読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

シーラという子 _虐待されたある少女の物語_

「七歳のセーラのことは三年前から知っていた。彼女が保育園にいたときに一緒に過ごしたことがあったのだ。身体的及び性的な虐待の犠牲者であるセーラは、怒りっぽい反抗的な子供だった。

別の学校で特殊学級の一年生だった去年一年間口をきかなかった。自分の母親と姉以外の人間に話すことを拒絶していたのだ。

私たちはお互いの顔を見て微笑み合った。見慣れた顔を見てうれしかったのだ。


立派な服装をした中年の女性が、美しいお人形のような子供を連れて入ってきた。小さなかわいい女の子は子ども用のファッション雑誌から抜け出てきた様だった。

やわらかいブロンドの髪はていねいにスタイリングしてあるし、糊のきいたドレスにはしみひとつない。彼女の名前はスザンナ・ジョイ。六歳で、学校に来るのは今日が初めてだった。思わず胸が痛んだ。

学校に入る最初の入口で私のクラスに来るように言われるということは、将来に希望の持てる徴候ではなかった。」



「そんなわけで当初私たちは十人だった。そこに中学生のウィットニーが加わり、全員で十一人になった。最初にこの雑多な子供たちと、同じくばらばらなスタッフを眺めた時、私は絶望に襲われた。

これでどうしてクラスとしてやっていけるだろうか?どうやってこの子たちに算数をやらせたり、九カ月でしなければならないとされている他の奇跡をおこなったりできるというのだろうか?」


「私は例の新聞記事を十一月下旬に読んだのだが、そのことは忘れてしまっていた。だが、忘れてはいけなかったのだ。いずれそのうちに私たちが十二人になることを、私は予測していなければいけなかったのだ。」



「「エド?」私は汗で滑り落ちそうになる受話器をしっかり握っていった。「私はどの子も他のクラスに移したくないの。私たち、いまとてもうまくいっているのよ。
誰か一人を選ぶなんてとてもできないわ。」」


〇上司から、新聞記事にあった女の子を受け入れてほしいと頼まれ、もう十一人もいるので、これ以上は受け持てないと断ると、一人、他のクラスに移しても良いから、
是非ともその子を受け入れてほしいと頼まれ、トリイさんは、こう答えます。

ここが私には、信じられません。
仕事だからしょうがないと、クラスの子供たちを受け持っている時に、
もう一人、と言われたら、私なら迷わず、誰かを他のクラスに任せます。


でも、自分がもしこの中の子供の母親なら、そして、私自身が、この中にいる子どもなら、「仕事だからしょうがない」と関わっている教師に心から気持ちを開けるだろうか、と。

多分、そういう気持ちでできる仕事ではないのだと、このトリイさんはわかっていて、だからこそその一人一人をしっかり心の中で受け止めている…
そうなると、誰もそう簡単に、他に移すこと等考えられない、となるんでしょうね。


これは、あの夜回り先生が言っていた、「組織ではダメ。個人で係わらなきゃ」の
精神にも通じると思います。

「「違う」と私は言いました。私個人が世間に顔をさらし、一対一で向き合おうとするからこそ、子どもたちは信じ、自分の苦しみを打ち明けようとしてくれる。
組織にまかせるわけにはいかない。(夜回り先生のねがいより)」