読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

2017-01-01から1年間の記事一覧

精神の生活 下

「これまでスケッチ風の断片的な叙述をして、私はそれをおこがましくも意志の歴史だと宣言してきた。ところが、この叙述については、最後に何世紀にも及ぶ最大の飛躍をすることが必要であることを、この考察の最終部分に向かう前に述べてみたい。」 「この数…

精神の生活 下

「スコトゥスの議論の出発点となっている問いは、「意志において意志的行為の原因となっているのは、それを動かしている対象の方なのか、それとも意志自体なのか」という問いである。」 「スコトゥスは言う。「偶然的」という語によって私がいいたいのは、必…

精神の生活 下

「魂の不死性に関する哲学者の「証明」が論理的に正しいとしても、そんなことはどうでもよいことなのである。この世での旅人、あるいは巡礼者にとって、この世にあり続けることが意味あるものとなるためには、死後の世界は「第二の人生」でなければならず、…

精神の生活 下

「(ベットーニ)「ドゥンス・スコトゥスは終生にわたって、彼の形而上学的実在観を構成していた思想や学説を表現する際に最大限にアリストテレスの方法を学びとったアウグスティヌス主義者であった」。」 「彼の思索の中心には、そして彼の敬虔さの中心にお…

精神の生活 下

「現世で何を欠いているかはともかくとして、来世で何を所有したいのかという欲求の概念に、トマスの欲求的能力の概念が依然として(ある意味で)依存しているということをトマスも明らかにしていると思われる。 というのは、意志は、基本的には欲望として理…

精神の生活 下

「普遍的な存在は思考にすぎず、実在性を欠いている。「このもの性」で特徴づけられる個物だけが人間にとってリアルなのである。(略) したがって_以下のことが決定的なのだが_精神に描かれた像がなければ、そのものがなんであるかを知りえないとはいえ、…

「Black Box」 伊藤詩織著 の紹介記事

伊藤詩織著 Black Box の紹介記事を読み泣きました。 この本自体はまだ読んではいないのですが、森まゆみさんが書いている 紹介記事の感想文です。 「それでも警察は、タクシーの運転手の証言やホテルの監視映像から立件の確証を得た。逮捕状が請求され、裁…

精神の生活 下

「このような区別の概念的基礎となっているのは、「善と存在」の相違が思考の中だけにあるということである。」 「「人が存在をえている限り善をえているのであり、存在の充溢を欠いているかぎり善を欠いており、悪と言われうるのである」。」 〇ここが全く…

精神の生活 下

「知性と理性は真理を扱う。知性は「普遍的理性」とも称されるが、同意をとりつけるための証明を必要としないような第一原理としての数学的真理、自明的真理を扱う。 それに対して、理性は個別的理性であって、三段論法の場合のように普遍的命題から個別的命…

精神の生活 下

「今から四十年以上も前に、キリスト教哲学の復興に偉大な功績のあったエティエンヌ・ジルソンは、ギフォード講座の講師として…(略)おそらくは歴史に残る名著になった。 「中世哲学の精神」がそれであり、「すべての中世哲学の基本原理」を扱っている。」 …

精神の生活 下

「それで、アウグスティヌスは、人間の能力の時間性というこの観点から、巨大な論文の最後のものである「神の国」で、今一度意志の問題に戻るのである。」 「それから彼は、なぜ、他の生物に加えて、また、それら以上に人間を創造することが必要であったのか…

精神の生活 下

「神が全能である(神が人間の意志を支配することができる)かぎり、したがって、神があらかじめ一切を知っている限り、人間の自由は、二重に抹殺されているように思われる。」 「古代世界、特に、古代ローマの精神風土にとって決定論および運命論が非常に大…

精神の生活 下

「この奇妙な革新をアウグスティヌスに期待することはできない。それが登場したのは、ずっと後になってのことであり、少なくとも倫理学の領域については、近代を特徴づける普遍的懐疑_私は、近代をニーチェが「懐疑の時代」と呼んだことは正しいと思うのだ…

精神の生活 下

「ある決まった瞬間に、一つの目標が選択され、「これに向かって、それまでは多くの意志に分裂していた一つの全体的な意志が方向づけられうる」という点は、認めている。しかし、これが決定的なのだが、意志の和解は神聖なる恩寵によっては生じないのである…

精神の生活 下

「アウグスティヌスは最初のキリスト教的な哲学者であり、さらに付言すれば、ローマ人が持った唯一の哲学者だと言っても良いと思う。その彼は、また、哲学上の混乱のために宗教にくらがえした最初の哲学者でもあった。」 「若い頃、アウグスティヌスは、内面…

精神の生活 下

「エピクテトスは、この二つの関係を恒常的な「闘争」として、「自分に対していつも注意深く疑いの目を向けるように求められるオリンピック競技として、特徴づけている。 すなわち、「一言で言えば[快楽と苦痛をいつもあてにしている哲学者は]自分のことを、…

精神の生活 下

「すなわち、以上のような無制限な内的自由は、実際には、[死に至る]ドアは開かれているということを覚えて心にとどめておかなくてはならない」という前提を持っている、ということである。 世間からまったく疎遠になった哲学にとっては、カミュが自分の最初…

精神の生活 下

「パウロは、ローマ市民であったし、共通ギリシア語を話し書いた。また、明らかに、ローマ法とギリシア思想にはよく通じていた。しかし、このキリスト教という宗教(たとえキリスト教教会ではなくとも)の創始者はユダヤ人であり続けた。 だから、おそらく、…

精神の生活 下

「パウロは、確かに、律法を実行せよという古くからの命令が、ナザレのイエスの教えの中でラディカルに転換したことに気づいていた。」 「旧約は汝なすべし、と言い、新約は汝意志すべし、と言う。意志は、自由意志による服従を要求する命令を経験したことに…

精神の生活 下

「それに対する第一の基本的な回答は、次のようなことである。すなわち、これらの_元来はヘブライ人たちの_経験が、まったく[公共的という意味での]政治的・ポリス的世界というものに係わっておらず、もっぱら、人間自身の内面に位置づけられる経験だとい…

精神の生活 下

「人間の魂のなかでは、理性が「支配的」で命令的な原理であるのは、ただ欲望が盲目で理性を欠いているために盲目的に服従するものとされているからなのである。(略) というのも、これは矛盾率_きみ自身に矛盾せず、きみ自身の友人であり続けろ_というこ…

精神の生活 下

「しかし、理性とその特質の発見は精神の発見と哲学の始まりと同時であるのに対して、意志の能力の方はずっと後になって明らかになったのである。 我々の問いは、したがって、次のようになる。つまり、いかなる経験によって、人間は、自分たちが意志行為をな…

精神の生活 下

「しかも、この仮説がもっともだと思われるのは、一つの世界精神の実存を想定する場合だけなのである。なぜなら、この一つの世界精神は、多くの人間の意志を支配し、この意志を理性の欲求から生じる「意味」に向かわせるからである。 この場合、理性の欲求と…

精神の生活 下

「そして、その帰結として、「精神の王国が…現実の生活において顕現し」、「この世」に「体現される」からである。そうなれば、歴史の過程はもはや偶然ではなく、 人間界ももはや意味を欠いた空虚なものではなくなる。」 「ヘーゲルは、「意志の自由”それ自…

精神の生活 下

「「太陽が天空に位し、天体が太陽の周りを回るようになって以来久しいが、人間の実在の中心が自らの頭、つまり思考にあるということは、まったく思いもよらぬことであった…。 これは、輝かしい日の出であった。思考するあらゆる存在は、この新時代を共に祝…

精神の生活 下

「自己が意志する自我と自己同一化する限り― のちに見るように、この同一化は、 ”固体化原理”を意志の能力から引き出す主意主義者たちによって提案されたが― 、「未来が今へと絶えず移行する形で存在しているのであって、いかなる未来もなく、来るべきものが…

精神の生活 下

「ヘーゲルほど、意志する自我が施行する自我とぶつかる際に、意志する自我に共感的な態度で、深い洞察力をもって、思想史に実りをもたらすようなやり方でそれを描いた人はいない。」 「コイレの中心的テーゼによれば、ヘーゲルの「最大の独創性」は彼の「未…

精神の生活 下

「結局、意志は何かをすることを意志しているのだから、暗々裏には、純粋な思考というものを軽蔑しているのである。というのも、思考の活動全体は「何もしないこと」に依拠しているからだ。」 「こうした観点― 私はこれを精神活動の「調整」と呼びたいのだが…

精神の生活 下

「宗教的であれ世俗的であれ理論や伝統よって妨げられることなく、以上の述べてきた事柄を考えるなら、哲学者については次のような印象をぬぐいさることはできないだろう。 それは、哲学者というのは生来、精神の一定の現象や世界における精神の位置とうまく…

精神の生活 下

「しかし、かの聖書の教説が、我々の文脈において十分な根拠となるのは、神が”無”から創造したことを付け加える場合に限るが、そうした無からの創造については旧約聖書は何も語ってはいない。無からの創造は、後世の思弁が加えたものである。」 「結局、意志…