読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「『羽黒台退却   死守するはずの羽黒台を一戦も交えず退却することになった。落ち行く先は羽黒台の裏山(三里半後方)のマンダラガン連山の天神山の無名稜線だ。先発はそこへ家と壕を作りに行っていた。』


これはわれわれも同じであった。”死守””死守”と声を大にして言われても、実際には何もできない。(略)」


「以上のことは、実に奇妙な事件、人類史上皆無の事件ではないであろうか。あらゆる船舶を動員し、スクラップ同様の船にまで、船艙にぎっしりと人間をつめこむ。そして、それを制海権のない海に送り出し、死へのベルトコンベアにする。やっとそれをのがれたものは、比島各地に送られる。しかし武器はない。否あったところで三八式歩兵銃だ。


そこへアメリカ軍が来る。対抗する方法は皆無だからただタコツボを掘ってその中にじっとひそむ。相手はここでまた砲爆撃・戦車・火炎放射器でこれを掃滅する。

残った者はまた次の稜線へ下がる…これが、まるでブルドーザーによる開墾のように、順次順次とただくりかえされているのである。


その間、恐るべき多量の言葉が、前線でも後方でも大本営でも浪費される。しかし現実の状況は、上記の順で、すべてはまるで機械仕掛けのように正確に進んでいるにすぎない。従ってアメリカ軍にとっては日課的作業なのである。


『米軍の攻撃は朝八時から砲撃が開始され、十二時になるとぴたりと止めてしまう。そして一時頃から夕食まで猛烈に火砲を以て攻撃し、戦車に歩兵を伴い、どんどん進撃して来る。夜間になると大部分は引き揚げてしまい迫と野砲を時々思い出したように打って来る訳だ。この米軍の戦争勤務時間外が友軍の行動時間だ。』

これが”戦争”と呼べるのであろうか。一方的な、大量虐殺ではないのであろうか?(略)」


〇あの「サピエンス全史」の中で「ベルトコンベア上の命」として、ヒヨコの選別の話がありました。そして、たくさんの動物が人間に食べられるために、どれほど悲惨な一生を送るのか、という話もありました。

ハラリ氏は、「だれもこの動物たちに悪意を持っているわけではない、ただ無関心なだけだ。」と言っていました。

この山本氏のいう「(日本国による自国民の)大量虐殺」にも、
似ているものを感じます。
兵隊を悪意で殺そうと考えた為政者は一人もいないのでしょう。ただ、誰もが「考えず」、ただ成り行きに従い、延々と人間が殺されるのを見ていた。

このような「体質」の国民には戦争をする資格はないと思います。

実は、以前、私は、憲法はきちんと改正したほうが良いと思っていました。、何かあるときには戦争も選択肢に入れる、その想定をきちんとしておいた方が良い。と思っていました。

でも、あの3・11以降、その考えはなくなりました。

この国の人間には、戦争をする資格はない。
あまりにも、為政者のレベルが低すぎる。こんな人間たちに、多くの人命を左右する力を持たせてはいけないと心から思うようになりました。