読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  11 利子の解禁

「O 資本主義とキリスト教の関係について考える時、よく話題になることとして、利子の問題があります。
利子は、キリスト教徒の間ではもともと禁じられていました。とりわけ、中世には厳しく禁じられていた時期があって、利子を取ることは最大の罪の一つで、神の意思に反するものだとされていた。金貸しは神の国には絶対にいけないと考えられていました。
 
 
しかし、資本主義は利子を認めなければ始まりません。(略)利子がだんだん認められてくるのは、プロテスタントが出てくるより少し前からでしょう。しかし、なぜ、中世においては圧倒的な罪だった利子が、やがて取っても良いものになったのか。(略)
 
 
H ユダヤ教は、利子を取ることは禁止。キリスト教も、利子を取らない時期が長かった。イスラム教も利子を取ることは禁止。みんな利子を取らないんです。(略)
 
ユダヤ教は、利子を取ってはいけないのだが、それはユダヤ教徒同士の場合で、異教徒から取ることは禁止されていなかった。だから、キリスト教徒は、ユダヤ教徒からお金を借りればいい、利子を払って。ユダヤ人も、キリスト教徒から借りればいいわけです。
 
 
O そうですね。シェイクスピアの「ヴェニスの商人」は、キリスト教徒がユダヤ人から金を借りる話ですもんね。あそこでも、利子を取っているユダヤ人のシャイロックは悪い奴という扱いですが。
 
 
H (略)ではなぜ、利子を取ってはいけないのか。利子それ自体がいけないのではなくて、利子を取ると同胞を苦しめることになるから。借金を申し込むのは、多くの場合、困窮した人です。困窮した同胞に借金を頼まれたら、利子を取って追い打ちをかけてはいけない。利子無しで貸してあげなさい、という規定なのです。
 
 
ユダヤ教はこういう規定がたくさんあるのが特徴で、たとえば、質入れ。上着をかたに取って貸し付けた場合、上着を日没までに返してやりなさい、とある。何故かと言うと、当時、上着は夜寝る時に毛布の代わりになっていたので、上着がないと、夜寒くて困る。
 
 
貧者の場合、他にないから上着をかたに取るんだけど、夕方になったら返してやらなきゃいけない。石臼をかたに取ってはいけない。どうしてかと言うと、石臼で小麦をひいてパンを作るので、石臼がないと生活に困るからです。こういう規定がいっぱいある。
 
 
利子の禁止は、その一環だった。借りる側が、困窮しているわけではなく、ビジネスを始めるから貸して下さいなら、禁止しなくてよいはずです。でも、そういう貸し付けを含めて利子は禁止だった。(略)
 
 
利子は、ヴェニスの商人の時代まで、抵抗が強くて、金融ビジネスなど成り立たなかったんですけど、東インド会社などが設立されるようになって、投資に利益を配分するシステムが生まれた。(略)
 
利益を分配して良いなら、期待利得を利子として約束する、商業銀行の成立までほんの一歩。こうした形がだんだん、オランダやイングランドで定着していった。(略)」