している。

 

 

「国家百年の計」という言葉はその消息をおよく伝えている。だが、寿命5年の株式会社にとっては「5年の計」が最大限度であり、それ以上の「長期的利益」は損益計算の対象外である。

工場が排出する有害物質が長期的には環境に致命的な影響を与えると聞いても、その工場の稼働によって短期的に大きな収益を上げることが見通せるなら企業は環境汚染をためらわない。

 

それは企業にとっては全く合理的なふるまいなのである。そして、これを倫理的に断罪することは私たちにはできないのである。なぜなら、私たちもまた「こんなことを続けると1000年後には環境に破滅的な影響が出る」と言われても、そんな先のことは気にしないからである。グローバル資本主義は「寿命が5年の生物」としてことの適否を判定する。国民国家は「寿命100年以上の生物」を基準にして判定する。それだけの違いである。

 

 

寿命を異にするだけではない。企業と国家のふるまいは、機動性の違いとして端的に現れる。

グローバル企業はボーダレスな活動体であり、自己利益を最大化するチャンスを求めていつでも、どこへでも移動する。獲物を追い求める肉食獣のように、営巣地を変え、狩場を変える。

 

 

一方、国民国家は宿命的に土地に縛り付けられ、国民を背負い込んでいる。国家制度は「その場所から移動することができないもの」たちをデフォルトとして、彼らを養い、支え、護る為に設計されている。

 

ボーダーレスに移動を繰り返す機動性の高い個体にとって、国境を超えるごとに言語が変わり、通貨が変わり、度量衡が変わり、法律が変わる国民国家の存在はきわめて不快なバリアーでしかない。できることなら、国境を廃し、言語を統一し、度量衡を統一し、通貨を統合し、法律を統一し、全世界を商品と資本と人と情報が超高速で行き交うフラットな市場に変えたい。彼らは強くそう望んでいる。

 

 

 

このような状況下で、機動性の有無は単なる生活習慣や属性の差にとどまらず、ほとんど生物種として違うものを作り出しつつある。

戦争が始まっても、自家用ジェットで逃げ出せる人間は生き延びるが、国境まで徒歩で歩かなければならない人間は殺される。

 

 

中央銀行が破綻し、国債が暴落するときも、機動性の高い個体は海外の銀行に預けた外貨をおろし、海外に買い整えておいた家に住み、かねての知友と海外でビジネスを続けることができる。祖国滅亡さえ機動性の高い個体群にはさしたる金銭上の損害も心理的な喪失感ももたらさない。

 

 

そして、今、どの国でも支配層は「機動性の高い個体群」によって占められている。だから、この利益相反は前景化してこない。奇妙な話だが、「國が滅びても困らない人間たち」が国政の舵を任されているのである。いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておいたヘリコプターで脱出できる船長」が船を操舵しているのに似ている。

 

そういう手際のいい人間でなければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込まれているのである。とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、機動性の多寡が国家内部の深刻な対立要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題化しない。

 

スタンドアロンで生き、機動性の高い「強い」個体群と、多くの「扶養家族」を抱え、先行きのことを心配しなければならない「弱い」個体群の 分離と対立、それが私たちの眼前で進行中の歴史的状況である。

 

 

 

ここでようやく改憲の話になる。

現在の安部自民党はかつての55年体制のときの自民党と(党名が同じだけで)もはや全くの別ものである。かつての自民党は「国民国家内部的」な政党であり、手段の適否は措いて、日本列島から出られない同胞たちを「どうやって食べさせるか」という政策課題に愚直に取り組んでいた。池田内閣の高度成長政策を立案したエコノミスト下村治はかつて「国民経済」という言葉をこう定義していせたことがある。

 

 

 

「本当の意味での国民経済とは何であろう。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億に千万人が、どうやって食べどうやって生きて行けるかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。

その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」(下村治、「日本は悪くない、悪いのはアメリカだ」、文春文庫、2009年、95頁)。

 

 

今の自民党議員たちの過半はこの国民経済定義にはもはや同意しないだろう。

「外国に脱出する者」をもはや現政権は「例外的」とは考えていないからである。今日の「期待される人間像」であるところの「グローバル人材」とは、「日本列島以外のところで生涯を過ごす」ことも社命なら従うと誓言した代償に内定をもらった若者のことだからである。

 

 

もう今、「この四つの島から出られないほどに機動性の低い弱い日本人」を扶養したり、保護したりすることは「日本列島でもないところでも生きて行ける強い日本人」にとってはもはや義務としては観念されていない。むしろ、「弱い日本人」は「強い日本人」がさらに自由にかつ効率的に活動できるように持てるものを差し出すべきだとされる。

 

 

国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が「弱い日本人」にも多少は分配されるかも知れないのだから。

改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。

 

 

 

人権の尊重を求めず、資源分配に口出しせず、医療や教育の経費は自己負担し、社会福祉には頼らず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の頤使に従い、一旦緩急あれば義勇公に報じることを厭わないような人間、それが「弱い日本人」の「強い日本人」に対する奉仕の構えである。

 

これが安倍自民党改憲を通じて日本国民に呑み込ませようとしている「新しいルール」である。

 

 

少数の上位者に権力・財貨・威信・情報・文化資本が排他的に蓄積される体制を「好ましい」とする発想そのものについて安倍自民党の考え方は旧来の国民国家の支配層のそれと選ぶところがない。だが、はっきり変わった点がある。それは「弱い同胞」を扶養・支援する「無駄なコスト」を最小化し、「すでに優位にあるもの」がより有利になるように社会的資源を傾斜配分することをあからさまにめざしているということである。

 

 

 

自民党改憲案を「復古」とみなす護憲派の人たちがいるが、それは違うと私は思う。

この改憲案は「新しい」。それはTPPによる貿易障壁の廃絶、英語の準公用語化、解雇条件の緩和などの一連の安部自民党の政策と平仄が合っている。

 

 

 

一言で言えば、改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)である。国民の政治的統合とか、国富の増大とか、国民文化の洗練渡河いう、聞き飽きた種類の惰性的な国家目標をもう掲げていない。改憲の目標は「強い日本人」たちそのつどの要請に従って即時に自在に改変できるような「可塑的で流動的な国家システム」の構築である(変幻自在な国家システムについて「構築」という語はあまりに不適当だが)。

 

 

 

国家システムを「基礎づける」とか「うち固める」とかをめざした政治運動はこれまでも左右を問わず存在したが、国家システムを「機動化する」、「ゲル化する」、「不定形化する」ことによって、個別グローバル企業のそのつどの利益追求に迅速に対応できる「国づくり」(というよりはむしろ「国こわし」)をめざした政治運動はたぶん政治史上はじめて出現したものである。そして、安倍自民党改憲案の起草者たちは、彼らが実は政治史上画期的な文言を書き連ねていたことに気づいていない。

 

 

予備的考察ばかりで紙数が尽き欠けているが、改憲草案のうち、典型的に「国こわし」の志向が露出している個所をいくつか示しておきたい。

一つは第9条「平和主義」と第9条の2「国防軍」である。

現行憲法の平和主義を放棄して、「したいときにいつでも戦争ができる国」に衣替えすることをめざしていることは改憲派の悲願であった。

 

 

現行憲法下でも、自衛力の保持と個別的自衛権の発動は主権国家としては当然の権利であると国民の大多数は考えている。だが、改憲派は「それでは足りない」と言う。アメリカの指揮で、もっと頻繁に戦争に参加するチャンスに恵まれたいと考えているからである。

 

 

 

国民を危険にさらし、国富を蕩尽し、国際社会に有形無形の敵を作り、高い確率で国内でのテロリズムを招き寄せるような政策が67年の平和と繁栄を基礎づけた平和憲法よりも「望ましい」と判断する根拠は何か。

 

 

 

改憲派はそれを「国際社会から侮られてきた」屈辱の経験によって説明する。「戦争ができる国」になれば、このいわれなき侮りはかき消え、国際社会からは深い敬意が示されるだろうと予測しているようだが、これまで日本が軍事的コミットメントをためらうことを不満に思い、しばしば侮言を浴びせてきたのは「国際社会」ではなく、端的にアメリカである。

 

 

 

ヨーロッパにもアジアにも、日本の戦争へのコミットメントが自由化することを歓迎する国はひとつとして存在しない。改憲派が仮想敵国とみなしている中国や北朝鮮はまさに平和憲法の「おかげで」軍事的反撃のリスクなしに日本を挑発できているわけで、9条2項はいわば彼らの「命綱」である。日本がそれを廃絶したときに彼らが日本に抱く不信と疑惑がどれほどのものか。

 

 

改憲派はそれも含めて9条2項の廃絶が「諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」ことだと考えているようだが、私にはその理路がまったく理解できない。「アメリカとの友好関係を増進し、アメリカの平和と繁栄に貢献する」ことを日本の存在理由とするというのが改憲の趣旨であるというならよくわかるが。

 

 

もう一つは第13条。現行憲法の第13条はこういう文言である。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。

 

 

自民党改憲草案はこうだ。

「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については、公益及び秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」

 

自民党案は「公共の福祉」という分かりにくい語を「公益及び公の秩序」というわかりやすい語に置き換えた。

「公共の福祉」は基本的人権を制約することのできる唯一の法的根拠であるから、それが「何を」意味するのかは憲法学上の最大の問題であり、現にいまだ一意的な定義を得ていない。

 

 

「公共の福祉」の語源は古くキケロに遡る。「民の安寧は最高の法たるべし(salus populi suprema lex esto)」。

salus populi を英語はpublic welfareと訳し、日本語は「公共の福祉」と訳した。あらゆる法治国家において、すべての法律・制度・政策の適否はそれが「民の安寧」に資するかどうか、それを基準に判定されねばならない。これは統治について久しく万国において受け容れられてきた法理である。

 

 

 

だが、ラテン語はsalusは「健康、幸運、無事、安全、生存、救助、救済」など深く幅の広い含意を有している。「民の安寧」salus populiは「志向の法」であるが、それが要求するものはあまりに多い。それゆえ、自民党改憲草案はこれを「公益及び公の秩序」に縮減した。「公益及び公の秩序」は確かに「民の安寧」の一部である。だが、全部ではない。

 

 

統治者が晴れやかに「公益及び公の秩序」は保たれたと宣している当の国で、民の健康が損なわれ、民の安全が失われ、民の生存が脅かされている例を私たちは歴史上無数に挙げることができる。だが、自民党案はあえて「民の安寧」を廃し、「至高の法」の座を「公益及び公の秩序」という、統治者がそのつど自己の都合にあわせて定義変更できるものに譲り渡した。

 

 

先進国の民主主義国家において、自由な市民たちが、強権によらず、自らの意思で、基本的人権の制約の強化と「民の安寧」の語義の矮小化に同意したことは歴史に前例がない。歴史上前例のないことをあまり気負いなくできるということは、この改憲草案の起草者たちが「国家」にも「市民社会」にももはやほとんど興味を失っていることを意味している。

 

 

 

「民の健康や無事や安全」を配慮していたら、行政制度のスリム化が進まない。医療や教育や社会保障環境保全に貴重な国家資源を投じていたら、企業の収益が減殺する。グローバル企業が公害規制の緩和や教育の市場化や医療保険の空洞化や雇用条件の切り下げや第一次産業の再編を求めているなら、仮にそれによって国民の一部が一時的にその健康や安全や生存を脅かされることがあるとしても、それはもう自己責任で受け止めてもらうしかないだろう。彼らはそう考えている。

 

 

改憲草案にはこのほかにも現行憲法との興味深い異同が見られる。

最も徴候的なのは第22条である。

 

「(居住、移転及び職業選択等の自由等)何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。これが改憲草案である。

どこに興味深い点があるか一読しただけではわからない。でも、現行憲法と比べると重大な変更があることがわかる。現行憲法ではこうなっている。

 

 

「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。

私が「興味深い」という理由がおわかりになるだろう。

その直前の「表現の自由」を定めた第21条と比べると、この改定の突出ぶりがうかがえる。現行憲法ではこうだ。

 

 

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。

改憲草案はこれに条件を追加した。

「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」。

 

 

第21条に限らず、「公益及び公の秩序」を保全するためには私権は制約されるべきだというのは自民党改憲草案の全体を貫流する基本原則である。それがなぜか22条だけには適用されていない。適用されていないどころかもともとあった「公共の福祉に反しない限り」という制約条件が解除されているのである。

 

 

 

起草委員たちはここで「居住、移転及び職業選択等の自由等」については、それが「公益及び公の秩序」と違背するということがありえないと思ったからこそ、この制約条件を「不要」と判断したのである。つまり、「国内外を転々とし、めまぐるしく職業を変えること」は超法規的によいことだという予断を起草委員たちは共有していたということである。

 

 

 

現行憲法に存在した「公共の福祉に反しない限り」を削除して、私権を無制約にした箇所は改憲草案第22条だけである。この何ということもない一条に改憲草案のイデオロギーははしなくも集約的に表現されている。機動性の高い個体は、その自己利益追求行動において、国民国家からいかなる制約も受けるべきではない。これが自民党改憲草案において突出しているイデオロギー的徴候である。

 

 

そういう文脈において見ると、9条の改定の意図がはじめてはっきりと了解できる。

改憲草案はあきらかに戦争に巻き込まれるリスクを高めることをめざしている。平和憲法下で日本は67年間、9条2項のおかげで戦争にコミットすることを回避できていた。それを廃するというのは、「戦争をしたい」という明確な意思表示に他ならない。

 

 

安倍自民党改憲で共同歩調をとる日本維新の会は、現行憲法をはっきり「占領憲法」と規定し、「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」とした。

感情的な措辞だが、「孤立と軽蔑」というのをいったいどのような事実について述べているのかが私にはわからない。

 

 

もし、北方領土や中国の領海侵犯や北朝鮮の恫喝について言っているのだとしたら、これらの問題において日本は別に国際社会では孤立していないし、すぐに軍事的行動をとらないことについて軽蔑されてもいない。北朝鮮の軍事的挑発に耐えているという点で言えば、韓国とアメリカの方が日本以上だと思うが、そのせいで米韓は国際社会で「孤立」しており、「軽蔑」されているという人に私は会ったことがない。

 

 

 

同時に「絶対平和という非現実的な共同幻想」という言葉がどういう現実を指示しているのかもわからない。「絶対平和」などと言う文言はそもそも日本国憲法のどこにもない。「日本国民は、恒久の平和を念願し」という言葉はあるが、「念願」している以上、それが非現実であることは誰にでもわかっていることである(すでに現実化している事態を「念願」するものはいない)。

 

 

 

戦後の歴代政府の憲法解釈も憲法学も国連も、自衛隊と個別的自衛権違憲として否定してはいない。「非武装中立」を訴えた政治勢力もかつては存在したが、今はほとんど存在感を持っていない。「絶対平和という非現実的な共同幻想」のせいで、日本がどのような損害を蒙っているのか、それを具体的に列挙してもらわなければ話が見えない。

 

 

まさか今更「湾岸戦争のとき世界の笑いものになった」というような定型文を持ち出すわけではないだろうが、もしかするとそれかも知れないので、一言記しておくが、湾岸戦争のとき日本が世界の笑いものになったのは、日本が巨額の戦費を供出したにもかかわらず当事国から感謝されなかったからである。

 

 

多国籍軍の支援を受けたクウェート政府は戦争終了後に、支援各国に感謝決議を出したが、日本の名はそこになかった。しかし、その理由は「国際社会の笑いもの」論者たちが言うように「金しか出さなかった」からではない。日本が供出した当初援助額1兆2000億円のうちクウェートに渡ったのは6奥000万円で、あとは全部アメリカが持っていったからである。

 

 

仮に国際社会がほんとうに日本を笑ったのだとしたら、それは、「国際貢献」という名分でアメリカにいいようにされた日本の外交的愚鈍を笑ったのである。

改憲派のトラウマの起源が湾岸戦争にあるのだとしたら、彼らの悲願はアメリカのするすべての戦争へ同盟国としてフルエントリーすることであろう。そのために戦争をすることへの法制上・国民感情のハードルが低い国に国を変えたいと彼らは願っている。

 

 

現行憲法の下で、世界史上例外的な平和と繁栄を享受してきた国が、あえて改憲して、アメリカにとって「使い勝手のいい」軍事的属国になろうと願うさまを国際社会は「狂気の沙汰」と見なすであろう。

 

 

私に反論するのはまことに簡単である。「日本が改憲して「戦争のできる国」になれば、我が国はこれまで侮辱して来た日本を尊敬し、これまで遠ざけてきた日本と連携するだろう」と誓言する国をひとつでもいいから「国際社会」から見つけ出して連れてきてくれれば足りる。そのときはじめて現行憲法が「孤立と軽蔑」の原因であることが証明される。

 

 

それでもこの妄想的な9条廃絶論にもひとつの条理は貫いている。それは「戦争のできる国」になることは、そうでない場合よりも国民国家の解体が加速するということであり、改憲論者はそれを直感し、それを望ましいことだと思っているということである。

 

 

 

「戦争ができる国」と「戦争ができない国」のどちらが戦乱に巻き込まれるリスクが多いかは足し算ができれば小学生でもわかる。「戦争ができない国」が戦争に巻き込まれるのは「外国からの侵略」の場合だけだが、「戦争ができる国」はそれに「外国への侵略」が戦争機会として加算される。

 

 

「戦争ができるふつうの国」と「戦争ができない変わった国」のどちらに生き残るチャンスが高いか、これも考えればすぐにわかる。「私がいなくなっても私の代わりはいくらもいる」という場合と、「私がいなくなると「私のようなもの」は世界から消えてしまう」と言う場合では、圧倒的に後者の方が「生き延びる意欲」は高いからである。

 

 

代替不能性、唯一無二性の自覚以上に人間の「何があっても生き延びようとする意欲」を賦活するインセンティヴはない。だから、国民国家の最優先課題が「国民国家として生き延びること」であるなら、その国は「できるだけ戦争をしない国」であること、「できるだけユニークな国」であることを生存戦略として選択するはずである。

 

 

 

だが、安倍自民党はそのような選択を拒んだ。改憲草案は「他と同じような」、「戦争を簡単に始められる国」になることをめざしている。それは国民国家として生き延びることがもはや彼らにとっての最優先課題ではなくなっているということを意味している。漫然と馬齢を重ねるよりはむしろ矢玉の飛び交う修羅場に身を置いてみたい、自分たちにどれほどのことができるのかそれを満天下に知らしめてやりたい。

 

 

そんなパセティックな想像の方が彼らを高揚させてくれるのである。でも、その高揚感は「国民国家が解体するリスク」を賭けのテーブルに置いたことの代償として手に入れたものなのである。「今、ここ」における刹那的な亢奮や愉悦と「国家百年の存続」はトレードオフできるものではと私たちは考えるが、それは私たちがもう「時代遅れ」な人間になったことを表している。

 

 

国民国家のような機動性の低い(というか「機動性のない」)システムはもう不要なのである。グローバリストが戦争を好むのは、彼らが例外的に暴力的であったり非人道的であったりするからではなく(そういう場合もあるだろうが)、戦争をすればするほど国民国家や領域国家という機動性のない擬制の有害性や退嬰性が際立つからである。

 

 

安倍自民党は(本人たちには自覚がないが)グローバリストの政党である。彼らが「はやく戦争ができるようになりたい」と願っているのは、国威の発揚や国益の増大だけが目的だからではない。戦争機会が増大すればするほど。国民国家の解体が早まるからである。

 

 

慢性的な国民国家の諸制度が溶解したとき、そこには彼らが夢見る「機動性の高い個体」たちからなる少数集団が圧倒的多数の「機動性の低い個体」を政治的・経済的・文化的に支配する格差社会が出現する。この格差社会では機動性が最大の人間的価値であるから、支配層といえども固定的・安定的であることは許されない。一代にして巨富をを積み、栄耀栄華をきわめたものが、一朝あけるとホームレスに転落するめまぐるしいジェットコースター的な出世と降位。それが彼らの夢見るウルトラ・モダン社会のとりあえずの素描である。

 

 

 

改憲草案がまず96条を標的にすることの理由もここから知れる。改憲派が改定の困難「硬性憲法」を法律と同じように簡単に改廃できる「軟性憲法」に変更したいと願うのは、言い換えれば、憲法が「国のあるべきかたち」を恒久的に定めることそれ自体が許しがたいと思っているからである。

 

 

 

「国のあるべきかたち」はそのつどの統治者や市場の都合でどんどん変えればよい。改憲派はそう考えている。

安倍自民党のグローバリスト的な改憲草案によって、基本的人権においても、社会福祉においても、雇用の安定の点でも、あきらかに不利を蒙るはずの労働者階層のうちに改憲の熱心な支持者がいる理由もそこから理解できる。

 

 

 

とりあえずこの改憲草案は「何一つ安定したものがなく、あらゆる価値が乱高下し、システムがめまぐるしく変化する社会」の到来を約束しているからである。自分たちがさらに階層下降するリスクを代償にしても、他人が没落するスペクタルを眺める権利を手に入れたいと願う人々の陰惨な欲望に改憲運動は心理的な基礎を置いている。

 

 

 

自民党改憲草案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろう。けれども、現行憲法国民国家の「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲草案にはもうめざすべき理想がない。

 

 

誰かが作りだした状況に適応しつづけること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちであれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲草案は謳っている。歴史上、さまざまな憲法草案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまり、「いかなる理想も持たないこと」)を国是に掲げようとする案はこれがはじめてだろう。」

 

 

〇 「国民を危険にさらし、国富を蕩尽し、国際社会に有形無形の敵を作り、高い確率で国内でのテロリズムを招き寄せるような政策が67年の平和と繁栄を基礎づけた平和憲法よりも「望ましい」と判断する根拠は何か。

改憲派はそれを「国際社会から侮られてきた」屈辱の経験によって説明する。「戦争ができる国」になれば、このいわれなき侮りはかき消え、国際社会からは深い敬意が示されるだろうと予測しているよう……」

 

と、書かれていて、この「侮られまい」としているということが、とても気になりました。というのも、「何故、国際社会から侮られているのか」もう少しきちんと考えたら良いのでは?と思うからです。

 

根拠を挙げて説明するだけの知識を持たない、そんなただの庶民の私にも、

今の安部政権=日本の官僚は、びっくりするほど愚かな政策を繰り返しています。

 

例えば、外国人労働者。彼らにとって、日本政府が自分たちをどう扱うか、というのは、まさに、日本人とはどういう人たちなのか、ということを骨身に染みて感じさせられるきっかけになるのではないでしょうか。

 

そこで、日本政府は、どう行動しているのか。私たちには、人権感覚はありません。冷血漢なのです。人間を人間扱いしません。あなたたちを道具のように奴隷のように扱います。と言い続け、そう行動しているのです。

 

こんな人が、身近にいたら、誰だって軽蔑するのではないでしょうか。

 

また、あの東日本大震災での原発事故の際には、本来、放射能の被害を最小にするために設置されていたSPEEDIのデータを官僚が隠したのです。これは、私たちは税金を費やしてSPEEDIを設置はしますが、それを使って国民を護るつもりは一切ありません、と宣言しているに等しい行為です。 

 

官僚として、というより人間として軽蔑すべき行為だと思います。

そのような「国策」を平然とする国、侮られて当然だと思います。

 

また、「日本はなぜ敗れるのか」から少し引用します。

 

「ドイツ人は明確な意図を持ち、その意図を達成するため方法論を探求し、その方法論を現実に移して実行する組織をつくりあげた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間でなく悪魔が発案したと思われるもので、その組織は冷酷無情な機械に等しかったとはいえ、意図と方法論とそれに基づく組織があったことは否定できない。


一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が、本当は何かを意図していたのか、その意図は一体何だったのか、おそらく誰にもわかるまい。


というのは、日華事変の当初から、明確な意図などは、どこにも存在していなかった。ただ常に、相手に触発されてヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。

 

これは、まさに、ここで内田氏も書いている、

「…… 誰かが作りだした状況に適応しつづけること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちであれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲草案は謳っている。」

 

という態度に等しい。つまり、あの第二次世界大戦での失敗から少しも学ばず、同じことを繰り返そうとしているのです。

 

 

〇「改憲派はそれを「国際社会から侮られてきた」屈辱の経験によって説明する」という内容について、この後読み始めた「天皇の戦争責任」の中に関連した部分があったので、

ここに、抜き出しておきます。

 

まず第一に、なぜいまの日本に軍隊がないかというと、それは戦争に負けたからです。日本は軍隊を運営する能力がない民族であり、非文明国であるというふうに理解されて、陸軍省海軍省が解体されたからです」

 

山本七平氏の著書を読むと、「軍隊を運営する能力がない民族」と思われてもしょうがないと思います。そして、その後も「なぜ軍隊を運営する能力がない民族」だと思われたかについて、理解できずにいるように見えます。

 

過ちを犯すのは恥ではないと思います。人は誰もが間違う。恥ずかしいのは、その過ちを認めることが出来ず、反省し改めることが出来ないことです。過ちを過ちと考えず、今また、同じことを繰り返そうとしている安倍政権と自民党、そしてその後ろにいる官僚や政財界の有力者たちの存在に心からがっかりしてしまいます。

 

これが日本民族なのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街場の天皇論(改憲のハードルは天皇と米国だ)

参院選挙で改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、改憲の動きが出てきたタイミングで、天皇の「生前退位」の意向が示されました。時期的に見て、それなりの政治的配慮があったはずです。2016年8月8日に放映された「おことば」をよく読み返すと、さらにその感が深まります。

 

 

海外メディアは今回の「おことば」について、「安倍首相に改憲を思いとどまるようにとのシグナルを送った」という解釈を報じています。私もそれが「おことば」についての常識的な解釈だと思います。

 

 

天皇はこれまでも節目節目でつねに「憲法擁護」を語ってこられました。戦争被害を受けた内外の人々に対する反省と慰藉の言葉を繰り返し語り、鎮魂のための旅を続けてこられた。

 

 

現在の日本の公人で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という内9条に定めた憲法尊重擁護義務を天皇ほど遵守されている人はいないと思います。国会議員たちは公然と憲法を批判し、地方自治体では「護憲」集会に対して「政治的に偏向している」という理由で会場の貸し出しや後援を拒むところが続出しています。

 

 

そういう流れの中で進められている安倍政権の改憲路線に対する最後のハードルの一つが、護憲の思いを語ることで迂回的な表現ながら「改憲には反対」というメッセージを発し続けてきた天皇です。

 

 

自民党改憲草案第1条では、天皇は「日本国の元首」とされています。現行憲法の第7条では、天皇の国事行為には「内閣の助言と承認」が必要とされているのに対し、改憲案では、単に「内閣の進言」とされている。これは内閣の承認がなくても、衆議院の解散や召集を含む国事行為を行うことができるという解釈の余地を残すための文言修正です。

 

 

なぜ、改憲派天皇への権限集中を狙うのか。それは戦前の「天皇親政」システムの「うまみ」を知っているからです。まず天皇を雲上に祭り上げ、「御簾の内」に追い込み、国民との接点をなくし、個人的な発言や行動も禁じる。そして、「上奏」を許された少数の人間だけが天皇の威を借りて、「畏れ多くも畏き辺りにおかせられましては」という呪文を唱えて、超憲法的な権威を揮う。

 

 

そういう戦前の統帥権に似た仕組みを安倍政権とその周辺の人々は作ろうとしています。彼らにとって、天皇はあくまで「神輿」に過ぎません。「生前退位」に自民党や右派イデオローグがむきになって反対しているのは、記号としての「終身国家元首」を最大限利用しようとする彼らの計画にとっては、天皇が個人的意見を持つことも、傷つき病む身体を持っていることも、ともに許しがたいことだからです。

 

 

「おことば」の中で、天皇はその「象徴的行為として、大切なもの」として、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う」ために「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」を果たすことを挙げました。それが天皇の本務であるにもかかわらず、健康上の理由で困難になっている。そのことが「生前退位」の理由として示されました。

 

 

象徴としての務めは「全身全霊をもって」果たさねばならないという天皇の宣言は、改憲草案が天皇をその中に閉じ込めようとしている「終身国家元首」という記号的存在であることをきっぱり否定したものだと私は理解しています。

 

 

「おことば」の中で、天皇は「象徴」という言葉を8回繰り返しました。特に重要なのは「象徴的行為」という表現があったことです。それは具体的には「皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」を指しています。けれども、よく考えると「象徴」と「行為」というのは論理的にはうまく結びつく言葉ではありません。「象徴」というのはただそこにいるだけで100%機能するから「象徴」と言われるのであって、それを裏付ける「行為」などは要求されません。

 

 

でも、天皇は「象徴的行為を十全に果たし得るものが天皇であるべきだ」という新しい考え方を提示しました。「おことば」は「御簾の内」に天皇を幽閉して、その威光だけを自らの政治目的のために功利的に利用しようとする人々に対する、天皇からの「否」の意思表示だったと私は思います。

 

 

 

2013年に開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し、両陛下が一瞬怪訝な表情を浮かべたことがありました。

 

 

それはこの「万歳」が両陛下に対する素直な敬愛の気持ちから出たものではなく、「天皇陛下万歳」の呪文を功利的に利用して、自分たちに従わない人々を恫喝し、威圧しようとする「計算ずく」のものであることが感じられたからでしょう。

 

 

今回も、自然発生的な敬意があれば、天皇の「おことば」に対して内閣が木で鼻を括ったようなコメントで済ませられるはずがない。天皇の本意のあるところをぜひ親しくお聞きしたいと言うはずです。でも、彼らはそうは言わなかった。「余計なことをして」と言わんばかりにあからさまに迷惑そうな顔をしただけでした。自分の政治的勢力を誇示するための装飾として「天皇陛下万歳」を大声で叫びはするが、天皇陛下ご自身の個人的な意見には一片の関心もない。

 

 

安倍首相のみならず、日本の歴史で天皇を政治利用しようとした人々のふるまい方はつねに同じです。天皇を担いで、自分の敵勢力を「朝敵」と名指しして倒してきた。倒幕運動のとき、天皇は「玉」と呼ばれていました。

 

 

二・二六事件青年将校たちは天皇の軍を許可なく動かし、天皇が任命した重臣たちを殺害することに何のためらいも感じませんでした。そのひとりの磯部浅一は獄中にあって、自分たちの行動を批判した昭和天皇に対する怒りと憎しみを隠しませんでした。磯部は「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という「叱責」の言さえ書き残しています。

 

天皇がどのように考え、どのように行動すべきかを決めるのは天皇自身ではなく、「われわれ」であるというこの傲慢さは明治維新以来の我が国の一つの政治的「伝統」です。「君側の奸」を除いて、天皇親政を実現すると言い立てている当の本人が「君側にあって、天皇に代わって天下のことについて裁可する権利」を要求している。

 

 

同じことは終戦時点でも起こりました。8月15日の降伏に反対して「宮城事件」を起こした陸軍省参謀たちは、「國體」護持のためには「ご聖断」に耳を傾ける必要はないと言い放ちました。

 

 

 

伊藤博文から現政権に至るまで、天皇を祭り上げ、神聖化し、天皇へのアクセスを(自分自身を含む)少数のものに限定しようとしてきた人々は、天皇が何をすべきかを決めるのは天皇ではなく、「われわれ」であると考えてきました。彼らは天皇の権威を絶対化し、天皇を「御簾の内」に隠し、その代弁者として、政府にも憲法にも掣肘されない、不可視の座に立とうとしたのです。

 

 

自民党改憲草案における天皇に関わる条項の変更も、めざしているのは二・二六事件磯部浅一や宮城事件の畑中健二と本質的には変わらないと私は思います。それは国家元首である天皇を、まずは憲法にも内閣にも議会にも掣肘されない絶対的存在に祭り上げる。それと同時に国民から隔離して、その意思を伝える手立てを奪う。

 

そうすることによって、天皇を絶対的権威者であり、かつまったく無力な彼らの「傀儡」として操作する。

 

 

2015年の安全保障関連法の成立で示されたように、あるいは改憲草案の「緊急事態条項」に見られるように、安倍政権ははっきりと立憲主義を否定する立場にあります。草案第98条の「緊急事態条項」はこう定めています。

 

 

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」。

 

 

こういう法律のつねですけれど、「等」という語の解釈は内閣総理大臣に一任されています。総理大臣はいかなる事態を「武力攻撃、内乱」に類する「社会秩序の混乱」であると認定するかについて判定する専権を有しています。緊急事態宣言の発令によって憲法は停止され、内閣が発令する政令が法律と同様の効力を持つことになる。

 

 

つまり、法の制定者と法の執行者が同一機関になる。そのような政体のことを「独裁制」と呼びます。緊急事態条項というのは言い換えれば「独裁制への移行の法的手続き」を定めたものです。

もちろん、それが独裁制の法的な正当化である以上、そこにはデュープロセスのようなものが装飾的文言として書かれてはいます。

 

 

 

緊急事態宣言は「事前又は事後に国会の承認を得なければならない」「百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」とありますが、よく考えればこれは空文に過ぎません。というのは、発令時点で国会多数派が政権与党であり、宣言に賛成して、憲法停止と独裁制の樹立を支持するならば、このあと宣言発令中はもう選挙は行われない。

 

 

議員たちは「終身議員」となり、彼らが100日ごとに宣言を延長すれば、憲法停止状態は適法的に未来永劫に続けることができるからです。

この独裁制を転覆するためには、国民にはもう院外での活動、政権批判の言論やデモという行動しか残されていないわけですけれど、それはまさに「社会秩序の混乱」を引き起こすものに他ならない。

 

 

緊急事態宣言を正当化するような秩序の混乱がなく、宣言が濫用されているという当の事実を指摘する人々の出現そのものが秩序の混乱と認定され、宣言の発令を正当化する。そういう出口のないループに国民は閉じ込められることになります。

 

 

改憲草案に透けて見えるのは、内閣総理大臣憲法に制約されない独裁者の立場に置き、内閣が法律を起案し、かつ執行する独裁政体を作るという夢想です。これは「法治国家」から、中国や北朝鮮のような「人治国家」への政体変換を意味しています。

 

 

しかし、果たして政体の変換がそこまで進むことを国際社会は拱手傍観しているでしょうか。中国や韓国はそのような独裁国家が必ず採用するファナティックなナショナリズムに警戒心を抱くでしょうし、国連をはじめとする国際機関も日本を「リスクファクター」とにんていするでしょう。

 

 

最も重要なのは「宗主国」米国がどうでるかです。オバマの「リバランス」戦略までの米国でしたら、中国や北朝鮮を牽制するために、日本と韓国との連携が重視されていましたが、トランプ政権のアジア戦略はまだよくわかりません。わかっていることはアメリカの「西太平洋からの撤退」が基本戦略であり、アメリカがこの地域でこれまで担ってきた軍事的な負担を日本や韓国や台湾やフィリピンといった同盟国に「肩代わり」させることをトランプ自身は求めているということです。そして尻に火がついたアメリカにとっては、「肩代わりしてくれるならどんな政体でも構わない」というのがおそらく本音でしょう。

 

 

私たちが経験的に知っているのは、アメリカは自国の国益増大に資するのであれば、同盟国がどんな政体であってもまったく気にしないということです。アメリカはこれまで同盟国として、フィリピンのマルコス政権を、インドネシアスハルト政権を、ベトナムのゴ・ジン・ジエム政権を、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)政権を、シンガポールリー・クアン・ユー政権を支持してきました。

 

 

いずれも米国の独立宣言や憲法の価値観と両立し難い強権的な独裁専権でしたけれど、ホワイトハウスは気にしませんでした。ですから、日本の政体が民主的であろうと、独裁的であろうと、アメリカの世界戦略に「役に立つ」ならアメリカは何も言わない。私はそう予測しています。

 

 

 

解釈改憲と安全保障関連法成立のせいで、自衛隊は米国にすれば使い勝手のよい「一」軍になりました。自衛隊員が危険な任務において米兵を代替してくれることをアメリカは歓迎しています。とはいえ、米国にとって日本はかつての敵国です。「同盟国」としてどこまで信頼できるかわからない。

 

「空気」一つで「鬼畜米英」から「対米従属」に一気に変わる国民性ですから、当てにはできない。ですから、米国内に「安保法制で取るべきものは取ったから、首相はもう少し米国の価値観に近い人間に変えてもらいたい」という考え方が出て来ても不思議はありません。

 

 

ですから、改憲日程が具体化すると「それは中国、韓国の対日感情を悪化し、西太平洋における地政学的な安定を揺るがすリスクになるから、自制してほしい」というメッセージがアメリカの政策決定にかかわるプラグマティックな知性からは出てくるはずです。

 

 

いずれにせよ、自民党が進めようとしている改憲の最後のハードルになるのは野党ではなく、天皇ホワイトハウスだというのが私の予測です。日本が民主主義の主権国家ではなく、君主制を持つ米国の属国であるという現実が、そのときに改めて露呈されることになるわけです。」

 

 

 

 

 

街場の天皇論 (「私が天皇主義者になったわけ」)

 

〇 ブログ「内田樹の研究室」以外のタイトルは、「あとがき」も含め12タイトルあるのですが、その中から、3タイトルだけ、メモしておこうと思います。

 

「Ⅰ死者を背負った共苦の「象徴」

   私が天皇主義者になったわけ

 

—— 2016年8月8日の「おことば」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。

 

 

昨年の「おことば」は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。

日本国憲法の公布から70年以上が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてきました。その年来がの施策をにじませた重い「おことば」だったと私は受け止めています。

 

 

「おことば」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾しています。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実戦は要求されない。

 

 

しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。そこで言われた象徴的行為とは実質的には「鎮魂」と「慰藉」のことです。

 

 

「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの慰藉とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「おことば」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。

 

 

死者たち、傷ついた人たちの傍らにあること、つまり「共苦すること(compassion)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。

憲法第7条には、天皇の国事行為として、法律などの公布、国会の召集、大臣や大使などの認証、外国大使や公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行ふこと」とあります。

 

 

陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示された。それは宮中で行う宗教的な儀礼に限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者の傍らに寄り添うことである、と。

憲法第1条は、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、われわれ日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。

 

 

天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。けれど、陛下は「おことば」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。日本国憲法下での天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。

 

 

「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、当然それなりの身体的な負荷がかかる。

 

 

だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。

「おことば」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言ったものがおりましたけれど、「おことば」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えません。

 

 

国会の召集や大臣などの認証や大使などの接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないからです。「全身全霊をもって」というのは「命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。

 

 

天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願することであること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上で、さらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と今ここで苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。

 

 

これを明言したのは天皇制史上はじめてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について自ら明確な定義を下したというのは、前代未聞のことです。

 

私が「画期的」と言うのはそのような意味においてです。

 

—— 天皇は非人称的な「象徴」(機関)であると同時に、人間的な生身の「個人」でもあります。象徴的行為では、天皇の象徴性(記号性)と人間性(個人性)という二つの側面が問題になると思います。

 

 

昭和天皇もそのような葛藤に苦しまれたと思います。大日本帝国憲法下の天皇はあまりに巨大な権限を賦与されていたために、人間的な感情の発露を許されなかった。だから、昭和天皇の心情がどういうものであったのか、われわれは知ることができない。開戦のとき、また終戦のとき、天皇がほんとうは何を考え、何を望んでおられたのか、誰も決定的なことは知りません。

 

 

けれども、日本国憲法下での象徴天皇制70年間の経験は、今の陛下に「自分の気持ち」をある程度はっきりと国民に告げることが必要だという確信をもたらしました。

 

 

 

天皇は自分の個人的な気持ちを表すべきではないという考え方もあると思います。そういう考え方にも合理性があることを私は認めます。けれども、政治に関与することのない象徴天皇制であっても、その時々の天皇人間性が大きな社会的影響力を持つことは誰にもとめられない。

 

 

 

そうであるならば、私たち国民は天皇がどういう人柄で、どういう考えをする方であるかを知っておく必要がある。「国民の安寧と幸福」に資するために天皇制はどのようなものであるべきかは、天皇制とともに、私たち国民も考え続ける義務ああります。法的に一つの決定的なかたちを選んで、その制度の中に皇室を封じ込めて、それで「けりをつける」というような硬直的な構えは採るべきではありません。(略)

 

 

しかし、国民が議論を怠っている間にも、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。

 

 

 

そして、その模索の結論が「象徴的行為」を果たすのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。私はこの解釈を支持します。これを非とする人もいるでしょう。それでもいいと思います。天皇制の望ましいあり方について戦後70年ではじめて、それも天皇ご自身から示された新しい解釈なのですから、この当否について議論を深めてゆくのはわれわれ日本国民の権利であり、また義務でもあるからです。

 

 

—— 象徴的行為は死者と自然にかかわる霊的行為です。これはシャーマニズム的だと思います。

 

 

 

どのような共同体にも共同体を統合させ、基礎づけるための霊的な物語があります。それについては、近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。それはアメリカであれ、中国であれ、ロシアであれ、変わりません。

 

 

天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今でも変わっていないと私は思います。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはまさにそのことだからです。

 

 

 

問題は、鎮魂すべき「死者」とは誰かということです。われわれがその魂の平安を祈る死者たちとはだれのことか。これが非常にむずかしい問題です。

伝統的に、死者の鎮魂において、政治的な対立や敵味方の区分は問題になりません。日本の伝統では体制に抗い、弓を引いたものをも「祟り神」として鎮めます。

 

 

崇徳天皇菅原道真や、平将門が祭神として祀られているのは、まさに彼らの荒ぶる霊を鎮めなければ、「祟り」をなすと人々が信じていたからです。死者はみな祀る。恨みを残して死んだ死者も手厚く祀る。死者を生前の敵味方で識別してはならないというのは、日本人の中に深く根付いた伝統的な死生観です。(略)

 

 

だからといって、「四海同胞」なのだから、人類誕生以来の死者すべてを平等に鎮魂慰霊すればいいというわけではない。それでは「国民統合」の働きは果たせない。象徴的行為の目的はあくまでも国民の霊的統合ですから、どこかで、ここからここまでくらいを「私たちの死者」として慰霊するという、鎮魂対象についてのゆるやかな国民的合意を形成する必要がある。

 

 

だからこそ、陛下は戦地を訪れておられるのだと思います。宮中にとどまったまま祈ることももちろんできます。けれども、それでは誰を慰霊しているのか判然としなくなる。戦地にまで足を運び、敵も味方も現地の非戦闘員も含めて、多くの人が亡くなった現場に陛下が立つのは、「ここで亡くなった人たち」というかたちで慰霊の対象を限定するためです。

 

 

 

日本人死者たちのためだけに祈るわけではありません。アメリカ兵のためにも、フィリピン市民のためにも祈る。でも、「人類全体」のために祈っているわけではない。そのような無限定性は祈りの霊的な意味をむしろ損なってしまうからです。死者がただの記号になってしまう。

 

 

だから、「敵味方の区別なく」であり、かつ「まったく無限定ではない」という二つの条件を満たすためには、どうしても現場に立つしかない。それが鎮魂慰霊のために各地を旅してきた陛下が経験を通じて得た実感だと私は思います。

 

 

鎮魂の儀礼が必要であるのはもちろん日本に限ったことではありません。他国には他国のそれぞれの霊的な物語がある。例えば慰安婦問題がそうです。日韓合意は日本との経済関係や軍事的連携を優先するという合理的な考え方に基づくものだったけど、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に」解決するには至りませんでした。

 

 

 

それは、韓国の人たちが「このような謝罪では、恨みを呑んで死んだ同胞が許さない」という死者の切迫を感じているからです。南京大虐殺でもそうです。問題は今ここの現実的な利害ではありません。慰安婦について強制連行があったかなかったか、南京で何人が虐殺されたのか、その事実が開示されなければ今ここで直ちに大きな被害を受けるという人がいるわけではありません。

 

 

でも、恨みを抱えて死んだ同胞の慰霊を十分に果たさなければいずれ「何か悪いこと」が起きるということについては世界中のどの国の人も確信を抱いている。

 

 

 

死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。その「浮かばれるか、浮かばれないか」という幻想的な判断が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという点では、実は古代も現代も変わっていないのです。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きに生きているのです。

 

 

現に、今でも建設現場では工事を始める前に地鎮祭というものを行います。これは土地の守に挨拶を送り、供え物をして、工事の無事を願う儀礼です。どんなゼネコンでも地鎮祭をなしで済ますことはありません。儀礼をしなければ「何か悪いこと」が起きるということを現場の人たちは知っているからです。

 

 

劇場でもそうです。どんな近代的な劇場でも、楽屋の入口には稲荷が勧請してあります。(略)

「死者をして安らかに眠らせる」ということは古代でも、近代国家においても、等しく重要な政治的行為です。「死者をして安らかに眠らせないと、何か悪いことが起きる」という信憑を持たない社会集団は存在しません。死者を軽んじれば、死者は立ち去らず、「祟り」をなす。

 

 

 

死者のために祈れば、死者はしだいに遠ざかり、その影響力も消えてゆく。何も起こらないようにするために、何かをする。それが儀礼というものです。死者を鎮め、死者をして死なしめること、それはあらゆる社会集団にとって必須の霊的課題なのです。そのことはわれわれ現代人だって熟知している。だからこそ、陛下は旅することを止められないのです。

 

 

—— しかし安倍政権の対応は冷ややかでした。

 

官邸には鎮魂や慰藉ということが統治者の本務だという意識がないからでしょう。天皇は権力者にとっての「玉」に過ぎない、統治のために利用する「神輿」でいいと、そう思っている。

 

 

僕は今の政権まわりの人々からは天皇に対する素朴な崇敬の念をまったく感じることができません。彼らはただ国民の感情的なエネルギーを動員するための政治的「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。

 

 

天皇を自分たちの好きに操るためには、天皇を御簾の奥に幽閉しておく必要がある。定型的な国事行為だけやっていればいい、個人的な「おことば」など語ってほしくない、というのが政権の本音でしょう。

 

 

何より今回、陛下がこれからの天皇制がどうあるべきかについてはっきりした「おことば」を発表した背景には、安倍政権が天皇制を含めて、国のかたちを変えようとしていることに対する危機感が伏流していると私は思っています。正面切って言われませんけれど、私は感じます。

 

 

—— 天皇陛下のおことばは、そもそも日本にとって天皇とは何か、という問題を提起していると思います。

 

 

この70年間、私も含めて日本人はほとんど「天皇制とはいかにあるべきか」について真剣な議論をしてきませんでした。それは認めなければならない。

私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。「天皇制廃止」を主張する人がまわりにいくらもいたし、冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。

 

 

 

それだけ戦時中に「天皇の名において」バカな連中がなしたことに対する恨みと嫌悪感が強かった。東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を口にする人はほとんどいませんでした。私もそういう環境の中で育ちましたから、当然のように「現代社会に太古の遺物みたいな天皇制があるのは不自然だ。何より立憲民主制と天皇制が両立するはずがない」と思っていました。

 

 

その頃に天皇制の存否についてアンケートを受けたら、「廃止した方がいい」と答えたと思います。

しかし、それからだんだん年を取り、他の国々の統治システムについて知り、自分自身も政治的なことにかかわるようになってくると、話はそれほど簡単ではないと思うようになりました。

 

 

 

ソ連や中国のような国家は、たしかにいかなるシャーマニズム的な要素も排して、すっきりと合理的な原理に基づいて統治されているという話になっている。でも、実際には、現世的な政治指導者がなぜか「国父」とか「革命英雄」とか祭り上げられて、神格化され、宗教的な崇拝の対象になっている。

 

 

どうやら、そういう「合理的に統治されている国」でも、霊的権威というものの支えがないと国民的な統合ができないらしい。そういうことがわかってきました。そして、現世的権威者が霊的権威者をも兼務するそういった国では、権力者は自動的に独裁者になり、独裁者の周辺には強者におもねる奸臣・佞臣の類が群がり、不可避的に政治がどこまでも腐敗してゆく。

 

 

アメリカやフランスの場合は、それとは逆に頻繁に政権交代が行われます。とりあえずは社会のあり方についての対立する二つの原理が共存し、矛盾、葛藤している。けれども、私の眼には、どうもこちらの方が住みやすそうに見えた。そういう国の方が、統治者が間違った政策を採択したあとの補正や復元の力が強い。

 

 

 

どうやら「楕円的」というか、二つの統治原理が拮抗している政体の方が「一枚岩」の政体よりも健全のようである。そう思うようになりました。

 

 

翻って日本を見た場合には、天皇制と立憲民主制という「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のヒメ・ヒコ制から、摂関政治征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。

 

 

 

この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。

大日本帝国の最大の失敗は、「統帥権」という、本来は天皇に属しており、世俗政治とは隔離されているはずの力を、帷幄上奏権を持つ一握りの軍人が占有したことにあります。

 

 

統帥権」というアイディアそのものは、伊藤博文たちが大日本帝国憲法を制定した時点では、天皇の力を政党政治から「隔離する」ための工夫だったのでしょうが、1930年代になって「統帥権干犯」というトリッキーなロジックを軍部が発見したせいで、いかなる国内的な力にも制約を受けない巨大な権力機構が出現してしまった。

 

 

そうすることで、拮抗すべき祭祀的な原理と軍事的な原理を一つにまとめてしまうという日本の政治文化における最大の「タブー」を犯した。それが敗戦という巨大な災厄を呼び込んだ。私はそう理解しています。

 

 

 

ですから今は、昔のように「立憲民主制と天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が政体として安定しており、暮らしやすいのだ」と説明するようにしています。

 

 

単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりも息苦しく、抑圧的で、そしてしばしば脆弱です。それよりは中心が二つある「楕円的」な仕組みの方が生命力も復元力も強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。

 

 

—— 「国体護持」ですね(笑)

 

「國體」という言葉に意味があるとすれば、この二つの中心の間で推力と斥力が作用して、微妙なバランスを保っている力動的なプロセスそのもののことと私は理解しています。日本の国のかたちを単一の政治原理に律された硬直的なものではなく、二力が作用しあう、ある種の均衡状態、運動過程として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的原理が拮抗し合い、干渉し合い、決して単一の政治綱領に教条化することもなく、制度として硬直化・惰性化することもないこと、それが日本の伝統的な「国柄」の望ましいかたちでしょう。

 

 

安倍内閣の大臣たちが言う「国柄」という言葉が意味しているのは固定的なイデオロギーによって締め上げられた抑圧的な政治支配のことですけれど、私はそういう単純で、硬直化した思考ほど、日本のあるべき「国柄」の実現を妨げるものはないと思います。

 

 

天皇制の卓越性ということを真剣に考えるようになったことの一因には、何年か前に韓国のリベラルな知識人と話した時に「日本は天皇制があって羨ましい」と言われたことがあります。あまりに意外な言葉だったので、「どうして、そう思うのか」と理由を尋ねるとこう答えてくれました。

 

 

「韓国の国家元首は大統領です。でも、大統領は世俗的な権力者に過ぎず、いかなる道徳的価値の体現者でもない。だから、大統領自身もその一党も権威を笠に着て不道徳なふるまいを行う。だから、離職後に、元大統領が逮捕され、裁判にかけられるという場面が繰り返される。(略)

 

 

 

それに比べると、日本には天皇がいる。仮に総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(無欠性)は損なわれない。そういう存在であることによって、天皇は倫理の中心として社会的安定に寄与している。それに類する仕組みがわが国にはないのです」と彼は言いました。

 

 

言われてみて、確かにそうかもしれないと思いました。日本でも総理大臣が国家元首で、国民統合の象徴であり、人間としての模範であるとされたら、国中が道徳的な無規範状態に陥ってしまうでしょう。

 

 

啓蒙思想の時代に、ジョン・ロックやトマス・ホッブズが説いた近代市民社会論は「自分さえよければそれでいい」という考え方を全員がすると社会は「万人の万人に対する戦い」となり、かえって自己利益を安定的に確保できない。だから、私権の制限を受け入れ、私利の追及を自制して、「公共の福利」を配慮した方が確実に私権・私利を守れるのだ、という説明で市民社会が正当化されました。

 

 

自己利益の追求を第一に考える人間は、その利己心ゆえに、自己利益の追求を控えて、公的権力に私権を委譲することに同意する。

「真に利己的な人間はある場合には非利己的にふるまう」という考え方です。

 

 

でも、私は今の日本社会を見ていると、この近代市民社会論のロジックはもう破綻していると思います。「このまま利己的にふるまい続けると、自己利益の安定的な確保さえむずかしくなる」ということに気づくためには、それなりの論理的思考力と創造力が要るわけですけれど、現代日本人にはもうそれが期しがたい。

 

 

しかし、それでもまだわが国には「非利己的にふるまうこと」を自分の責務だと思っている人が間違いなく一人だけいる。それだけをおのれの存在理由としている人がいる。それが天皇です。

 

 

 

1億2700万人の日本国民の安寧をただ祈る。列島に暮らすすべての人々、人種や宗教や言語やイデオロギーにかかわらず、この土地に住むすべての人々の安寧と幸福を祈ること、それを本務とする人がいる。そういう人だけが国民統合の象徴たりうる。天皇制がなければ、今の日本社会はすでに手の付けられない不道徳、無秩序状態に陥っていただろうと私は思います。(つづく)」

 

 

〇 「……日本には天皇がいる。仮に総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(無欠性)は損なわれない。そういう存在であることによって、天皇は倫理の中心として社会的安定に寄与している。……」という文章を読み、危ないなぁと思いました。

 

確かにそう考えたくなるのは、分かるし、実際、平成天皇はその「理想」を体現しようと頑張っておられたので、このような天皇制をもつ私たちの国は幸運だと感じました。

 

でも、私は「たかが人間」がそれほどすっきり「無欠性」を体現できるとは信じられないのです。Aさんから見て素晴らしいと思える長所が、Bさんから見て愚かしい欠点に見える、等のことは、簡単に生じてしまうのが、人間社会です。

 

天皇も一人の人間だとすれば、必ずその類の「ズレ」は起こってしまうはずです。

それを誰もが「素晴らしい」と思える「完全無欠な象徴」として存在させるには、

再び御簾の奥に幽閉する必要が生じてしまうと思います。

 

 

そして、また「大本営発表をする」マスコミが、「素晴らしい天皇陛下」と褒め称える情報で、国民の頭を洗脳するようになるのです。

 

私は「たかが人間」の天皇にそのような「無欠性」を求めるべきではないと思う。

天皇もただのヒトです。

ただ、文化を背負って、天皇という役割を果たしてくれる人、と考えないと、

また、同じ過ちを繰り返すと思います。

 

「(前よりつづく)

—— たしかに東日本大震災のとき、菅直人総理大臣しかいなかったら、もっと悲惨な状況になっていたと思います。

 

 

震災の直後に、総理大臣と天皇陛下のメッセージが並んで新聞に載っているのを読みました。まったく手触りが違っていた。総理大臣のメッセージは可もなく不可もない、何の感情もこもっていない官僚的な作文でした。けれども、天皇陛下のメッセージは行間から被災者への惻隠の情が溢れていた。

 

総理大臣のメッセージは「誰かにつっこまれないように」言い落としや言い過ぎがないことを最優先に配慮したものでした。査定されることを前提にして、そこであまりひどい点をつけられないために書かれていた。それが「官僚的作文」ということですけれど、そのような言葉が人の心に届くはずがない。

 

 

でも、それに対して陛下のメッセージは誰かに査定され、点数をつけられるということを想定していなかった。災害で苦しむ人たちへの共苦の思いが、何の装飾もなく、率直に記されていた。国難のときに、精神的な国民的統合の中心には陛下がいなければならないと私はそのとき思いました。自分の首を心配している政治家にはその役は務まらない。

 

 

 

—— 内田さんは天皇の役割について「権威」ではなく「霊的権力」「道徳的中心」という言葉を使っています。

 

 

勘違いしている人が多いのですが、道徳というのは別に「こういうふうにふるまうことが道徳です」というリストがあって、そのリストに従って暮らすことではありません。そう考えている人がほとんどですけれど、違います。道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のことです。

 

 

ある行為の良し悪しは、リストと照合して決められることではありません。短期的にはよいことのように思われるが、長期的には大きな災厄をもたらすリスクがあることもあるし、逆に短期的には利益が期待できないけれど、長期的には大きな福利をもたらす可能性があることもある。

 

 

 

結局は一番長いタイムスパンの中で今ここでのふるまいを考量できる人の判断が一番信頼度が高い。「一番長いタイムスパン」とは、自分が生まれる前のことも、自分が死んだあとのことも含めた長い時間の幅のことです。「私がこれをしたら死者たちはどう思うだろう」「私がこれをしたら未来の世代はどう評価するだろう」というふうに考える習慣のことを「道徳的」と言うのです。

 

 

道徳心がない人間のことを「今だけ、金だけ、自分だけ」とよく言いますけど、言い得て妙だと思います。(略)

ですから、次の選挙まで一時的に権力を負託されているに過ぎない総理大臣と、原理的には悠久の歴史の中で自分の言動の適否を判断しなければならない天皇では、そもそも採用している「時間的スパン」が違います。

 

 

安倍政権は赤字国債の発行でも、官制相場の維持でも、原発再稼働でも、要するに「今の支持率」を維持するためには何でもします。死者たちはどう思うか、未来の世代はどう評価するかというようなことは何も考えていない。「私の政策に不満があるなら、次の選挙で落とせばいい」というのは、たとえ今の政策が未来に禍根を残すことがあったにせよ、それについては何の責任も取る気がないと公言しているに等しいのです。

 

 

どれほど日本の未来を傷つけても、その責任は次の選挙での議席減(それに伴う影響力の減損)というかたちで果たされ、それ以上の責任追及には一切応じない、そう公言しているのです。

 

 

天皇の道徳性というのは、そのときどき天皇の地位にある個人の資質に担保されるわけではありません。千年、二千年という時間的スパンの中に自分を置いて、「今何をなすべきか」を考えなければいけない。そのためには「もうここにはいない」死者たちを身近に感じ、「まだここにはいない」未来世代をも身近に感じるという感受性が必要です。私が「霊的」というのはそのことです。天皇が霊的な存在であり、道徳的中心だというのは、そういう意味です。

 

 

 

—— 古来、天皇は霊的役割を担ってきました。しかし、そもそも近代天皇制国家とは矛盾ではないか、天皇と近代は両立するのか、という問題があります。

 

 

現に両立しているじゃないですか。むしろ非常によく機能していると言っていい。象徴天皇制日本国憲法下において、昭和天皇と今上陛下の思索と実践によって作り上げられた独特の政治的装置です。長い天皇制の歴史の中でも稀有な成功を収めたモデルとして評価してよいと私は思います。国民の間に、それぞれの信じる政治的信条とも、宗教的立場ともかかわりなく、天皇に対する自然な崇敬の念が穏やかに定着したということは近世以後にはなかったことじゃないですか。

 

 

江戸時代には天皇はほとんど社会的プレゼンスがなかったし、戦前の天皇崇拝はあまりにファナティックでした。肩の力が抜けた状態で、安らかに天皇を仰ぎ見ることができる時代なんか、数百年ぶりなんじゃないですか。

 

 

—— 最後に、これから我々はいかに天皇を戴いていくべきか伺いたいと思います。

 

私にはまだよくわからないです。世界中で日本だけが近代国家、近代市民社会の形態をとりながら古来の天皇制を存続させている。霊的権力と世俗権力の二重構造が統治システムとして機能し、天皇が象徴的行為を通じて国民の精神的な統合を果たしている。こんな国は見回すと世界で日本しかありません。(略)

 

 

かつてレヴィ=ストロースは人間にとって真に重要な社会制度はその期限が「闇」の中に消えていて、起源にまで遡ることができないと書いていました。親族や言語や交換は「人間がそれなしでは生きてゆけない制度」ですけれども、その起源は知られていない。

 

 

天皇制も日本人にとっては「その起源が闇の中に消えている」太古的な制度です。けれども、21世紀まで生き残り、現にこうして順調に機能して、社会的安定の基盤になっている。終戦後には、いずれ天皇制をめぐる議論で国が二分されて、社会不安が醸成されるというリスクを予想した人はいました。

 

 

でも、天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、50年前には誰一人予測していなかった。そのことに現代日本人はもっと驚いていいんじゃないですか。」