読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「第七章 国体の不可視化から崩壊へ

     (戦前レジーム:相対的安定期~崩壊期)

 

1戦前・戦後「相対的安定期」の共通性

▼「戦前レジーム」と「戦後レジーム」の並行性

(略)

両時期には、次のような四つの共通点を見いだすことができる。

 

① 国体の不可視化と存在理由の希薄化

  (略)

戦前レジームの相対的安定期にあっては、このことは天皇制の希薄化として現れ、病弱で存在感の薄い天皇大正天皇)のキャラクターがそれを象徴する。(略)

 

 

②国際的地位の上昇

(略)

戦前レジームの場合では、日露戦争の勝利を受けて日本は世界有数の植民地帝国となり、第一次世界大戦を機としてさらにその勢力を拡大する。そして、一九二〇年に発足する国際連盟では、常任理事国の地位を獲得することになる。(略)

 

 

③ 国体の自然化・自明化

(略)

しかし、三つ目の共通点として即座に指摘しなければならないのは、「国体の不可視化」とは、「国体の清算ないし無効化」を意味するものではさらさらなく、むしろ不可視化することによって、それは一層強化され深く社会に浸透した、ということである。(略)

 

 

大正デモクラシーの「主権の所在を問わない民本主義」の理論は、このことを典型的に示すものである。(略)

だから「理想の時代」の末期における政治運動の自滅的な過激化は、逆に言えば、この外部喪失に対する絶望を表現する反応であった。

 

 

 

④ 主体的な選択の放棄と国際的地位の凋落の遠因

そして、第四の点として挙げなければならないのは、第二の共通の裏面として、この時代において、後の蹉跌をもたらす遠因が見出されるということだ。言い換えれば、国際的地位が向上し影響力が増大した時期に、進むべき方向性を主体的に、また創造的に選びとることに失敗したからこそ、この後の「国体の崩落期」が非常に困難な時代となる。

 

無論、こうした見方は後知恵に基づくものだ。しかし、このことは、「国体の不可視化」が「国体の失効」ではなく、「国体の自明化」であったことの直接的帰結であることは、指摘しておかなければならない。

 

 

 

「国体」は「坂の上の雲」 ― 明治レジームにあっては独立の維持と「一等国」化、戦後レジームにあっては敗戦からの再建と先進国化 ― に到達するために必要とされた。それらの目的が達成された以上、国体はある意味で清算されなければならなかったはずである。

 

 

だが国体の不可視化は疑似的な失効をもたらしはしたが、結局のところ、国体は、「自然化」されたにすぎなかった。

このことは、対内対外両面で政策の方向選択の誤りを導き、次なる「国体の崩壊期」において深刻な帰結をもたらすこととなる。われわれは、最も大きな力を持った時に、その力をどう用いるべきかに関して構想力を欠き、したがって無力だったのである。われらは最も富める時にあまりに貧しく、この貧しさにこそ、国体による国民統合の限界が表れている。」

 

 

〇 以前読んだ「サピエンス全史」に資本は持っているだけでは力にならない。どう使うか、何のために使うかという価値観がなければ…というような文章があったような気がして、探しました。

 

以前の記事をリンクします。

 

サピエンス全史 第十五章

軍事・産業・科学複合体が、インドではなくヨーロッパで発展したのはなぜか?イギリスが飛躍した時、なぜフランスやドイツやアメリカはすぐにそれに続いたのに、中国は後れを取ったのか?」(略)

 

彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐには模倣したり取り組んだりできなかった。」

 

〇 西洋の価値観が一番だと思いたくはないのですが、少なくとも、彼らは「合意形成」が上手だと思います。合意形成が出来なければ、危機の際にも、互いに足を引っ張り合い、内部分裂を起こし、国民が力を合わせるということが出来ません。

 

合意形成のためには、「何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造」が必要なのでは…と思います。