読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下

<空白のある地図>

「十五世紀から十六世紀にかけて、ヨーロッパ人は空白の多い地図を描き始めた。ヨーロッパ人の植民地支配の意欲だけでなく、科学的な物の見方の発達を体現するものだ。

空白のある地図は、心理とイデオロギーの上での躍進であり、ヨーロッパ人が世界の多くの部分について無知であることをはっきり認めるものだった。」


コロンブスは、無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。」


「世界の陸地面積の四分の一強を占める、七大陸のうちの二つが、ほとんど無名のイタリア人にちなんで名づけられたというのは、粋なめぐりあわせではないか。

彼は「私たちにはわからない」という勇気があったというだけで、その栄誉を手にしたのだから。」


アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるを得なくなったからだ。」



「これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完ぺきではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。」


「ヨーロッパの帝国による遠征は世界の歴史を変えた。別個の民族と文化の歴史がただいくつも並立しているだけだったものが、一つに統合された人間社会の歴史になったのだ。」



「このようなヨーロッパ人による探検と征服のための遠征は私たちにとてもなじみ深いので、それがいったいどれだけ異例だったのかが見落とされがちだ。」


「多くの学者によれば、中国の明朝の武将、鄭和が率いる艦隊による公開は、ヨーロッパ人による発見の航海の先駆けであり、それを凌ぐものだったという。

鄭和は1405年から1433年にかけて7回、中国から巨大な艦隊を率いてインド洋の彼方まで行った。中でも最大の遠征隊は、3万人近くが乗り込んだ300隻弱の船で編成されていた。(略)

コロンブスの艦隊は、鄭和の艦隊がドラゴンの群れだとしたら、三匹の蚊のようなものだった。」


「それでも、両者には決定的な違いがあった。鄭和は海を探検し、中国になびく支配者を支援したが、訪れた国々を征服したり、植民地にしたりしようとはしなかった。

さらに、鄭和の遠征は中国の政治や文化に深く根差したものではなかった。1430年に北京で政権が変わった時、新しい支配者たちは突然遠征を中止した。(略)重要な技術的知識や地理的知識が失われ、鄭和ほどの威信と才覚を持った探検家が中国の港から出航することは二度となかった。」


「たいていの中国の支配者は近くの日本さえも自由にさせて。それは、特別なことではなかった。

特異なのは近代前期のヨーロッパ人が熱に浮かされ、異質な文化があふれている遠方の全く未知の土地へ航海し、その海岸へ一歩足を踏み下ろすが早いか、「これらの土地はすべて我々の王のものだ」と宣言したいという意欲に駆られたことだったのだ。」