読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(組織の名誉と信義)

「武藤参謀長の顔を見て、すぐ「彼だな」といった一種の緊張を感じたもう一つの理由は、全焼で「軍の名誉」と記した、その名誉に関するある噂であった。ま
前にも記したようにこのカランバン収容所群の中には、われわれが「未決」とか「一コン」とか読んでいた収容所があった。正規の名称は「第一収容所(コンパウンド・ナンバー・ワン)」であり、私がジャングルを出た頃には、一時的仮収容所であったが、その後、性格をかえ、あらゆる意味の「未決定社の収容所」になっていた。(略)



武藤参謀長はここで、戦犯関係の”未決”の人を集めて、次のような”命令”を下したといわれていた。「皆は特攻隊員となり、裁判による被害者を最小限にとどめよ。日本陸軍および日本の名誉のために、現地人・捕虜の殺害命令を下したと言ってはならぬ……」



これは「比島戦とその戦争裁判(坂邦康著)からの引用だが、当時の収容所内の噂は、表現に多少の差はあっても、要旨は同じであった。いま冷静にこの言葉を読めば、これは、日本のあらゆる組織の原則であり、彼はそれを単に直截に端的に言い切っているにすぎない。



今でも日本のさまざまの”戦犯裁判”は結局この形である。商社が”戦犯”として告発され「モチ米ヤミ取引」で丸紅が法廷に立たされる。しかし、「会社がそういうことを命じたと言ってはならぬ」の原則で、裁かれているのは直接に手を下した責任者の”大隊長”クラス、官庁で汚職が摘発されれば、同じ原則で、飛び降り自殺は”小隊長”クラス、田中金脈がいかに叩かれても法廷に立つのは”中隊長代理”、選挙違反で下獄するのは”軍曹”クラスに決まっている。



よほどのヘマをしない限り、逃れ得ぬシッポをつかまれない限り、山梨半造も田中角栄も出て来ない。前者は、収賄で法廷に立った陸軍大将・前朝鮮総督である。一体これらの実態の基礎になっている考え方は何なのか。それは彼が言った「組織の名誉」という考え方であろう。


名誉は組織のものなのか個人のものなのか?帝国陸軍には、そういう問題意識すらなく「組織の名誉」以外に名誉はなかった。生きて虜囚の辱めをうけた者を、その個人の名誉を救うため自決させて”名誉の戦死”として扱うことは一見”個人の名誉”のためと見えるが、実は、「捕虜なし」という組織の名誉の絶対化が個人を抹殺しているにすぎない。



これが帝国陸軍だったのだ。そして自転する。”組織の名誉”という考え方が日本を破滅させたのだ」。私はまずそう感じた。




師団の名誉のため、軍旗(連隊)の名誉のため、大隊の名誉のため、それに差しさわりのある事実は死んでも口にしない、それを口にするぐらいなら黙って死ぬ、それが帝国陸軍の一貫した倫理観であった。これはおそらく徳川時代の”一家一門の誉れ””一家の恥は外に出さない”に由来する考え方であろう。




この倫理観は、戦後三十年、いまなお続いているほど強い。中国戦線で、中国ゲリラのため次々に砲を馬ごと盗まれたという事件は確実にあった。だがそれを私に書き送ってきたその人でさえ「連隊の名誉のため、何部隊かは絶対に言えぬ」と記した上で、匿名であった。



だがこの点では私も同じであったと告白せざるを得ない。テレビで丸紅に大久保専務青を見た時、かつて似たような立場に立たされた自分のことを思った。



十九年の十一月ごろ、私は司令部に呼ばれ、詰問責めにあった。それは国会の委員会のような、なまやさしい場ではない。ガソリンの二重受給の件、自走砲用燃料をトラックに流用して食糧集めをやっているという、どこかの部隊からの”密告”に関する件の調査である。



米軍が捨てていった自走砲は、燃料を食うバケモノのような存在なので、一キロあたり一・五リッターで申請を出し、それが通っていた。(略)
こういう点では、「動かざる自走砲」は「故障のダンプ」同様、荷車より扱いにくい存在になってしまう。この移動と、そのためのエンジンの調整と、予備陣地への移動訓練のためわずかに燃料が支給された。だが実際には、この燃料は食糧集めに使われていた。




爆撃がひどくなると、貨物廠や兵器廠は、消失するより鳥に来た部隊に渡してしまうという態度になり、当然それだけでも、機動力があって人員の少ない部隊は、それのない部隊よりはるかに給与がよくなり、また豊富なダイナマイトの受領で陣地構築の労働量も軽減できた。



さらに受領した多量の塩との交換で、民間からの物資や人夫の調達でもはるかに有利になり、こうなると、あらゆる面での他部隊との差は歴然として来て否応なく目につき、羨望とともに「あやしいぞ」といった非難めいた言葉が、私の耳にも入って来た。それだけでも問題なのに、実は、司令部と燃料廠との連絡不備を逆用して、ガソリンの二重どりをやっていたのである。




私は司令部の爆薬・燃料係のT中尉に呼ばれたが、結局、「知りません」「存じません」「絶対にありません」でつっぱねた。私にそれが出来たのは、まず第一に、すべては部隊のため「兵士の健康と休養すなわち”兵力”維持のため」という大義名分があり、私個人は何一つ「私せず」、万分の一の役得さえ得ていない、従って良心のとがめは一切ないという気持ちである。



第二は、一粒の米さえ送ってくれず、「現地自活の指示」という紙っぺらだけを送って来る無責任な大本営が悪いのであって、この悪い大本営から部隊を守っているのだといった一種の「義賊意識」であろう。いわば「政府が悪いから、こうするのはあたりまえだ」という意識である。
だが、私自身がそれを横流しして利得を得ていたなら、こうはつっぱねられなかったであろう。」


〇「よほどのヘマをしない限り、逃れ得ぬシッポをつかまれない限り、山梨半造も田中角栄も出て来ない。」とあります。でも、安倍総理はその「ヘマ」をしつづけ「シッポ」を掴まれ、もうどこから見ても言い逃れが出来ない状態にあります。それでも、平然と総理の座に座り続けています。これは、ドロボウが現行犯で捕まって言い逃れが出来ないのに、「安倍晋三」だから許される…というのが、私たちの国のルールなのだ、と国中にふれ回ったに等しいことです。


また、山本氏は、少しの「私」もなかったから丸紅の大久保専務のように、「知りません」「存じません」を繰り返したとあります。では、あの財務省の佐川氏は、どうだったのでしょう。
私は、ここで、この少し前に書かれていた、「日本は「帝国陸軍」によって占領されていた」という山本氏の説にを思い出しました。
佐川氏の中にある「日本」は自民党と官僚なのかもしれません。彼はその「日本」の為に、良心の痛みを感ずることなく、平然と偽証したのでしょう。

私たちは、「自民党と官僚」に占領されているかのようだ、と感じました。
つまり、それほどに「今の自民党と官僚は「帝国陸軍」のようだ」と
言いたいのです。