「彼は、「ものに意味がなくても十分やっていくだけの意志の強さと…無意味な世界に耐えて生きていける」存在者が住まうにふさわしい所与の世界を作ることにとりかかったのである。」
「「生成の無垢」と「永劫回帰」は精神の能力から引き出したものではない。その根拠にあるのは、我々が世界に「投げ出され」(ハイデガー)ており、誰も我々がここにいたいのか、今ある状態を願っているのかと尋ねたことのないという議論の余地のない事実である。」
〇これは、まさにあの水谷修さんの本にあった言葉と重なります。
「ある日に続いて次の日が来、季節が次々に続いて、永遠に同じものをくりかえすのではないか。この世界観は、哲学者の世界観よりも我々が知っている現実にずっと「本当の」ものではないか。」
「[ニーチェからすれば]意志する自我の場合には、その内面の経験によって誤って、思考する人間が現実の中に原因と結果や意図と目標のようなものがあると考えてしまうことになる。
超人とはこのような誤謬を克服し、よく見抜いていて意志の刺激にも十分抵抗するか、あるいは、自分自身の意志を向け変え、あらゆる動揺から解放され、自分の意志を静めて、「横を向く」のだけが「ただ一つの否定」となるのである。
というのも、残っているのはただ「はいという存在になり」、存在するすべてのものをその存在ゆえに祝福してアーメンといい」たいという願いだけだからである。」
〇う~~~~~~~ん…
なんだか、すごく仏教に似てるように感じられる。