「思考すること、意志すること、判断することというのは、三つの基本的な
精神活動である。」
「(略)我々が行動する際の原則と我々が自分の生活について判断し行動する際の
基準は、究極的には精神の生活によって成り立っているのである。
要するに、それらの原則や基準は、このような一見役に立たないように見え、何の結果も生み出さず、「直接には行動への可能性を」与えてくれはしない精神の働く営みがあって成り立つのである。」
「人間の営みのなかでまさに差し迫っていること、ア・スコリア(余裕がないこと)
があると、その場しのぎの判断に頼り、習慣と伝統、すなわち、偏見に依拠することになる。」
「我々の内面の見えない生活を支配するのはどちらかということで、精神は、魂を
主たる競合相手としているのだが、他にも違いはあるとはいえ、この点での魂との
違いは決定的である。」
「私は、自分が自分と係わっているというこの実存的状態を「単独」と呼んで、
「孤立」から区別する。」
「思考する自我については、思考活動が続くかぎりで完全に意識できるのだが、
現実世界が再び登場すると、まるで蜃気楼のように消え去っていくのである。」
「思考をするために本質的な前提として、現象の世界から退きこもることだけは、
唯一必要なのである。我々からすれば、誰かのことについて考える為には、その人が
我々の前にはいなくなっていなければならない。」
「哲学の歴史を通じて、死と哲学が近しいものだという非常に奇妙な考えが
行き続けてきた。」
「せいぜいの所、きみたちは自分が信じた感覚によってだまされており、詩人を
すすんで信じ、自分の精神を使うべきだったときに大衆に従うことによって
だまされているのだと。」
「もう一つの世界をよく知るためには、「現存の世界のために必要な思慮の
いくらかを失うことによってのみ」可能になると、彼は思った。」
「「真の哲学者」、全生涯を思考に費やす人間は二つの願いを持っている。
第一に、あらゆる種類の用事や気遣いから解放され、とりわけ、身体から
解放されたいという願いである。(略)
そして、第二には、今、身体の感覚器官で知覚できるのと同じように、思考の
かかわる真理とか正義、美といったものが接近できる実在的な彼岸の世界に
一度住んでみたいという願いである。」
「生じたことをたんに物語るだけでも、話が事実のままに行われようと、行われなかろうと、非感覚化する操作がそれに先立つのである。」
「また、生活と感覚世界の直接性という面からすれば、プラトンが述べたように、
思考とは生ける死なのである。」
「そこでヘーゲルは、思考が扱うのは抽象的でどうでもよいことだという常識の主張(これは事実そうではない)の打破を確かなものとするために、常に論争的態度で
こう主張した。「存在は思考であり」、「精神だけが現実的であり」、思考において
取り組んでいる普遍的な事柄だけが現実に存在すると。」