読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (軍隊での「貸し」と「借り」)

戦傷は戦死より恐ろしいことであり、特に敗戦・壊滅・撤退という状況においては、ある種の戦死は確かに安楽死であり、負傷、特に足の負傷は、最も残酷な拷問死である。
これは誇張ではない。私のみならずほとんどすべての者が、弾があたるのなら頭部貫通銃創であってくれと願った。


血と脳漿をあびて一瞬にして息が絶えることは、「生」を除けば、唯一の救いであった。鉄帽を一度もつけなかったといっても、それは勇敢(?)だということではない。その証拠にみな「足」にはあらゆる注意を払っていた。(略)



この心理状態と非常に似たものを今の世の中で探せば、何人も何人ものガン患者の末期の苦しみを見た者が、ガンと宣告され、その苦しみを恐れるあまり、ガンで死ぬより自殺を選ぼうとするのに似ているであろう。(略)



そしてこういう場合「殺してくれ」というのは、安楽死させてくれの意味もある。F軍曹が私に言った言葉にも、おそらく「責任」ということのほかに、安楽死への願望があったと思う。


それは必ずしも肉体的苦痛が原因とは言えない。重症では、純粋な意味での肉体的苦痛は、周囲が感ずるほどには本人自身は感じていないことが多い。大声をあげて七転八倒したことを本人は少しも知らず、「全然意識がなかった。だからそんなことを言ったりしたりしたはずはないと頑強に主張することは決して珍しくない。


私には、「臨終の苦悶」を見ているのが辛いから「安楽死させてやってくれ」と周囲のものが言うのは、生きて見ている人間のエゴイズムだと思われる。「安楽死」という言葉を、本人が安楽死を欲することを言うのか、周囲が安楽死させることを欲することを言うのか、まず厳密に分けて考えるべきであろう。」



「肺部貫通は「痛み」は殆ど無いものらしく、大体、意識はしっかりしている。そういう状態で目の前に射殺されたS軍曹の死体を見、ついでドアをあけた生きている人間の私を見たとき、人は否応なしに自分が宙ぶらりんの「半殺し」状態にあることを自覚しないわけにいかない。



本人自身の安楽死という願望が非常に強く出てくるのはそう言ったときである。
だが多くの場合それは一瞬である。そしてその状態なりに一応安定した場合、人は急に心理的に生へと逃げ出す。その時が最も恐怖が強いときであろう。


斬込隊員のいう「任務を完了し、撤収して逃げてくるとき追っかけてくる弾が一番怖い」のと同じ心理かも知れない。



そして生への逃避の時は、「半殺し」から「安楽死」を望んだその一瞬を思い起こさす対象には、すえて、一種異様な恐怖を示すのも不思議ではない。まして、差動機の鋳鋼を撃ち抜くほどの二十ミリ機銃弾を二発背にうけ、胸に大きな穴をあけながら、奇跡的に生きているにすぎないF軍曹のところへ、私が姿を見せることすら、考えてみれば、死を二度味わわすような非常識な行為であったろう。どうしてここまで執拗になったのか今ではちょっとわからない。


一応の危機を脱し、安楽死願望から生への逃避へと向かった時、一番恐ろしいものはらく「ガス壊疽」であろう。(略)
銃弾は元来は高熱の火薬ガスで滅菌されているはずだが、何しろ戦場とは、人馬の死体や排泄物や汚物で徹底的に汚染されているから、それらに触れた弾には菌や毒物が付着していることもあり得るのかも知れぬ。しかしなんとなく私には迷信的な面が強いようにも思われる。(略)


いずれにせよガス壊疽は、普通負傷の二日後ぐらいに起り、恐ろしい高熱と苦悶のうちに死ぬ。まず絶対に助からない。この様子を見ただけで、すべての人が頭部貫通銃創という安楽死を望んだとて少しも不思議ではない。



ガス壊疽の危機がやっと過ぎる。その次に来るものは化膿・敗血症・死という恐怖である。当時はペニシリンはない。(略)
さらに担送の振動は、時には負傷者に「もういいから殺せ」と言わせるほどの苦痛を与え、それが負傷者をひどく衰弱させる。(略)


負傷は必ずしも敵の弾が原因とはいえない。案外知られていないのが、視方の弾による負傷や戦死である。ヴェトナム戦争アメリカ軍の誤射・誤爆がよく報道されたが、その調子や解説が、こういう事故はアメリカ軍や南ヴェトナム軍だけが起こすかのような口調だったのが滑稽であった。


日本軍にももちろんあった。ただアメリカの新聞はそういう事故を正直に報道し、日本の新聞は全く報道しなかったというだけである。」



「日本の四秒手榴弾はどうも欠陥兵器だったらしい。物を投げるにあたって、四秒というのは相当長い時間なのだが、発火させてシューッという音がすると、だれでも少々慌てる。ぐずぐずしていると自分の手の中で炸裂して自分が吹き飛ばされそううな恐怖を感ずるので、経験がないと、無我夢中でとんでもないところに投げてしまう。」



「負傷して後送されたいため、わざと自分の手を撃ったとか足を撃ったとかいう話があるが、私自身はそういう例を知らない。もっとも後送が不可能のフィリピンでそんなことをすれば、ただ苦悶死を招くだけだから、そんなばかなことをする人間がいるはずはないが、しかしそれでも、そういう状況でなければそう誤解されそうな事故はいくらでもあった。

第一私自身が、部下が全滅した夜に拳銃を暴発させている。
もしあれで死ねば当然自殺と思われたであろうし、もし後送可能の地で、膝頭でも撃ち抜いていれば、部下を全滅させたうえ、それがこわくなって、助かりたいため自分のを撃って後送された卑怯な人間の一例に慣れていたかも知れない。」



「このサングラスの元祖の一人であるO曹長は、中隊長以下すべての人間を鼻であしらい、明けても暮れても戦功自慢で、兵士が「話半分でも金鵄勲章を五つぐらいもっているはずだ」と陰で冷笑するほどであった。(略)


彼は元来、非常に気の小さい臆病な人であったと思う。臆病は罪悪でないし、それ自体は少しも非難さるべき事ではあるまい。私自身、バズーカ弾らしきものが飛んでくれば膝がガクガクする人間である。


ただ臆病が裏返しの虚勢になり、強がりになり、恐怖や自信のなさを隠すための大言壮語や一方的な言いまくりや罵詈讒謗となると、たしかに人々を誤らせ、他の危害を与え、自らも傷つく。(略)



そして鉄パイプをもってあばれるタイプもこれに入るであろう。(略)
いわゆる「戦意高揚」記事は、O曹長の大言壮語と同じで、最も臆病な者が事実を見まいとして書き、また最も臆病なものが、事実を知るまいとして読むものであろう。


味方の損害を実数のまま平然と発表できない国は必ず大きな弱みをもち、その弱みに対して実に臆病になっているがゆえに悲壮調の壮語になるのであろう。そして結局は、常にかわらず、この臆病なものが最大の損害をうけ、また最大の損害を周囲に与えるのである。