読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  15 近代哲学者カントに漂うキリスト教の匂い

「O カントは18世紀から19世紀にかけて生きた人です。(略)フランス革命の同時代人であり、典型的な近代哲学者と言っていいでしょう。(略)


さて、カントは、ものすごく厳格なプロテスタントでした。生まれ育った家庭も、厳格なプロテスタントだった。しかし、カントの哲学は、神やキリストを前提にしていない。ここが中世の哲学者とはっきりと違うところです。(略)


つまり、カントは、神の存在をカッコに入れた上で、哲学しているわけです。しかし他方で、にもかかわらず、カントの哲学は、全体としてたいへんキリスト教的だと思う。(略)


つまり、「普遍化」のテストに合格する格率だけが、定言命法になりうる、というのがカントの論理です。(略)


カントは、他人を自分の道具や手段として(のみ)扱うことをたいへん悪いことだと考える。どんな他人であれ、相手が嫌な奴や悪人であったとしても、独立の人格として尊重しなくてはいけない。それが定言命法の核です。


こう考えると、定言命法が、カント風にアレンジされた、キリスト教的隣人愛であることが分かります。(略)


だから、ここにもキリスト教のあの特徴が現れているわけです。まさに、キリスト教から脱したように見える部分で、実は、最も強い影響が現れているという逆説です。


ふつう世俗化と言うと、宗教の影響を脱することを言うわけです。しかし、キリスト教は、世俗化において一番影響を発揮するという構造になっている。そういう風になった宗教は他にはなかったんじゃないかな。



H なるほど、興味深いですね。(略)
マルクス主義は、この弁証法に駆動されています。マルクス主義は、唯物論を標榜し、キリスト教と関係ないことになっていますが、私から見ると、神がいないだけで、ほとんどキリスト教と同じ。


教会の代わりに共産党がある。共産党カトリック教会のように、一つでなければならないとしている。それは世界全体が、歴史法則に貫かれているからなんです。

やがてやって来る世界革命は終末とよく似ている。プロレタリア/ブルジョワの二分法も、救済される/されない、の分割線なのです。もう全体が、キリスト教の部品装置でできているのですね。

というふうに、たとえばマルクス主義を生み出してしまうのは、キリスト教の重要な性質のひとつだと思われる。

O まったくそうですね。


H 日本人があまり、キリスト教を受け入れない。日本人があまり、マルクス主義を受け入れない。人数はどちらもだいたい同じぐらいだろうと思うんだが。


O マルクス主義者はキリスト教徒以上に、誰と特定するのが難しいところがありますけどね(笑)。

H そうですけど、日本共産党とか革マルとか中核とか、数えられる部分もでしょう。それからシンパ。つまり、洗礼を受けていないけど教会に行きます見たいな感じで、党員じゃないけどカンパぐらいはしますという周辺層がいる。でも、一般の人々への広がりはごく限定的ですね。そのへんもクリスチャンと似ている。


でも、日本人は受け入れないけど、中国人がマルクス主義を受け入れているでしょ。日本人よりずっと人数が多い。それに最近、キリスト教を大々的に受け入れているんですね。


都市部でも農村部でも、家庭教会が広がっている。朝鮮半島は北半分がマルクス主義を受け入れ、南半分がキリスト教を受け入れている。マルクス主義キリスト教を込みで考えるならば、日本人はどちらも受け入れにくいという特徴がある。


O 一般には、マルクスが「宗教はアヘンだ」と言ったから、マルクス主義と宗教は敵対していることになっているけど、それはマルクス主義自体が宗教だったからだ、というところもあります。(略)


ヘーゲルについて言えば、ヘーゲル自身が本来は神学者ですからね。神学の論理を抽象化していくと弁証法みたいになって行くんですね。」


〇 マルクス主義は宗教だ、という話、確か「サピエンス全史 下」の中でも、言われていたような気がして、探したのですが、見つけたのは、別のことでした。

「だが当然ながら、科学には、未来に何が起こるべきかを知る資格はない。
宗教とイデオロギーだけが、そのような疑問に答えようとする。」

「つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることが出来る。」

なぜ、キリスト教のもとで、自然科学や社会科学が発達したか。芸術も盛んになったか。その答えが、ここにもあるのでは?と思いました。


〇「共産主義は宗教」という言葉を見つけました。

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「近代には、自由主義共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。

これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だが、これはただの言葉の綾にすぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソヴィエト連邦共産主義は、イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった。(略)


仏教も神々を軽視するが、たいてい宗教に分類される。」

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