読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本人とは何か。

〇 山本七平著「日本人とは何か。ー 神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー」を読み始めました。

読み始めたのはもうずいぶん前です。山本氏の著作は古文書等を挙げて論じているものが多く、その難しさに私の頭はついて行けません。

そんなわけで、上巻を読んだところで、ひと休みしています。

もう、このままギブアップするかもしれませんが、何か所か、とても印象深かった所もあるので、その部分だけでも、メモしておきたいと思います。

 

引用部分は「」で、感想は〇でメモします。

 

「◎ 日本の独創性

(略)

「すると中国から模倣しなかったものがあったんですか」

「そうですなあ。科挙、宦官、族外婚、一夫多妻、姓、冊封、天命という思想とそれに基づく易姓革命、さらにそして少し後代なら纏足がなく、日本だけにあるのがかな、女帝(女王)、幕府、武士、紋章ですかな。

 

 

後になると漢学・蘭学と平気で並べており、どこからでも聴講しています。それから料理と葬式と墓ですか。前にある中国人から、日本料理が中国と全く無関係なのに驚いたと言われました。豆腐や味噌は中国伝来ですが、料理そのものの基本は全く違うというのです。さらに彼は昭和天皇の御大葬の簡素さに驚き、歴代の御陵が中国と余りに違うのに驚いていました。違いはそのほかにもありますが……。」(略)」

 

 

「(略)

韓国人には族譜(または世譜)という膨大な系図があります。これは日本のいわゆる系図からは想像できない膨大なもので、釜山大学の金日坤教授に、先生のところは何冊ぐらいとうかがいましたら、何と四十冊、そして国中の系図の複本が韓国の国会図書館にあるそうで、こういう国は世界で韓国だけだろうと言っておられました。

 

 

 

この同一系図の中に入っている者同士は結婚できない。簡単に言えば血縁の範囲が非常に広くて、その血縁内では結婚できない。そこで族外婚と……」(略)

 

 

 

「では日本人の姓や結婚原則はどうなっていたのですか」

「姓のあった人間もいましたが、殆ど無かったわけで、簡単に言えば名前だけです。これも必ずしも珍しくなく、インドネシアがそうです。スカルノスカルノだけ、スハルトスハルトだけ。タイもそうだったのが、イギリスの影響で姓を作ったそうです。

 

 

 

これを父系姓でも母系姓でもない双系姓社会とする学者がいますが、日本もこの傾向が強かったようで、この点では東アジアの大陸的文化より、東南アジア系と言えるかもしれません。

タイがイギリスの影響を受けたように、先進大国の影響はどこの国も受けますが、韓国人はきまじめに中国文化を摂取して生命も中国式にしたんでしょう。日本人はそんなにまじめじゃないですな。

 

 

『天命思想抜きで科挙抜き律令制』なんてやっていたのですから。(略)」

 

 

 

「◎「骨・職・名」区分の新しさ

伊達千広(一八〇二ー一八七七年)は紀州藩士、有名な陸奥宗光の父であり、藩内の政争にまきこまれて九年の蟄居を強いられ、後に赦されてから京都に出て公武合体に奔走したが失敗、帰国・閉居の身になるが、明治維新後に赦され、和歌と禅にひたる晩年を送った。(略)

 

 

彼はあるがままに日本の歴史を見、徳川時代に至るまでを「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の代」「名の代」と三つに区分した。今の言葉になおせば「氏族制の時代」「律令制の時代」「幕府制の時代」ということになろう。(略)

 

 

 

そして当然のことだが、日本の歴史は日本の基準で記さざるを得ず、中国の基準をもってきても、西欧の基準をもってきても、おかしなことになってしまう。そこで本書はこの「大勢三転考」の基準で記しつつ日本文化の特性へ進もうと思う。(略)」

 

 

 

 

パンとサーカス

〇 昨日(8月29日)で新聞連載小説「パンとサーカス」が完結しました。

私の頭ではついて行けないほど、複雑で奥行きが深く、絶望的な気持ちになることもありながら、読みました。でも、最後は、少しホッとできる終わり方で良かったです。

 

7月21日と22日の記事を載せておきたいと思います。

「 344回

法廷でその録音内容が再生されたが、「代金は現金で払うので、指定の場所まで取りに来てくれ」という空也の声が残されていた。これは空也の事件への関与を示す決定的な証拠となった。検察は法廷での証言の見返りに別件での罪を軽減する取引を持ち掛け、ボンビーノが応じたに違いない。

 

 

南塚はボンビーノが空也を売る想定はしておらず、不覚を取った。この奇襲によって、空也の無罪を勝ち取る可能性は実質、失われた。

空也には実刑判決の覚悟は出来ていた。というより、太郎が無期懲役を宣告されたのに、自分が無罪放免になるわけにはいかないとさえ思っていた。法廷では寵児や弁護人の指示に従い、単に暗殺やテロを空想しただけだという主張を続けていたが、自分が確信犯として、内乱を企て、実行を指令したのは紛れもない事実である。

 

 

世相が変化しつつあるのは空也が実現したからであって、この件に自分が関与していないということはあり得ない。内乱は成功すれば、罪には問われないはずだが、その条件を満たすためには自分が支配者になり、自らを免罪するほかない。それなのに、こうして訴追され、裁判を受け、「自分は関わっていない」と無罪を主張すること自体が間違っている。

 

 

 

誰かが自分の後追いをし、内乱を完遂しなければならないのだ。革命成就の暁に自分は晴れて釈放され、英雄として凱旋する。自分はどれくらい冬眠させられることになるのか?それは弁護人や内乱を引き継ぐ人々次第だ。

 

 

検察官の論告求刑も弁護人の最終弁論も上の空で聞いていた。空也の心はここにはなく、イソノミアに置いてきた。あの仮想都市の中にいる限り、自分は英雄で居られる。あいにく体の自由は奪われているが、心は不愉快な現実から遠く離れて自在に飛び廻ることができる。

 

 

 

どうせ今は誰もがウイルス感染を恐れ、自分を狭い部屋に閉じ込め、他人との接触を忌避しているのだから、娑婆にいようが、刑務所にいようが、大した違いはない。

空也は特に何もいいたいことはなかったが、裁判官に最終陳述を促されると、証言台に立ち、自らの心境を吐露し始めた。

 

 

―—— 私はどんな悪事を働いたのか?私は一体何がしたかったのか?逮捕されてから、幾度となくそのことを考えてきましたが、正直、私には全く罪悪感というものがなく、何を悔い改めなければならないのかわかりません。

 

 

 

345回

 

―—— 私は自国党議員の汚職に加担したり、官邸の下請け仕事として、政敵の失脚を画策したことがありますが、その時の方が強い罪悪感を抱いたのは事実です。同時に私はこうも思った。権力をもつ者はなぜかくも横暴で、節操がないのか、と。

 

 

 

税金、公金を私物化し、使途も明らかにせず無駄遣いをする一方で、福祉を切り捨て、弱者、貧者をとことん追い詰める。違法などいくらやっても罪を問われない、そんな無法者たちに権力を行使させた責任は検察官、裁判官のあなた方にもあります。そして、特に理由もなく彼らを支持し、服従してきた無知で、無関心な有権者もあなた方と同様に罪深い。

 

 

 

彼らは誰も傷つけない、騙したり、裏切ったりせず礼儀正しく、おとなしい。彼らの沈黙の同意によって、腐敗政治がいつまでも続いたのです。私は無法者が正義の裁きを受ける世界を空想したに過ぎません。空想しかせず、実際に行動しようとしなかった。それこそが私の罪なのです。しかし、私の空想に基づき、世直しを実行する人が現れてくれた。

 

 

 

山田太郎、池上学ほかの面々は、権力の服従者に過ぎないあなた方に代わり、この国で最も権力を奮う売国奴たちを罰してくれたのです。彼らのお陰で、私の罪は軽くなるのです。もし、世直しの計画を具体的に練ったことが罪になるのなら、勝手に刑を宣告するがいい。あなた方に裁かれても、私は痛くも痒くもない。

 

 

 

しかし、私の空想から始まった一連の世直しの動きは今後、市民の暗黙の連帯によってさらに広がっていくでしょう。もう誰にも止めることは出来ない。それこそが私の救いになるのです。私を刑務所に送っても、早晩、彼らが私を解放してくれるでしょう。その時は、あなた方は今の地位も名誉も失い、路頭に迷うことになるのでお覚悟を。終わります。

 

 

 

 

空也の最終陳述を聞いていた傍聴人の間からは自然に拍手が起きた。裁判官は木槌を叩いて静粛を求め、判決を一週間後に言い渡すと告げ、閉廷した。

傍聴人の中にはヤンバル・クイナ始め、イソノミアの住人達が七人ほど紛れていて、その夜のうちにネット上には空也の最終陳述の書き起こしが広まり、「空也祭り」の様相を呈した。

 

 

 

無期懲役判決を受けた元ホームレスの実行犯山田太郎もまた英雄扱いを受け、イソノミアの駅前で託宣を口走っているホームレスは彼だという噂が駆け巡った。」

 

〇ここまでが、7月21日22日の記事です。

最後に昨日(382回)の最後の言葉をメモしておきます。

 

「これにて完結。長きに亘るご愛読に深く感謝いたします。現実の政治にも大きな変化が訪れますように。乱世にあっても、人々の良心と愛が報われますように。島田雅彦

 

〇本当に…… 現実の政治が少しずつでも良い方向に変化していきますように。と心から共感しながら読み終えました。

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「3 再び「お言葉」をめぐって

▼7歴史の転換と「天皇の言葉」

本書で見てきた「戦後の国体」の崩壊過程における危機という文脈は、第一章で論じた、今上天皇による異例のメッセージ、「お言葉」が発せられた文脈でもある。だからこそ、あのメッセージを見聞きした時、筆者は衝撃を受けた。

 

 

それが発せられた文脈と、そこに込められた意図を丹念に追ってゆくならば、「お言葉」は、この国の歴史に何度か刻印されている、天皇が発する、歴史の転換を画する言葉となりうるものであると、筆者は受け取った。つまり、「お言葉」は、古くは後醍醐天皇による倒幕の綸旨や、より新しくは孝明天皇による攘夷決行の命令、明治天皇による五箇条の御誓文、そして昭和天皇玉音放送といった系譜に連なるものである。そのような言葉を自分の耳で聞くことがあろうとは、それまで夢にも思わなかった。

 

 

 

しかし同時に、すでに述べたように、この思い切った行為の必然性は、それまで筆者が考えてきたことから、明らかであった。腐朽した「戦後の国体」が国家と社会、そして国民の精神をも破綻へと導きつつある時、本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである。

 

 

 

この事態が逆説的に見えるのは、起きた出来事は「天皇による天皇制批判」であるからだ。「象徴」による国民統合作用が繰り返し言及されたことによって、われわれは自問せざるを得なくなったのである。すなわち、アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか、という問いをである。もし仮に、日本人の答えが「それでいいのだ」というものであるのなら、それは天皇の祈りは無用であるとの宣告にほかならない。われわれがそう答えるならば、天皇(および想定される地位継承者たち)はその地位と職務を全うする義務を自らに課しつづけるであろうか。それは甚だ疑問である。

 

 

 

▼「お言葉」をどう受け止めるか

さて、以上のような「お言葉」の解釈は、その内容に政治的意義を読み取ることによって「天皇の政治利用」につながるとの批判を招くことが予想される。またあるいは、天皇の発言に霊性に関わる次元を読み込むことは、「天皇権威主義的な神格化」につながるという批判も予想される。

 

 

 

筆者は、自らの展開してきた「お言葉」の解釈が、現実政治にあからさまに関係するという意味で政治的であること、また「お言葉」にある種の霊的権威を認めていることを決して否定はしない。

しかしながら同時に、筆者は「尊王絶対」や「承詔必謹」を口にする気はさらさらない。なぜなら、かかる解釈をあえて公表する最大の動機は、今上天皇の今回の決断に対する人間としてんぼ共感と敬意であるからだ。

 

 

 

その共感とは、政治を越えた、あるいは政治以前の次元のものであり、天皇の「私は象徴天皇とはかくあるべきものと考え、実践してきました。皆さんにもよく考えて欲しいと思います」という呼び掛けに対して応答することを筆者に促すもんぼである。応答せねばならないと感じたのは、先にも述べた通り、「お言葉」を読み上げたあの常のごとく穏やかな姿には、同時に烈しさが滲み出ていたからである。

 

 

それは、闘う人間の烈しさだ。「この人は、何かと闘っており、その闘いには義がある」— そう確信した時、不条理と闘うすべての人に対して筆者が懐く敬意から、黙って通り過ぎることはできないと感じた。ならば、筆者がそこに立ち止まって出来ることは、その「何か」を能う限り明確に提示することであった。

 

 

 

「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば、潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性・可能性を現実態に転化することができるのは、民衆の力だけである。

 

 

民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。」

 

〇 ここで、この「国体論」は終わっています。

著者がこの本を書いた動機について、

「不条理と闘うすべての人に対して筆者が懐く敬意から、黙って通り過ぎることはできないと感じた。ならば、筆者がそこに立ち止まって出来ることは、その「何か」を能う限り明確に提示することであった」

 と説明している個所を読み、胸が熱くなりました。

 

 

そして、「民主主義」という言葉を聞く時、いつもこのエピソードを思い出します。

以前取り上げた、河合隼雄母性社会日本の病理」の中にあった河合氏自身の体験談です。

「大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること。そして、それにかかわった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中において精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこに一つのアレンジメントが構成され、その「意味」を行為を通じて把握し得るということであろう。」

 

 

〇 あと、もう一点。

この本を読みながら、ずっと引っかかっているモヤモヤがあります。それは、アメリカの「属国」のようになっている私たちの国を、私はどうしたいのだろう…という問いです。

本来なら、一刻も早く属国であることから脱し、自分たちの国の問題を自分たちで解決する能力と態勢を持ちたい。誇り高い日本を取り戻したい。と願うのが本当だろうとは思います。

 

でも、以前も書きましたが、あの太平洋戦争で負けたことで、今の民主主義国日本が

あるのです。戦争で負けなければ、おそらく戦時中のように、今の北朝鮮のように、一部の特権階級の人々(いまだ人間を幸福にしない日本というシステムの「管理者」たち)が、自分たちに都合の良い国家にしていたと思います。

 

アメリカが支配して、その顔色を伺う属国だったからこそ、今の「日本会議」のような勢力は、大っぴらには活動できなかったのだと思います。それを思うと、本当にアメリカの属国から脱した時、どんな国になってしまうのが、恐ろしくもなります。

 

本当に情けないことだと思います。

 

でも、私たちには、あの安倍政権も今の菅政権も変えることが出来なかった、出来ない、という現実があります。あれほどの犯罪を犯している総理大臣を引きずり下ろすことが出来ない、こんな情けないコロナ対策しかしない菅政権しか持てない私たち日本国民なのです。

 

こんな私たちに、真っ当な民主主義を作り上げられるでしょうか。

だとしたら、下々の人間、(少なくとも私のような一般庶民は)せめてアメリカの属国で、例え建前だけでも、民主主義が掲げられている国の方がマシだ、と感じるのですが。

 

これは、私の妄想ですが、あの昭和天皇だって、おそらく私たちの国の中の、

今の「日本会議」のような勢力、話が通じない議論も出来ないような人々には、アメリカが押さえつけてくれる以外、どうにもならない、と思ったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼天皇制平和主義

そして、かかる振舞もやはり、「戦後の国体」の起源に関わっている。「天皇制民主主義」を指摘したジョン・ダワーは、戦後日本の国是となった平和主義の始発点に関して、鋭くも次のように指摘している。

 

 

マッカーサーは日本人に古い残存物を新しいナショナリズムで包み込む可能性を与えた。彼がいつものやり方で、日本人は他の国々が讃え未来において競おうとするような「平和と民主主義の指針(ビーコン)となることによっていったん失われた自国の名声を取り戻すことが出来るかもしれない、と呼びかけた時、マッカーサーは日本人の国家としての誇りに直接訴えていたのである。

 

 

この国はいま辱められ、貶められ、膝を屈し、一時たりとはいえ国家の主権さえ失っている。その人びとに向かって征服者は語る― 真の転向という苦難に耐え、しかもそれを制度化することによって、これらの恥辱を一掃し、道徳的な勝利に転化することができるのだと。

 

 

 

ここで言う「古い残存物」とは天皇制のことである。つまり、天皇を「大元帥」から「平和国家新日本の建設の先導者」へと転身させることによって、日本人の天皇崇拝のナショナリズムの中身を軍国主義から平和主義へと入れ替えることが可能だ、というのがマッカーサーのヴィジョンであったとダワーは見る。

 

 

 

その「制度化」とはもちろん憲法九条を指し、現に今日に至るまで九条は変更を受けていないのであるから、このプロジェクトはかなりの程度上手く機能してきたと言えよう。

 

 

 

しかし、そのような評価を下す時、見落とされるのは、戦後民主主義が「天皇制民主主義」であるならば、それと同時に、戦後の平和主義も「天皇制平和主義」にほかならない、ということだ。このことの持つ重大な意味こそが、現在露呈してきたのである。

 

 

 

すなわち、本論で述べたように、戦後70年余を経て、「国体」の頂点を占めるものはアメリカへとすり替わった。したがって今日、「天皇制平和主義」とは「アメリカの平和主義」あるいは「アメリカ流平和主義」であるほかない。(略)

 

 

 

要するに、国家はつねに建前では「平和主義」なのであり、国家がこの言葉を口にする時、それは安全保障政策の全般的な方向性を実質的には意味している。そして、アメリカが実践してきた「平和主義」とは、世界中に部隊を展開しつつ、現実的および潜在的敵を積極的に名指し、時には先制的にこれを叩き潰すことによって、自国の安全、つまり「自国民の平和」を獲得するという「平和主義」である。

 

 

 

そのように理解して見ると、安倍政権の掲げてきた「積極的平和主義」の実質が正確に把握できる。(略)

だがしかし、日米安保体制のさらなる強化、つまり日米戦力の文字通りの一体化を図るのならば、日米の安全保障政策の全般的方向性(=平和主義)を一致させなければならない。したがって、「積極的平和主義」の採用とは、右に見た「アメリカ流平和主義」の考え方に日本の安全保障政策の考え方を合わせること、言い換えれば、「戦争をしないことによる安全確保」から「戦争することを通じた安全確保」への一八〇度の方針転換 ― 無論それがすでに完遂されたわけではないが ― を含意するわけである。

 

 

 

かくして、「戦後の国体」の末期たる現在において現れたのは、「戦後日本の平和主義」=「積極的平和主義」=「アメリカの軍事戦略との一体化」(実質的には自衛隊の米軍の完全な補助戦力化、さらには日本全土のアメリカの弾除け化)という図式である。

 

 

この不条理そのものの三位一体は、しかしながら、三項すべてが「天皇制平和主義」であるという一点において首尾一貫しているのである。

朝鮮半島の緊張に対する日本政府の対処とそれに対する世論の反応は、「戦後の国体」の臣民たる今日の日本人が奉ずる「平和主義」の内実を明るみに出した。

 

 

「平和主義」の意味内容の変遷は、「戦後の国体」の頂点を占める項が、菊から星条旗へと明示的に移り変わる過程を反映している。今後の東アジア情勢次第では、「天皇制平和主義」を清算しない限り、われわれは生き残り得ないであろうし、生き残る価値も見出し得ない。」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

自民党政権の本質が、「戦後の国体」としての永続敗戦レジームの手段を選ばない死守であることに照らせば、戦後日本に経済的繁栄をかつてもたらした要因としての戦争に、同レジームが再び依存しようとしたとしても、何ら驚くべきことではない。実際、そのような事態の発生に備えて、日米の軍事的協働は年々着々と深められてきたのである。(略)

 

 

戦争そのものによる需要と相俟って、アベノミクスなるインチキ膏薬によって危うさを増した日本資本主義を、それは救いうる。「憲法九条と自衛隊」の問題も吹き飛ぶ。現に戦争をしているという現実の中では、紙に書かれた「戦争放棄」は意味を失う。(略)

 

 

 

緊張が高まったなかで、「北朝鮮が日本にとってリスクであるような強硬路線を突っ走るのは、日本の国土を中軸とする極東アジアの米軍のプレゼンス、つまり北朝鮮から見ればアメリカからの軍事的恫喝が存在するからである」という至極当たり前の事実に思い至らない人々(=永続敗戦レジームのなかで思考停止した大部分の日本人)が、いざ有事が発生したという時に冷静な思慮分別など持てるはずがない。(略)

 

 

しかし、そもそもそのような危機がもたらされた、その大半の要因は、朝鮮戦争が休戦状態のまま放置され、そのことを根拠のひとつとしてアメリカが日本に巨大な軍隊を駐留させ続け、そしてそのために北朝鮮が自国の存在を目指して核ミサイル開発に走った、という事実にある。(略)

 

 

 

朝鮮戦争の平和的終結に向けて日本外交は取り組むべきである」という声が政界の中心部からこの期に及んでも出てこないという光景は、レジームの崩壊期における頽廃の極みを映し出していると同時に、パックス・アメリカーナという八紘一宇に対する日本人の信仰を映し出すものでもある。(略)

 

アメリカの衰退と中国の大国化によって東アジアの情勢が総体的に不安定化する可能性は高く、米中の狭間に位置する日本は、難しい対処を迫られる。その際に、この信仰がきわめて有害な作用を及ぼすことは、今次の危機に対する日本政府と国民の振舞によって証明された。」

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「2 国体がもたらす破滅

▼ 破滅はどのように具体化するか

かくして、「戦後の国体」の幻想的観念は、強力に作用し社会を破壊してきた。論理的に言って、その果てに待つのは破滅であるほかないであろう。それがどのようなかたち― たとえば、経済危機とそれに対する日本の反応、戦争、その両方といった ― を取るのか、予言することはできないが、ここでは北朝鮮国家によるミサイルと核兵器の開発によってせり上がって来た戦争の危機とそれに対する日本の反応について、見ておきたい。

 

 

 

二〇〇四年に他界した経済学者の森嶋通夫は、一九九九年に「なぜ日本は没落するか」と題する著作を上梓している。この著作において、森嶋は二〇五〇年の日本の状態を予測するとして、教育の問題をベースに、経済、政治、価値観といった諸領域で、現代日本社会がどれほどのデッドロックに陥っているかを概観し、日本国は没落する、とりわけ政治的に無力になる可能性が高いと論じている。

 

 

森嶋の予測の実現は、二〇五〇年を待つ必要はなかった。この著作のなかでは右傾化や歴史修正主義の勢力拡大について懸念が表明されているが、森嶋が予測していた水準をはるかに超えて、またはるかに早く、悪性のナショナリズム(=排外主義)がすでに大手を振るようになった。

 

 

また、森嶋は貧困と階級格差の発生をわずかにしか考慮していないが、現実にはすでにそれらが明白に現れている。要するに、一九九九年の時点で森嶋の予測は十分に悲観的であったが、それよりもさらに悲惨な現実が、その後の約二〇年の間に急速に展開されてきたのである。

なぜこのような惨状に陥ったのか。森嶋は、卓抜な比喩を用いて戦後日本の経済発展とその行き詰まりを説明している。

 

 

 

私は国民経済は小さいエンジンを積んだ帆船であると思っている。自力で動かせることも可能であるが、その場合速力は小さい。しかし風が吹いている場合には、高速で帆走することが出来る。高度成長の時には、朝鮮戦争ベトナム戦争の風吹いていた。それらの風が吹かなくなれば船のスピードはエンジンだけのものになってしまう。

 

 

したがって、無風状態の時に船を走らせるには、自分たちで風を吹かせるか、外部の人に風が吹くようにしてもらうかのいずれかである。日本人の中で、風を吹かせる役のものは政治家である。しかし現在の日本にはそういう役割を果たせる政治家は不在であるし、日本の政治屋連には、風を吹かすのが自分たちの義務だという意識は全くない。(略)

 

 

 

 

そうした状況下で、森嶋はEU欧州連合)に範をとった「東北アジア共同体」の創設を呼び掛け、それによって形成される広域経済圏のなかで日本経済は成長の手立てを見つけるべきであると説いている。そうした地域統合が、森嶋の考える、政治家が吹かせるべき風である。

 

 

 

しかし、現実には、「東アジア共同体」構想を掲げた民主党鳩山由紀夫政権の挫折以降、アメリカ主導のTPP構想が急速に持ち上がり、政官財メディアの主流派は、批判には耳を貸さず、自民党に至っては有権者を瞞着してまで、この流れに飛び込んだ。(略)

 

 

 

 

以上の成り行きにおいて日本がやってきたのは、アメリカの顔色を窺いながらの右往左往だけである、と言っても過言ではない。言い換えれば、日本が主体的に「風を吹かせた」ことは、一度としてない。「吹かせようとした」ことさえもない。そして、それをする能力が宿命的に欠けているのであれば、われわれは外からの風に頼るほかないであろう。何がそれをもたらしてくれるのか。森嶋は次のようにも述べている。

 

 

 

今もし、アジアで戦争が起こり、アメリカがパックス・アメリカーナを維持するために日本の力を必要とする場合には、日本は動員に応じ大活躍するだろう。日本経済は、戦後― 戦前もある段階までそうだったが ― を通じ戦争とともに栄えた経済である。没落しつつある場合にはなりふり構わず戦争に協力するであろう。

 

 

 

「なぜ日本は没落するか」において森嶋の予言したことのうち、これほど不気味かつ鋭いものはない。というのも、この認識を基礎として安倍政権の日米安保体制強化へのコミットと二〇一七年から二〇一八年にかけての朝鮮半島の危機の高まりに対する振舞いを解釈すれば、そのすべてを整合的に理解できるからである。世界で唯一「北朝鮮にさらなる圧力を」とだけ叫んだこの政権は、要するに、朝鮮半島有事が発生することを期待していたわけであるし、そうする理由はあるのだ。(略)」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「終章 国体の幻想とその力

1 国体の幻想的観念

▼「国体」の再定義

以上、われわれは駆け足で「国体」の二度にわたる形成・発展・崩壊の歴史をたどってきた。(略)

ところで、戦後に天皇制を語る際に繰り返し参照されてきた、「一木一草に天皇制がある」という中国文学者の竹内好の有名な言葉がある。

 

 

 

この言葉は、「天皇制的なるもの」が、天皇と実際に近接・接触している政治機構上部の統治エリートのなかで発生し、社会全体に一方的に押し付けられて行ったのではなく、日本社会の至る所で「天皇制的なるもの」が形作られているとの指摘である。

 

 

 

あの天皇ファシズムという異様な統治構造は、それを受け入れる広範で肥沃な土壌があったからこそ、成立し得たのであると。

この指摘は、日本社会のさまざまな組織や共同体にボスと茶坊主たちによる不条理な支配が見られるという現実に照らして、正当である。(略)

 

 

 

それゆえ本書は、天皇制あるいは国体を、基本的にあくまで近代日本が生み出した政治的および社会的な統治機構の仕組みとしてとらえることに、自己限定した。一木一草の揺らぎにまで天皇制の痕跡を求めずとも、われわれは十分検証できるほど近い歴史的起源をたどることでその機能を把握できるはずだ、という確信に基いてのことである。(略)

 

 

 

天皇による宮中祭祀の起源が農耕社会を前提としているのだから、その社会基盤が根こそぎ入れ替わってしまえば、天皇の執り行う宗教的および儀礼的実践は、日本人にとって訳の分からないものとなるだろう、というのが赤坂の見立てである。

しかし、本書で見てきたのは、社会の主要な生産様式に支えられなくとも、近代日本において「天皇制的なるもの」は十分に機能し得る、ということである。

 

 

それはなぜなら、少なくともわれわれにとって身近な天皇制とは、古代的意匠をんまとった近代的構築物であり、天皇の存在そのものならびに天皇制という統治構造が、その出来の良し悪しはともかくとして、近代化を意図してつくられた装置に他ならなかったからである。

 

 

そうであるからこそ、戦後においては、アメリカニズムと天皇との間に、代替可能性が生まれ、アメリカニズムはわれわれをとりまく物質的生活において、それこそ「一木一草に」宿るものとなり得た。

歴史家の安丸良夫は、「近代天皇像の形成」において、「天皇制=近代的構築物」との見方に基いて、天皇制の基本観念を次の四つにまとめている。(略)

 

 

 

主として近代天皇制の形成過程を扱っている「近代天皇像の形成」は、末尾部分で現代における天皇制の機能について言及しているが、そこでは天皇が関与するさまざまな儀礼と国民の日常生活との乖離が指摘され、天皇制は「人畜無害の骨董品」のごときものとなり、国民国家の統合の原理として無力化する可能性が指摘されている。

 

 

 

しかしその一方で、同じ天皇制が、日本国家の統制する秩序の「基本的な枠組み全体のなかでもっとも権威的・タブー的な次元を集約し代表するものとして、今も秩序の要として機能している」とも述べられている。

 

 

 

率直に言って、この論旨は筆者には理解できない。なぜなら、一方で天皇制はもはや無力だと言われながら、他方で同時に、全く逆のことが主張されているからである。(略)

 

 

▼「戦後の国体」の幻想的観念

戦前の天皇制については簡にして要を得た特徴づけに成功している議論が、天皇制の現在を扱おうとするや否や甚だしい混乱に陥るのは、なぜだろうか。それは、「戦後の国体」はアメリカという要因を抜きにしては考えられないからである。(略)

 

 

すなわち、「①万世一系の皇統=天皇現人神と、そこに集約される階統性秩序の絶対性・不変性」における、「万世一系の皇統」の観念は、天皇による支配秩序の永遠性(天壌無窮)を含意するが、今日、外交の場面で大真面目で謳い上げられているのは、日米同盟の永遠性(天壌無窮)である。

 

 

 

ここにおいて米大統領は神聖皇帝的性格を帯びることになるが、安倍政権による米大統領やその近親者に対する接遇の様式は、それを報じるメディアの報道姿勢と共に、この観念を裏書きするものであった。(略)

 

次に、「②祭政一致という神政的理念」における「祭政一致」のそもそもの意味は、司祭者が政治権力を保持する神政政治である。(略)

今日の社会でこれに類似する昨日は、「グローバリスト」たちによって醸成される経済専門家(中央銀行関係者、経済学者、アナリスト等)集団が果たしている。(略)

 

 

 

そして、「③天皇と日本国による世界支配の使命」は、戦前国体の「八紘一宇」のイデオロギーと直結するものであるが、その戦後的形態は「パックス・アメリカーナ」に見いだされうる。後述するように、この観念こそが、今日最も差し迫った危険の原因として立ち現われつつある。(略)

 

 

アメリカが失策を続けている中東の情勢や、激変しつつある東アジアの情勢に鑑みれば、パックス・アメリカーナの追及は、日本に利益をもたらすとは限らない。にもかかわらず、「パックス・アメリカーナへの助力」以外の選択肢が一切思い浮かばないのであるとすれば、それはパックス・アメリカーナが合理的判断から推論される望ましい秩序ではなく、八紘一宇としてとらえられていることを意味するであろう。

 

 

 

最後に、「④文明開化を先頭にたって推進するカリスマ的政治指導者としての天皇」もまた、戦後におけるアメリカニズムの流入に鑑みれば、その機能を了解することが出来よう。(略)

 

 

労働慣行の改革や司法制度改革、大学改革等々、「グローバル化への対応」を旗印とした一九九〇年代以降の制度改革において、ありうべきモデルの参照先はまことにしばしばアメリカであった。(略)

 

 

目につくのは、これらの改革が総じて失敗しているにも関わらず、停止されないことである。(略)

あたかも「神国ゆえに負けるはずがない」という命題が、「アメリカ流なので間違っているはずがない」へと転化したかのごとき光景を、われわれは目にしている。そこには一片の合理性もない。」