「人間の本性 人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に総てが動いている。それらを得るために人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。ただ、教養やいろいろの条件で体裁良くやるだけだ。それでも一家が破産したり主人公が死んだりすると、財産の分配等に忽ち本性を現し争いが起こる。
戦争は、ことに負け戦となり食物がなくなると食物を中心にこの闘争が露骨にあらわれて、他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。(略)
負け戦で皆が飢えている時、部下に食物を分ち与える人、これは千人に一人いるかいないかだ。(略)
現代の武将には皆無と言ってよい位だ。こういう人には自然と部下ができ物質的には不自由しないのが妙だ。だれかが「無一物中無尽蔵」と言ったが正に名言だと思う。この心境に至るには信仰以外に道はない気がする。人間とは弱いものだから。』
「従って、ごれを逆にみれば、そういう状態で打ち立てられた秩序は、否応なしに、その時点におけるその民族の文化と思想をさらけ出してしまうのである_あらゆる虚飾をはぎとって、待ったく「言いわけ」の余地を残さずに。そしてそれが、私が、不知不識のうちにその現実から目を背けていた理由であろう。
確かにそれは、正視したくない実情であった。」
〇つい最近まで、人間はどれほど追い詰められても、人間の肉を、それも仲間の肉を食べたりしないものだと、思い込んでいました。
ここでも、また「戦友を殺してまでも食う」話を聞き、やっぱりそうなのか、と思いました。