読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 上 (ジャングルという生き地獄)

「横井さんのニュースを耳にしたとき、私は思わず「何かの間違いだろう」と呟いた。ジャングルで二十八年も生き続けることは、自分の経験に照らして、あり得ないことと思われるからである。
 
だがやがてそれが、ジャングルでなく竹林だと聞いて「なるほど、竹林なら不可能ではないな」と思った。」
 
 
 
「私のこの生き地獄期間は約三カ月だが、これくらいか、長くてもせいぜい四、五カ月が人間が生存し得る限度であろう。」
 
 
 
「歩兵は最前線に兵隊がいて、偉い人ほど後方にいる。中隊本部のはるか後ろに大隊本部、そのはるか後ろに連隊本部、というのが普通の形だが、砲兵はこれが逆になる。(略)
 
 
中隊・大隊・連隊の観測所があり、指揮官はここにいた。ここで射弾を観測しつつ、有線あるいは無線の電話で射撃を指揮するのである。(略)
 
したがって戦闘となれば、最も狙われるのが、この観測所であった。」
 
 
「これを「測地」といったが、この測地はほぼ終わっており、もし敵の戦車隊がある標点の近くに集結すれば、砲兵隊長が「〇号標点諸元取レ」と電話で命令するだけで、ジャングル内の全砲口がその地点に向いて、一斉に集中砲火をあびせられるようになっていた。
 
 
だが当時すでに、日本軍の下級幹部のこういった技術屋は極端に不足しており、驚くなかれ、師団砲兵隊の観測出身の少尉は私だけでであった。
 
「オイ山本。おれが死ぬまで、お前は絶対に穴に入っトレ」S中尉はよくそう言った。」
 
 
 
 
「アパリからバレテバスまでは約三百キロ。道路は五号道路一本だが、その橋はすべて爆撃で破壊されている。ガソリンはすでにない。砲弾を運ぶことも、砲車を動かすこともできない。
 
ジャングルの奥深く運び込んだ砲を人力で引きだすだけで一カ月はかかる。砲弾を道路際まで出すだけで二カ月はかかろう。
 
 
命令が来たとき、われわれはただ呆然として顔を見合わせていた。」
 
 
「そして出発直前、私も命令をうけた、「山本、お前は残レ」。S中尉がなぜこう言ったか、理由は今もわからない。私は不満であった。残されるということは、理由の如何を問わず、気持ちが良いことではなかった。
 
 
だがそのおかげで私は生きている。」
 
 
「私は、ジャングル戦最後の三か月間、膝から下が乾いたことはまったくなかった。軍靴は一カ月もたたぬ間に糸がくちて分解してしまう。全員が、足全体がひどい水虫のような皮膚病になった。
 
まず水泡ができ、ついでペロッと皮膚がむける。その足に、靴の底皮で作ったわらじを結び付け、歯をくいしばり、血をたらしながら泥水の中を歩く訳である。」
 
 
 
「退却戦では、歩けないものは捨てて置かれる。自殺用手榴弾などという贅沢品はもうない。這いずってどこかにひそんでいれば、餓死するか、フィリピン人の農民に発見される。
 
 
彼らは、最も被害の少なかった者でも、家を焼かれ、米と水牛を略奪され、労役に酷使されており、何もかも失って命からがら逃げだしている。そして親族か知人か家族のだれかが、日本軍に、直接あるいは間接に殺されている。
 
嬲り殺されて当然であろう。
足をやられ、動けなくなり、その結果徐々に殺されるなどということはまっぴらだ_どうせ死ぬなら頭に一発くらって即死したほうがいい、という気持ちはだれにでもあった。
 
したがって私も、一度も鉄帽を被ったことが無かったが、足の傷だけには細心の注意を払った。しかしその私でも、両足におのおの大小四つの潰瘍があり、全治したのは戦後二年目ぐらいであった。」
 
 
アメリカ軍は、食糧のない日本軍が、夜間、部落に出没して食料を略奪していることをよく知っており、待ち構えていた。(略)
 
ではそんな状態にいて、いずれ近々死ぬことが分かっていて、なぜ投降も降伏もしなかったのか、という疑問は、当然誰の頭にも浮かぶであろう。」
 
 
 
 
「司令官が降伏を命ずれば部下には責任がないが、しかし司令官は軍法会議にかけられ、極刑は銃殺刑である。日本陸軍の高級幹部は、すべてを部下に押し付けて、最後までこの責任を回避し続けた。
 
横井さんの悲劇はここにある、と私は考えている。」
 
 
「第二に、ジャングル戦では、投降は実際問題として不可能に近いことである。視界は〇、敵味方は至近距離でいわば鉢合わせをする。
 
瞬間、本能的に引鉄に手が行き、一秒でも早く発射したほうが生き残る。しかも言葉が通じないから、投降の意思があっても、瞬時に意思表示ができない。」
 
 
 
 
「第三に、部下や同僚を戦死させた上、生きている部下、特に動けない病人を放置して、助かるため自分だけが出ていく、ということは、普通の神経ではできないことである。
 
 
私の親しかった同僚のI少尉は八月十三日に戦死した。彼とその部下はジャングルから少し出たところの民家で包囲され、全滅した。
 
 
私は彼を救出しようとして果たせなかった。ジャングルを出るとき、この民家の焼け跡の傍らを通ったが、そのとき思わず「おれだけはジャングルにもどろう」という気になった。
 
 
事実、死者が自分に「おれたちを放って、去って行ってくれるな」と言っているような気持は全ての人にあったのではないかと思う。」