読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

東洋的な見方

〇 この本を読んで、なぜ私たちの国では、「言い訳をするな」と言うのかが、わかったような気がしました。言葉であれこれ言うのは、「禅」の美学からいうと、間違っているのでしょう。

そして、昔、私自身、「作り笑い」をするのがなぜあんなに嫌だったのかも、わかったような気がしました。

親や大人に、作り笑いはするな、と言われたことは一度もありません。むしろ、いつも笑顔の明るい子になれ、と言われました。でも、心の中からすんなりと「自然に」湧き上がるような感情でないかぎり、「偽物で、いやらしい」と思ったのです。
子供なのに、そう思いました。

社会の空気の教育力はすごいなぁと思います。

うちの宗教は禅宗ではありません。確か、浄土真宗です。でも、無言のうちに、私の中には、禅宗的なものも、入っているような気がします。

また、昔、西行法師が、妻子を捨て放浪の旅に出た時のエピソードで、出会った人に対する態度がどうしてもわかりませんでした。

道行く先で誰かに出会い、その人が困っていても、みだりに手を貸して助けるな、と言って居たらしいのです。(記憶力が悪いので、間違って記憶しているかもしれませんが)。

また、これは別の人の話になりますが、重い荷物を載せた荷車を引く人が坂道を上っていたとしても、その荷車を押したり、手伝ったりするのは、良くない、というのです。

私には、全然わかりませんでした。つまり、「偽善だ」と言われることを恐れて手を出すな、と言ってるのか?と思い、なんて愚かなことを…と思いました。

でも、案外、違うのかもしれません。
この禅の思想から行くと、何か困ったことがあったとしても、それはその人の問題で、その苦しみ、その困難さを潜り抜けることが、ある意味その人の修行であり、生きる課題になっているのだから、その修行や課題の邪魔をするものではない、ということなのかもしれない、と思いました。

この本のおかげで、かなり勉強になりました。

私たちの祖先はこのやり方で頑張って生きて来たんだ、と思うとこの禅宗や仏教に、親しみも感じました。


でも、やはり、あのハンナ・アーレントが西洋思想の問題点をしっかり見て、全体主義になってしまう危険性を指摘し、自分たちのあり方を反省したように、私たちもその姿勢を見習えないものだろうか、と思います。

この鈴木大拙氏は、終戦直後の、「物の見方_東洋と西洋 1945年」では、
かなり、「反省的な」文章を書いていますが、でもその後は、西洋に劣る東洋と言われることへの危機感からか、むしろ、私たちの国の考え方、やり方の良いところを強調する文章になっているように見えました。

私も卑下する必要はないと思います。私たちの祖先も祖先なりに、しっかり頑張ってやってきた。鈴木氏がいうように、むしろ西洋の足りないところを補えるほどに、大事な考え方ものもあると思います。

でも、しっかり足りないところも見るべきだったのではないかと、思います。

今また、戦前と同じ過ちを繰り返そうとしている現実を見ると、どうしても、そう思います。

「物の見方_東洋と西洋」の中からの抜き書きを最後に、この本を終わりにしたいと思います。