読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  6 イエスは何の罪で処刑されたか

「O こうしてイエスは処刑されたわけですが、当時の政治状況は少々複雑で、いま紹介したように、ユダヤ人にどのくらい「主権」があったのか定かではない所があります。(略)


宗教的・寓話的な解釈はさておき、歴史的事実として、いったいこの人はなぜ処刑されたのか。これはどう考えるのが一般的なんですか?


H 当時、ユダヤはローマの属州で、限定的な自治権しかなかった。ローマの後ろ楯でこの地を統治していたヘロデ大王の死後、四人の息子が国土を分割した。洗礼者ヨハネを捕らえて殺害したヘロデ・アンティアパスはその一人です。(略)



このヘロデ王家は、イドメア人といって、ユダヤ人ではなかった。しかもギリシアかぶれで、ヘレニズム文化がいいと思っていて、ユダヤ人と折り合いが悪かった。
それと別に、統治の実権派、最高法院(サンヘンドリン)が握っていた。そこに、パリサイ派の指導的立場の人々が集まっていた。


これは、行政機関であり、裁判機関でもあった。イエスはこの機関によって逮捕され、裁かれたのです。
さらに、ローマの総督がいて、これが死刑執行権を持っていた。今の日本の法務大臣みたいな立場です。(略)


さて、罪状は、「神を冒涜した」罪です。
さっき、「人の子」が多義的だという話が出ました。(略)だからそう自称しただけでは、有罪にしにくい。この時代、預言者はだいたい殺されているわけです。裁判になった場合のことも考えて、「人の子」と言ったのかもしれない。


エスは自分が危険な状態にあることを、よくわかっていたはずです。自分の先輩格の洗礼者ヨハネも、一足先に非業の最期を遂げている。だから、ある段階から死を覚悟して行動していると思います。(略)


福音書を見ると、イエスはとにかく自分のことを「神の子」とは言っていないし、メシアであるかどうかについてもあいまいな言い回ししかしていない。だから、イエスが、はっきり「これが冒瀆」と言えるようなことをしたかどうかは、微妙ですね。


少なくとも、みんなが彼のことを神の子か、あるいは救世主のように扱っているという状況があって、それをイエスが積極的には拒否しなかったことを、厳しく不利に解釈されて、神を冒涜したと見なされ、死刑判決を受けた。これが、事実に近いかなと思うんです。(略)



O 福音書を読んでいても、ローマ総督ピラト自身も「これは本当に死刑で良いのか?」という迷いを持っている。このように、客観的に見れば罪状の認定がかなり微妙なんだけど、ユダヤ人としては強い憤りをもってイエスの死刑を望んだというように読めますね。」