読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「収容所のリンチについては時としては語られることはあっても、それを語る人は、なぜそれがあり、自分がなぜ黙ってそれを見ていたのかは、語らない。そして、誰かがその点にふれると、次の瞬間に出てくるのはヒステリカルな弁明であっても、なぜその自体が生じたかの、冷静な言葉ではない。(略)


結局は一種の責任転嫁_戦争が悪い、収容所が悪い、米軍が悪い、ソヴェト軍が悪い、等々である。しかし、同じ状態に陥った他民族が、同じ状態を現出したわけではない、また同じ日本人の収容所生活でも、常に同一の状態だったわけではない、という事実を無視して_。


だが人が夢中でその転嫁を行っている時、それは、その人の最も深い創にだれかが触れた証拠にほかならない。


収容所におけるリンチ問題をとりあげ、日本人は一種の「暴力性向」があると、歯に衣を着せずはっきり指摘したのは、おそらく小松氏だけであろう。一番いいにくいこと、それに触れられれば、殆どの人が「かえりみて他を言う」という態度をとって逃げる問題を、はっきりと「余程考えねばならない」問題として氏が提起したこと、これは本書のもつ一つの大きな価値である。」


「では一体なぜ、的確に、小松氏が記しているような事態を招来していくのか。そこには”一握りの暴力団”と”臆病な多数医者”がいたのであろうか。(略)


では作業もなく、給与も余暇も十分で、何の苦労もなければ、暴力団は発生しなかったのであろうか。実をいうと、そうではなかったのである。」


「私の青年時代は、一種奇妙な”社会主義的”時代であった。もちろん社会主義という言葉は禁句だが、近衛首相提唱の「社会正義」という言葉があり、一君万民のもと「一人の衣貪食者もなく一人の飢えた者もいない」状態を実現するという”天皇社会主義”のようなことが、政治の目標とされていた。

日本には、”おくげ社会主義”とか”雲上社会主義”といった伝統があるらしく、西園寺・近衛という日本の伝統的元老と名門が、共に、社会主義的言辞がお好きなのは面白い。


また十九世紀的「レ・ミゼラブル」的正義感といったものも非常に強く、それらが私たちの青年期の主流となった考え方であった。「社会が悪い」という言葉は戦後のものでなく、二・二六の青年将校革新官僚も右翼の壮士も、共に口にした言葉であった。」


〇そのようなことは、全く知りませんでした。
宗教だなんだ、ではなく天皇やおくげが中心になって、「弱者の身になって考える」政治の空気が作られていたんだ…と意外でした。