読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

敗戦後論

 

橋爪 靖国の話なんですが。

 

加藤 はい、どうぞ。

 

橋爪 二千万の他国の死者と、三百万の死者の後先のポイントを、まずちょっと言ってくださいませんか。

 

加藤 僕は、三百万の自国の死者と二千万の他国の死者という日本国内における二様の死者の分裂が、戦後日本が近隣諸国といまだに関係を築けない最大の理由だと思っています。その二様の死者の対立と言うか分裂を、もし解く仕方があるとしたら、これは三百万の自国の死者を先に立てる、つまり、三百万の自国の死者への向き合いを先にして、そのことを通じて二千万の他国の死者への謝罪へといたる、という順序しかないだろう、それがこの主張のポイントです。

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)

僕は戦後の日本がいまだに先の戦争で侵略行為を働いた近隣諸国と新しい関係を築けないのは、この日本に戦後日本という関係レヴェルでの主体が存在していないからではないかと思う。そのことをよく示すのが謝罪と失言の一対構造と僕が呼ぶものです。(略)

 

 

ですから、もし僕たちがその他国の戦争の死者に深い哀悼の意を表したいと思うなら、本当は、この自国の死者と向き合うこと、自国の死者との関係の自覚が、その後、他国の死者への謝罪を導く、というあり方が編み出されなければならない。(略)

 

 

橋爪 ただ、やはり、戦争の死者なわけです。戦争は国家の行為で、大勢の国民が共同で行うもので、そこには最低限の目的も最低限の組織もあるだろうし、そういう戦争と自分を関係づけて行動している死者たち個々人の意味付けもあったはずだ。もちろん死者たちの実像は多様にはきまっているけれども、しかし共通体験で、そこにはひとつのまとまりというものがあると思うわけですよ。だからこそ先ほどから述べているように「三百万の死者」という言い方でひとくくりにすることも可能になっていると思う。

 

 

 

そうだとすると、あまりに強引な靖国の英霊とか被害者とかいう言い方を離れ、かといって一人ひとりにあまりに子細に立ち入るのでもなく、三百万人を総体としてとらえるときに、いったいどんな比重で、どんな意味をもつものとして考えたならば、いちばん適切なのか。あるいは、そんな考え方というのは、そもそも成り立たないような現象なのか。そういう問いなんですね。

 

 

私はなんとなく、たとえば眼鏡をはずして机の上を見る時みたいに、ぼんやりしているけれども、そこになにかが存在しているという手応えだけははっきり感じられる。そういう焦点距離でもって捉えられる現象ではないかという気がするんですが。(略)

 

 

橋爪 大日本帝国が戦争をしているという事実があって、それを認識し、その戦争に主体的に関わらなければならないという役割も与えられて、それを引き受け、個人の都合とか、いやだという思いとかいろいろあるわけだけれども、死を覚悟してその戦場に赴いて、そして本当に戦死してしまった。そういう帰って来ない人たちであろうと思う。

 

 

その構造は、三百万人について共通しているから、きちんと取りだせるし、取りだすべきだ。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんの言う意味がわかったような気がする。(略)

たしかに彼らの当時の判断は、国家のいう嘘の情報に動かされ、この戦争の侵略的性格を見抜けなかった。彼らは間違い、そして戦場に行った。でも、彼らがいわば操作された情報と、孤立した国際環境のなかで、迷いつつも、最終的に戦争目的に協力しようとしたことを、そのことをもって戦後の自分たちが批判できるのだろうか。(略)

 

 

 

吉本隆明は、戦争の時、自分は国の為に死ねるかと考えに考えつめ、最後、死ねるという結論をえた。で、軍国青年として戦中を生きたけれど、戦後になって情報が開示されてみれば、その判断は完全に間違いだった。(略)

 

 

 

このことを、これまで言って来たこととつなげると、今住んでいるこの社会を少しでも住みやすいものにしようじゃないかというときに、その構想は、ふたつのスクリーンを持つと思う。ひとつは、共和制でもなんでもいいんですが、今の社会を最終的にもう少しいいものにしていきたいという未来に張られたスクリーン。

 

 

 

あともうひとつは、かつてこういうことがあったんだから、せめて今後はこういうふうにしていった方がいいじゃないかという過去に張られたスクリーンです。(略)

 

(略)

 

加藤 特攻隊の隊員は、今から考えたら不合理なことに同意して、そういうつもりで死んでいる。それについては、なんでこんな不合理なことに同意したんだろうというので、今考えると意味が宙に浮くということがあっても、かならずそれは彼に身を寄せて考えれば意味をたどれると思う。

 

橋爪 というと?

 

加藤 この人がこのときに、こういう状況の中で、こういうふうにして死んだ、ということの意味は、もしそれを考える材料が全部あるとすれば理解は可能なはずです。

 

(略)

 

 

加藤 (略)もちろんアメリカだったら、いまの価値観と五十年前の価値観がひとつにつながる形になっていて、それで自由と正義のためにわれわれは戦って、いまでも生きている。だから、五十年前の若者は、そのわれわれの価値観と同じ価値観のために死んだんだとなる。

 

 

だけど、日本の場合だと、五十年前に死んだ若者は、いまのわれわれの価値観とはまったく逆の価値観のために死んだということになる。

 

 

竹田 だから犬死だとか言われる。

 

 

加藤 けれど、彼らが間違った、そのことの動かしがたさ、ということをしっかり考えれば、それは犬死なんてことじゃけっしてなくて、ちゃんとした関係をつくれるし、そういう戦前と戦後のつながらなさの象徴である自国の死者との関係を編み出さないかぎり、日本は他の国との関係も作れないだろうと言っているんです。(略)

 

 

日本の戦後は、五十余年間続いてきて、戦前とねじれた関係のうちにあるけれど、そのねじれにストレートに対するなら、そこにいわば「つながらなさ」という「つながり」の種がちゃんと残っていることがわかる。それを見出し、ひとつの思想につくればいいんだということなんです。

 

 

橋爪 そんなに簡単につくれるとは思えないんだけど。

 

加藤 むろん簡単ではない。でも、不可能ではない。(略)

 

 

橋爪 だから私が、そこでストレートな関係を取りだすとすれば、次のようなかたちになる。

まず、大日本帝国の価値観やイデオロギーは、二重になっている。そのひとつは、大日本帝国が最低限、近代国家であるという条件があって、そこには臣民なり国民なりの権利・義務という関係があり、そして戦争も当時の合法的な手続きのなかで行われていた。

 

 

そうであれば、応召は公民の義務であると言わなければならない。一方、それとは別なレヴェルでもうひとつは、大日本帝国を成り立たせているいわば宗教的、神聖国家的なイデオロギーがあって、そこで語られる事柄や信念体系やいろいろなストーリーがある。(略)

 

 

 

そういう意味で言うと、これは日本近代という非常に大きなトンネルであって、三百万の死者たちはそのトンネルの中での犠牲者というふうに考えることが出来るんじゃないかと思う。しかもそのトンネルは、まっすぐに現在われわれの場所まで続いている。

 

 

 

加藤さんは「彼らが間違った、その動かし難さ、ということをしっかり考え」るという。それは吉本隆明さんのやり方でもあるけれど、そう考えているうちは戦前と戦後の連続性を取りだせないのではないかと私は思う。

 

 

 

加藤 (略)

僕にも橋爪さんの言いたい力点がだんだんわかってきた。つまり、ストレートにこの死者を意味づけるために、いままでふたつのあり方があったわけです。ひとつは、日本の戦争というのは正当だった。このままでは滅ぼされるかというところまで追いつめられて、最後に立ち上がったんだ。そのために死んだんだ。だから死んだ人間には意味があるんだ。われわれとストレートにつながっているんだ、というつなぎ方。

 

 

あともうひとつは、こういう人たちが死んで犠牲になった。そのうえに今の平和な自分たちがいるんだ。だから、この人たちのためにも、もう戦争をやるべきではないんだ。そういうかたちで、この死者には意味があるんだ、というつなぎ方。

 

 

 

それに対して橋爪さんは、それとは逆に、まったく違う第三のストレートな意味づけ方として、たとえばこういうつなぎ方が可能じゃないかと言っている。

僕はね、たしかにそれはあり得ると思う。僕の考えにもほとんど重なる。でもひとつ違う。それだと、先のふたつのつなぎ方は、解体されることにならない。(略)

 

(略)

 

 

 

加藤 僕から言わせたらね、橋爪さんは反文学のロマンチシズムなんだよ(笑)。僕の考えがロマンチックだなんて、そんなことじゃ全然ない。そんなこと言ったら似たようなもんだよ(笑)。(略)

 

 

 

文学的ということは否定しない。政治的とは違うあり方だからね。だけど、文学的発想というのは、否定してはいけないものなんですよ。いや、もうだいぶ疲れていて、離す気力も消えかかっているんだけど、……わかりました。一念発起して、そこのところを言ってみましょう(笑)。(略)

 

 

一例として、先に言ったけれど、戦争中の二十歳前後の吉本隆明が、特権的な環境にいれば、厭戦的な思想というものも見についたかもしれないけれど、そういうあり方よりは、特権的な環境から隔てられて、誤った考え方を強いられることの方に普遍性があると感じた、と書いていることなどを連想してもらうとよいと思います。

 

 

でも、この考え方の特徴は、これでどこまでも考え進めていくと、考える対象が他者との関係として成り立っている国際秩序とか、近代社会といった関係世界の領域に踏み込むところで、かならず間違う、ということなんですね。橋爪さんは先に僕の考え方は皇道派青年将校みたいだ、と言ったけれど、皇道派の思考の本質はやはり「内在」ということですから、それはそのかぎりで当たっているんです。

 

 

 

もっと言うと、さきに山本七平氏の「現人神の創作者たち」にふれて、山本七平は、皇国思想の本質は、この信念のためには死んでも可なり、という自閉的な態度であって、その淵源は朱子学山崎闇斎あたりである、とみているという話をしたけれど、僕の考えは、それはむしろこの「内在」というあり方を本質としている、そしてその淵源は闇斎ではなく宣長なのではないかというものです。(略)

 

 

 

攘夷思想というのは、自分たちはなにも悪いことはしていない。そこに外国人が勝手に開国せよ、と要求して国内に入って来た、しかも彼らは中国をも植民地にしている、悪いことをしている、というんですから、正義の思想なんです。

 

 

でもこの朱子学的世界観に培われた正義の思想は、だからというので、生麦事件を起こして、薩英戦争をやってみると、一方的に敗れる。内在的な正義を言い立てているだけでは植民地にされてしまう。ではどうするか、という問題がはじめてこのとき、内在の思想に現れるんですね。

 

 

でも、この内在の思想は、こういうところまでいかないと、別の考えに「転轍」しない。そこまでいって、国内の攘夷思想の急先鋒だった薩摩と長州が、攘夷行動に突出し、こてんぱんにやられ、まず真っ先に開国思想に「転轍」する。

 

 

 

吉本さんは、戦争で考えに考えつめて、この戦争のために死ねる、と思ったけれども、終わって見たら、まったくわかっていなかった、と思った。そして吉本さんは、加藤さん、文学的発想ではダメなんだっていうことが自分の戦争の教訓なんですよと、橋爪さん、竹田さんと一緒にやった座談会(本書121頁「注」参照)で僕に言われた。

 

 

それはそのとおりで、この「内在」の方法というのは、それだけではダメだ、これが宣長以来の教訓、明治維新、この前の戦争を通じての教訓なんです。だけど、僕の考えでは、だからといって吉本さんの言い方が当たっているとも言えない。

 

 

そうだとしても、文学的発想、この「内在」の方法を否定しちゃいけないというのが僕の考えで、この「内在」から始まり、間違う、そして「関係」にめざめる、という道筋には普遍性というか必然性がある、そう考えるべきだと思うんです。(略)」

 

(〇太字にしているのは、私がなるほど…と感じた所です。)

 

「「関係」の意識というのはなにかといったら、「内在」でどんなに「真」や「信」がつかまれたとしても、関係の世界というのは、そういくつもの「真」や「信」が角遂しあうところなんだから、それでは通用しない、それは無効だという自覚です。

 

 

「関係」の世界というのは、ちょうどあの国際法が生み出されてくる三十年戦争の世界と同じで、「真」や「信」では解決がつかない、とにかくそれは脇においておいて、合意と調停の道を探そう、という「真」や「信」から切り離された世界、「関係」から価値をつくりだしてゆく世界のことなんです。(略)

 

 

 

吉本さんは、その「関係」の世界の場所から、「文学的発想」、「内在」はダメだ、と言う。でも僕は、それは違っているので、「文学的発想」から人が考えることには必然性がある、しかし、それだけでいったら、かならず間違う、というようにこれを言いなおすべきだと思っているわけです。(略)

 

でもそういうことじゃない。ある事象を外から見て、なんだ、間違っているじゃないか、と言うだけでは、西欧世界が未開の世界を見て、なんて野蛮なんだ、というのと変わらない。外から、ある事象、そこに人が生きている内部事象をみるには、そこに生きている人間にその事象は内部事象として存在している、つまり外部から見るのとは別にみえている、ということを繰り込まなくては、みたことにならない。

 

 

つまり自国の死者を否定して他国の死者に謝罪するような謝罪は、実は他国の死者をすらみていないということなんです。(略)

「三百万の自国の死者」に向き合うことが、「二千万の他国の死者」への謝罪、という場所にいく、唯一の入口なんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「(つづき)

加藤 なるほど、少し橋爪さんの言いたいことが分かった気がする。もっともっと天皇以外の問題点を戦前の日本について本気で考えようよ、天皇に責任があると言っているあいだは、本気で機構の問題とか、制度の問題とかの検討は着手されないですよ、ということじゃないかな。それは大事なポイントです。(略)

 

 

 

橋爪 現憲法下においては、天皇は国民統合の象徴であり日本国の象徴であるわけだから、日本国の内部においては天皇に対しても当然、敬意を払う。そかしそれは、憲法を改正することを考えない、ということを意味しているわけではないから、私は同時にたとえば共和主義者でもあ(りう)る。(略)

 

 

加藤 ようするに、自分は共和主義者だということと、いま象徴天皇制があるということの関係を、戦前の失敗にてらして、たとえば橋爪さんだったらどんな風に言うのかな、という疑問なんですけど。

 

 

 

橋爪 共和主義者であることと、象徴天皇制を認めていることの間に距離はあるけれど、それはきわめて小さいと思う。それに比べれば、たとえば戦前の日本で、共産主義者であるのに召集令状がきたというような場合の信念の分裂のあり方ののほうが、めちゃめちゃに大きいと思う。(略)

 

 

橋爪 天皇というシンボルのまずい点をあえて言えば、日本国の天皇を遡っていけば、大日本帝国になり、明治専制国家になり、江戸幕藩制下における天皇家になり、さらにずっとさかのぼって、最終的には「古事記」「日本書紀」の神話世界までいくでしょう。

 

 

天皇というのは、日本における土俗的な王権であって、「日本書紀」をみても、台湾も朝鮮半島も中国もとくにでてこなくて、日本列島だけが出てくるように記述されているはずです。(略)

 

 

 

加藤 僕にとっては、天皇制というものを、どんなふうにいままでとは違うように考えていくかということが問題なので、いままでとは違う考え方を作り出せれば、それが一歩前進なんです。それが、僕に言わせれば、共和制に近付くということなんです。(略)

 

 

 

一九八九年一月の昭和天皇死去直後の世論調査では、「いまの象徴天皇制のままでよい」が八二パーセント、「天皇の権限を強めよ」が八・七パーセント、「天皇制は廃止せよ」が五・一パーセント、「関心ない」が一・七パーセント、「答えない」が二・五パーセントです。

 

 

 

僕はこのとき昭和天皇について厳しい批判的言辞を記したためだいぶ脅迫電話をもらいましたが、いまは、これが戦後の日本の実力なんだから、ここから考えていこう、という考え方です。

 

 

こういうことを言うと、「なんだ、加藤は天皇主義者か」、「象徴天皇制を認めた」とか、またいろいろ言われるかもしれないけれど、結局、この問題はこの順序で考えていく以外に道はない。そういうことに、あと十年くらいすればみんな気付くだろうと思う。

 

 

それを、天皇に批判というかたちでも依存することをやめることが「共和制に移行する第一歩」だという言い方をされると、転倒していると聞こえるわけです。(略)

 

 

橋爪 ええ。で、それ以上に大事なことは、憲法改正をすることだと私は思う。(略)

とにかく、憲法改正の手続きをすることが大事です。連合軍の占領下ではなく、日本国民が自発的に、合法的な手続きによって提案し、そして国民合意のうえで憲法を改正して、新しい憲法のもとに移行するということです。(略)

 

 

 

現行憲法大日本帝国憲法の改正憲法だから、一番最初に大日本帝国憲法の立場から新憲法について書いてあるんです。ですから、そこには主権者である国民はまだいなくて、「朕」というものが出てくる。(略)

 

 

竹田 ちょっと橋爪さんに聞いてみたいと思うったんだけれど、橋爪さんからみると、加藤さんの考え方は文学的だという感じがしますか?

 

 

橋爪 はい。

 

加藤 (笑)

 

(略)

 

竹田 (略)というのは、どう言えばいいか、ようするに、いま若い人は大学生くらいになって、ほとんど突然のように、日本の国は昔、実はとんでもない悪い戦争をして、いまの天皇はそのひどい戦争の責任者で、本当は当然罰されたり、天皇制も廃止になるところだったが、アメリカの占領政策で生き延びてしまった、というような像を与えられるわけですね。

 

 

 

これに対して、いや天皇はわれわれ日本人の心の拠り所で、これを畏敬し守る事こそ、われわれが日本という自分の国を愛する気持ちの原点になる、天皇に戦争責任をなにもかも帰して事足れりとするような考え方があるが実は全然そうではない、というような逆の考え方にも出会う。

 

 

 

で、これを自分なりに判断しようとするけれど、なかなか難しいことがわかる。なぜかと言うと、この革新と保守の主張や解釈の土台になっているのは、一方が、この社会は基本的に矛盾だらけの善くない社会なので、どういう仕方でか根本的に変えないといけない、という社会感度であり、

 

一方は、おそらくなにか積極的な内実というより、革新派の社会感度の反動として出て来ているもので、日本の戦後思想はこの社会を否定するようなことばかり言っていたけれど、そんな馬鹿なことはなくて、むしろいまの日本人がこの国を、自分が属する共同社会というものを大事に思う心が欠けていること、そういう心がいつのまにか失われてしまったことこそが、まさしく現代社会のいろんな矛盾を呼んでいる元凶なのだ、という考え方ですね。(略)

 

 

 

これは昔僕が学生のとき、在日朝鮮人の知識人たちから、「そもそも君は朝鮮民族の一員として生きるか、それとも日本人に同化して裏切り者として生きるか」、というかたちで迫られていたのとそっくりなので、けっこう苦しさがわかる。ううーってなっちゃうんですね、やっぱり(笑)。(略)

 

 

つまり、社会批判の言説はいたるところにあるけれど、社会変革の具体的なモデルや展望はどこにもない。(略)

一階にマックがあって気軽に入って行ったら、いきなり二階に上げられて、はい君は、純和風料理でいきますか、それとも正統フランス料理にしますか、どっちかはっきり決めて下さい、みたいになってるわけです(笑)。

 

(略)

 

まあそういう流れの中で、君が天皇であるとして、自分のあり方のモラルとしてどう考えるかとイメージしてみる。これを逆にいうと、どういう天皇であれば、君は、同じ国の一員として、昔の現人神からいつぼまにか象徴天皇になってずっと昭和を生き延びた天皇という存在と折り合いをつけられるか。そう考えてみる。(略)

 

 

つまり、そういう入口の方が、いまあるこの社会を是認するか、否定するか、という二二者択一ではない仕方で、自分と自分の国について考えられるのではないか。加藤さんの問題の立て方は、いうならばそんな提示の仕方ではないか、と感じたわけです。(略)

 

 

つまり、そこにはいつも文学的感度からのつきつめということがある。僕もいちおう戦後思想や戦後批評の世界の中にいたので、こんなかたちで問題を提出しないといままでの枠組みは動かし難いという加藤さんのモチーフは、とても共有できる。(略)

 

 

 

これも独断だけれど、つまり、われわれはいわば「天皇問題形而上学」に入り込んでしまっている。もうそれは法制上の責任ということだけで考えた方がいい。つまり、いま過去の戦争を考えるとして、われわれとしては、民主主義、共和制以外の考え方で社会や国家の妥当性を考えることはもはやできない。(略)

 

 

で、僕の考えですが、僕は加藤さんが戦争や天皇問題に深くこだわるその理由もよくわかるつもりです。ただ自分としては、いわば文学的な入口だけでなく、もっと率直に、「社会」とはなにか、という問いを真っ直ぐに立ててみたらどうだろうか、と考えている。これはいわば近代哲学者の方法です。

 

 

この社会を否定するべきか、それとも是認して矛盾に満ちた資本主義に加担するか、この二者択一は、僕の中ではスコラ哲学的な形而上学の問題設定なんですね。つまり、そこにはいま生きている人間の実質的な困難がぜんぜん表現されていない。(略)

 

 

えー、また司会役がだいぶ越権的にかつ感情的にしゃべってしまったけれど(笑)、そういうことで、またそれぞれの論点を展開してください。

 

 

橋爪 私は、加藤さんから、聞きたいことの半分くらいは聞いたような気がするんですが、まだあと、死者との関係の問題が残っているような気がするので、最後にそのことにふれておくのがいいように思います。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「民主主義と象徴天皇

(つづき)

橋爪 それについては最近、毎日新聞にもちょっと書いたんですが、そこで書かなかったことを少し言って見ます。

笑い話のような話なんですが、日本は日の丸を国旗とした方がいいかどうか。

「日の丸は、侵略戦争のときに日本国の象徴として使われたので、歴史の汚点にまみれている」。そこまではいいとして、「ゆえに日の丸は日本の国旗にふさわしくない。なぜならば、戦後の日本はそういう歴史の汚点にまみれていてはいけないから」。

 

 

 

そういう感覚が少なからぬ日本人にあるとすると、むしろだからこそ、日の丸を国旗にしておいたほうがいいのではないかとも考えられる。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんは読んでいるかどうかわからないけど、僕も毎日新聞に、日の丸について「日の丸が悪いイメージの汚れた国旗だというなら、それを(捨てる代わりに)引き受け、それを少しでもよいイメージのものに作り変えてゆくことが戦後の日本に求められている」と書いた。その点、日の丸については同意見です。ただ、君が代については意見が違う。僕は、君が代の歌詞は変わらなければならないって書いたんですけど、橋爪さんは、その後、同じ新聞に君が代の歌詞はそのままでも解釈を変えればいいって書いた。

 

 

 

僕は、きっとこれは僕への反論だろうと考え(笑)、さっそく反論を寄せました。(略)

 

 

橋爪 毎日新聞では、名前はあげなかったけど、加藤さんの君が代に対する考え方を批判したつもりでした。(略)

 

 

加藤 最終的な要点だけ言うと、僕は、国旗・国家法制化の問題で、国旗と国歌はそれぞれ別々に考えた方がいい、という分離提案をしたわけです。(略)

 

 

 

今後、民主主義の充実という課題を革新派流の天皇批判や軍部批判から分離独立させ、より堅固なモチーフのうえに構築すべきだという橋爪の意見に、私は深く同意する。それはこれまで私の述べてきたことでもある。しかし、昭和天皇の過去の責任を明らかにすることは、過去の誤りを繰り返さないため、必要である。それは、外への意思表示として、重要であり、また私たちが主権者として、憲法の定める平成期の象徴天皇制と新しく関係を結ぶうえにも、必須の作業となる。

 

 

これと罪責感の打消しとして天皇を中空の場所から非難することは、同じではない。(略)

いま必要なのは、罪責感の解消というこの「弱いあり方」を否定することではなく、罪責感の解消とならない、過去の否定、つまり過去を引き受けたうえでの過去の否定という「強いあり方」を、新たに作り出すことである。」

 

 

〇 過去の「罪」が事実としてしっかり社会に認識されていた時には、「罪責感」はあって当然のもので、「弱いあり方」か「強いあり方」か、などと言う議論になるのかも知れないけれど、それを知る人が少しずつ亡くなり、知らない人の方が多くなってきた今、日本の国際的な「罪」など、実はなかった…とか、もしくは、もうとっくに贖罪は終わっているのだから、いつまでもそれを問題にするのは、おかしいという「空気」が

作り出されています。

 

 

分かりやすく個人の問題に例えて見ると…

うちの娘が隣の息子とその仲間にレイプされた。

隣の息子は逮捕され罪を償った。

 

でも、私は隣の息子を見るたびに、怒りを感じる。

でも、隣の息子は、いつまでも過去の罪を言うな、もう償ったのだから…とか、

実は、あれは冤罪で、実際にはレイプなどしていない、と言い始めた。

 

私としては、怒りと憎しみが募るばかりです。

 

今の日本は、国際的にそんな態度を取っているように見えます。

人間として、尊敬出来ない態度です。

 

「橋爪 いまの文章はたいへんに正確に、私から見て公平に評定してもらっているから面白くて、納得して聞きました。

さてポイントは、罪責感を解消するのではないやり方で大日本帝国から日本国が決別しようとする場合、天皇の戦争責任を過不足なく追及してもうまくいかないということです。

 

 

 

それは、必要条件でも十分条件でもない、と私は思う。むしろ私の目から見て一番大事なことは、大日本帝国憲法憲法体制のメカニズム、とくにそこでの意思決定のあり方や、天皇への責任のあずけ方、無責任の保証のされ方、そういう行動様式について正確な知識を持ち、それから日本国の憲法体制についても、内部での責任の分担のされ方や、無責任の保証のされ方、責任逃れのあり方、そのようないろいろな問題について詳細な知識をもつ。そして、その比較のうえに立って、憲法を運用する能力を高めていくことです。それが必要にして十分なことではないのか。

 

 

 

加藤 だけど、そのための第一歩としては、たとえば、みんなが橋爪さんのようにいろいろな知識をもって、というわけにはいかないでしょう。だから、日本の社会のなかで、どういうかたちでそういう作業を進めていくか、そのための第一歩をどこにおくのか、ということなんですよ。(略)

 

 

橋爪 そうじゃなくてね。たとえば天皇の名前で戦争が行われたとして、それが不合理で間違った戦争だった。そこからでてくるひとつの反応は、天皇が不合理で間違った考え方をもって戦争を始めたのではないだろうか、というものです。(略9

 

 

 

しかし、もう少し詳しく考えて見ると、戦争自身は不合理で誤ったものであったかもしれないが、それは天皇が不合理で誤った考え方をもっていたからそうなったというわけではなくて、もっと違った原因がある。よく調べてみれば見るほど、実は、天皇にはほとんど責任がない。だとしたら、その責任は誰にあるのか。

 

 

 

天皇の名前に隠れて、大日本帝国の内部でそのメカニズムを悪用し、こういうことをした、ああいうことをしたという具体的な事実や具体的な人間がいるはずだ。そのことについて具体的につきとめておかないと、同じことが日本国の内部で起こらないとはかぎらないし、現に起こっているのではないか。そういうことなんですよ。

 

 

 

竹田 僕はずっと気になっていたんだけど、橋爪さんは詳細に制度上の事実を問題にしていて、それなりの証拠をだして実は天皇には法制上責任を問えないということがこれでわかるはずだ、と言っている。(略)

 

 

小林よしのりがこだわっていた従軍慰安婦の場合もそうですね。つまり、橋爪はああいうが、やはり実質的に天皇に責任があると言える、という考え方も可能なものとして出てくる。すると、双方の立場の人間がいろいろ言いだして、結局、一般の人間からはよくわからなくなってしまうことがしばしばある。

 

 

 

実際、同じような志を持っている加藤さんとですら、それほど違わない資料からまったく別の解釈がでているということが起っているわけですね。いわんや一人ひとりの人間にとっては、そういう歴史上の事実を詳細に調べて、どちらが正しいかということを自分なりに確定することは、なかなかむずかしい。これはこと天皇制といった歴史的な問題にかぎることではなく、実は若い人が現代社会のさまざまな問題に出会うとき、必ずぶつかる問題です。(略)

 

 

 

しまいには、世の中には進歩と保守というふたつの政治的意見があって、どんな問題についても、かならずあれこれ言い合って対立している、という像だけが残る。そういう事態がずっと続いてきた。(略)

 

 

 

まあ、そんなことがあって、この問題には単に事実がこうだったという解釈を示すだけでなく、もちろんそういう試みが無駄でないことは十分認めますが、むしろ、いまわれわれが持っている資料から、天皇に対してふたつの大きな解釈、考え方が可能である、ということを一応前提としたうえで、そのうえでこの問題をどう考えるのか、あるいはどういう態度をとるのが我々にとって積極的なことか、という考え方が必要なのではないだろうか。(略)

 

 

橋爪 普通の人は忙しいから、歴史的事実のことなんかそんなにいちいち詳しく知る必要もないし、多分知らないと思います。

そこで手掛かりになるのは、やはり戦後民主主義の原則でしょう。

 

 

戦後民主主義の原則は、いろいろあるけれども、それをつきつめるならば、国民が選択し、自己責任でこの国を運営するということだと思う。選択するからには最低限の知識がなければならず、その結果についてのある程度の予測もなくてはならず、結果が十分予測できなかったとしても、自分が選択したのだから、その責任を取らなければならない。それを人のせいにはしない。そういう考え方で国家を運営していけば、おおむね間違わないと思う。

 

 

では、その原則にてらして見ると、戦前の日本はどのように見えてくるのか。それは、まったくの独裁国家でも専制国家でもなかったわけで、日本国に通じるような近代国家として、それなりに運営されていた。

 

 

ただし、近代国家としては大きな構造上の欠陥があった。(略)

だから、それを打ち消す作用として、浄化作用として、構造の組み替えが行われて、日本国というものができた。しかし、その過程に大きな戦争があり、大きな犠牲があった。いわば、その犠牲と、この戦後日本というものはひきかえになっているわけです。(略)」

 

〇 橋爪氏は、当然の流れとして、このように言っていますが、現実には、今の私たちの国は、そのような動きになっていません。

 

「選択するからには最低限の知識がなければならず…」

こう考えるのは、当然のことです。その為に、その分野の研究者の「知識」が必要になる。だから、「学術会議」の提言が必要なのです。

戦前は、その知識を蔑ろにして暴走し、失敗した。だから、もう失敗しないために、学術会議の提言を政府の政策に絡めて、真っ当な知識、最低限の知識を無視しないようなシステムを作った。

 

それなのに、今、その基本的な姿勢をやめようと画策しているのが、安倍・菅政権です。

 

「自分が選択したのだから、その責任を取らなければならない。それを人のせいにはしない。そういう考え方で国家を運営していけば、おおむね間違わないと思う。」

 

これも、国家の運営は、どのような精神で行うのか、というところで、「当然の」ものではなくなってしまいます。

私たちの祖先は、少なくとも子や孫のことを考え、将来を考えて、国家の運営をしてくれていたと思います。でも、今の政治家は、今の自分たちのことだけを考えているように見えます。

 

 

選択し、その「責任=儲け」は、自分たちで受け取る。将来がどうなとうと、子や孫がどうなろうと、そこまでは考えられない。子や孫は、それぞれに、また自分たちのことを考えよ、とそういう姿勢に見えます。

 

 

だから、どれほどの核ゴミを残そうが、借金を残そうが、嘘や不正で人が信じられない社会を残そうが、自分たちさえ、うまく快適に生きられれば良い…と。

橋爪さんは、「間違わない」と言ってるけれど、後の世代にどんどんツケを回すのを、

間違っていると思わない国民が多数になる時、間違ってしまうと思います。

 

「(つづき)

では、その原則にてらしてみると、戦前の日本はどのように見えてくるのか。それは、まったくの独裁国家でも専制国家でもなかったわけで、日本国に通じるような近代国家として、それなりに運営されていた。ただし、近代国家としては、大きな構造上の欠陥があった。そういう風に見えてくるんじゃないか。

 

 

だから、それを打ち消す作用として、浄化作用として、構造の組み替えが行われて、日本国というものができた。しかし、その過程に大きな戦争があり、大きな犠牲があった。いわば、その犠牲と、この戦後日本というものは、ひきかえになっているわけです。

 

 

だから、すべての死者というのは、もし意味づけられるとすれば、そういうプロセスのなかでの犠牲者だというふうに考えられる。犠牲という言葉を使えばね。そういうふうに了解すれば、必要かつ十分なんじゃないかと思う。(略)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

〇 一か月ほど前から、長く座っていると腰に痛みが出るという状態が続いていました。ネットで色々調べ、素人診断をしたのですが、多分股関節の「老化」ではないかと思います。

 

短時間ずつまたやっていきたいと思います。

 

「民主主義と象徴天皇

 

(つづき)

竹田 天皇は、一般的には、神人として国家の最高位の存在として据えられていた。しかしその実体としては、当時、人間としても地位としても責任をとれるような場所になかった。いわゆる近代的な責任と義務をもった市民としての場所からはずされ、まわりの人間におまえは天皇だと言われて、そうならざるをえなかった。そういう立場にあった人間の責任を追及するというのは思想としておかしい。

 

 

 

事実問題は残るとしても、いま聞いていてその言い方はかなりよく理解出来ました。ただ、たしかにそうであったかもしれないが、そうだとしても、国家の最高主権者であるということは、自分の国家が重大な過失を行なった場合は、責任をとらなくてはいけない場所だということは、やはり自覚し認識していなくてはいけないわけですね。

 

 

 

 

橋爪 さきほども言ったように、それは認識し覚悟していたのではないでしょうか。

 

 

 

(略)

 

 

橋爪 加藤さんの議論の流れの中で、なぜ死者の問題が出てくるかというと、天皇はたしかに戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延びた。それは役割上しょうがなかったと言えるわけですけれど、とにかく生き延びたことに変わりない。

 

 

生き延びた以上、とうぜん、変節するわけです。しかし、その変化を誰が指摘できるかというと、戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延び、変化し変節したという点では国民も同じなのかもしれないから、単純に戦後に生き延びた日本人が、天皇が戦前、戦中と違っているではないかと言いにくい構造になっている。

 

 

そういうふうに、加藤さんは注意深く考えたのではないかと思う。そうすると、その天皇の変化を測定できる原点はどういう場所に求められるかというと、三百万の死者ということになる。だから、そこで、その死者に注目しているのではないかと思ったんですが。

 

 

加藤 いや、それはそのとおりなんですけど、その力点は、三百万の死者が天皇に代わる戦後の定点になりうる、ということだったんです。そこから、天皇を相対化できる、ということでもあったんです。僕から見ると、僕より橋爪さんのほうが天皇の問題にこだわっているかもしれない。(略)

 

 

 

なぜかというと、天皇制があるからよくないとか、ないほうがいいとか、そういうところから考えているかぎり、この考え方が天皇に依存していて、それではやはり天皇制の解体にはならないんじゃないかと感じるからです。

 

 

 

僕の考える基準は、それとの比較でいうなら、日本がそこに住んでいる人間にとって住みよい開かれた社会になること、そして近隣の国に迷惑をかけないような国になること、この二点です。(略)

 

 

 

問題は、天皇制ということがなぜわれわれに困った問題としてあるのかということです。法務省の入国管理事務所の考え方、帰化申請時の名前を日本風に変えよという行政指導など、その根元を追って行くと天皇制にぶつかる。(略)

 

 

 

逆にそれが干上がらないまま、たんに制度としてだけ天皇制が廃絶されたら、天皇家が家元になって京都に戻ったとしても、今度はその反動で、天皇に対する郷愁みたいなものが起こり、また別の天皇制を求めるような動きが出てくるにちがいない。だから次のステージにステップを進めるためには、いまある象徴天皇制天皇制と同列のものとみて、その廃絶をめざす、という五十年来のナイーヴな姿勢ではどうにもならない。

 

 

それを戦前の天皇制、昭和期の天皇制と違うものとしてどう評価し、位置づけ、それとの関係を主権者として国民がどうつくるか、それが大事なポイントになると思うのです。

 

 

戦争の死者の場所から考えるというのも結局そういうことです。たとえばいままでは、天皇がいなくなるとモラルのバックボーンがなくなるぞ、みたいな考え方があったけれど、そういう考え方を国民規模で解体できるのが実はその戦争の死者の場所なんじゃないかと思う。(略)」

 

 

〇 「違うものとして評価し位置づけ、どうつくるか…」これを「国民規模」で行う…というのが、私には全くイメージできません。とても難しい…。

 

 

「橋爪 (略)なぜ日本が憲法第九条をもち、なぜ軍隊をもっていないかと言えば、これは日本の戦後処理の結果である。戦後処理の結果、群は武装解除され解体され、再軍備も禁止された。そしてその保証として、独立の条件として、憲法があり日米安保条約がある。こういう枠組みのなかで日本国があるわけでしょう。

 

 

 

ということは、日本国が現在の枠組みであるかぎり、これは国際的な不振の表明と裏腹の関係にある。日本は軍隊をもったらなにをするかわからないので、軍隊を禁止しておこうという、国際社会の警戒態勢がずっと継続しているということを意味している。ということは、戦後は解消していないということでしょう。(略)

 

 

そうだとすると私たちは、日本国がたしかに民主主義の国で、自分たちの統治能力(ガヴァナビリティ)を高めて、近代ルール、それに、列強ルールじゃなくて新しい国際ルールがあるとしたら、それにも合致して行動しているということを、まだ証明していないんだと思う。そういう意味で、日本の民主主義は半人前だということです。

 

 

国際社会の平和秩序を維持する時、どの国がどういう犠牲を分担するか、という話になる。たとえば湾岸戦争ですけれども、日本はなにをどう分担すればいいか、ということを国内で意思決定できなかった。当然考えておかなければならないさまざまな問題を、まったく考えないまま放置してきた。

 

 

はしなくもそういうことがあらわれてしまった。これをどう克服していけばいいのかという問題だと思います。

 

 

(略)

 

 

 

加藤 その言い方で言うと、僕が思うのも同じことで、民主主義というのはどんなかたちで日本にもたらされたにしても―― たとえ押し付けられたとしても―― 、これを自分たちのイニシアティヴで受け取りなおすんだというところから、問題を考えていけばいいということなんです。

 

 

 

そのための条件が、民主主義のもたらされ方の赤面せざるをえないありかた、つまり押し付けられたのに全員そのことを見ないようにしてこれを受け取ったという事実から、けっして逃げないことです。そこことをしっかり受け止めることで、この押し付けられた他律的な民主主義をもとに、戦後の自律的な正統性を作り上げることができる。(略)」

 

 

〇 「国際的な不信」の為に軍隊の持てない国になったとはっきり言ってもらうと、とてもスッキリします。そして、この不信は「国際的」なものだけではなく、「国内」=「一般庶民である国民」の不信でもあると思います。

 

山本七平氏が以前書いていたように、国民はまず自国の「軍部」に支配され虐げられていました。外国に虐げられるよりもずっと多く、自国の軍部に痛めつけられていました。

 

戦後レジームからの脱却」と言って、日本会議という団体を立ち上げ、教育勅語を蘇らせようとする動きは、まさに戦前の「管理者(軍部を含む)」によって、国民をうまく支配するシステムに戻ろうとする動きのように見えます。

 

菅政権になり、様々な問題が取り上げられても、未だに支持率は半数を超えています。

つまり、それだけ多くの「管理者」がこの国にはいる、ということなのでしょう。

せめて、弱者の私たち一般庶民が力を合わせて立ち向かわなければ…と思うのですが、

それさえ、なかなかうまく行かないので、「検事長問題」「学術会議問題」等、権力の暴走を許すのを阻止できるのかと、暗澹たる気持ちになります。

 

 

※ 「管理者」(いまだ人間を幸福にしない日本というシステムより)

「社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「民主主義と象徴天皇

 

竹田 「断固正しい」とか「責任がない」とかいう言葉のうえでの違いはあるとして、お二人の考えの内実はかなりはっきりしてきたように思います。ひとつ言うと、「天皇の戦争責任」と「戦争の死者の考え方」ではっきり対立があるが、その対立は構造としては同じであるということ。そこに違いがあるけれど、お二人がこの問題をはっきりさせたいと考える、そのモチーフには大きな共通点があるということですね。

 

 

つまり、これまでの、戦後民主主義マルクス主義をベースにした戦後論、戦争論には大きな不備がある。(略)

 

 

 

加藤 なんで橋爪さんと僕が、こんなにモチーフ的に重複しながら天皇のことになると考えが違うのか。橋爪さんが書いてくれたメモを呼んで、僕はある程度予想がつきました。橋爪さんは、メモの最後のほうに「天皇制は歴史的な役割を終わった」と書いている。もし、僕にもそう思えるんだったら、天皇のこだわる必要は全然ないんです。でも僕は、残念ながら、天皇制の歴史的役割が終わったとは思っていない。

 

 

 

いま日本に「もう天皇制はいいよ」という国民的な総意があること、それが、終わったということなんですよ。メモの中で橋爪さんは「日本国は共和制に移行することが望ましい(国民の総意が条件)」と書いている。僕もそれに賛成だ。でも、国民の総意はまだない。つまり天皇制の歴史的役割は終わっていない。

 

 

 

橋爪 国民の総意がまだそこまででないという事実認識については、もちろん同意します。だけど、日本の過去百五十年の歩みをふりかえって、これからどういう方向に進んだときに過去を乗り越え、現状をもっと市民社会に近づけることができるかと言えば、現に天皇がいるわけですけど、日本国民がこの天皇という問題にどう決着をつけるかなんです。

 

 

 

これまで、天皇という存在をかりて、そこにさまざまな重みをかけたり、心のへこみをあずけたりして、いろいろな感情のゲームをやってきたけれども、そういうことからいわば足を洗って、自分たちの権利と義務と主権と倫理観で国家を組み立てられるんだという意味で、私はメモに「共和制に移行することが望ましい」と書いたわけです。

 

 

(略)

 

 

加藤 いや、橋爪さんの論理は、さっき言った橋爪さんのメモがなければ伝わりにくい話だと思う。(略)

つまり、「日本は共和制に移行することが望ましい」と橋爪さんが言ったとしても、それは「いまある天皇制をどういうふうにするのか」という答えになっていない。

 

 

 

では僕から言いましょう。そうすれば、なぜ僕が昭和天皇の責任をうるさく言うのか伝わるかも知れない。僕は現在の象徴天皇制についてこう考えています。日本国憲法には第一条があって、戦前の天皇制とは違う象徴天皇の制度を定めている。

 

 

 

この第一条はなにを語っているかと言えば、天皇主権が国民主権になり、民主主義国になった、しかし同時に、戦前の天皇制が象徴天皇制というかたちで残って、君主制から共和制というところにまで一気には進まなかった、つまり階段を一段ではなく半分だけあがった、そういう「階段の半分あがり」を語っている。(略)

 

 

それを僕たちは、やっぱり半歩の前進、「半分」の階段を「のぼった」とみるべきなんです。中途半端きわまりない上昇だけど、これが日本の実力だった。自分では改革できずに、敗戦でよその国に変えてもらった戦後日本の正当な取り分は、これだった。そう受け取るべきなんです。

 

 

 

だから僕は、国民主権というものを前提にした象徴天皇制に立って、少なくとも戦前の天皇制を否定するところが、いまの日本の、それこそ国民の総意というものがおかれている場所だと、そう認識する。(略)

 

 

天皇が平成期の天皇として昭和期との違いをはっきりさせないまま、いま存在しているけれど、実は、昭和天皇が死んではじめて、一身で一体を現す最初の完全に戦後型の象徴天皇が現れている。平成の現天皇昭和天皇とではその点がまったく違っているのです。(略)

 

 

この象徴天皇と主権者である国民がどういう関係を結ぶのかということが、実は昭和天皇が死去したあと、国民に問われていた。もう十年前から問われていた。でも誰一人そのことに気づかなかった。そういう局面に僕たちはいるんだと思うんです。(略)

 

 

僕は、天皇の戦争責任を過不足なく、戦後の国民主権象徴天皇制の名において明らかにすることが、共和制への移行のための「国民の総意」形成の第一歩になると思う。

 

 

竹田 なるほど。いまの説明はとてもわかりやすいかたちになっていたと思うけれど、独断的に言うとこんな感じで受け取りました。つまりわれわれはともかくいま天皇というものをもっているが、それはのんべんだらりと同じものとして続いているのではない。(略)それははっきり違う存在になった。そのことを国民も天皇も明瞭に自覚するだけでなく、いわば「表現」することが大事だ。(略)

 

 

 

すると、かつての天皇制というものを日本の諸悪の根源というようなことではなく、不十分な市民社会だった戦前の日本国家の単なる法政治制度の一部としてだけ考えるのがいい、と言っている気がします。(略)そのことにふれつつ、共和制に移行することが望ましいと考えていることにも入っていってもらいたいと思うんですけど。

 

 

橋爪 まず、共和制に関して言うと、これはメモのなかでも付録にあたり、ここが私の言いたいことの中心ではないんです。今回の焦点は、天皇の戦争責任ということだから、私はやはりそれを議論したい。(略)

 

 

つぎに、天皇の戦争責任ですが、まず、なぜ天皇に責任があるようにみえるかというと、それは明治国家がつくられたそのつくられ方にあると思うんです。(略)これまでも縷々述べましたが、別の言い方をすると、明治国家が神聖国家だからです。

 

 

国家機関である天皇が、同時に人間を超えた神であるという含意を与えられ、そのかぎりで主権者になるという構造があった。つまり、国家がそのまま教会なわけです。ですから、国家はたしかに法律で動いているけれども、同時に天皇に対する信仰をもち、天皇が神であると考え、天皇の命令であればこれは国家の命令だから、それに従うのは臣民の義務であるというふうに人々に信じさせ、国家も動く。そういう神聖国家というメカニズムをとっていたから、天皇に責任があるようにみえる。(略)

 

 

 

彼は天皇になるために訓練された人間なので、その期待に応えるよう、ひとつの機関としてふるまった。しかし、その行為は同時にそれを超えたものとして、ひとつの神聖国家の主体として、一般の人間にはみえるわけです。(略)

だから、そういう意味で彼に、あらゆる選択や責任やもろもろのものがおおいかぶさってくる。国内においてもそういう像を結ぶわけだから、ましていわんや外からみれば、侵略された国からみれば、そういう実像をもって映るはずです。

 

 

 

しかし、天皇自身は個人としてどういう人間だったかというと、天皇は完全な合理主義者として訓練された規律訓練の塊で、天皇としてどのように行動するかというフォーマットでできているような人間だから、彼自身は尊皇主義者では当然ありえず、皇祖皇宗に対する敬意や義務感はもっているけれども神秘主義者でもない。

 

 

 

そういう意味で、彼自身には、自分の神秘性はみえないように出来ている。そこに、天皇をとりかこみ、仰ぎ見る人びととのあいだの大きなギャップがあるわけですね。

私は、天皇という場所に座らされた選択の余地のない個人の、行為責任や実存的責任を追及するという立場はとりたくない。

 

 

とりたくないというのは、その神聖国家を解体してそれを象徴というかたちにうつしかえて、日本国という国家を民主主義のルールで運営するようになった、主権者としての日本国民のプライドだと思う。

いわば、規律訓練の塊であった天皇個人には、神聖国家のなかで像を結ぶオーラとして以上の責任というものはない。彼は赤裸々な一個人であり、非常に特異な圧力のもとで規律訓練されているけれど、言って見れば普通のおじさんです。

 

 

そして、それが象徴天皇に移行して、現在の民主制の正統性の基礎を与えている。そういう実像をよく認識することが必要です。そのために彼は、生涯を費やして、その椅子に凡人として座り続けた。そういうことも含めて、日本国民が戦後にいたる日本国の来歴を自己認識するべきだというのが私のスタンスです。

 

 

そうするとどういうことが起るかというと、日本が象徴天皇制を取り続けるならば、天皇の死によってその椅子が空位になったときは、次の人間がそこに座らなければならない。その人間が死んだら、さらにその次の人間がそこに座り、ずっとそうやって日本国民の間から、そこに座る人間を調達していかなければならない。

 

 

けれど、天皇というのは人間でありながらいわば人間であることを禁じられているような存在ですから、そのことにはかなり限界に近い苦痛があるのではないかと思う。具体的に言うと、誰か女性が皇室に嫁がなければならないんだけど、それが犠牲的な行為みたいになってしまっているでしょう。

 

 

跡継ぎが生まれそうもないとなるとたいへんなプレッシャーになるし、やがて皇室典範を改正して女帝を認めるとか、そういう話も出てくるかもしれない。けれど、そこまで考えていくのであれば、もうそろそろそういう椅子に個人を選択の余地がないかたちで座らせていくということはやめて、象徴天皇制が戦後日本を基礎づけるという、その効力はもう十分わかったから、この際憲法を改正して、次の段階(共和制)に移行してもいいんじゃないか。そういう流れなわけです。

 

 

(略)」

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

〇 この「天皇の戦争責任」は、第一部 戦争責任、 第二部 昭和天皇の実像、

第三部 敗戦の思想と三部からなっていて、やっとここまで来ました。

最初は多分、最後までは読めないだろう、と思っていました。とても厚い本だし、

内容が私には難し過ぎる。

 

特に、加藤氏の言っていることが、ほとんど理解出来ません。なんとか、飛ばし飛ばし、読んで来ましたが、この三部が一番ハードルが高くて、読んでいても、少しも頭に入らない。そこで、大幅に省略することにしました。

 

第三部は、侵略とルール違反、天皇有罪論/無罪論、戦争の死者は英霊か/犠牲者か、

民主主義と象徴天皇敗戦後論、脱天皇論、の小見出しに分かれています。

その中の、戦争の死者は英霊か/犠牲者か、民主主義と象徴天皇敗戦後論、脱天皇論の四つについて、メモしておきたいと思います。

 

 

「戦争の死者は英霊か/犠牲者か

 

加藤 では、戦争の死者について考えます。

まず質問になっちゃうんですが、それから始めていいでしょうか。この対談を始める前に、橋爪さんと僕は、おたがいにメモというか、簡単なレジュメのようなものを交換してします。そこで僕がもらったメモのなかに、橋爪さんは、「戦後日本の戦争責任とはなにか。三百万人の死者をどう考えるか」という問いに続けて、「天皇の命令で、戦地へ赴いた人々は断じて正しい。それは、公民としての義務である」と書いている。

 

 

 

橋爪さんは、これと同じようなことを、竹田さん、小林よしのりさんとやった鼎談 「ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論」のあとがきにも書いていて、それを読んだ時、「こういうふうに言えるんだろうか」と僕は思った。ここは、僕と橋爪さんが、だいぶ違うところだと思う。だから、橋爪さんに「なぜこういうことが言えるのか」ということを話してもらって、そこを切り口に僕の考えを言って見ようと思います。

 

 

橋爪 わかりました。

こんなふうに、考えてみましょう。昭和十八年か十九年に私が徴兵年齢だったとして、家族もあって、それなりにものごとを考えていて、新聞も読んでいて、それで赤紙がきたとする。そうすると、いろんなことを考えると思います。

 

 

まず真っ先に、戦争に行けば死ぬ可能性があり、死んだあと家族がどうなるかということを考える。それから、この戦争が正義の戦争なのだろうかということを考える。大東亜共栄圏とかアジアの解放とか、そういうイデオロギーがいろいろ宣伝されているが、どうも嘘くさく、実態としてはだいぶ違うようだと考えるかもしれない。

 

 

戦争をこのまま続けて勝てる見込みもないし、中国の戦線から帰って来た人たちに聞けば、そうとう非人間的なことを兵士としてさせられる。普通の良識ある市民、社会人として生きることを大事に考えてきた私の生き方とたいへん違っていて、実に困ったことだし、いやなことでもある。

 

 

だけど、ここで応召する以外、ほかにどういう方法があるだろうか。となりのおじさんも応召していて、このあいだ戦死して遺骨が帰って来た。いま、私が逃げ出せば、戦争が終わり平和になるのかと言えば、そういうことでもない。いろいろ悩み考えて、それで苦慮の末、やはり戦地に赴くのではないだろうか。

 

 

良心的兵役拒否というような制度がある国なら別ですが、少なくとも日本帝国憲法のもとではそういう規定はなく、すべての人たちがいろいろな犠牲をはらいながら、その任務を分担しているわけです。そこから自分だけが降りてよいというふうには、たぶん考えにくいと思う。(略)

 

 

 

加藤 わかりました。でも、そうだとするなら、僕は戦争に赴いた人々を「戦争に赴いたということをもって断罪するのは断じて間違っている」という言い方になると思います。それだったら問題はない。だけど、橋爪さんの言い方だと、この戦争がどんな種類の戦争であろうと、天皇の命令で「戦争に赴いた人は断じて正しい」ということになるでしょう。

 

橋爪 それは、いわば現代ルールだと思う。

 

 

加藤 (略)なんで「正しい」という言い方になるんだろう。

 

(略)

 

 

橋爪 (略)なぜ「正しい」と言うのかというと、みんながそういうふうに分担しながら、ひとつの国家を担っているからです。戦後の日本国であれ、大日本帝国であれ、アメリカ合衆国であれ、みんな同じ論理で、公民としての義務を分担している。侵略戦争であるとか、自衛戦争であるとか、それから反ファシストせんそうであるとか、そういう戦争の種別の違いはあると思います。しかし、これは侵略戦争だから私は行かないとか、これは反ファシスト戦争だから喜んで行きますとか、そういうレヴェルではないところで、この公民の義務は発生してくる。そういう不幸なメカニズムがあるんじゃないですか。

 

 

そういう「正しい」行為を黙々と行った人々の、正しさの延長上に戦後の日本国もある。戦争を防ぐんだったら、もっと別のところでやるしかないのであって、戦争になって召集令状がきたときではもう遅いんです。

 

 

竹田 たとえば極端な話で言うと、ナチス政権下で、あるドイツ人が民主主義的な考え方を持っていたとする。(略)自分たちのやっていることはあまりにもひどい、明らかに間違った戦争だと、その人は考えている。そういう人がいたとして、それでも徴兵がきたらそれに従うことが正しい、それに従わなければ間違っているということになるかな?

 

橋爪 いや、従わないから間違っている、とは私は言いません。

 

 

竹田 橋爪さんの言い方は、ちょっとそういう意味に聞こえるふしがある。(略)

 

 

(略)

 

 

竹田 なるほど、それはよくわかる。間違った軍国主義にかぶれて悪い戦争にいった日本の兵士たちはみな悪かった、という言い方から彼らを擁護しようとする橋爪さんの姿勢も「断じて正しい」と思います(笑)。でも、その「断じて正しい」のポイントはなんだろう、という感じがやっぱり残る。

 

 

つまり、そのポイントが当時の「合法性」から言って、ということだとしたら、天皇の法的責任なしというのとほとんど似てるよね。「三百万人の死者は戦争に加担したんだ」という言い方は、僕も全然認めない。だから橋爪さんとは、その先のところで違いがある。

 

 

橋爪 戦死者の内実ということなんですが、ふたつの考え方に反対したいと思うんです。

ひとつは、軍部が悪く、軍部が国民を操作し、国民を騙し、そして戦争に参加した人たちは騙されて戦争に連れ出されて死んだ犠牲者であり、彼らに罪はないというもの。私はこういう考え方はしたくない。なぜかというと、もちろんいろいろ情報が不備だったかもしれないけれど、彼らは精一杯に判断し、精一杯にコストを担うつもりで、主体的に積極的に戦争を担おうと思って線上に赴いていると思うのです。

 

 

 

そこまでの決意がなければ、あれだけ厳しい戦地で、絶望的な状況で、戦線をもちこたえたりするなんていうことはありえないわけですよ。だからそういう意味では、たいへんに主体的に参加している。騙されたという言い方は、彼らの人間性を冒瀆するものです。

 

 

しかし、もうひとつ、逆にどういうことを私は言いたくないかというと、あれは大東亜戦争だった、アジア解放の戦争で聖戦で正しかった、彼らはそれを真に受け、そしてそういうイデオロギーに鼓吹されて、尊皇主義者ないし天皇主義者として、そういう人間として戦地に赴いて死んだんだと。

 

 

こういうふうにも私はまったく言いたくない。大部分の兵士たちは、そんな宣伝がでたらめであり、いい加減であり、軍部の指揮系統もどうしようもなく、まったくめちゃめちゃで、自分たちは犬死のようなものだと参加したんだと私は思う。

 

 

 

そのふたつの中間に戦争を担った人々の実態があった、疑念や不満をもちつつも義務をひき受けた人々の信念があった、ということを言いたいのです。

 

 

加藤 でも、それだったらこの書き方は違うと思う。僕には、この橋爪さんが書いた「天皇の命令で、戦地に赴いた人々は断じて正しい。それは、公民としての義務である」という二行は、小林よしのりが言っていることと同じに読める。小林氏が言っているのは、「断じて間違ったいる」ということのまったくの裏返しでしょう。でも、「断じて正しい」という言い方と、「断じて間違っている」という言い方は、両方とも間違っていますよ。

 

 

 

そもそも、天皇の命令で戦争に赴いた人々を、その事実をもって非難したり、ほめたりすることが間違っていると思う。その行為が、どのようなその人の判断の結果だったかはわからないし、後から述べるように、僕たちはそうできるほど戦争の死者たちのメタレヴェルに立っているわけでもないからです。(略)

 

 

 

とにかくここでは国民を批判することによってではなく、むしろ国民の名で、国家の不正を批判する回路をつくることが肝腎だと思うのです。でも、国の不正が、そこに生きる国民に自主的に判断されるだけの材料がそもそも与えられないということもあります。僕は第二次世界大戦時の日本はそういう事例だったと思います。その場合、大多数の国民がその点で戦争の性格を把握しそこなったこと、間違ったことには、動かし難さがあったと考えるのが妥当じゃないでしょうか。

 

 

したがって、僕達が考えるべきことは、戦争の死者についていうなら、彼らの行為を「正しい」と評価することでも「間違った」と否定することでもなく、その彼らの「間違い」を、動かし難さの相で受け止め、これに学んで、今後は同じ状況におかれても、この難関をクリアーし、誤らないようにする、という仕方を作り出すことだと思うんです。

 

 

 

三百万の死者は犠牲者だという言い方と、それは英霊だという言い方と両方あるけど、本当はそのどっちでもない。死者たちをなんとか救いだそうとして、この死者たちはこういう死者たちだったと一方的に決めてしまうと、それもやっぱりまずいという気がする。

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)

三島由紀夫昭和天皇が戦争の死者たちを裏切っていると言いましたが(「英霊の聲」本書65頁 「注」参照)、そんなことを言うなら三島も、僕たちも、みんな戦争の死者とはそういう関係にある。(略)

 

 

 

では僕たちと戦争の死者たちはなにでつながるのだろう。

僕が、これまでの「戦争の死者は犠牲者だ、彼らの死に報いるためにも二度と戦争を繰り返さないようにしなければならない」という戦後民主主義的な考え方を欺瞞だと思うのは、ひとつは、橋爪さんが言うように、そこに戦争の死者への冒瀆に似た一方的な見方があるからですが、もうひとつは、そういう彼らの言い方に、戦後へと生き延びた同時代者たちの自己欺瞞が隠されているとおもうからです。(略)

 

 

でも、戦後の人間と戦争の死者をつなぐのは、両者がともに「国家にだまされた」無垢な存在だということではなく、両者がともに「間違った」有罪の存在で、だけどもその「間違い」には動かし難さがあるのではないかという点です。(略)

 

 

 

戦後民主主義の論者たちは、ほぼ例外なくこの点をすっとばして、あたかも自分は彼岸の存在で、ずうっと平和主義者であったかのように、彼ら戦争の犠牲者のためにも平和を、と論を立てた。(略)

その点から言えば、この「間違い」の動かしがたさという点は、天皇評価でも重要な要因になる。(略)

 

 

 

橋爪 天皇が死者たちにどういう態度をとったとか、なにも言わなかったとかを、どうしてそんなに問題にしなければならないのだろうか。天皇というのは、そんなに仮託して考えるとうまくいく場所なんだろうか。

 

 

これまで述べたように、天皇は日本人のなかで特異点のような、特別な位置を占めていて、その責任を考えるにせよ、その人格や行為を考えるにせよ、目立つけれども、非常に考えにくい人なのです。それよりもむしろ普通の人間が不通に考えた場合にどうなるか、というところで議論したほうがいいように私には思える。

 

 

普通の日本国民がこの三百万の死者たちに対してどういう態度をとっていくかとか、どういう態度がとれなかったとか、どういうふうに考えるべきなのかとか、そういうことがすっきり解決つきさえすれば、天皇のことなんてどうだっていいじゃありませんか。むしろそのことを考えていくことのほうが大切ではありませんか。

 

 

 

もうひとつ、加藤さんの議論で感じるのは、死者をうまく抽象していないということです。私が断じて正しいと言っているのは、出征した軍人が公民としての義務を果たしているという点であって、彼ら個々人の行動の何から何まで正しいと言っているわけではありませんよ。何から何まで断じて正しい行動をする人間なんて、いるわけがないじゃありませんか。(略)

 

 

しかし少なくとも、そんな場におかれてそのような非人間的なふるまいをするということは、その結果生き延びるにせよ、あるいは死亡するにせよ、本人にとっても不本意なはずで、哀れなことではありませんか。そうした行為の系列全体は、彼が公民としての義務に応え出征しなければ、生じないはずのことだった。彼がしなければ、ほかの誰かがせざるをえなかった。(略)

 

 

三百万の死者という場合、彼ら個々人の行動の個性や差異は相殺し合って捨象され、こういう側面が骨格として取りだされることになるのだと思う。そしてその側面は、この前の戦争が侵略であるかどうかと無関係に、国際ルール違反であるかどうかと無関係に、戦後の私たちのいる場所と直結すると思うのです。

 

 

誤解のないように言っておけば、以上のように考えたからと言って、侵略戦争の問題や戦時中の不法行為の問題が、不問に付されるわけではありません。むしろ、死者たちの死の意味を肯定的に受け止めることと、死者たちの行為を批判的に検証する作業とが、それではじめてきちんと両立するようになるはずなのです。

 

 

 

 

加藤 僕はそのようには戦争の死者を抽象しません。またアジアの無辜の死者の存在はこういう抽象に抵抗すると思います。でも、この点を除けば、こういう出発点に立つことで、死者たちの死を肯定的に受け止めることと、その行為の批判的検証がはじめて両立する、という橋爪さんの趣旨に全面的に賛成です。」

 

 

〇 「これに学んで、今後は同じ状況におかれても、この難関をクリアーし、誤らないようにする、という仕方を作り出すことだと思うんです。」と加藤氏は述べているけれど、今の情況は「国の不正がそこに生きる国民に自主的に判断されるだけの材料が与えられない」という点で、当時と同じになっています。

 

どうすれば、この難関をクリアーし、誤らないように出来るのか。

 

三権分立が機能していれば、司法が国の不正をチェックし軌道修正できるはずなのに、その司法が機能していない。

 

第四の権力と言われている報道機関も権力に取り込まれている

(安部官邸とテレビ)

 

本当に危ないと思います。

同じ過ちを繰り返す条件が揃いすぎています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「人間天皇

 

加藤 なぜ僕が昭和天皇の評価を過不足なく行なうことが大事だと考えるか、その理由は次のようなものです。

僕は、天皇のことを考えるには、やはり現憲法の規定が媒介になる、そのことを考えた方がいい、というように思っています。(略)

 

 

 

これがなにを示しているかというと、戦後の憲法の第一条に規定されたあり方は、実は、平成になってはじめて、実現しているということです。

戦後憲法は、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定しています。

 

 

ここでの国民主権とは戦前型の天皇主権の否定ということです。したがって象徴天皇制とは、これまでの戦前型天皇制とは違う、これと対立する、それへの否定を含む天皇制ということになる。ところが、戦後のうちの昭和天皇の時代、つまり斜線部分の時期は、昭和天皇という個人が、戦前型天皇制における天皇でかつ、戦後象徴天皇制における天皇であるという一身で二体を現すかたちで存在し、さらに彼自身が自分の戦前部分を明確に自己批判しないままに、戦後の象徴天皇であり続けた。

 

 

そのために、戦前型天皇制の否定としての戦後型象徴天皇制というありかたは、憲法にはっきりと明記されているにもかかわらず、現実には存在しない、という状況が生まれていた、と考えられます。(略)

 

 

 

これは日本国民ではないけれども、一九七五年九月に「ニューズウィーク」の記者が「陛下の戦前と戦後の役割を比較していただけませんか」と質問している。それはその意味に受け取れる。それに天皇は、「精神的にはなんらの変化もなかったと思っています」と答えています。

 

 

橋爪 その発言は、本当に正直な天皇の気持ちであると思います。彼は、戦前も、戦後も、変わるところなく憲法に忠実に行動しようとしてきた。変わったのは彼ではなく、憲法のほうなのです。(略)

もうひとつ言えば、加藤さんの「天皇がほんとうはなにを考えているか」という内面に関する追及の視線は、皇統派青年将校とうりふたつであるという気がする。

 

 

 

加藤 いや、皇統派は天皇を神と考えたからそう思ったのでしょう。僕が言うのは、天皇が人間になったというのは、ただの人になったということで、当然、そういう問いをもさしむけられるべき存在にかわったということなんだということです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 それは話が逆ではないだろうか。戦後日本の主権者は日本国民なのだから、謝罪したければ日本国民が誤ればいい。また、日本国民が謝らなければ、謝ったことにならない。いくら戦前の主権者だったからといって、天皇が国民をさしおいて謝ることはできない。天皇はそういうことを、よーくわかっていますよ。加藤さんの考え方こそ、ぜんぜん戦後的価値観にりっきゃくしていないじゃない。(略)

 

 

(略)

 

橋爪 もしそういう言い方をすれば、天皇は人間であることを許されていない存在なんだよ。

 

 

加藤 人間じゃない存在?それは違うでしょう。そんなのは認めない。戦前の天皇が人間になった。そして象徴天皇として、いま、そこに存在しているわけだから。戦前なら、僕はこんなバカなことは言いませんよ。だって天皇はたしかに人間じゃないんだからね。(略)

 

 

橋爪 そんなものが戦後社会を生きるうえでの基準になると思うところが、全然、わからない。なぜそんなに天皇に依存しなくてはいけないんだろう。加藤さんは、「謝罪しないからけしからん」というけれど、それは戦後的世界に価値観をおいている者が言ってはいけないことだと私は思う。なぜかと言えば、天皇は戦前のような主権者としての天皇ではなくなって、象徴天皇になったけれども、日本国憲法という空間のなかでは依然として公人であり、一歩もそこから降りるわけにはいかない個人であるわけです。(略)

 

 

加藤 ということは、天皇自身は謝罪したいと思っていたんだけれども、そういうことは公人としてはできなかったからしなかった、という判断なわけ?

 

 

橋爪 そうではない。個人として謝罪したいと思っているとかいないとか言うことが、公人としての発言と受け取られてしまうといけないから、そもそも個人としての発言を差し控え断念するという立場を引き受けている、ということなわけです。(略)

 

 

加藤 いや、僕はそう思わないな。(略)

ここにいう「子孫」とは自分の子孫ということです。天皇にとって責任とは、自分の皇祖皇宗に対する責任である、というそのことしか念頭におかれていない。つまり、国民との関係、そして他者とのコミットメントについての感度は、脱落している。やっぱりこれを聞くと、ちょっとぎょっとする。(略)

 

 

橋爪 加藤さんが「ぎょっとした」ことに対して反論すれば、それで何が悪い。皇祖皇宗に対する責任というのは、天皇天皇たるゆえんの中心的なところなんですね。(略)

 

それに、「祖先から受け継いだこの国を子孫に伝えることである」と述べたのを、「皇祖皇宗のことしか考えていない」、とパラフレーズ(paraphrase 他の言葉におきかえて解釈すること)するのはフェアでないですよ。「子孫」も、文学的に読めば、将来世代の日本国民という意味です。ここは端的に、大日本帝国と日本国との連続性に責任をもっている、とも読めるでしょう。(略)

 

(略)

 

橋爪 加藤さんは、私の考え方は天皇がそう述べている証拠がないから、解釈にすぎないと言う。でも、私の考え方が正しければ、天皇が自分の考えを加藤さんが満足するかたちで述べるはずがない。言明がないということ自身が、天皇がそう考えているという証拠になるのです。」