読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(一、軍人は員数を尊ぶべし)その2

「この員数主義の基盤は”組織の自転”であり、その組織の内部に手が付けられず、命令が浸透しないという現実と、後述するもう一つのことに基因していた。これは入営して、虚心、周囲を眺めれば、だれでもすぐに気づいたはずである。



例えば私が入営したのは、「私的制裁の絶滅」が厳命されたころで、毎朝のように中隊長が、全中隊の兵士に「私的制裁を受けた者は手をあげろ」と命ずる。中隊長は直属上官であり、直属上官の命令は天皇の命令である。



軍人は忠節を尽すのが本分だという。忠節とか忠誠とかいう言葉が、元来は、絶対に欺かず裏切らず、いわば懺悔の対象のような絶対者として相手を見ることなら、中隊長を欺くことは天皇を欺くこと、従って軍人勅諭に反するはずである。



だが昨晩の点呼後に、整列ビンタ、上靴ビンタにはじまるあらゆるリンチを受けた者たちが、だれ一人として手をあげない。あげたら、どんな運命が自分を待っているか知っている。従って「手を挙げろ」という命令に「挙手なし」という員数報告があったに等しく、そこで「私的制裁はない」ことになる。



このような状態だから、終戦まで私的制裁の存在すら知らなかった高級将校がいても不思議ではない。
いわば、命令と報告の辻褄はコレで合っている。そして合っていれば、それでよい。これが員数主義であり、この主義は、前述のように、全帝国陸軍を上から下までむしばみつくしていた。




人間は習慣の動物である。はじめ異常と感じたことも、やがてそれが普通になる。私自身、兵士の時は「員数をつける」ことでは優秀かつ俊敏で、将校になってからは「不可能命令」には巧みな「員数報告」で対応して来た前科があるから他を批判する資格はないわけだし、今にして思えばずいぶん麻痺していたので、多くの、考えられる奇妙なことを見逃していたと思う。



従ってここでは、当時の普通の社会人が、何の「馴れ」もなくこの員数主義に接した時の驚きをまず記そう。
今までも時々引用した「慮人日記」の著者の小松さんは、軍事ではなく、軍隊経験は皆無の民間会社の技師で化学者であり、ガソリン代用のブタノールを糖蜜から製造する技術者として軍に徴用され、比島に派遣された人である。この人が、ただただ驚きあきれて、次のように記している。



「形式化した軍隊では「実質よりも員数、員数さえ合えば後はどうでも」という思想は上下を通じ徹底していた。員数で作った飛行場は、一雨降れば使用に耐えぬものでも、参謀本部大本営)の図面には立派な飛行場と記入され、又比島方面で〇〇万兵力必要とあれば、内地で大招集をかけ、なるほど内地の港はそれだけ出しても途中で撃沈されてその何割しか目的地に着かず、しかも裸同様の兵隊なのだ。


比島に行けば兵器があるといって手ぶらで日本を出発しているのに比島では銃一つない。やむなく竹槍を持った軍隊となった。日本の最高作戦すらこの様に員数的なのだ…」



小松さんが、最初にあきれかえったのは「ネグロス航空要塞」なるものの正体を見た時であった。この「航空要塞」は、当時比島では知らぬ者がないほど有名なもので、「これで米軍を叩き潰してやる」「ネグロス航空要塞が潰れたら日本は危ない」と言われたほどのものであった。


ネグロス島はレイテ島の東にある。これを「不沈空母」にする。
「米軍がレイテに押し寄せたら思う壺だ、相手は可沈空母、こちらは不沈空母、絶対に負けない。敵を上陸させて釘付けにし、空母群をおびき寄せて徹底的にぶっ叩いてやる」
とのことであった。今でも”員数戦記”にはそんなことを書いてあるらしい。だが、ブタノール増産のため同島に急派された一市民の目に映った実体は、一言でいえば、あるのは「員数」だけで、結局は何もない、ということであった。



「ネグロス空の要塞というから、どんな物かと思ったらピナルバカン…(ほか九か所)…などに、毎日の爆撃で穴だらけになった飛行場群に焼け残りの飛行機が若干やぶかげに隠されているだけだ。対空火器は高射砲が三門だけという淋しいものだ…これが日本の運命をかけたネグロス空の要塞の正体である……」
だが、慰安所だけは、”員数”でなく、完備していたらしい。



「ネグロスには航空荘といって、航空隊将校専用の慰安所(日本女性)兼料理屋があった。米軍が上陸する寸前、安全地帯にこの女たちを運んでしまった。……これがネグロス航空要塞の最後の姿だ」



なぜこうなったのか。それは、自転する”組織”の上に乗った「不可能命令とそれに対する員数報告」で構成される虚構の世界を「事実」としたからである。日本軍は米軍敗れたのではない。米軍という現実の打撃にこの虚構を吹き飛ばされて降伏したのである。それを何よりも明確に示すのが、「無条件降伏か本土決戦か」が論じられた最後の御前会議と、あの”聖断”である。(略)



本土決戦を主張する阿南陸相は、すでに戦備は完了し、九十九里浜の陣地も完成しているから、ここで米軍に一撃を加えるべきだと強硬に繰り返す。降伏・決戦の議論が平行線をたどって決着がつかず、鈴木首相が天皇に”聖断”を乞うたとき、天皇が言った決定的な言葉は、侍従武官を派遣して調べさせたところ、九十九里浜には陣地などはない、という意味の言葉である。(略)



結局これは「員数としてはあるが、実体としてはない」ということであり、「実体としてはない」と言われた時には、降伏しかないという実情を示したことにほかならない。(略)



そしてこの員数主義は、銃火による指摘を受けるまではだれも気付かないほど徹底し、麻痺し、常識化し、それが軍隊なるもののあたりまえの状態だと、すべての人が思い込むまでになっていた。私もその一人なのである。そしてこの員数主義は、当然に前述の逆、「実数としてはあるものも員数としてはない」という形にもなっていく。」

〇 この「実数としてはあるものも員数としてはない」という文を読み思い出したのが、「タイガーと呼ばれた子」にあった、斉藤学氏の言葉です。

「おそらく多くの日本の人々は知っていたのだ。読者本人か、その身近な人に「シーラたち」がいること、ただ彼らには「名」がつけられていないだけであることに。「日本には性的虐待がない、これが日本の文化の特徴のひとつである」(1997年に東京で開かれた国際学会での、ある精神科医の発言)などと言っていたのは人々の実態を見ることを怠った「専門家」たちのゴタクに過ぎなかったのである。」

(つづく)