読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「私たちはこの困難に対するヘブライ人の解決を知っている。それは造物主である神を仮定することである。」



「宇宙とその中にある万物がこの絶対的な一者であることに還元できる限りで、この単一性は時間の中で生きる人々の合理性を超えた何かに基づいているが、しかし依然としてそれ自身一種の合理的なものなのである。」


「このことが、ユダヤ=キリスト的な造物主たる神を依然として信じるには「啓蒙され」すぎている人々が、時代の新秩序」の始まりとして創設の問題を扱わねばならなかった時には、なぜ疑似宗教的言語をまれなほど全員一致して使ったかの理由であると思われる。」


〇「啓蒙され」すぎている人々の「信仰」についての説明が面白い。


「さもなければキケロが、「新しい共同体を創設しすでに創設されている共同体を保護する場合ほど人間の卓越さが極めて密接に神の道に近づいていることはない」と言うことはできなかったであろう。

キケロの哲学の起源となったギリシア人にとっても、キケロにとっても、創設者は神ではなくて神のごとき人々であった。

そして彼らの行為の偉大であるのは、権威の源泉となる法を樹立したことであり、この法は人々が制定した一切の実定法と法令が準拠し、そこからそれらの正当性が認められる不変の基準なのである。」

〇いつも思うことだけれど、キリスト教の神は「偉大で正当性が認められる不変の基準になりうるもの」と考えられるような存在。でも、私たちの国の神は困った時に助けてくれる神で、助けてくれない時には、神も仏もないと思ってしまうような神。

イメージがまるで違う。