読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  5 なぜ、安全を保障してくれない神を信じ続けるのか

「O 先ほど橋爪さんがおっしゃっていた非常に重要なポイントで、聞いていてなるほどと思ったのは、要は神との関係は安全保障である、ということです。もちろん宗教家はこの教えは優れているからとか、宗教に内在的な論理をつけるでしょうけれども、古代世界のことを考えれば、一種のセキュリティのために神を信仰したのだと思うんですね。(略)



ところがユダヤ教の歴史は、はっきり言って連戦連敗。旧約聖書の範囲内でちょっとは勝ったかなと思えるのは、しいて言うと、エジプトで奴隷だったユダヤ人が、モーセに率いられて奇跡的に脱出し、その後、最終的にヨシュアのおかげでカナンの地に入ったとき、ほとんどこの時だけです。」




「O 後になって解放されたと言ったって、そもそも捕囚されなければ解放されないわけですから、ユダヤ人たちが相当ひどい目に遭っていることには変わりない。どれほど我慢強い人であっても、そのあたりでヤハウェとの安保条約を解消してもよさそうなものです。ところが、まさに、安保条約を破棄してもよさそうなその時期にこそ、ユダヤ教は磨きがかかり、ほぼ完成した。これはいったい何故でしょうか?」


〇う~~~ん… ここを読みながら思い浮かんだのは、自分が一番苦しかった時のことです。ここでは、宗教はイスラエルの国との関係で論じられていますが、私にとって辛かった時の「宗教」は「溺れる者は藁でもつかむ」の藁でした。

つかんだ藁の言葉、聖書の言葉を読みながら、救われるとか楽になるとかとは、まるで程遠い苦しさが続くのですが、でも、自分と同じような嘆きの言葉、苦しみの言葉がそこにある、というのが今思うと支えになったような気がします。

そういう意味では、読みながら自分でもすごく不思議だったのは、「新約」よりも「旧約」の方が読んでいて心が安らぎました。
今でも、なぜなのか、よくわかりません。自分とはまるで関係の無いイスラエル民族の嘆き苦しみの言葉になぜ自分が惹かれたのか…。

そして、辛い!苦しい!と嘆いて祈る対象があるということは、もうそれだけでどれほど支えになることなのか、ということをその後も何度も何度も経験しました。
だから、全然救ってくれないのに、なぜ信仰するのか?とここで大澤さんは言っていますが、私個人に限って言えば、助けて下さい!と祈ることが出来ることの中に救いがあったような気がします。
だから、その祈りの対象を捨てるなんて出来ない、という気がします。


「O 古代ギリシアのゼウスと他の神々のように、神の間にランクがついているけれども、たくさん神がいるような状態ですね。さらに、戦いに勝利して覇権を握った共同体の力が軍事的にも社会経済的にも圧倒的になって来ると、その強い共同体の神に対して、敗北した他の共同体の神々はもはや神に値しないということで駆逐される。


そうして、結局、最も強い神だけが勝ち残り、一神教が成立する。こういうのが、一神教の成立過程として想像したくなるものですし、実際に、これに近い過程も歴史の中ではあったと思うのです。


ところが、実際のユダヤ教の歴史に関しては全くそう言う風にはなっていない。周囲に猛烈に強い国があるにもかかわらず、そっちの宗教、例えばエジプトの太陽神信仰とかファラオ信仰が今日まで影響を保ったなんて言うことはない。逆に、もっとも弱小であったところの神が生き延びて、歴史に多大な影響を残した。これは、非常に不思議な感じがするんですよね。



それにもっと極論すると、ユダヤ人にとって一番危険なのは、実は周囲の帝国ではなく、神様自身なんですよね。ユダヤ人自身が用いた論理_神様はユダヤ人の神様ではなくて、世界の神様だったんだ_でいくと、バビロニアユダ王国を滅ぼしに来たのも神の意思だということになるからです。神様が一番自分たちに災厄をたくさんもたらしていることになる。(略)


安全保障のために契約した神がちっとも安全を守ってくれなかったのに、なぜ信仰がいささかも衰えなかったんでしょう?」


「H 三通りの答え方があると思います。
一番目は、いじめられっ子の心理。(略)

いじめられるという状態を受け入れ、それでも自尊心を保つにはどうしたらいいか。それを考え始める。これは試練なんだ。いじめる側は知らなくても、これは隠れた計画があって、いじめられることで自分が鍛えられているんだ、耐え忍ぶことが大切だ、みたいに考える。(略)…ですけど、いじめられっ子には、他に考えようがない。


二番目。心理学の実験で「どれぐらいであきらめるか」というのがある。(略)

イスラエルの民は、おおむね負けているけれど、たまには勝つんです。すると、今度こそ勝つんじゃないかと、千年ぐらいたってもまだ、同じことをやっている。


さて、最後に、もう少し本気の答えを言いましょう。イスラエルの民の危機が、二段階で起こったという点が、大事だったと思います。(略)


ソロモンの没後、北側と南側は折り合いが悪くて分裂して、イスラエル王国ユダ王国に分かれてしまった。
そのあとアッシリアが攻めてきて、まず北のイスラエル王国が滅ぼされた。アッシリアは苛酷な政策をとっていたので、宗教の自由がなかった。(略)


北のイスラエル王国の滅亡を見ていたユダ王国は、非常な危機感を持ちます。うかうかしていて外国に攻められると、民族は雲散霧消してしまう。政治的国家が壊滅しても、民族的アイデンティティが保てるようにしよう。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった預言者たちも、警告を発しました。


それからユダ王国の、ヨシヤ王も重要です。この王は、宗教改革を実行した(紀元前622年)。(略)それまで多神教状態だったのを、浄化して、ヤハウェ信仰を強化したのですね。」