読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「この収容所は、前述のように将官・将校・兵・外国人の四区画に分かれ、各々が自治制をしいており、将校区画は、ほぼ全員が”高等教育”をうけた人で、ジュネーブ条約により労働は皆無だったからである。

従って、暴力支配を、何らかの特別な理由づけに求めることは出来ないのである。(略)


もっとも私は、朝鮮人・台湾人の区画のことは、良く知らない。だが、ここが一番よくまとまっていることは一種の定評があった。(略)

その指導者らしい人が、何かの問題で憤慨し、将校区画の鉄柵の前まで来て、大声で弾劾演説をやったことである。(略)


内容は、もう覚えていない。ただ彼が繰り返し繰り返し強調したことは「……それをわれわれに教えられたのは、あなたがたではないか、そのあなたがた自身がなぜそれを実行しない。このざまはなんだ……」という意味の言葉であった。

だがみながシーンとしていたのは良心の呵責のみではない。小松氏が記している、つぎのような二つの実情のためである。

一つは外面的実情、二つは内面的実情といえるであろう。」


朝鮮人、台湾人   志願兵、軍属、軍夫として、沢山の朝鮮、台湾人が比島に来て戦ったが、敗戦のため、彼らは日本と分かれることになった。それで各人様々の感情にとらわれていたようだったが、段々に落ち着いてくると山の生活中日本軍に協力したにかかわらず、日本軍の将校共から不当の取り扱いを受けたり、酷使され、いじめられた者の内に深い恨みを持つ者が沢山いた。

そしてこのまま分かれたのでは気分が済まず、同じストッケード内に住むを幸い、日本人に復讐することに決め、彼等特有の団結力を利用してこれ等悪日本人のリストを作り、片端から暴力による復讐が行われ出した。

部隊長級の人でもこのリンチに会った人も相当にいた。(略)


一方、山で彼らの世話を良く見た人に対しては、缶詰、タバコ、その他沢山の贈り物が来た。(略)

彼等が帰国する前に、この変な雰囲気のまま別れたのでは今までの交友が無駄になるというので、細野中佐の肝入りで朝鮮人代表を招いて、日本人のおかした罪を謝り彼らと気分よく別れようということになった。当日は多数の出席者があった。

そして日本人の非道を謝し、東亜民族の運命共同体の理念が説かれ、今後は朝鮮はソ連の影響を多く受けるだろうが、仲良くやって行こうと説かれた。最後に朝鮮代表が別れの辞を述べ、この会の目的の一部を果たして解散した。

朝鮮人、台湾人の共通の不平は彼らに対する差別待遇であり、共通に感謝されたことは日本の教育者達だった。彼らは国なき民から救われた喜びだけは持っていた。』

将校キャンプと兵隊キャンプ   (略)社会人としては全く零に近い人が多かった。実行力が無く陰険で気取り屋で、品性下劣な偽善の塊だった。兵隊だけのキャンプに暮らしてみると前者に比べて思ったことはどんどん言うし、実行力はあるし、明朗だった。(略)


日清、日露の役の当時の様に将校と兵との間に教養武術、社会的地位に格差のあった時代は良かったが、今日では社会的地位、学識その他総ての点に於いて将校より勝れた人物が大勢兵として招集されている。それ等を教養も人間も出来ていない将校が指揮するのだから、組織の確立している間はまだしも、一度組織が崩れたら収集がつかなくなるのは当然だ。

兵隊たちは寄るとさわると将校の悪口をいう。ただし人格の勝れた将校に対しては決して悪口をいわない。世の中は公平だ。』

「結局、以上二つに現れている状態、それが、暴力的秩序を生み出す温床であったと思う。ではこの温床の底にあったものは何であろうか。」