「人間には、社会構造を柔軟性のない永遠の存在と見なす傾向があった。家族やコミュニティは、秩序の範囲内において、自らの立場を変更しようと奮闘するかもしれないが、私たちは自分が秩序の基本構造を変えられるとは思いもしなかった。
そこで人々はたいてい、「今までもずっとこうだったし、これからもずっとこうなのだ」と決めつけて、現状と折り合いをつけていた。(略)
過去二世紀の間に、変化のペースがあまりに早くなった結果、社会秩序はダイナミックで順応可能な性質を獲得した。今や社会秩序は、たえず流動的な状態で存在する。」
「これはとりわけ、第二次大戦終結後の70年についてよく当てはまる。この間に人類は初めて、自らの手で完全に絶滅する可能性に直面し、実際に相当な数の戦争や大虐殺を経験した。
だがこの70年は、人類史上で最も、しかも格段に平和な時代でもあった。これは瞠目に値する。」
「<現代の平和> ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かつて世界が今よりもはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう。」
「暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった(前記の数字が示すように、今日でさえ、身近な犯罪のほうが国際的な紛争よりもはるかに多くの命を奪っている)。
すでに見た通り、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんでいた。」
「ブラジルでは、1964年に軍事独裁政権が樹立され、その支配は85年まで続いた。その20年間に数千人のブラジル人が政権によって殺害された。さらに何千もの人が投獄されたり拷問を受けたりした。
ワラオニ族やアラウェテ族、ヤノマミ族は、アマゾンの密林の奥地に暮らす先住民で、軍隊も警察も監獄も持たない。人類学の研究によれば、これらの部族では男性の4分の1から半分が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的ないさかいによって、早晩命を落とすという。」
「<帝国の撤退> イギリスは1945年には、世界の4分の1を支配していた。その三十年後、同国の支配地域は、いくつかの小さな島だけになった。同国はその間に、ほとんどの植民地から平和裏に整然と撤退した。(略)たいていのちいきでは、癇癪を起す代わりにため息をついただけで帝国の終焉を受け容れた。
彼らは権力を維持することにではなく、出来る限り円滑に移譲することにもっぱら努力をむけた。マハトマ・ガンディーは彼の非暴力の信念に対してたいてい山ほど賛辞を与えられるが、少なくともその一部は、実際には大英帝国が受けるべきものだ。」
「それに比べると、フランス帝国は往生際が悪かった。(略)
だが、ソ連のエリート層と東欧の大部分を占めていた共産政権は(ルーマニアとセルビアを例外として)そうした軍事力の一端さえも用いようとはしなかった。共産圏の指導者たちは、共産主義の破綻を悟ると武力を放棄し、失敗を認め、荷物をまとめて退散した。