読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (戦場の内側と外側)

「こういう点における「日本軍の方針」は全く支離滅裂で、分裂症もいいとこだと言いたいぐらいであった。南方一帯の共通語は、非常にブロークンとはいえ英語である。そして日本軍は南方一帯を占領し、派遣軍は現地で自活さす計画である。


現地自活は輸送路を切断されたので否応なしにそうなったのかと思っていたが、藤原彰氏から、それが実に昭和のはじめからの既定の方針であったと聞いて私は非常に驚いた。


現地自活なら、当然に現地人と折衝しなければならない。それなら軍の手で「英語要員」を要請するのが当然の常識である。ところが、英語は敵性言語だというので逆に白眼視され、圧迫され、ついには英語教育の全面的禁止にまでなってしまった。


「鬼畜米英→英語廃止」という短絡的発想が、逆に軍を苦しめるという結果になった。


もちろん軍の内部にも、本間中将のような人もいたわけだが、当時もこういう人のきわめて現実的な意見は、前述の「短絡的世論」の一方的強弁には抵抗できなかったわけである。

私はこういう「短絡的世論」いわば単純な応援団的発言は、昔であれ今であれ、無責任な言動だと考えている。すなわち自分の発言が、どう作用するかを全く考えず、それがまわりまわって自分の首をしめるかも知れぬなどということは全く考えていない。(略)



この点、対日戦と同時に急いで日本語要員を集め、人によってはすぐさま佐官クラスにし、またすぐに日本語要員の養成に取りかかったアメリカとは、全く対蹠的であったといわねばならない。



私の卒業した学校は、最後の最後まで英語教育をつづけ、軍から最もにらまれており、配属将校が学生を集めて「コンナ学校は焼き払ってしまえ」という暴言を吐くほどの状態であった。


ところが現地では、軍が最も嫌ったその教育をうけた人間がいないと、何事もはこばないという、極めて奇妙なことになってしまったわけである。」


〇ここで、山本氏の言う、「私はこういう「短絡的世論」云々…」については、
考え込んでしまいました。まったくその通りだとは思うのですが、
では、自分の発言が「短絡的」かどうか、と、考えてしまうと、発言できなくなってしまいます。

実際、自分の発言の作用まで考えられる能力をどれだけの人が持っているか…。
特に、政治や経済については、ますます何も言えなくなってしまいます。

私は、むしろ、思ったことは発言して良い、というメッセージの方が大事ではないかと思います。そして、間違ったら、その間違いから学んで、また次の世代に繋げる、それしかないと思うのですが。

太平洋戦争では、多くの日本人が、間違った。
だからこそ、次の世代は、二度と戦争はしない、と言い続けた。
そこにも、多くの間違いはある可能性はあるけれど、
それでも、無責任な言動はやめよう、という風潮が一番危険な気がします。


「しかしこの東地区の「英語?」は実にわかりにくかった。何しろ発音はスペイン式のいわば「フィリピニングリッシュ」、それにイロカノ語がまざり、一方私は「ジャパニングリッシュ」だから、はじめは、特にいわば「非インテリ」の現地人とは、何としても話が通じない。(略)


同時にこの国は実に複雑であった。昔ながらのスペイン系の人には、当時、自分たちの政権を奪いかつ従属させたアメリカに対する非常に強い反感があった。対米抗戦の英雄のアギナルドは国民的英雄であり、また前に述べたM教授の話によると、アメリカの大学に留学していながら、絶対に英語は使わないでスペイン語で押し通すというような人もいたそうである。



最後まで日本軍と行動を共にして死んだリカルテ、またガナップという協力組織、また皇太子訪比の際、これを「孫」のように迎え入れたというアギナルド、こういう人には、今の日本の中途半端でうすっぺらな反米感情などとは比較にならない一種の「怨米」とでもいうべき感情があった。

それは必ずしも親日ということではないが、一種それに通ずる一面をもつ感情は無名の人にも確かにあった。」




「フィリピンは今でも、輪姦をした五人の若者が全員死刑を宣告される国である。こういう国へ「夜這い」の伝統のある国の兵士が、警備隊として広い地域に散在すれば、どういうトラブルが起こるか、誰にでも想像がつく事であろう。


戦犯における、この問題への苛酷な判決を、「日本人だから…」「負けたから…」と受け取るべきではない。彼らは同国人にも、この点は実に峻厳なのだから。(略)


それは致し方ないにしても、その部隊の兵士が当時の日本的な考え方を何の疑いもなく持ち続け、それに基づいてすべてを一方的に「きめこんで」いて、自分の「きめこみ」に適合しないものはすべて「悪」と信じていたことが、実に恐ろしいさまざまの悲劇の基本的な原因であったろう。


そしてこの欠陥は、今も昔のままだと私は思っている。
私は多少とも彼らを知っていた。そして知っていたがゆえに、自分の知識がいかに貧弱であるかも知っていた。そこで本部に戻れば、必然的にまたこの仕事も担当させられるであろうということが、さらにさらに気を重くさせた。


しかし命令は命令である。私は本部に戻り、そしてS中尉から「いつバレテパス転進命令が出ても良いように準備をしろ」と言われた時、思わず内心で叫んだ、「そりゃ不可能だ」と。


私はもう何としてもこの任務から逃れたかった。バレテパスへ行くなら行くで良い、死ぬなら死ぬで結構だ、それなら自走砲を一門でも二門でも指揮して行かしてほしい。本部づきはもうたくさんだ。本心はそれだけであった。だがそんな事は言えない。しかし何とかして逃れたい一心の余り、私はそこで一種の「タテマエ」論を一席ぶった。いざとなると、たよるのは皮肉なことに結局「タテマエ」である。(略)



ところがS中尉にいきなり机に手をつかれて、「スマン、その点の不行届はアヤマル」といわれて、結局その日から本部に戻る事になってしまった。たわいないと言えばたわいないが、私は結局いつも彼には無抵抗であった。これは階級だけの問題ではない。」