読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ジャパン・クライシス

「4 死屍累々

scene 4 

新円切り替えを境に、ハイパーインフレは収まった。
政府の歳出削減、消費税三五%への増税は、年度途中で即実行された。IMFとの約束が錦の御旗となって、与野党とも抵抗のすべがなかった。
濃尾梨彦首相は、辞職した。病気が理由だが、これまでの経済運営の責任をとったかたちだ。


円安が定着し、日本人の一人当たり所得は、インフレ前の四分の一になった。資源や食料の輸入価格が高騰し、消費が抑制されたが、日本の農業は競争力を取り戻した。
日本投資ブームが起こった。遊休資本や質の高い労働力が、安価に調達できて、企業に最適の環境となったためである。



どん底の数年を経たあと、新産業を中心に、経済成長が始まる。主役は、アメリカや中国の外資系企業だ。
地方自治体の格差が拡がった。東京や大阪をはじめ、大都市層への人口集中が一層進んだ。株式会社の農業への参入が進み、個人経営の農家は大部分が姿を消した。


      ※


あのハイパーインフレの日々は、何だったのだろうと、今仁求留造は考える。そして、IMFに言われるまで、財政再建が出来なかった日本の政治は、果たして政治なのだろうかと思う。


日本人は、汗の結晶である一六〇〇兆円の預貯金を、ほとんどすべて失った。国債は紙切れ同然になった。とりわけ年長世代は、ひどい目に合った。こういう結果になる事がわかっていれば、ハイパーインフレになる前に、正しく行動出来ただろうか。自主的に財政を再建できたのか。答えは出ない、と今仁は思うのである。



ハイパーインフレという名のドロボウ

橋爪   こういうシナリオの経済破綻の、何が問題なのか。
私の考えでは何より、国が、国民の財産権を保証できなかった点にあると思います。
国が国民に対して、ドロボウを働いたのと同じです。


小林   国は建前上、財産権を保証しているわけですが、インフレはそれを強奪してしまう。しかも、その原因は、しかるべき手を打たずにいた政府の不作為にある。


橋爪   政府・日銀だけが貨幣を発行できるわけです。その権限によって、ハイパーインフレが起こされたのです。


小林   さらに遡れば、年金をはじめとする社会保障費を大盤振る舞いしてしまったことにその原因がある。


橋爪   政府が社会福祉や公共サービスをしっかりやるため、財政支出を増やすなら、税収を増やすなどして、財源を確保しなければならない。


小林   仰る通りです。いま、ハイパーインフレが起きるとすれば、政府が手厚い社会保障政策を行っているにもかかわらず、それに見合った税制を構築せず、代わりに国債を発行したり、国債を償還するために紙幣を印刷したりしているからです。それが間違いなんです。


橋爪   適切な税制を構築せず、国民に説明もしてこなかった政府の責任です。言葉を換えれば政府は、憲法が保障している国民の財産権を侵しているわけです。もちろん、そうした状態を放置してきた国民にも責任はあります。でもそれは、ドロボウを警戒しなかった被害者が悪いという議論で、ドロボウの責任を減ずるものではありません。


小林   他方で、政府の借金の「返済原資は国民から徴収した税金である」ということは周知の事実なので、国民が背負った借金なんです。政府というものは、主権者う国民のエージェントに過ぎません。


橋爪   理屈はわかりますが、政府になぜお金を貸したかと言うと、将来、これだけの利息をつけて返しますという約束を、政府がしたからです。政府は、返さないとはもちろん言っていませんが、ハイパーインフレになってしまえば、額面通り返しても、返さないのと同じことになる。


小林   本来なら政府は増税または歳出削減をして返すべきです。「これくらいの増税(または歳出削減)をすれば、この金利で返せます」と言うべきなのに、増税や出削減について言葉を濁している。



橋爪   政府が国債を買い支えようとどんどん紙幣を印刷し、それが原因でハイパーインフレになって、「これで借金は返したからね」と言われても、国民は「そんなの聞いてない」となるでしょう。ただの紙切れを貰ったのと同じです。これは、罪深いことではないでしょうか。


小林   その通りです。政府の借金がどれくらいかは、秘密でも何でもなく、調べればすぐにわかることです。にも拘わらず、こうした状態を是正するよう求めて来なかった国民にも応分の責任がある。


橋爪   国民を四人家族と考えてみます。
家族は、政府と言う五人目の人を雇って、仕事をしてもらうことにしたとします。そのための給料も払っている。そのうち、「やるべき仕事が増えました、もっとお金がうようです、給料とは別に、お金を貸して下さい」と言い出したので、お金を貸した。(略)


さすがに心配になって、いつ返してくれるのかとせっついたら、「ちょっと待って、今からお金を印刷しますから」。これは、借金を踏み倒すという意味でしょう。問題だと思いませんか。


小林   問題ですね。しかし別の例え話で考えるとどうでしょうか。四人家族(国民)がドライブに行くので、運転手(政府)を雇います。この運転手は明らかに酔っぱらっていて無謀なスピードを出して長時間運転し、案の定、自損事故を起こして、四人家族はみんな怪我をします。この運転手が一番悪いに決まっていますが、同乗者の責任も問われるべきです(今の道路交通法で、酔っ払い運転の同乗者も刑事責任に問われるように)。


政府の運転(財政運営)が無謀であることは専門家でなくても、自分の頭で考える気になれば誰でもわかることなので、事故になる前に、政府に無謀運転をやめさせるよう国民がアクションを起こすべきなのです。


アメリカの選挙では、有権者補助金のバラマキよりも財政再建を評価する傾向があり、実際に一九九〇年代には一時的ではありましたが、財政支出が赤字から黒字に転換できた。


これは政府の運営をどれほどわがこととして考えることができるか、という有権者の資質の問題なのです。日本の民主主義の質の問題と言ってもいい。


橋爪   なるほど。」


〇 ここで、小林さんは、「政府の運転が無謀であることは専門家でなくても、自分の頭で考える気になれば誰でもわかること…」と言っていますが、それでは、なぜ、今の政府の財政運営を支持する経済学者(専門家)がいるのでしょうか。

何故、このような財政運営を強く批判するマスコミがいないのでしょうか。

この本の最初に、橋爪さんは、「本当のことを言わない専門家」と言いました。本当のことをいう専門家もいるけれど、違うことをいう専門家もいる。その場合、素人には、もう、どっちを信じていいのかわからなくなります。

あの「放射能」に関してさえ、低線量の放射能でも、浴びないに越したことはない、というのが、「専門家でなくても自分の頭で考えればわかること」でした。

でも、専門家が、「放射能は心配するのが一番良くない。笑っていれば、大丈夫」などと言って、避難することを推奨しなかった。専門家がそういうので、素人は、判断基準が曖昧になり、夫は避難しない、妻は避難する、と判断が別れ、人間関係まで、壊れてしまったのです。

しかも、そのような間違ったことをいう専門家を、きちんと批判するマスコミがいてくれたら、まだしも救いがあるのですが、マスコミの中にも、そのような専門家を擁護するマスコミがあって、もう何を信じてよいのか、わからなくなってしまいます。

私たちの国では、いつもそんな風にして、人々が分断されてしまいます。。
為政者はそれを意図的にやっているように見えます。