読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「多くの国の言葉で、「見る」は同時に「知る」「理解する」の意味である。通念・通説・他人の判断の受け売りは、見る事でも知ることでもない。従ってそういう文章をいくら読んでも、人は、何かを知ったという錯覚を獲得するだけで、実際には何も知ることは…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「この傾向は、日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから、ルバング島の小野田少尉の捜索、また別の方向では毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「六〇年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「ドイツ人は明確な意図を持ち、その意図を達成するため方法論を探求し、その方法論を現実に移して実行する組織をつくりあげた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間でなく悪魔が発案したと思われるもので、その組織は冷酷無情な機械に等しかった…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「翌日午後一時、乗船が開始された。もう疑念の生ずる余地はなく、船艙の割り当ては一坪十四人であった。もっとも船艙はいわゆるカイコ棚式に二段になっており、従って、一段ずつ数えれば一坪七人である。ただその高さはやっと胸までの二段であり、従って、…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「そしてこの奇妙な現象は、常に日本に発生するのである。そしてこの被害はすべての人間がうけ、今もうけているわけだが、小松氏の記録から、それに関連する箇所を引用してみよう。 『文官 軍政下、いや武家政治下の文官の存在は、哀れというよりほか表現の…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「近づいてみると、恐怖すべきボロ船であり、一見してスクラップであった。それも道理、後で聞いたことだが、この船は船名が玉鉾丸、船齢すでに二十七年、最高速度五ノット半という、当然、廃船とすべき代物であった。(略) 甲板の舷側ぞいに、何やら四角く…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「昭和十九年四月末、私は門司の旅館に居た。学校らしい建物にも民家にも兵隊があふれていた。みなここで船に積まれ、どこかへ送られる。大部分がおそらく比島であろう。 アメリカの潜水艦は、日本全体が緒戦の”大勝利”の夢からまだ醒めぬ十八年の九月に、す…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「しかし、ちょうど「オオ、ヨシヨシ」といって子供をあやして不安を静めるような装置もまた、至る所にある。 無敵神話・東条スマイル・軍歌と国民歌謡・お守り・旗の波は、幼児から「あやしと甘え」で育った者に、理由なき鎮静を与える。 また、軍隊という…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「これは、対地震でも対食糧危機でも同じであり、もちろん戦争も例外ではない。そしてそれは昔も今も一般社会も軍隊も変わりはない。 人びとは危機を叫ぶ声を小耳にはさみつつ、有形無形の組織内の組織に要請された日常業務に忙しい。(略) だがそのとき、…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「では一体なぜ氏は、この二十一カ条の中に、レイテをあげずにバシー海峡をあげたのであろうか。また一方、戦記とか新聞とかは、なぜ、だれもただの一度もバシー海峡に言及しないのであろうか。 ここに、戦争なるものへの、決定的ともいえる視点の違いがあり…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「故 小松真一氏が揚げた敗因二十一カ条は次の通りである。 『日本の敗因、それは初めから無理な戦いをしたからだといえばそれにつきるが、そ れでもその内に含まれる諸要素を分析してみようと思う。 1、 精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと。然るに作戦…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「小松氏は日記を書いた、だがそれは、それをそのまま日本に持って帰れるということではない。(略) 小松氏が内心で恐れ、骨壺にまで隠させた「本書を没収しそうな相手」が、一体米軍なのかそれとも日本人だったのか、私は少し気になった。(略) だがおそ…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「”終戦”は単に日本が戦争に敗れたというだけでなく、一つの革命だった。(略) 従って当時の多くの人の記述に見られるのが、新しい時代に順応するための自己正当化の手段としての、過去の再構成である。それは時には自己の責任を回避するため、一切を軍部に…

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

山本七平著 「日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条」を読んでいます。 〇横井・小野田両̪氏に関するコメントを求められたことに端を発して、戦時中の記憶をどう扱うかについて、最初に色々説明しています。 山本氏は、問う人とその読者を予想しての答え、それ…

東洋的な見方  あと少しだけ

〇 以前も書きましたが、戦争に関連して、日本の文化を世界に広めるという 動機があったことを 鈴木氏も言っているので、その部分を抜き書きしておきます。 「<明治の精神と自由> 明治三十年頃から十有余年間を、海外_主として米国_で放浪生活をしたこと…

東洋的な見方

「欧米の降参観について最新の実例を挙げてみよう。ウェーンライト将軍というは、フィリピン陥落の時、日本軍に降参した米軍の司令官であった。(略) 彼は戦争終結の後、米国に帰って、華盛頓で議会人のためになした演説の中に左の如くいっている。 「フィ…

東洋的な見方

「<物の見方_東洋と西洋 1945年> それは無条件降参ということである。日本人はこの降参を嫌う。それで今度も、上は詔勅を始め、下は政府およびそれ以下の諸役所の諸文書及び諸施設にも降参という文字をできるだけ避けているようである。 終戦という字…

東洋的な見方

〇 この本を読んで、なぜ私たちの国では、「言い訳をするな」と言うのかが、わかったような気がしました。言葉であれこれ言うのは、「禅」の美学からいうと、間違っているのでしょう。 そして、昔、私自身、「作り笑い」をするのがなぜあんなに嫌だったのか…

東洋的な見方

「<「詩」の世界を見るべし 1963年> それよりも、この有限の世界に居て、無限を見るだけの創造的想像力を持つようにしなくてはならぬ。この種の想像力を自分は、詩といって居る。この詩がなくては、散文的きわまるこの生活を、人間として送ることは不…

東洋的な見方

「<日本再発見 1962年> 西洋の人たちは、何事にも征服感が先立つらしい。(略)なんでもかでも、対峙的に見ようとするから、しかしてそれが自分の敵のように見られるので、それに打ち勝ってやろうと決心する。」 「これにちなみがあると思うが、日本に…

東洋的な見方

「<機心ということ 1966年> 問題はこの「機心」である。これは何の義か。一口に言えば、機心ははからいのある心である。これがあると「純白」でない、何やら「神」が動いて不安定である。 心が動くことは、本来の意識から、仲介物なしに流出せぬと、不…

東洋的な見方

「<人 _ 東洋の主体性 1965年 > 近ごろよく戦後20年ということを聞く、しかし、自分らの年になると、戦後はニッ十年というより、維新は百年といった方が、多少の史的響きがある。(略) 数というものに分けて考えると、大変なこと、つまり絶対矛盾…

東洋的な見方

「※のつづき スエーデンにラーゲルクィストという人がある。近代有数の作家で思想家だ。その人の小品に「永遠の微笑」がある。その中に出てくる「神」は、ユダヤ系の神でなくて、平凡な一老樵夫である。 朝から晩まで、一生を通じて、同じ仕事に精出している…

東洋的な見方

「<東洋の心 1965年> 「東洋的思考」または「東洋的真理」というべきは、西洋的なものと違って一種の特性を持っていて、この特性が、まだ世界一般に解せられていない。 これをどうかして知らせておきたいというのが著者の所懐、これが全編に渉っている…

東洋的な見方

「<時間と永遠 1959年> 永遠の生命などというが、そんなものはあり得ない。生命は移り変わるのが生命、移り変わるそのことが生命だから、その他に移り変わらぬものがあるとはいわれない。(略) 永遠の生命は永遠の死にほかならぬ。このような生命を願…

東洋的な見方

「<「自由」の意味 1962年> 大人から見ると、子供は、とんだり、はねたり、種種様々の遊びをやったにきまっている。「何もしない」は、客観的に見ると、大いなる虚誕である。ところが、子供の主観から見ると、百般の活動態はいずれも遊戯でしかないの…

東洋的な見方

「<創造の自由 _ 「荘子」の一節 1962年> 東洋には、昔から、二つの主な思潮が流れてきた。今もそれが跡づけられる。(略) 一つは儒教的なもの、今一つは老壮的なものである。儒教的なものは、形式的・律法的・機械的方向に動かんとする。老荘的なも…

東洋的な見方

「禅にかぎらず、仏教全体についていうと、内を見るとか、照らすとかなど話せられる場合には、いずれも思議的・思索的・論理的方法から離れることを意味する。いわゆる超証である。飛び越えることが肝要だ。 同じ平面でなく、次元のちがった面に立つのである…

東洋的な見方

「この経験を一種のムードのように解釈する人もある。これは自分にこの体験がないからの話にすぎぬ。ただのムードの中からは、仏教のような甚深の哲学は出てこないし、また一生を通じての安心の基礎となりえないし、また他の動かすほどの迫力が発生しないの…

東洋的な見方

「改めていうまでもないが、禅の本分は、物自体、あるいは自我の本源、あるいは自心源、あるいは本有の性、あるいは本来の面目、あるいは祖師西来意、あるいは仏性、あるいは聴法低の人、あるいは無位の真人など、さまざまの名目はあるが、つまりは自分自身…